陽の光 闇の月

陽の光 闇の月

陽も月も異なれど、同じように地上を照らす。けれど、両者は決してまみえることはない。陽が輝くとき月は闇に隠れ、月が輝くとき陽は沈む。

でも、もし、両者がほんの少しでも近づいてしまったなら、どうだろうか。地上を照らす光は強力になり過ぎて、総てを焼き尽くすだろうか。それとも、互いの光で破壊されてしまうだろうか。

だからそんな事、恐ろしくて出来ない。

互いの光に焦がれ、傍に近寄りたくとも、想像も出来ない破滅への道が続いているようで恐ろしい。だから、このまま。何億年、時を費やしてもこのまま。

両者は天秤の上。互いを侵食しないように、生きている。

微妙な均衡を保ち、互いを取り巻く支軸が動かない事を祈りながら……

陽の光 闇の月 -1-

窓を閉め切っていても、どこからか冬薔薇の甘い芳香が寝室に漂う。

わずかに開いているカーテンの隙間から、夜光が差し込んで、辛うじて形の輪郭を照らしていた。

静まり返った部屋に、キンという金属音が響いて、小さな炎が浮き上がる。

咥えた煙草の先端が炎に照らされて、赤く燃えはじめた。いっそう赤く燃えたかと思うと、儚げな淡い火に変わる。

味わうように、ゆっくりと煙を肺に送り込んで、ロイエンタールは小さく溜息をもらす。

背に枕をあてがって起こした上半身は、傍らに眠る相手を見た。

流れるような金色の髪の毛を枕に波打たせ、何も着ていない白い肩が、シーツの端からのぞいている。強引に引き寄せたのか、腕は覆われているが、背中が肩甲骨の辺りまで見えていた。

ロイエンタールに背を向けて、静かに寝入る皇帝は、明らかに情事の後。

深く煙を吸い込みながら、白く滑らかな背中を見つめて煙を吐き出す。

恐ろしいほどの静寂が寝台を取り囲み、煙草の葉の燃える音が妙に響いた。

花の、冬薔薇の芳香が匂う。

……我が皇帝……眠ってなどいないでしょう。ここの所、貴方はそうやって壁を作り、俺をわざと遠ざける。キスすら、さり気なく顔をそらして避けている。最初は、こうではなかったはずだ。思う存分、イかされた後は俺の腕の中で眠っていたでしょうに……

煙草の灰を、傍らにあったワインの空き瓶に落として、二度目の溜息をもらした。

……その背中は、愛撫以外をすべて拒絶している。抱き寄せられる事も、ましてや、手をかけて振り向かせる事など、もっての外……

半分しか吸っていない煙草を瓶の中に落とすと、半身を起こしたままの姿勢で、表情の読み取れない後ろ姿を見遣った。

重心が少し動いて、寝台のスプリングが僅かに揺れる。

一瞬にして、寝室の空気が張り詰めた。

背を向けた姿が、全神経を集中させてロイエンタールの一挙一動に、耳を傾けている。

金銀妖瞳の整った顔に、眉が寄る。

……そんなに、俺を拒絶なさりたいか。ならば何故、あの日から一年半もの今に至るまで、関係を続けようとなさるのか。

あの日―――ジークフリード・キルヒアイスが死んで一年後のあの日、初めて貴方を抱いたあの夜。貴方は俺を欲したではありませんか。その後も、事あるごとに俺を呼び寄せ、意識を手放すまで抱かせたではありませんか。

あの頃は、拒絶などなかった。むしろキルヒアイスを忘れる為、激しく俺を求めたではありませんか。

何が至らなかったのですか?

俺の何が気にいらなくて、拒絶なさるのか……俺は、その訳が知りたい……だが……我皇帝……その訳を知ったところで、俺をもう一度求めてくださるのか……

ロイエンタールは、三度目の深い溜息を吐いた。

視線の先に、冷え切った華奢な肩が見えて、無意識に手を伸ばす。

その瞬間、わずかに肩が震えた。

伸ばした手が反射的に止り、ロイエンタールに自嘲めいた笑いが込み上げた。

……それほどまでに、拒絶なさりたいか……

ならば、いっそ肩に手をかけて、振り向かせてみようか。と、ロイエンタールは思った。少しの間本気でそう考えたのか、一切の動きが止まる。

張り詰めた空気が更に糸を張り、呼吸すらままならない。

やがて、小さく頭を振ってシーツを引き上げると、のぞいていた肩と背中を覆い隠した。

かける言葉もなく寝台から出ると、手際よく軍服を着始めた。

最後に慣れた仕草で青いマントを肩にかけると、視界の端で皇帝を振り返った。波打つ金髪が見えるだけで、動く気配はない。

ロイエンタール本人も気付かぬほど、小さく溜息を吐いて、そのまま寝室を出て行った。

しんと静まり返った寝室に、扉のロックのかかる音がした。

皇帝―――ラインハルトは、やっと背中の緊張を解いた。息も張っていたのだろう、肺からゆっくりと空気を吐き出して、仰向けに向き直った。

眠気など一切ない、澄みきった蒼氷色の瞳が天を仰ぐ。

空っぽになった肺に空気を送り込んで静かに呼吸し始めると、まだ温もりの残るシーツの波間に視線を落とした。

そして、先ほどまでの存在を確かめるように手を伸ばす。

「……まだ、温かい……」

吐息のような独り言をこぼすと、伸ばした手はシーツを引き寄せた。

美しい眉間に深い皺が刻まれる。

ゆっくりとだるそうに半身を起こして、ローブを引き寄せる。顔を上げないまま、肩にかけて寝台を出た。

落とした肩が、どことなく震えているように見える。

バスルームに入ると、無造作にローブを足元に落として浴室に滑り込んだ。

金色のカランを捻ると、すぐさま湯気の立つ熱い湯が頭上から降り注ぐ。金色の髪の毛が湯に濡れ、重そうに肌に張り付く。

体を洗うでもなく、ただ飛沫の下で俯いたまま立ち尽くしている。やがて華奢な体が前に倒れ、それを支えるようにしてタイルに手をついた。

白い内腿を伝って、白濁したものが流れ落ちる。お湯にかき消され混ざり合っても、確かにそれはラインハルトの最奥から流れ出ていた。

俯いた顔が更に俯き、頭上からは湯が降り続ける。

そのままズルズルとタイルの上を手が滑り、その場にしゃがみ込んだ。

肩が、震えていた。

「……キルヒアイス……許して……」

……俺は弱い人間だ。お前を失った辛さを誤魔化す為に、彼を……ロイエンタールを利用した。あいつも、それで良いと言っていた。だけど、だけど回数を重ねる度に、何もいらないと言ったあの目が、俺を求めるんだ。

俺の何が欲しいっていうんだ?これ以上、何を求めるんだ?このままでいいじゃないか、お前は何を越えようとしてるんだ?

なあ、キルヒアイス。キルヒアイス教えてくれ、あいつは何を求めてるんだ?

熱い湯が、降り続く。跳ね返った水滴が、湯気とともにラインハルトを覆って行く。

……俺は怖い。何時あいつが、何を言い出すのか……怖い。

今更俺が何をやれるって言うんだ。俺の総てはキルヒアイス、お前に捧げてしまってる。俺の中にはキルヒアイス、お前一人いれば十分なんだ。もう、他には誰もいらない。なのに、あいつは入って来ようとする。俺とお前の二人っきりの世界に。

降り注ぐ湯が、髪を伝い頬を伝う。幾筋も幾筋も、後を追うように伝う。それは、降り注ぐ湯なのか、蒼氷色の瞳から溢れる涙なのか判らない。

……俺はそんなの嫌だ。許せない。だけど、どうやって止めたらいいか分からないんだ。怯えながら、この微妙な均衡が崩れないように祈ってるだけ。

怖くて怖くて、どうしたらいいか解らない。

降り注ぐ先に向かって顔を上げる。硬く閉じられた瞳。美しい顔に似つかわしくない眉間の刻み。

熱い湯が、頬から伝い落ちた。

……だけど、一番許せないのは、あいつの侵入を拒めないでいる俺。この体に焼き付いてしまった行為を、手放せないでいる俺。

なあ、キルヒアイス。お前の命を奪っておきながら、こんな身勝手な俺を、お前は許せないよな……

熱い湯が、降り続く。

跳ね返った水滴が、湯気とともにラインハルトを覆った。

つづく…

はああ。。。暗いタルトの中を歩行中だってのに、自分からまた暗い道に突入してますね(笑)

もう、3ヶ月以上もほったらかしにしていた黒金です。まだ頭ン中出来てません。

なのに書く馬鹿者……あがいてあがいて書き殴れっつー感じですかね。それと、月はたぶん反射して光ってるんですよね、冒頭……気にしないでください。只の雰囲気です。

さて、壁紙は萌えてやまないテトラさまに頂いた黒金を、ちょいと拝借しました。もともと、テトラさまの黒金を見て、一念発起した話。何度も挫折しそうになって、そのたびにこの黒金に助けられました(と、書いて「妄想かき立てられました」と読む)ならば、いっそ壁紙にしちゃえ…

駄文ながら、テトラ画伯に捧げます。

(2003/4/8)

人は、手に入らぬものほど欲しくなるのか。人は、逃げるものほど追うものなのか。

  それは本能。理性では、どうにもならない本能。

  人は、与えられるものに飽きる。人は、与えられたものに慣れる。

  それは欲。取りとめもなく増殖して行く欲。

  両者は天秤の上。果たして、どちらが人を支配するのか。

  支配された後に訪れるのは―――廃頽、或は破滅。

陽の光 闇の月 -2-

最近、噂を聞いた。また、あいつは女を捨てたそうだ。自宅にも一人、住まわせているとも聞く。噂は噂。あいつの場合、半分当たっていれば良い方だろう。

それに、俺が、口を出すことでもない。付き合っている訳ではないのだから。

でも、自宅に女がいるというのは本当だろうか。あの、求めるような目で、女も見ているのだろうか。

一瞬、あの金銀妖瞳が鮮明に浮かび、ラインハルトは硬く目を閉じた。

関係した相手がいながら、他にも関係を続ける……俺には出来ない。

否、俺も同じか。唯一と誓ったキルヒアイスがいながら、彼と関係を続けている。

同じ事か。

俺はどうしてそんな事が出来るんだろうか。なんでキルヒアイス独りじゃいられないんだろうか。

それは……

思い至った答えに責められているような気がして、心の中で頭を振る。

……それは、一方で得られないものを、もう一方で補おうとしているから。キルヒアイスで得られない温もりを、ロイエンタールで補おうとしているだけ。ならば、俺と関係を続けながら、他に女が切れないのは、彼もそうだと言う事か。

得たいのは何だ?補うのは俺か、女か……

「陛下、陛下……」

不意に声がして、ラインハルトは顔を上げた。

心配そうに見つめるフロイライン マリーンドルフがそこにいた。彼女は、皇帝が正気に戻ると、ホッとしての視線を走らせた。

無意識にラインハルトの視線も、それを追う。

「あ……」

サインを求められている文書に、羽ペンのインクが滲んでみっともない染みを作っていた。

慌ててペンを引き上げたものの、染みは元通りにはならない。執務と関係の無い私情に気をとられ、大切な文書は台無しになっていた。

珍しい皇帝の姿に、フロイラインはどうしたものかと小首を傾げる。

今更元通りになろうはずもない染みを見つめたまま、動かない皇帝。

「陛下。少しお疲れではございませんの?今日は天気もよろしゅうございますから、少し薔薇園でも散歩なされてはいかがかと。いい気分転換になりましょう」

山積にされた書類と、フロイラインの微笑む顔を交互に見遣る。そこに、やさしい言葉の影に、一度言い出したら聞かぬ頑固さを見出して、ラインハルトは苦笑いした。

意地を張っても、今の状態では何事も上手く行くまいと。

気を取り直すため、溜息を小さく吐く。それから、思い出したようにペンを置いた。

「……そうだな。そうしよう」

諦めにも似た曖昧な表情を浮かべて、差し当たって目を通しておかなければならない、急ぎの書類を何枚か掴むと席を立つ。

窓の外は暖かい日差しで輝いている。

「エミールを、お連れなさいますか」

「いや、いい。一人でゆっくりして来よう」

ラインハルトは目を細めて、窓の外を見つめた。

……あの光の中に行けば、少しは気分も晴れるかもしれないな。

「ああ、そうだった。フロイライン、ビッテンフェルトを呼んであるから、来たら庭へ来るように言ってくれ。あいつは、待つ事を知らんだろうからな」

さっきまでの物憂げな表情は姿を消し、窓の日差しにも似た影を残す。

フロイラインは、颯爽と部屋を出て行く皇帝を見送った。

ドアが閉まり、執務室には独り。

途端、彼女の表情は曇り、深く長い溜息を吐いた。

……陛下。ここの所何について、そう、お悩みですの?気がつけばいつも眉間に皺を刻まれて、考え込んでいらっしゃる。それに体調も優れぬご様子。私、心配でなりません。

乱れてもいない襟元をただしながら、頭を振る。

自分ではどうしようもないと諦めているのか、何も力にもなれないと嘆いているのか、それとも、自分を頼ってくれない事への不満なのか、彼女はさまざまな思いを振り払おうとした。

道理で窓を閉めていても、薔薇の香りが部屋へ充満するわけだ。

ラインハルトは、鼻にまとわりつく甘い薔薇園を歩いた。高く覆い茂った幹は、自分の背丈をゆうに越え、美しい姿をすっぽりと隠す。

細く何処までも続く散策路を進むと、大きな樹の下に出た。ちょうどいい具合に陽が遮られ、暖かな風が頬をかすめる。

ラインハルトは樹の下に腰を下ろした。

見上げれば、葉の間から輝く陽の光が見える。

心地よさそうに、甘い空気を肺いっぱいに吸い込んで、手にした書類に目を落とした。

視線は確かに文字を追った。けれど、何が書かれているのか、少しも理解できない。

脳裏を霞めるのは、彼の顔。

左右違う瞳の色で、自分を見つめる彼の顔。

浮かんでは消える。否、消し去りたい彼の顔。

甘い芳香の風が、金色の髪をなびかせ、ラインハルトは深い溜息を洩らした。

いい加減、振り切らねば執務に支障をきたす……重く圧しかかる気がかりに、眉間の皺が深まる。

「陛下、陛下こちらにおいででしたか……」

ハッとして見上げれば、橙色の髪の毛を揺らしたビッテンフェルトが駆け寄ってくるのが見えた。

そう言えば薔薇園にいると、呼び寄せたのは自分だったと思い出す。

大きな体を上下させて、大股に近付いて来る臣下。

降り注ぐ陽の光を浴びて、輝いて見える臣下。

彼には、自分のように、心から愛した相手を自分の手で死に追いやり、別の相手と関係を続けるなど、考えられないだろうな。

お前は陽の下を歩いている……

大股で傍まで来ると、ビッテンフェルトは片膝を付いて頭を垂れた。

「ご苦労。もう少しで読み終えるから、しばらく待て」

皇帝の命令に、彼は素直にそのままの姿勢で待った。

書類に目を通しながら、視界の端に映る彼を見る。

ただじっと、忠実に命令に従っている。降り注ぐ日差しが橙色の髪に反射して、より赤く見えた。

少しの迷いもなく待ち続ける彼。何の見返りも求めず、ただ真っ直ぐな忠誠を捧げてくる彼。そんな臣下をラインハルトは眩しい目で見ていた。

不意に、強い風が吹き荒れ、手にした書類をさらっていく。ああ、と、手を伸ばすが、それは虚しく宙を掴んだ。

かしずいたまま風を遣り過ごしたビッテンフェルトが、慌てて目の前を飛んでいく書類に向かう。方々に飛ばされた紙を、一枚一枚丁寧に掻き集める。

やがて、総て集め終えた臣下が得意げにやって来た。ラインハルトは受け取ると、枚数を確認する。

「一枚……足りない」

はっ。素早く身を翻し、足りない一枚を探しまわる。

大きな体を屈めて、時に四つん這いになって、植木の陰や、樹の高所を探しまわる。

―――なんだか、犬みたいだな。それも大型犬のようだ。

ラインハルトは、何故か唐突に思った。

……飼い主の放ったものを、忠実に探しに行く犬。ビッテンフェルト、お前にはすまないが、お前に尻尾があるとすれば、それはふさふさと大きな尻尾だろうな。一生懸命ちぎれるくらいに振って、命令に忠実に従っていく……クスクス……

急に笑いが込み上げてきた。それはやがて我慢しきれなくなり、声を伴った笑いに変わる。

やっと残りの一枚を探しあてた臣下が、怪訝そうな顔で近寄って来る。

「陛下?」

ラインハルトは、最期の一枚を受け取っても、なかなか笑いを止める事が出来なかった。不思議そうに、困ったように見つめてくるビッテンフェルトの姿を見るに、ますます忠犬のイメージが重なって、目尻に薄っすら涙が浮かぶほど。

お前のせいではない。お前が可笑しくて笑っているのではない。そう、手で否定をしてみるが、込み上げてくる笑いはどうにも止まりそうにない。

最近、笑っていなかった。別に良く笑う方ではなかったが、こうして笑ってみると、自分が考え込んでいたことに気付かされる。

自分は少し囚われ過ぎていたのかもしれない。

囚われ過ぎて、息が詰まって、身動きできなかったのかもしれない。

実際、何を求められた訳でもなく、言われた訳でもない。もしかしたら、単に俺の思い込みで考え過ぎてただけ。

少し距離を置こう。そうすれば、あの金銀妖瞳を恐れるとこはないかもしれない。

心が、体が軽くなった気がした。

相変わらず忠犬ビッテンフェルトは、飼い主の次の指示を仰ぐ為"待て"をしている。

まだ笑いの残る中、ビッテンフェルトに書類を渡し2、3条件を出す。すると忠犬は、嬉しそうに尻尾を振って返事をする。

穏やかな日差しの中、微笑ましい思いに笑みを浮かべ、もう、行っていいと手を挙げる。

忠実に従う臣下。

橙色の髪に、背に光を浴びて遠ざかる後ろ姿。

ラインハルトは、忠犬の姿が見えなくなると、天を仰いだ。葉の間から零れる陽の光を眩しそうに見つめる。

久しぶりに感じる穏やかな時間。心のゆとり。

ビッテンフェルト、お前には感謝しなければならんだろうな……

鼻を霞める甘い芳香に包まれて、ラインハルトは両腕を伸ばして伸びをした。

つづく…

タルトはまだまだ続いています。てか、段々捻くれて来ました。

もう、模索どころではなく、起源から見つめなおせっつー闇の声に悩まされております。

そんな私に、感想など救いの手を差し伸べて頂けたら嬉しいです。

(2003/4/10)

愛情と狂気は背中合わせ。

  愛情が強ければ、それだけ狂気も育てられる。当人の知らぬ間に静かにそれは増殖し、ある日突然顔を出す。

  両者は天秤の、同じ皿の上。

  微妙な均衡は愛情。上下に振りきれれば狂気。

  では、均衡を保とうとする、もう一方の皿の上は何なのか……それが変われば、愛情は振りきれて狂気へと顔を変える。

陽の光 闇の月 -3-

昨日、あの女が言った言葉。埒もない、と失笑したが……

報告と称して皇帝に面会を求めた。迎え出るはフロイライン マリーンドルフ。

この女は好きでは、ない。

対峙した瞬間から、戦いを挑んでくる。おそらく本人は、そう意識してのことではないだろうが。俺を警戒している。必要以上に皇帝に近付くな、と無言のうちに訴える。

所詮、女は感情の生き物。お前がどんなに警戒しても、それが嫉妬ではあることは変わらない。皇帝の為、この帝国の為と大義名分の仮面を被ってはいるが、内面から滲み出る、醜い嫉妬の臭いは消せないさ。

「元帥、陛下は只今席を外して休んでおいでです。ご報告なら、お伝えいたしますが」

そうやって、間に割り入ろうと牙をむいて来る。

この女は、嫌いだ。

「……いや、結構。どれくらい休まれるのか」

所詮、女の浅知恵。お前の目が一瞬、窓の外へ游いだのを俺が見逃す筈はない。上手く隠したつもりなのだろうが、あの方が薔薇園にいるとお前が言ったのだ。

「1時間程度だと思いますが」

また来る。と短く告げて足早に退出する。

視界の端で、女の顔が安堵に息を抜いたのが見えた。

気付かなかったが、外はこんなに眩しいのか。それに、この噎せ返る花の匂い。

ロイエンタールは高い幹に咲き乱れる薔薇に触れ、その匂いを嗅いだ。

手にするは真紅の花。肉厚な花びらに触れる。しっとりと弾力がって、滑らかな表面。爪が触れると直ぐに傷ついてしまう。

―――あの方の、肌のようだ。

情交の手触りを思い出して、ふと苦笑いをもらす。

あの方は真紅というより、そう、こちらの方が相応しい。

少し先に見える純白の花弁を見止め、歩み寄る。同じ薔薇の花。見た目にも同じ品種のように思われた。けれども、その白い花だけ特別な様に見える。真紅の噎ぶ匂いではなく、ほのかに漂う芳香。気品があって、清らかで気高い。何人たりとも、膝を折らずにはいられない輝き。

ロイエンタールは、純白の花弁に皇帝の姿を重ね合わせた。

ゆっくりと指先を伸ばす。

触れるか触れないかの距離で、突然、強風が吹き荒れ、花は激しく嬲られた。無残に傷つき、何枚かの花びらが飛び散っている。

彼は結局、触れないままに手を引いた。

尚吹く微風に揺れる花。傷つき儚く見える花。大輪を誇った姿はもう何処にも無い。それでも、失われることの無い気品。

俺には、やはり触れることは許されないのか……

ロイエンタールは深い溜息とともに、小さく頭を振った。

不意に、風に乗って話し声が聞こえた。耳を澄ませば、それは聞き慣れた声。自然と足が動く。覆い茂る花をかき分け、棘を避けながら散策路を歩む。

すると、茂みの影に見覚えのある橙色の髪の毛が見えた。しかも随分と低い位置で、チラチラと動いている。一体何をしているのだろうか。あの位置では、恐らく地を這っている事になる。

開けた場所に出た途端、大きな樹の下に咲く、白い薔薇の花を見つけて思わず身を隠した。

―――笑っている。

手を口許にあてて、クスクスと肩を震わせている。何がそんなに面白いのか、視線の先をたどればビッテンフェルトがいた。

彼は巨体に似合わず、四つん這いになって茂みを漁っている。別段面白い光景には見えない。

すると今度は声が漏れてきた。紙を握った手を腹部に置いて、もう片方の手で口許を覆っている。

―――貴方は、そんなに笑う方だっただろうか。

あった、ありましたぞ!の声と共に、紙を手にしたビッテンフェルトが駆け寄ってくる。皇帝はそれを受け取りながらも、笑いが途切れない。

口許を覆った方の手で、手を振って否定している。多分、お前のせいではない。などと言ったところか。

不思議そうに佇むビッテンフェルト。

尚も両手を腹部に置いて、笑い続ける皇帝。

そこには、自分とは決して共有する事が無い空間が広がっていた。皇帝とビッテンフェルトだけに許された空間。そして、自分には見せることの無い表情。あんなにも無防備に。あんなにも真っ直ぐに向けられる視線。

どうして自分には向けないのか、なぜ自分には許されないのか。問いたい疑問が次々と浮かぶ。

あの時貴方は「忘れさせてくれ」と、仰ったではありませんか。だから俺は、全身全霊をかけて貴方に尽くして来た。一刻も早く傷から逃れられるようにと。少しでも貴方を苦しめる悲しみを和らげようと。それなのに何故、貴方は俺を遠ざけるのか。

沸々と湧き上がる苛立ち。そして―――嫉妬。やり場のない苛立ちが、全身に滾る。

歪んだ視線の先、ビッテンフェルトが最敬礼をして離れていく。それは直ぐに薔薇の幹に隠れ、皇帝と自分との密室を作り出す。

穏やかな日差しを見上げる白い花。

葉の間から差し込む光が、金色の髪に反射して輝いて見える。見たことの無い優しい顔をして、のんびりと伸びなどして。

全身を滾る苛立ちが、頂点に達した。

ロイエンタールは、無防備に咲いている花へと歩き出す。

花は陽の光を浴びて、気持ちよさそうに目を閉じている。

忍び寄る影。憎悪にも似た熱い想いを滾らせて、それは迫ってくる。

陽の陰りを感じて、やっと瞳を開く花。穏やかな表情は、一瞬にして凍りつく。驚きと恐怖に瞠目し、樹に背をつけてゆっくりと擦り上がる。

逃がすまいと花の両脇、樹にしっかりと手をつく。

花は瞠目したまま、声を忘れた。少し開かれた唇が、緊張で震え出す。もう逃げられない。聞いてはならない一言が、今告げられる。漠然とした強迫観念に飲み込まれた。

乱暴に顎を掴むと、震える唇に浄化されることのない黒い想いを注ぎ込んだ。

息苦しさに逃れようと、顎に添えた手を掴む。

愛情のカケラも感じられない強い力が、それを跳ね返す。

恐怖に慄く花を、一方的な想いだけで掴み、散らし、力でねじ伏せる。それでも、尚も屈するまいとする花。黒い欲望に支配された舌に、蹂躙されようとも屈しない花。

何故、怯えるのか。

何故、遠ざけるのか。

何故、拒絶するのか。

俺は、俺は―――全身に滾った苛立ちが、ついに皮膚を突き破った。

顎を掴んだまま唇を放すと、恐怖で竦んでいる体を樹に押し付けた。顔を背けようとするのを、強引に振り向かせ、顔を近づける。

恐怖と怒りに瞠目したままの蒼氷色の瞳。俺を捉えて放さない、その蒼氷色の瞳。焦がれて焦がれて、この手に抱きたい瞳。

―――何故、この手に落ちてはくださらないのか。

「っく……」

突然、顎の手が緩み力なく離れた。樹についていた手で、思いっきり樹を叩く。逸らされていく顔。はっきりと聞こえる舌打ち。

突然の変わりようにラインハルトは、全身の緊張を解いた。途端、息苦しかったのを思い出して、咳き込む。

振り向いた視線。

ラインハルトは驚いた。彼は、酷く哀しい目をしていた。理由など解らない。たださっきまでと、とても同一人物とは思えないほどの哀しさ。

咄嗟に手を、差し伸べなければと思った。けれども、その哀しい姿は、マントを翻して離れていく。慌てて手を、伸ばしたがもう届かない。

そして、一歩を踏み出せぬままに、彼の姿は幹の影に消えた。

残された花は、行き場を失った手を引いた。そっと握り締めて見つめる。

ロイエンタール。お前は何が望みなんだ。何であんなに哀しい顔をするんだ。俺に、どうしろと言うんだ。ロイエンタール、お前、言ったじゃないか。忘れさせてくれるって。でも……でも、お前といると忘れるどころか余計に辛くなる。

身代わりとしてしまう罪悪感。日ごと、この体が覚える行為。只一度、キルヒアイスが与えてくれた感覚が侵されていく。

ロイエンタール、これ以上俺に求めないでくれ。

樹に背をつけると、そのままズルズルと膝を折った。体を丸め、両膝を抱えて突っ伏す。穏やかな陽の光が差し込んで、金色の髪を照らした。そして、肩が、震えていた。

キルヒアイス、許してくれ。俺と、お前のたった二人の世界に、あいつが入って来ようとする。あいつが入ってきたら、俺は何処へ行けばいいんだ?唯一、俺が居るべき許された世界。そこが侵されるなんて、俺は恐ろしい。どうしたらいいか解らない。それに第一、お前が許さないよな……

僅かに漏れる嗚咽が、甘い芳香にかき消されていた。

―――何故、この手に落ちてはくださらないのか。

散策路を大股で突き進んだ。行く先などわからない。ただ、その場に止まりたくなかった。あれほど噎せ返った匂いなど、もう感じられない。

あの、恐怖に慄く瞠目した瞳。

俺は、俺は……あの時言ったではないか。ただ、悲しみから逃れる為の糧としてくだされば、と。なのに、俺は何時の間に強欲になったのだ。

あの方を恐怖に陥れたのは誰だ?あんなにも怯える目で、俺を見るように差し向けたのは誰だ?俺を捉えて放さなかった、精気に満ちた蒼氷色の瞳。あの目を瞠目させ、曇らせたのは誰だ?

―――総て、俺ではないか。糧となる。そう誓ったはずなのに、何故俺はあの方を苦しめる?

俺は何を望んでいたのだ?

振り向かせて、俺を見させて、俺を受け入れさせて、そしてその先は……

―――所詮、生まれて来るべきではなかった身。

昨日、あの女が―――エルフリーデが言った。お前は何を求めているのか、金髪の女は振り向かないのか、と。

求めるもの。それは何なのか、俺にも分からん。別に笑いかけて欲しい訳でもないし。愛だの好きだの言葉もいらん。ただどうしようもなく欲しくなる。中身のない体だけ与えられれば、その中身も欲しくなる。総てがこの手に入らないのなら、いっそ無の方がいい。

固く結んだ口元が僅かに緩む。そして、声のない自嘲が漏れた。

振り向かない―――それは、当然の事ではないか。だから、この手に落ちないのも当然。俺も今更気付いて何になる。あの方の中にはキルヒアイスしか生きる事を許されてはいない。俺如き、入れる余地もない。それを承知の上で、抱いたと言うのに。総てか、無か。あの時は考えもしなかった。それでも俺は僅かな希望を持ってしまう。いつか、あの方はいつか、俺を見てくださる時がくるだろうか。なにもキルヒアイスにとって変わろうと言うのではない。ただ、俺を……

体だけの関係が、ここまで苦しみを宿すとは、俺は知らなかった。否、知りたくはなかった。

つづく…

今まで追ってきた者が、突然足を止めた。

  あれだけ逃れようと怯えていた者は、急に不安になる。なぜ追わなくなったのかと、理由を尋ねてみたくなる。けれど、今まで逃げて来た手前、問うことは出来ない。

  足を止めたのは、気を引くための計算か。或いは諦めたのか。

  追う者と追われる者。両者は天秤の上。

  互いが思うより、それはある意味均衡を保っているのかもしれない。

陽の光 闇の月 -4-

手にした報告書が震える。

目が文字を追うにつれ、視界は暗闇に襲われる。

閉じた口の奥で、歯がカチカチと音を立てた。

何度見ても、読み違いではない。この署名した者は、自分がその厳正な政治姿勢と職務に忠実な者として全幅の信頼を置いている。

それでも在り得ることだろうか。あいつが……ロイエンタールが……不穏な動き、だと。これは何かの間違いではないだろうか。

彼はキルヒアイス、ミッターマイヤー等と共に、あの旧体制を倒してきた同志ではないか。歴史も、信頼も他の者が遠く及ばない程、秀でている。俺も功に報いて厚く遇して来た。

それなのに、不穏とは。

何度目を通しても、署名の欄には司法尚書ブルックドルフの名がある。他の者ならいざ知らず、司法尚書の名で出された報告書である限り、捨て置く事も出来ない。

「ミュラーを呼べ」

始めて見る皇帝の動揺に、秘書官ヒルダは一瞬判断を鈍らせた。

直ちにミュラーが呼ばれ、一通の報告書が手渡される。

「ロイエンタール元帥に不穏の気配あり」

ミュラーも驚きのあまり、声も出せず瞠目して立ち尽くした。よほど信じられなかったのか、二度ほど報告書を読み返して、顔を上げる。

「恐れながら陛下、これは何かの間違いではないでしょうか」

報告者の名を確認した上で、ミュラーが恐る恐る問う。

皇帝は既に冷静さを取り戻していた。おそらく表面上は、そう見えている。

「司法尚書ブルックドルフを世は信頼している。安易に世の重鎮を陥れると言うものでもあるまい。それに、素行を不快に思っての事とも思えぬ。ミュラー、事は重大かつ慎重を要する」

思いのほか、皇帝は事を深刻に受け止めている。もはや、事態を覆せないと知ると、ミュラーは表情を曇らせた。

元帥の人となりを多少でも知っている。度重なる戦火を共にくぐって来た。そして同じゴールデンルーベを仰ぐ者として、この報告書には納得がいかなかった。

確かに、女性関係の素行は多少なり聞き及んでいる。だが、それで職務を疎かにした訳ではない。皇帝に対する忠誠心も厚く、何よりも知力に秀で、この王朝を支える柱として皆に慕われている。それが、たかが相手があの故リヒテンラーデ公爵の一族だと言うだけ。それだけで不穏とは、それは少し行き過ぎではないかと思った。

長い廊下を歩きながら、溜息とともに頭を振る。

―――故リヒテンラーデ公爵の一族だから、なのか。

早朝とあって、突き抜ける冷気に身を震わす。

気が進まない。せめてこの役目が自分でなかったなら、と恨めしく思う。けれど逆らう訳にも、拒否する訳にも行かず、事務的に回された地上車に乗り込んだ。

地上車は本人の思いと裏腹に、真っ直ぐロイエンタールの宿舎へと向かった。

ミュラーを見送った後、皇帝はもう一度報告書に目を通した。そして、他の物とは別に、執務室の引き出しにしまった。

決済待ちの書類に何枚かサインして、窓の外を眺める。放射冷却のせいか、朝の冷え込みに反して、眩しいばかりの陽が差している。

小さく息を吐く。

流暢に流れるペン先が、止まる。職務に集中できないのか、2、3枚サインしては視線が漂う。

今頃あいつは尋問を受けているだろうか。前に聞いた、私邸に住まわせている女が、まさか故リヒテンラーデの者とは。

その者の素性を知っての事か。それとも、後に知った事なのか。だが、今更過去の遺物に過ぎんリヒテンラーデなど、どうでもよい。

―――どうでもよい?

俺が流刑を命じたにもかかわらず、私邸に置く事がどうでもいい事なのか?あいつは命令に背いた。これは立派な不穏ではないか。

本人も事が露見すれば、問題になるぐらいは予想出来ただろに。それを敢えてするとは、それほどの女と言う事か。

補うのは、俺の方なのか?

お前はあの時言ったじゃないか。俺を手に入らぬ者だと。何も見返りは要らない、それでいいからと。

あれだけ俺の総てを食い尽くさんと、求めて来たのに、結局補う方なのか、俺は。

確かに、俺はお前を利用した。あの時は失った淋しさを紛らわしてくれさえすれば、何だってよかったからな。そう、ロイエンタール。お前でなくともよかったのだ。

だが―――人と言うものは業なもの。

相手が見返りを求めないと、返って利用する罪悪感に、自を正当化する理由を探す。

誰しも肌を重ねる回数が増せば、情が湧く。利用している事に変わりはないのに、その情を恩着せがましく小出しにして、さも応えてやった振りをする。それでお互い様だと思い込もうとする。

更に始末の悪い事に、計算し適当な間隔をおいて相手を焦らしより尽くさせようと強いる。自分が相手にとって至上の者だと、自分が居てやらないとダメなのだと酔いしれる。

それはやがて自分の中で、強要され仕方なく関係を続けてやっている―――に、すり替わって行く。

深い溜息を吐いた。

―――解っている。解っているのだ頭では。総ては自分の弱さゆえ、無理やり理由を付けて正当化している事など。だが、今更引き返せないのも事実。

俺たちは、多分―――深く関わり過ぎた。

手に羽ペンを握っていた事を思い出した。既にペン先のインクが乾きかけている。先日のように公文書に染みを作っていなかった事に安心して、ペンを置いた。

頭を振る。溜息とも苛立ちともつかない仕草で。

陽が高くなったのか、窓から差し込む光が机の上に差し込む。手に触れる陽の温かさ。顔を上げれば、窓の外に透きとおる青空。

眩しそうに、目を細める。

感情が沈んでいようと浮かれていようと、変わらず一日は過ぎる。何千、何億年もの間、朝日が昇り夜を迎え歴史を重ねてきた。

心の闇に構わず、変わることなく繰り返し訪れる日々。

あの日、キルヒアイスを失った日。俺はもう自分の感情も共に失ったと思っていた。笑う事も喜ぶ事も、悲しむ事も無いと思っていた。

それが、どうだ。

俺はいつの間にか、感情と言うものを持っている。ロイエンタールただ一人の為に、こんなにも揺さぶられている。

こうして人の気も知らず、照らし続ける陽さえ疎ましい気がしてくる。

感情など、あのまま死んでいた方が良かった。そうすれば、罪悪感に苦しめられる事も無かった。自分の弱さを呪う事も無かった。

ロイエンタール。お前が俺に感情を思い出させたのだ。

「陛下、ミュラー提督がお見えです」

待ちかねた報告を受ける。もっと訊きたいような、これ以上は耳を塞ぎたいような複雑な思いとともに。

頭の中は女の事と、子供の事で埋め尽くされていく。あれ程までに自分を求めておきながら、他で子まで生すとは。心、穏やかではいられなかった。寧ろ怒りさえ湧いてくる。

おかしなものだと思う。人を利用しておきながら、勝手に罪悪感に苦しみ、後悔して終いには二の次にされたと怒る。

一体自分が何を望んで、何を拒否したいのか解らなくなって来る。ただ、明らかに女がいて、さらに子を生している事に怒りを覚えたのは確かだった。たとえそれが理不尽で一方的な我侭であると知っていても。

「陛下、元帥は弁明の場を望んでおられます」

ミュラーの声がした。

自分は冷静に聞けただろうか。報告を受ける最中、怒りが表情に出ていなかっただろうか。不安に駆られ視線を臣下に合わせる。

「陛下、小官からもお願い致します。どうか元帥に弁明の機会をお与え下さいます様お願い申し上げます」

真っ直ぐに、真剣な面持ちで訴えている。冷静に見えたのだろう。臣下はただ僚友の事だけを心配していた。

ホッとした反面、自分の心中など知れるはずもないか、と苦笑いする。

「分かった。フロイライン、午後にでも取り計らってくれ」

だが、俺は理不尽な怒りを抱えたまま、彼の言葉を聞けるのだろうか。

一瞬、後悔した。けれど、このままにしておく訳にもいかない。事はローエングラム王朝を支える柱の一本を失うか、どうかの話。

王朝を平穏に導くなら、弁明させて適当な処分を与え、水に流すのが一番だろう。けれど覚えてしまった怒りはどうなるのだろうか。自分個人としての感情はどこへ向かうのだろうか。

ラインハルトは、退出していく臣下の肩越しに窓の外を見た。

相変わらず、疎ましいほど眩しい。

「フロイライン。少し庭を歩いてくる」

秘書官の返事も聞かぬまま、皇帝は執務室を出て行った。

つづく…

もう、本当にますます訳分からん状態ですね(苦笑)

ラインハルトは我侭です。きっと本人はそう望んでないように思っていますが、何もかも欲しい人なのではないかと思います。プライド高いゆえの欲張りかと……

(2003/5/5)

陽の光 闇の月 -5-

疎ましい日差しも、包まれてみれば慰められた。

キラキラと睫毛の間をするり抜ける光が眩しい。薄く浮かべた苦笑いで、空を見上げる。愚かな事だと思った。疎ましいなどと、日差しにあたっても埒もない、と。

ラインハルトは背丈を越える薔薇の中を歩いていた。眩暈を覚えるほどの芳香が鼻をかすめる。時折、天を仰いで強い日差しに手をかざす。

足は自然と彼の地へ向いた。

ロイエンタールが強引に唇を重ねてきた場所。

あの、大きな樹。

ゆっくりと手のひらを当ててみる。陽の光を浴びて温まった樹皮が、手に優しくなじんだ。ほのかに温かくて、まるで人肌の様に。

見上げれば、揺れる葉の間から零れる日差し。

―――温かいな。

疎ましい、そう感じた思いなど消え去っていた。

瞳を閉じて、時折差し込む光を頬に当てる。

本当に温かい。あの頃―――キルヒアイスを失ったあの頃は、陽の光が温かいだなんて気付きもしなかった。今にして思えば、人など利用せず、このやわらかな陽の光で凍った身体を温めればよかった。それで足りないなら、激戦の炎で身体を焼けばよかった。

今更、後悔しても遅すぎるが……。

ロイエンタール。俺は何時の間にか、お前に強いられてこの身体を許した気になっていた。利用した事に変わりは無いのに、抱かせてやるのだからと、自分を正当化しようとしていた。

そんなことで、何も解消できる筈ないのに。

そんなことで、何も生まれる筈ないのに。

それでも最初は上手く正当化出来ていたのだ。淋しくなって、人肌恋しくなってお前に抱かれると、いつの間にかキルヒアイスに抱かれている気がして。

お前との行為を手放せなくなった理由は、それ。

だが―――人は慣れる。

俺を抱く事に慣れたお前。身体以外に与えるものを持たない俺。

膠着状態などありえない。

お前は更に欲求が強くなるし、俺は何時までも自分を騙せるはずもない。何時しか、どんなに思い込もうとしても俺を抱く相手が、お前にしか見えなくなっていた。キルヒアイスだと思い込みたいのに。

深い溜息を吐いた。樹にあてた手に額をつけて俯く。緩やかに吹く風が、金色の髪を撫でる。

硬く目を閉じても、頭に想い描いても俺を抱いているのはお前。忘れさせてくれると言った筈なのに、その事が俺を苦しめた。尻軽、浮気者だと。軽薄、薄情者だと、他人に身体を許す俺を責める。キルヒアイスただ一人と誓った、俺自身が責める。

だから俺は誤魔化した。自分から身体を許したのではなく、ロイエンタール、お前に強いられたからなのだと。

総てをお前のせいにした。

だが、責めるのだ。お前のその金銀妖瞳も。何もかも見通したように、哀しく責めてくる。姿が見えているのなら、素直に、俺に抱かれている事を認めろ、と。

けれど、認める事など出来ない。

樹に額をあてたまま凭れかかる。溜息ともつかない息を吐いて、頭を振った。

―――認めてどうなる。さらに俺は自分を許せなくて、責め続けるだけ。結局自分が可愛いだけ。自分、独りが。俺はその程度の人間なのだ。

だから、自分が一番でないと腹が立つ。勝手だと知りつつも、二の次など許せない。俺は、冷静に聞けるだろうか。お前の弁明とやらを。

形式どおりの質問に、お前はなんと答えるのだ?

女を私邸に置いたのは事実か。

子の為に、より高きを目指そうと言ったのは、真実か。

肩が、震えた。泣いているのではない。おかしくて、馬鹿馬鹿しくて笑いが込み上げてくる。自分の浅ましさに嫌気がさす。

俺はそんな事を訊きたいのではない。そんな事はどうだっていい。本当に訊きたいのは……

本当に訊きたいのは―――俺か、女か。ただそれだけ。

俯いたまま、肩が震え続けた。次第に声が漏れる。それは酷く投げやりで、嘲る様な笑い声。まったく、俺は最低な人間だ。人を利用し、人のせいにし、そして欲を張る。

問うてどうするのだ?

女を選んだ時はどうする。怒って頬を張るのか?

俺を選んだ時はどうする。一番になれて満足して終わりか?

違うだろ、そうじゃない。

俺を選んだら、またあの金銀妖瞳がさらに求めてくる。身体以外に許してやるものを持たない俺はどうするのだ。今にも食い付かれそうな、金銀妖瞳に怯えるのが落ちではないか。そして、これ以上何を許せばあいつが満足するのか、必死に悩むだけ。

多分、今以上に苦しみ、怯える日々が続くだろう。

緩やかに吹く風が頬を撫でる。葉の揺れ合う優しい音に、耳を澄まして顔を上げた。向きを変えて樹に背凭れる。見渡せば、幾重にも折り重なって咲き誇る花々。色とりどりに揺れ、何処までも続いている。

ゆっくりと深呼吸をした。身体に溜まった黒いものを総て吐き出さんと、心の底から。そして、代わりに眩しい陽の光を取り込もうと、胸一杯に吸った。

俺は宇宙を治める皇帝。この穏やかな景色を守る義務がある。人々が平穏に暮らせる日常を守る義務がある。個人的な感情で事を荒立てる訳にはいかない。

聞こう、弁明でも何でも。そしてロイエンタールが何ら疚しい所がないと言うなら、総て水に流そう。

急には無理かもしれない。でも、少しずつ距離も置こう。こんな関係に陥る前の、あの野心と情熱に満ちた信念を思い出し、普通の皇帝と臣下の間柄に戻るのだ。

白いマントの胸許に手が伸びる。細かい細工の施されたペンダント。ラインハルトはそっと握った。

自信は、正直無い。けれど戻れる様努力しなければならない。否、戻らなければ。

天を仰いだ。青い空が葉の間で揺れる。

―――キルヒアイス。これでいいんだよな。これで、俺を許してくれるよな。

ラインハルトは、眩しそうに蒼氷色の瞳を細めた。

つづく…

なんだかよーく分からない状況なので、書くペースが激ダウンしています。

3行書いては2行消す、みたいな……こんな状況って、飽きるんですよね(笑) 早く17日にならないですかね。やっぱり放送されていると、結構乗り気になりますしね。

(2003/5/9)

陽の光 闇の月 -6-

やわらかな日差しの差し込む窓辺から、外を眺めた。

庭に咲き誇る薔薇の花が、風に揺れている。一際輝く白い花弁に目を止めて、あの方も同じ花を見ているだろうか、と。けれどその瞬間、我ながら女々しいと苦笑いした。

「午後、美術館の広間にて執り行われる事になりました。それまで元帥、この部屋でお待ちください」

大本営の端に連なる簡素な応接間で、ミュラーは窓辺に佇むロイエンタールに告げた。

「時間になりましたら、お迎えに参ります」

振り返ると、まるで自分の事のように表情を強張らせた僚友がいる。

「手間をかけさせて悪かった。礼を言おう」

いえ、そんな、とミュラーは恐縮して頭を下げた。真面目でどこまでも忠実な男だな、と思う。謁見の場を設けてくれたのは彼。自分は手間をかけさせたのに、なぜか頭を下げているのは彼。心配そうな表情を浮かべて、言葉を捜している。

他に言い難い事でもあるのだろうか。

「どうした。ミュラー上級大将」

眉間に皺を刻んで、言葉を躊躇って唇が空を噛む。伏せた視線が游ぐ。

「……元帥、かの女性を傍に置いた事は、やはり不穏と言う事になりましょうか」

言ってしまった後で、ミュラーは口を固く結んだ。多分、問うのではなかったと後悔したのだろう。刻んだ皺が、より深くなっている。

「なるだろうよ。女、子供は流刑だったのだから」

元帥の静かな答えに、ミュラーはハッとした様に顔をあげる。

「ならばなぜ……ご承知なら、何故に……」

真っ直ぐに向けられる視線に、ロイエンタールは窓の外を見た。気に障った訳ではない。ただ自分でもその問いに、どう答えるべきなのか分からなかった。

「……かの女性を……愛しておいでだったのですか」

そうではない。と言うより、そもそも愛だのと言う意味が解らない。所詮、愛情などというものから縁の無かった俺。そんな俺が意味など解ろうはずもない。

ただ、あの女は―――エルフリーデは、俺に何も求めなかった。縋る目で俺を見なかった。押し付ける目もしなかった。ただ怒りに燃え、憎らしいと睨みつけていた。

母親と同じ目。だから傍に置いた。なまじ機嫌をとられるよりよほどいい。

整った金銀妖瞳の顔に、微かな笑みが浮かぶ。

こんな思いが、愛などと言う筈もなかろう。

ロイエンタールは振り向かぬまま、小さく頭を振った。

「ならば、何故っ……」

「さあな。俺にも解らん」

畳み掛けてミュラーが訴えようとした。けれど、振り向かいない姿を無言の拒絶と受け取って、言葉を飲み込む。

一人興奮してしまった自分を落ちつかせる為か、小さく息を吐く。そして、静かに佇む背を見遣った。

「……元帥。元帥は、この王朝を築かれた古参のお方です。その忠誠心の厚さは比類なきものと承知しております。ですが、悲しい事に悪意を持って事を謀ろうとする輩がおるやもしれません。どうか、御身をもう少しお守りくださいます様お願い致します」

それでは、とミュラーは深く頭を下げて退出して行く。

窓に映る後ろ姿は、酷く肩を落としている様に見えた。

「……忠告、痛み入る」

扉のところで最敬礼をしている僚友には聞こえない声。小さく溜息混じりの言葉。恐らくミュラー自身、返答を求めてはいない。その事をロイエンタールも知っていた。だからこれは、僚友の気遣いに詫びての事。互いに艦を並べて戦ってきたもの同士、言葉にせずとも伝わる思いもある。

窓に映る扉が、低い軋み音をたてて閉じて行く。垣間見えた兵士が、自分が今、監視下すなわち罪人扱いされている事実を突き付ける。

静か過ぎる部屋。

独りを強調して自らの足音のみが、異常に響いて聞こえる。

運ばれていた昼食のトレイから、コーヒーカップを取り上げて再び窓辺に立った。

変わらず、白い花は風に揺れている。

―――あの方は、女の事を聞いて、どう思われただろうか。

ふと、思い浮かんで苦笑いし、頭を振った。

自分は今、審問を待つ身。保身の為、尤もらしい言い訳を考えるのが相応しいはず。だが、何も浮かばない。それどころか、自分の処遇すら興味が無い。思い浮かぶのはただ一つ。あの方の事。皇帝、ラインハルト陛下の事。

我皇帝は、女の事を知って少しはお怒りになっただろうか。それとも、埒もない、と捨て置かれたのか。或いは単に命令に背いた事、のみをお怒りだろうか。

揺れ続ける花から視線が外せない。眉間に皺を刻んで、瞠目する瞳。手が僅かに震え、口を付けぬままカップを置いた。見る間に、眉間の皺がより深くなっていく。

ゆっくりと頭を振った。

―――俺は、気を引きたかったのだろうか。あの女を傍に置いて、あの方がどう出るか確かめたかったのだろうか。自分から知らしめるのではなく、自然に耳に入れば、少しは気に止めてくれるとでも思ったのか。

馬鹿馬鹿しい。これでは嫉妬もいいところではないか。

声のない自嘲が漏れた。嘲って嘲って、そんな自分を否定する笑い。けれど、どこか否定しきれない本音があった。自分でも理解できない闇が、心の隅でドロドロとうねっている。

口許に手をあて、嘲続けるのを無理やり止めた。

―――あの女を傍に置いたのは何故か。

俺は、満たされぬものを誤魔化したかったのだろうか。あの女が見返りを求めないのをいい事に、利用したのだろうか。

自分から擦り寄ってきて簡単に落ちる者より、落ちない者をこの手で凌辱する方が、本音から意識を遠ざける事が出来る。

より大きな痛みを。より強い怒りを。より深い罪悪感を求めて、俺は自分を誤魔化し続ける。

口許にあてた指の下で、僅かに唇の端が上がった。

―――馬鹿な事を。どんなに誤魔化そうとも消えるものではない。所詮、その程度のものなら、とっくに気も逸れている。

俺は、あの反抗的な女の中に、あの方を見たのかもしれん。

一向に落ちぬ苛立ちを女に向けて、無理やり従わせて一瞬の気休めを得た。そして、後に襲われるのは、どうしようもない焦燥感と虚しさ。

女には、すまぬと思う。だが、俺は詫びる術を持たん。

我皇帝よ貴方は笑うだろうか。貴方がこんなにも俺を遠ざけるから、俺は醜い嫉妬の塊に成り下がってしまった。自分でも浅ましいと思う。

胸のむかつきを覚え、窓を開け放つ。

日差しに似合わない冷たい風が頬をかすめた。体を覆う濃い青色のマントが、風に揺れる。何もかも振り払わんと、肺一杯に吸い込んだ空気は甘い花の香。

「くっ……はははっ……」

愚かな。

俺はなんと愚かなことか。

エルフリーデが、俺に見返りを求めないから傍に置いただと?

縋る目を向けない。機嫌もとらないから傍に置いただと?

「……くくっ……」

簡単に落ちる者より、落ちない者を凌辱する方が気休めになるだと?

まったく、俺とした事がどこまで愚かなことか。

―――それは、他ならぬ俺の事ではないか。

躰を許されたのに、それ以上のものを求めたのは俺ではないか。

この手に落ちろ、と縋るように見つめたのは俺ではないか。

顔色を伺い、機嫌を損ねぬように、それでいてより多くを貪ろうとしたのは俺ではないか。

自分が他人にされれば冷たく捨て置いたものを、俺は、俺自身があの方に向けているではないか。

だから、遠ざけられるも当然。

大して願ってもいない者から追われれば、逃げるのが常というものではなか。

窓枠を握った手に力がこもる。骨ばった手には血管が浮き出て、微かに震え出す。

―――所詮、一番欲しいと望んだものは、この世に唯一のものであって、代わりは無い。いくらエルフリーデや他の女で紛らわそうとしても、或いは、補おうとしても満たされる筈が無い。

あの方も、キルヒアイスがいる限り、俺の入り込む余地などない。

結局、同じ事ではないか。

俺は、何度同じ事に気付いて、悔いれば気が済むのか―――。

いくら俺が尽くそうとも、キルヒアイスの代わりにはなれない。俺ではあの方を満たすことなど出来ない。そう、何度も気付いているのに。その度に、俺ではどうにもならない、と思い知らされるのに。なのに、止める事の出来ないこの想いは一体何なのか。この、締め付けられる胸の奥で、ドロドロとうねる想いは何なのか。

視線を落とし、血管の浮き出た手を見た。

幾度となく、あの金色の髪を撫でた手。あの白い肌理細やかな肌に触れた手。

ゆっくりと、両手を胸の前に広げる。

この指一本々の爪先まで、あの感触が染み付いている

――― 一度でいい。今更、多くは望まん。たった一度でいいからこの手に、何ものも恐れぬ貴方を抱きたい。その為には俺は何をすべきなのか……。

広げた手を、掴みとるように握り込んだ。

こんな関係に陥る前の、あの冷たく輝いていた蒼氷色の瞳。見るものを一瞬に焼き尽くす、蒼氷色の瞳。

我皇帝。あの瞳でもう一度、俺を見てくれ……

つづく…

お久しぶりです。こんな程度でも、何度書き直したか知れません。書き始めるとどんよりして、一向に進まないし。今更に黒金、手え付けるんじゃなかったと、ちと後悔。

さて、BGMの「天国への階段」ですが、書いてる最中コレばっか聴いてたので、すっかりロイエンタールのテーマ曲です。今も、この光景のバックから聞こえてきます。ロイエンタールは今、必死になって駆け上がっていた階段の中腹で、ふと足を止めてしまったのかな、と……

(2003/5/22)

過去と未来は背中合わせ。

  今を生きる現在も一秒後には、過去になる。たとえ、それが忘れ去りたい誤った過去でも。

  生きている限り一秒先には、未来がある。たとえ、それが行く末困難な未来でも。

  過去と未来。両者は天秤の上。

  果たしてどちらが、心を支配するのか。過去があるから未来を築いて行けるのか。或いは未来があるから過去の思い出に浸れるのか。生きている当人には解らないのかも知れない。

陽の光 闇の月 -7-

この扉の向こうに、あいつがいる。

落ち着け。

俺は皇帝なのだから、動揺してはならない。恐れてはならない。

落ち着け。

キスリングが、広間へ続く扉を開けた。見えぬ緊張が流れ込んでくる。ラインハルトは、そっと息を吸って伏せた視線を正面へ向けた。

あの金銀妖瞳が俺を捉えても、決して怯えてはならない。そう誓って一歩を踏み出す。

視界の端に、一瞬映った姿。背筋を真っ直ぐに伸ばし、姿を追っている。それと知って、緊張を増していく身体。

中央に置かれた玉座に座る。陪席を許されたミッターマイヤー元帥他、軍最高幹部たちは自ら折りたたみ椅子を広げて座っていた。

目の前に立つ長身の男。濃い青色のマントに身を包み、臆する事なく金銀妖瞳の瞳は、皇帝を見つめている。

故意に合わせられない視線。ラインハルトは、彼を前に自らの心が落ち着くまで、視線を合わさないでいた。

午後の日差しが、大きな窓から差し込んで、美術品の数々を輝かせる。そして一際輝きを誇る美術品とも称すべき皇帝。

伏せた瞳は物憂げで、閉じられた唇は動く気配がない。

大広間は静寂に包まれる。

静かに、息を吸い込んだ。

恐れるな。乱れるな、俺の心よ。あいつの口から、如何なる言葉が発せられようとも、静かに受け止めるのだ。

ゆっくりと睫毛を上げる。

視界に映る金銀妖瞳の瞳。それはなぜか、あの強い欲求に彩られた光を失っていた。今はただ穏やかに、哀しいほど穏やかな光がたゆたっている。

ラインハルトを責めるのでもなく。無論、怒りなど争いの色もない。ただ、ひたすらに哀しい光。

その瞳から、視線が外せない。

―――ロイエンタール、どうしたのだ……。

「ロイエンタール元帥」

俺に審問されるのが辛いのか。それとも、女と引き裂かれるのが、辛いのか?

「は……」

よく通る低い声が、短く答える。

ロイエンタール。俺にはもう、飽きたのか。もう、何も望みはしないのか?

「卿が、故リヒテンラーデ公の一族につらなる女を私邸に置いていると言う告発は、事実か」

ラインハルトは無意識に息を止めた。問うた相手から如何なる返答が来るか、身体中が耳を傍立てる。

哀し過ぎる穏やかな視線が、ラインハルトを捉えた。

緊張で身体が強張る。額に薄っすら汗が滲む。

怯えてはいない。恐れてもいない。意外なほど穏やかな視線に、寧ろ拍子抜けしたというか、返って、何が彼をそうさせたのか、その訳が気になった。

「……事実です。陛下」

疼く胸の痛み。事実を認める、女の存在を認めるという事は、やはりお前にとってその女は特別なのだろうか。

「陛下!ロイエンタールはその女に逆恨みされ、生命をおびやかされたのです。非礼を承知であえて申し上げますが、どうか前後の事情をお考えの上、ロイエンタールの軽挙をお赦しくださいますよう」

ラインハルトとロイエンタールの間に張りつめた糸が、ミッターマイヤーによって断ち切られた。彼は親友を助けようと、厳罰を覚悟で弁護を始めた。無論、その言葉はラインハルトの耳にも届いている。

けれど、煮詰まりそうになった思考を止められただけで、ミッターマイヤーの言わんとする事は、ほとんど耳に入らなかった。

今までにない、静かな視線。

憎悪にも似た熱く滾った想いは、もうない。

―――あの時と同じだ。薔薇園の樹の下。自由を奪われ、強引にくちづけられた後、彼の腕が樹を叩きつけた時。あの時と同じ、哀しい目。訳を問う事も、呼び止める事も出来ず、ただ黙って遠ざかる背中を見送った。

ロイエンタール、あの時お前は何を思ったのだ。何が、お前をそんなに哀しませる?

―――何…。

無意識に口を開きかけて、慌ててつぐんだ。人前で問うべき事ではない。決して誰にも悟られてはならない、知られてはならない事。

小さな溜息とともに、ゆっくり睫毛を伏せた。

途端、耳に聞こえる声。

ミッターマイヤーが必死に弁護していた。自分は少しも聞いていなかったが、この公明正大な男は、恐らく必死になって熱弁を振るっていたのだろう。幾度となく、生死をかけて共に戦って来た友を救おうと。無二の親友を救おうと必死で。

「ミッターマイヤー、そのくらいにしておけ。卿の口は大軍を叱咤する為にあるもの。他人を非難するのは似合わぬ」

笑みが漏れた。自分でも分かる。硬く凍り付いていた表情が、綻んだ。

「我皇帝よ……」

胸が、疼く。

低く沁みる声。こんな風に、彼の声を聞いたのは久しぶりの様な気がする。不思議なものだ。こんな風に聞こえると、恐れも何も感じない。穏やかに聞くことが出来る。

ラインハルトは全身の緊張を解いて、ロイエンタールの声に耳を傾けた。

「我皇帝よ。リヒテンラーデ公の一族の端につらなる者と知りながら、エルフリーデ・フォン・コールラウシュなる女を私邸におきましたのは、我不明。軽率さは深く悔いるところです。しかしながら、それをもって陛下に対する叛意のあらわれとみなされるのは、不本意のいたり。誓ってそのようなことはございません」

金銀妖瞳の瞳が、真っ直ぐに見つめる。静かに、静か過ぎる哀しみを湛えて。それは、諦めに似ていた。

必死に伸ばし続けた手が、力尽きてだらりと落とされた様に。

必死に走り続けた足が止まり、これから追うべき道のりを呆然と見遣る様に。

決して満たされた訳ではない。けれど、自分ではこれ以上どうする事も出来ず、叶わないと言う現実を受け入れた瞳。哀しくたゆたっている。

「……では、その女が身ごもった事を告げられた時、それを祝福して、その子の為により高きを目指そうと語ったのは?」

ラインハルトは思い出していた。彼に、なんら疚しいところがないなら、総て水に流そうと誓ったことを。そして、少しずつ距離を置いて、昔の自分たちに戻る事を。

彼は、引いた。あの哀しみの訳は解らないが、貪らんとする熱い滾りは消えた。ならば、自分も気持ちを切り替えなければ。

表面的には、淡々と交わされている様に聞こえるだろう。けれど、脳裏で違う思いが交錯していようとも、交わされる重さは、互いに十分伝わっていた。

彼は真剣に答えている。向けられた瞳に、嘘偽りなど感じられない。ロイエンタール、流そう。総て水に流そう。そしてもう一度……。

「そちらは完全な嘘偽です。あの女が妊娠した事を、私は存じませんでした。存じていれば……」

俺達は、まだ間に合うだろうか。あの頃に戻れるだろうか……。

「即座に堕胎させておりました。この点、疑う余地はございません」

ともに、旧王朝を打倒せんと戦いに明け暮れ、野心に身を焼いていたあの頃に。

「なぜ、そう断言できる」

いや、戻れるはず。俺さえ自分を見失わなければ、必ず戻る事ができる。

ロイエンタール、俺は謝らねばならんだろうな。この一年半もの間、たくさんお前のせいにした。総ては俺の弱さゆえの事。今更、許してくれとは言わない。けれど多分、散々お前を苦しめた事だろう。それには、素直に詫びたい。

―――本当に、すまなかった。

「私には人の親となる資格がないからです。陛下」

だから、そんな顔をするな。そんなに哀しそうな顔をするな。ロイエンタールよ、昔のあの頃に戻ろう……

静かに見つめてくる金銀妖瞳。

怯える事なく、返される視線。

見るものを焼き尽くす、あの勢いはまだないが、それでもロイエンタールが焦がれた蒼氷色の瞳は、小さな輝きを灯した。

いつの間にか、心を占めていた女子供の事など、すっかり消え去っていた。今在るのは、決意と謝罪の思い。

―――なあ、ロイエンタール。お前は覚えているか?

「未だローエングラムの家名を継がぬ頃、予は卿から忠誠を誓約された事があったな……」

やわらかな、そして穏やかな蒼氷色の瞳が、微かに浮かべた微笑とともに、ロイエンタールを見た。

我、皇帝……。

何ものにも怯えぬ、その瞳。

冷たく蒼氷色に輝く、その瞳。

―――俺を、虜にする。

「あの夜の事を覚えているか、ロイエンタール元帥」

覚えております。あの雷鳴とどろく嵐の夜の事を。貴方は知らないでしょう。あの夜、俺の心が一瞬にして焼かれてしまった事など。

彼の視線は皇帝の姿を捉えたまま、遠い過去に送られた。

つづく…

そろそろ中盤まで参りました。やっとです。ここを書くために久しぶりに“原作”を読みました。

そして、苦笑い。相当、頭ん中すり替えられています! こんな事、一行もないのに(当たり前バカ)いつの間にか、頭ん中では原作。このまま、暴走します……(^^ゞ

(2003/5/27)

陽の光 闇の月 -8-

雷鳴とどろく嵐の夜、稲妻に反射して強烈な輝きを放つ瞳。

俺は目が、離せなかった。

体中の器官が、機能を忘れて硬直した。ただ一つ、覚えているのは激しく打ちつける鼓動。体の全機能がそこへ集中してしまったかの様な、その動き。

これ程までに、目を奪われた人がいただろうか。華やかな夜会でも、高級クラブでも、確かに美しいと称される女はいた。

だが―――現に今、俺のこの目を奪っているのは、紛れもない男。煌びやかに着飾っている訳でもなく、まだ性別のはっきりしない子供でもない。

高だか、19歳の青年。

なのに、俺は目が離せない。

吸い寄せられる蒼氷色の瞳。一点の陰りもなく、澄んだ瞳。

―――美しい。そう、思った。

足先から感じる甘美な痺れ。それは膝から腰へと伝わり背筋を震わせる。そして、脳まで溶かした。この人になら、自分の持てうる忠誠の総てを捧げても、後悔しないかもしれない。

予想外の展開。いや、寧ろ予想通りと言うべきか。

実際のところ、ミッタ―マイヤーを救う為には、誰に頼るのが一番得策か考えていた。ブラウンシュヴァイク公に対抗しうる人物。他人の為に権門に喧嘩を売ってくれる者など、そう、多くはいない。

取り敢えず、対抗馬としてリッテンハイム候を思い浮かべた。だが、こいつは頼みに行くだけでも反吐が出る。ミッターマイヤーも、あいつに助けられるくらいなら、死んだほうがマシだと思うかもしれない。

ならばリヒテンラーデ公はどうか。考慮に入れるだけ無駄かもしれない。宮廷闘争に忙しくて、一将兵など取るに足らんか……。

他にはエーレンベルク元帥、シュタインホフ元帥、ミュッケンベルガー元帥……伝手もない。いや、あるにはあるが、耳を傾けてくれる程の伝手ではない。同じ伝手無しなら、意外な人物の方がいいかもしれん。

意外な人物。そう、皆に妬まれ過酷を強いられていても、それでも自力で這い上がってくるような、そんな人物。

一度、軍務省の廊下で見かけた。

皆が言うように、姉の寵愛だけで出世したのか、それとも自力で昇って来たのか―――恐らく後者だろう。実際、叛徒どもには皇帝の寵愛など、知った事ではないからな。

異例の早い出世に敵も多いと聞く。その反面、稀に見る戦争の天才だとも聞く。貴族の生まれだから、と言う理由だけで出世した馬鹿で無能者とは違うかもしれない。

貴族の生まれだから、武勲もなく昇進していく。戦い方も知らん能無しの馬鹿ども。そんなやつ等の下で……。

そんな上官の下に甘んじているのは、うんざりだ。

そんな腐った奴らの為に、命などかけられん。

俺は、俺の意思で選んだ人について行く。

俺が膝を折る相手は、俺自身が決める。

噂に聞く人物がいかほどの者か、試してみるいい機会かもしれん。喧嘩を売るのを躊躇うようなら、所詮その程度の者。売ってくれるなら、くれるで、そのお手並みを拝見させてもらおう。

「私にとっては卿らの好意より、ブラウンシュヴァイク公の歓心の方が、良い買い物であるように思えるがな」

思った通りの人物。口ではそう言っているが、その目は獅子の目だ。権門などに媚びたりせず、危険に身を震わせるでもなく。真っ直ぐに高みを目指す目。

冷たい光を放ち、透き通った瞳。

そんなに野心を漲らせて、何が権門に与するものか。

「本心で仰っているとは思えません」

雷鳴がとどろき、一瞬、妖しく光った瞳。

「……卿は現在のゴールデンバウム王朝について、どう思う?」

―――いや、想像以上の人物。あろう事か、この人は最終的に王朝の打倒を考えている。俺は高だか、自分の忠誠を尽くす相手を、自分で選びたかっただけ。無能者の下に付くのが嫌だっただけ。出来るなら、そんな無能者の言う事を聞かなくて済む地位に就きたいと望んだだけ。

見つけた。俺の忠誠を捧げるに値する人物を。

この人とともに、駆け上がってみよう。無能者の下で討ち死にする意味のない人生より、遥かに有意義で面白い人生があるだろう。

実際、その後の手並みは鮮やかだった。ミッターマイヤーも無事奥方のもとへ帰る事が出来た。そして、わざとらしい出征。四人まとめて最前線へ送られたレグニツァ上空遭遇戦、及び第4次ティアマト会戦。

考え及びもしなかった戦い方。総てにおいて度肝を抜かれた。そして、誓った。

―――我、持てうる総ての忠誠を捧げる。

ああ、あの時の瞳。

まだ、鮮烈さに欠けるものの、あの頃の輝きが戻りつつある。

「忘れた事はございません、陛下」

穏やかに光り輝く瞳。真っ直ぐに、避けられる事なく、合わせられる視線。それはロイエンタールの心を解かしていく。

様々な欲と後悔に縺れ、心の隅でドロドロとうねっていたものが、少しずつ解けていく。

「……一日と、いえども」

―――そう言う事か。貴方の瞳に、僅かに灯り始めた輝きの意味。

「では、良い」

ロイエンタールは、静かに目を閉じた。眉間に深い皺を刻んで、やや天を仰ぐ。短く吸い込んだ息を止めて、唇が少し、震えた。

―――貴方が、そう決めたのなら仕方がない。ただ一度でいいと願った事すら、もう諦めざるをえんが、それでも貴方が決めたのなら。

貴方が、それを望むのなら。

「近日中に処分を決する。宿舎において指示を待て。それまで卿の職務はミュラー上級大将に代行させる」

貴方が望むのなら、俺は従うまでだ。

ラインハルトが席を立った。

ロイエンタールは瞼を上げた。そして、静かに金銀妖瞳を皇帝に向ける。悲しい決意を宿し、けれど曇りのない瞳で真っ直ぐに。

後ろで、皆が席を立つ音。

白いマントを靡かせて退出していく皇帝。ロイエンタールほか諸将は、最敬礼をもってこれを見送った。

退出していく最中、それぞれに励ましの言葉をかけてくれた。だが、ロイエンタールの耳には届いていなかった。親友であるミッターマイヤーですら、友の肩を叩き声をかけても、心ここに在らず、と言った風で、それはミッターマイヤーにも見て取れた。

あの夜の事、とは他ならぬ自分に関わりのある事だと察した彼は、あの夜、どのような会話がなされたのか、詳細には聞いていなかった。だからその話が出ても、共有する事が出来ずにいた。雰囲気から察して、皇帝と友の間には、その時何かしら決意というか、誓約めいたものが存在していて、彼らを繋ぐ原点になっているのだと思った。

今、友は感慨に浸っている。そう受け取ったミッターマイヤーは深く追求する事なく、岐路で別れた。

地上車は宿舎へと向かう。

生まれ育ったオーディンの風景とは違うそれを、ぼんやりと見つめた。

脳裏に浮かぶのは……笑っているあの方。続いて怒っている顔、悔しがる顔、戦いに高揚している顔。そして、恐怖に瞠目した顔。それらが走馬灯のように巡っていた。

ホテルの上階。宿舎として使用している部屋は、主の帰りを静かに迎えた。

物音一つない、無機質な空間。

―――そうか、あの女はもういない。

女。エルフリーデ・フォン・コールラウシュは既に捉えられ、処遇が決するまで何処かの施設に入れられていることだろう。

詮無き事をしたのだと、突き付けられた気がした。実際、その通りなのだが。

サイドボードの中からウィスキーを取り出して、氷も入れずに注いだ。それを持って、窓辺に向かう。高層ビルの上階からは、街並みがどこまでも続いていた。

旧帝都、オーディンとは違う街並みが。

きついアルコールが喉を焼くのを構わずに、一気に飲み干した。

―――貴方が決めたのなら、仕方がない。

―――貴方が望むのなら、俺も従おう。

手にしたグラスが、込められた力によって砕けた。掌に破片が刺さり、血が滲む。気にならないのか、またそれ以上に気になる事が他にあるのか、構う事なくだらりと下げられる。

毛足の長い絨毯は、音を吸収して血に染まったグラスを受け止めた。

ポタリ、ポタリと落ちていく血。

俯いた肩が僅かに震える。

怪我をしていない方の手が伸びて、窓ガラスを掴む。筋が浮き出て、震えている。

「……う……っ……」

ゆっくりと崩れるように膝を折った。手の体温が、掴んだ窓ガラスに曇った筋を長く引く。

―――貴方は、俺との関係を絶つと、決めたのだ。

―――貴方は、何もなかったあの頃に戻りたいと、望んだのだ。

あの、戻りつつあった瞳の輝きは、その表れ。貴方がそう決めた以上、俺は従うしかない。

従う……。

そう、従うのだ。そうすれば、また鮮烈に輝く瞳を見る事が出来る。俺を虜にした、蒼氷色の瞳を。

またポタリと、雫が落ちた。けれど、それは深紅ではなかった。

俺は全霊をかけて、貴方に尽くすと決めた。だから完璧に演じて見せよう。貴方が安心して俺を見れるように。あの頃の瞳で俺を見れるように。

この一年半のことは一切忘れる。何もなかったように、一切を。

―――だが。忘れる前に、少しだけ……。

窓ガラスを掴んだままの手の甲に、額を押し付けた。そのまま拳を握る。

「……我、皇帝……」

血痕の上に色を伴わない雫が、また、落ちた。震え続ける肩。

今更ながらに、ロイエンタールは唐突に気付く。出来れば、気付かないままであった方が、よかったとも思う。

多分、これが―――。

ラインハルトは昔に立ち返り、愛したキルヒアイスと二人だけの過去を見た。

ロイエンタールは今を忘れ、これから築かんとする未来を見た。

多分これが―――この痛みが、愛すると言う事なのだろう。

つづく…

またも原作に没頭。ちょっと変えたところもありますけど。

実際、あのセリフの間に、こんなに長く思い出してたら、それこそ不穏じゃ~ってことでしょっぴかれるんじゃないの?とか思いつつ……ま、結局この二人は上手く行かないのね。可哀想に。

でも、まだまだ続くのです(笑)

(2003/5/31)

陽の光 闇の月 -9-

審問に向かう前は、こんな気持ちになるなど思いもしなかった。ラインハルトは一人表情を緩めて、酷く軽く感じる足取りに微笑を浮かべる。

彼の処分は軽くしよう。一切を水に流して、また一から出直すためにも、跡を残さない方がいい。俺にも後ろめたいところがある。少しの謹慎と厳重注意、その程度でいいだろう。

大本営の長い廊下を歩いていると、頬に暖かな光が当たった。窓と壁で交互に降り注ぐ光は、気持ちをおおらかなものへと変えていく。

しかし、こんなに晴れやかな気分になれたのは、久しぶりかな。

ラインハルトは表情を和ませた。途中、窓から差し込む光を見上げて、眩しそうに目を細める。それは限りなく優しく、また穏やかな表情。

後に続く、副官シュトライト以下側近達は、皇帝の変化に気付く筈もなく、静かに後を続いていく。

ふと、思い至った。

自分はその程度の処分でいいと思うが、裏側の事情を知らない者達は、軽過ぎると不審を抱くかもしれない。一応、皆に問うべきか……。

執務室の席について、傍に立ち並ぶ者に尋ねた。

副官シュトライトが固い表情で歩み出る。

一瞬、重い処分にすべき。そう、進言されそうでラインハルトは緊張した。だが、副官の言葉を聞いているうち、それは考え過ぎなのだと解る。

副官は、ロイエンタールの処分に寛容さを求めていた。これなら、誰はばかる事なく処分を決する事が出来る。

ラインハルトは、念を押すように居並ぶ者を見渡した。皆、一様に副官と同じ意見、と表情が訴えている。

正直、安心した。その反面、余計な取越し苦労だったと苦笑いする。

「ほう、予がロイエンタールを処断したがっているようにみえるか」

自分に照れたのか、半ば意地悪げに微笑んで、再度皆を見渡した。だが―――。

視線が止まった。なぜか、秘書官ヒルダだけが眉間に皺を刻んでいる。彼女も皇帝の視線が自分に止まった事に気付いた。

自分の表情が他の人のそれと違い、険しいのだと知る。そして、その理由を問おうと皇帝の口が開きかけるのにも気付いた。

けれど、彼女はそれを拒む。無言のうちに顔を背け、答えられないと拒絶する。

皇帝の美しい顔に、疑問の色が浮かんだ。いつもの歯切れのよい聡明さが姿を消し、今や彼女の顔は、強固な拒絶に覆われている。そして、問おうとした言葉は飲み込まれ、疑問の色だけが残った。

知るはずもない。彼女は、そう思う。

貴方には、解る筈ないのだと。

ロイエンタール元帥が貴方を如何な想いで見つめているか。そして、私が如何な想いで、貴方を見つめているか、など。私たちは同じ目をしている。けれど、貴方はそれに気付いていない、と。

秘書官ヒルダは、皇帝の視線から開放された時、小さく溜息を吐いた。

恐らく、この想いは一生報われることはないのだと自分に言い聞かせて。そもそも、皇帝に対して抱いてはならない想いなのだと、言い聞かせて。

けれど、こうも思う。

あの、同性であるロイエンタール元帥よりも、自分の方が遥かにその資格があるではないかと。或いは、自分の方が遥かに皇帝を愛する権利を、擁してしるのだと。

それは密かな優越感。自分が女である、ただその理由だけで浸れる優越感。けれど、これほど覆せない理由は、他にない。

どうせ報われないなら、せめてあの男にだけは負けたくはない。そう思う彼女だった。

軽い処分とする。そう決めたラインハルトは、一週間後には処分を3月19日に発表すると告知した。

長い事悩んでいた思いから開放され、その根源であった彼とも暫く会わずに済む。その距離は、自分が揺るぎない冷静さを育てる為の、与えられた時間に思えた。

それでも時折どうしているだろうか、と思いをはせる。

最高幹部たちが集まる会議でも、いつも傍らにあった姿はない。当たり前の事なのだが、ついいつもの癖で、意見を求めよと口を開きかける。だが、視線の先は空席。その度に、慌てて口を噤んだ。

目に止まる空席が、胸を締め付ける。自分の方が、彼に悪い事をした気がして。だから職務に没頭した。今まで滞っていたものを集中的に、殆ど寝る間を惜しんで、と言う表現が正しいだろうか。

次々に形となって現れる成果に、身体的な疲労は感じても精神は満たされていた。いや、寧ろそうすることで、他の事を考えまいとしたもかもしれない。

そんなある夜、事件は起こる。

ロイエンタールの処分を数日後に控えた3月1日。肌に突き刺さる冷気が、夜の暗闇とともにノイエ・ラントを覆っていた。

突然の轟音に、高層ビルが揺れる。

ほぼ謹慎状態だったロイエンタールは、ズボンにシャツを羽織ったラフな格好で立ち上がった。手にウィスキーのグラスを持ち、夜景を見ながら一人飲酒に浸っていたのだが、静寂は一変する。

サイドテーブルに置かれた酒瓶が、轟音の揺れで倒れ、毛足の長い絨毯の上に転がった。驚いて、一面強化ガラスで覆われた窓辺へと駆け寄った。

遠くで、暗闇に白煙が立ち昇っている。

火事だろうか。それにしても、この揺れは。

続いて二度目の揺れに襲われた。多少の酔いもあってか、ふらついてソファの背に寄りかかる。

ビルの谷あいから火柱が立ち上り、白煙は益々勢いを増して辺りを覆い尽くしていく。そして、方々から爆音と黒煙が上がった。

これは何とした事だ……テロか?

一気に酔いの醒めたロイエンタールは、机の上に置かれた端末へと駆け寄った。

急ぎ緊急回路を開いて、大本営へ交信する。だが、混線しているのか、一向に繋がらない。舌打ちしながら、部屋の端末を取ってみたが同じ事。

事態は、深刻かもしれない。

ロイエンタールは部屋の出口へ駆け寄った。だが、動力がダウンしたのかロックされたままで扉はびくともしない。

振り返れば、とうに部屋の明かりは消えている。もともとスタンド程度の明かりしか灯していなかった。

夜景から降り注ぐ明かりだけで、手元は判十分断出来る。

もう一度、軍最高幹部用の端末に触れた。だが、事態はさっきよりも悪化していた。混線どころか、反応が一切ない。

振り返ると、眼下には火の海が広がっている。

テロか。しかもこれだけ大規模となると……ルビンスキー辺りの企みかもしれん。いや、地球教もありうる。

端末を手にしたまま、どう対処すべきか考えをめぐらせた。

脳裏をかすめる金色の髪の毛。

陛下っ! 陛下は無事なのか。怪我など、なさってないだろうか。

頭の中にラインハルトの姿が浮かんで、急に眩暈を覚えた。その途端、居ても立ってもおれずもう一度ドアへと駆け寄る。

だが、事態は益々悪化の一途を辿っている。

ドアに耳を貼り付けて様子を窺っても、外に人の気配など一切感じられない。

ノブに灯るロックを示すランプも、予備動力に切り替わった様子もなくロイエンタールは一人、高層ビルに取り残された。

皇帝……ミッターマイヤー、あの方を、皇帝をお守りしてくれ!

次の瞬間、発光を伴った轟音がとどろき、ビルが激しく揺れた。ロイエンタールはバランスを失って床に膝をつく。

刹那、部屋の一面を覆っていた強化ガラスがピキッ……劈く音をたてて亀裂が走った。一面が砕け散り、冷たい強風が吹き込んでくる。

室内にあったものが、次々に風に煽られ飛ばされる。

……これは、緊急事態だ。

金銀妖瞳の瞳に緊張が走った。

「陛下、危のうございますから」

キスリングが身を隠すよう勧めたが、ラインハルトは深夜だというのに軍服に身を包み、凛として佇んでいた。

建物の中では、崩壊、爆破等工作の危険があるため、最初の爆発を受けて、すくざま薔薇園へ非難していた。

連絡を受けた幹部たちも、続々集結する。

薔薇園の広場に、即席の大本営が設置された。

緊張に顔を引き攣らせたミッターマイヤー、ミュラーらが事態収拾の指揮をとる。慌しく情報が交錯し、事態は一向につかめない。

その間も、爆発は続き地面を低く唸らせる。

端末の緊急回路も断続的で、派遣した兵士の状況すら掴めなかった。

方々から上がる火の手。黒煙と白煙の柱が天高くそびえ立ち、闇をより暗いものとしていく。

「まだ、原因は掴めんのか!」

ミッターマイヤーの苛立った怒鳴り声が響く。騒ぎに乗じた暴動に気をつけるのだ、とミュラーの叫び声。

的確な指示をも嘲笑うかのように、爆音は散発し地面を揺らす。

不意にラインハルトの目に、分厚い冊子が止まった。

―――緊急事態マニュアル。あれは確か、ロイエンタールが作成したもの。ロイエンタール……お前は無事か?

「何!?壊滅状態だと!」

「元帥!」

ミッターマイヤーが端末に向かって怒鳴った。ミュラーも続く。乱れた画像の兵士は、最敬礼のまま怯えている。

「Dブロックと言えば、ロイエンタールの宿舎がある地区ではないか! もっとよく調査するのだ!特に宿舎に使っているホテルを中心に調査しろ」

画像の乱れた端末はプツ…と切れて沈黙する。

ミッターマイヤーは傍にいた通信士の肩を掴むと、無理やり端末の前に座らせた。応答があるまで呼び出し続けろ、と怒鳴られて、下級の通信士は震えながら端末に向かった。

「……たのむ。無事でいてくれ……」

ロイエンタールのいた地区が壊滅?

彼は……彼は無事なのか?

ラインハルトの背筋が震えた。目の前に見える物が歪み、意識が遠のくような、そんな眩暈に襲われる。

思わず、傍にいたエミールの肩に寄りかかった。

エミールも驚いて、それでも必死に皇帝を支えた。

ガタガタと震える動きが、支えた肩から伝わる。たった今まで凛とした姿で立っていたのに、その美しい顔から血の気が引き、青い肌を晒して身体を震わせていた。

「陛下……」

大丈夫……。

多分、そう皇帝は言いたいのだろう。僅かに上げられた手が、物語っていた。けれど、眩暈は酷いようで、エミールは一人では支えきれなくなっていた。

「陛下」

エミールの不自然な声に、ミュラーは慌てて駆け寄った。失礼いたします、と断りながら崩れ落ちんばかりの皇帝を抱きかかえる。

無意識に支えられた手が握られた。思いがけない強い力にミュラーは驚く。ガタガタと震え続ける手。寒いのだろうか、それとも気分が悪いのだろうか。心配しながらも彼は傍にあった椅子を引き寄せて、皇帝を座らせた。

けれど、握った手を放そうとしない。

「まだ連絡は取れんのか!ホテルにも呼びかけてみろ!いいか、応答があるまで続けるのだ!」

無意識に握った手に、力が込められる。……陛下、とミュラーの気遣う声が聞こえてくるほどに。

「元帥!応答がありました!」

大本営に緊張が走る。端末に駆け寄るミッターマイヤー、他幹部たち。

「調査に向かった者からです」

目の前の人だかりが一瞬ざわめいた。

ミュラーの腕は強く握られ、腕ごとじわじわと引き寄せられる。

水をうったように静まり返る人だかり。どのような報告がなされたのか、皇帝の耳には届かない。震えのやまぬ手。報告を聞きたいような、いや、耳を塞ぎたいような嫌な予感を覚える。

……Dブロック全焼。壊滅状態につき、生存者0……

僅かに漏れ来た声に、蒼氷色の瞳は瞠目した。

つづく…

ゼッフル粒子の引火事故です。

きっと、ラインハルトは気が気ではなかったでしょう。

一度割り切って、一から出直そうとした心に、この事故は暗い影を落としたのです。(また勝手に原作に割り込む……笑)

(2003/6/4)

陽の光 闇の月 -10-

……生存者…0……ロイエンタール!

俺は、夢を見ているのだろうか。

お願いだから、誰か否定してくれないか?

誰か、間違いだったと言ってくれないか?

けれど、現実は肯定を意味する静寂に包まれている。誰一人、声を発する者など、いない。

酷い頭痛に襲われた。

目の前は闇に包まれ、まるで誰かに激しく揺さぶられているが如く、身体に歪みを感じる。

衝撃。そんな程度の言葉では言い表せない波が押し寄せる。息も出来ず、窒息しそうなほどに意識が遠のいていく。

遠くでミッターマイヤーが、テーブルを叩きつける音が聞こえた。

暗い闇の海に引きずり込まれそうになる。助けて、苦しい。そう、怯えて手を伸ばす。必死で伸ばす。このまま闇海の渦に飲み込まれまいと、必死で。

温かな手の感触。自分では掴む事が出来なくなった非力なそれを、触れた手はしっかりと握ってくれた。

闇海に落ちる寸でのところで。

僅かに顔を向ける。そこにはミュラーの青ざめた表情。

「ロイエンタール!」

彼の親友の叫び声。

たとえ繋ぎ止められても、夢は…現実は変らない。朧気に浮かぶロイエンタールの顔。それは哀しさに満ちている。

彼の自信に溢れた金銀妖瞳が印象的だった。低く響く声が印象的だった。出来ればそんな彼を、最後に覚えていたかった、そう思った瞬間、大きな波飛沫が身体を覆った。

飛び散ったガラスの破片で、至る所に無数の切り傷が出来た。

揺れは収まっている。ガラス越しでない風景は、一面炎に覆われているが、迅速な消火活動がなされている。おそらくこの分なら、被害は最小限に食い止められるだろう。

ロイエンタールは手の甲で、頬に滲む血を拭った。

どうやら、死ぬ事は許されなかったらしい、と薄っすら笑みを浮かべる。

『……応…元……す……』

ノイズ交じりの音声が、微かに聞こえた。急ぎ端末へ駆け寄る。事態が落ち着いたとみえて、通信が回復しつつあるようだ。

「聞こえる」

未だ断続的ではあるものの、緊張した兵士の姿が映った。一瞬の瞠目ののち、元帥!ミッターマイヤー元帥、と声を張り上げる。

辛うじて彼だと判る画像。

『ロイエンタール!無事か!?』

ホッとしたような、それでもまだ完全に緊張が解けてないような、複雑な顔の親友がいた。彼は無事だったのだ。ロイエンタールは安心して、表情を緩めた。

「ああ、無事だ。ご覧の通り、悪運だけは強かったらしい」

『そうか。Dブロックが壊滅状態だと報告があったから、もう、駄目かと……』

「確かに、河一本隔てた向こう側は、建物など見当たらん。同じDブロックでも、ここは端だからな。運悪く被害は免れたらしい」

親友の無事に、素直に笑みを浮かべる画像。それは徐々に鮮明になり、ノイズも殆ど気にならなくなっていた。

「ミッターマイヤー、陛下はご無事か」

『ああ、ご無事だ。怪我一つない。今は少し気分を悪くされて休んでおいでだが、心配には及ばん』

目を閉じて、小さく息を吐く。

―――良かった。あの方に怪我がなくて。俺だけ生き残って、あの方にもしもの事があったなら……俺は正気ではいられんだろう。

とにかく、良かった。

『直ぐに兵士を向かわせる』

「ああ、そうしてくれ。動力がダウンしたままで、ドアが開かん。情けない事に閉じ込められている」

両手を軽く上げて、肩を竦めて見せた。

端末に映る親友も、つられて笑みを見せる。

「大本営の近くに、新しい宿舎を手配しよう。見たところ傷もあるようだから、医務班を待機させておく」

すまぬ、助かる、と通信を切ってから、ロイエンタールはソファーに身を沈めた。相変わらず外はサイレンや建物の倒壊する音で騒がしい。けれど、そんな音など彼の耳には届かなかった。

―――本当に良かった、無事で。

全身に漲る安堵感。止まったままだった血液が、一斉に流れ始めたように感じた。

もし……もし、あの方に何かあったとしたら、俺は生きてはいられんだろう。と言うより、生きる意味がない。

俺の総ては、あの方に捧げる為のみ存在している。

―――求められれば、応じる。

―――絶つと決められれば、忘れた振りをする。

それらは総て、あの方が在っての事。本当に、無事で良かった。

突然、ドアを激しく叩く音がした。

「元帥!ロイエンタール元帥、こちらでしょうか?」

返事をすると、下がっていてください、と声が響いた。バーナーの様なゴーと言う音がして、直ぐにドア枠が真っ赤になる。

開かないドアは焼き切られ、豪快な音をたてて倒れた。

燃え盛る炎の中に、よく知った人影を見た。

彼は助けを求めるでもなく、ただ佇んでいる。長く靡く青いマントに炎が燃え移り、俺は叫び声を上げた。

このまま彼を失ってはならない。なんとか助けなければ。精一杯手を伸ばしてみる。けれど、伸ばした手は握られない。

袖口に炎が燃え移った。焼け焦げていく肌に、激痛を感じる。

早く手を握れ、早くこちら側に来るのだ、と叫んでみる。彼は聞こえないのか、動くそぶりもない。

炎は益々燃え盛り、二人を取り囲んでいく。振り返れば、自分の後ろにも火の手が上がり、もうこれ以上逃れる場所がないのだと知る。

お前が来ないなら、俺がそっちへ行けばいいのか。ならば―――。

炎に中に足を踏み入れた。火は一瞬にして白いマントに燃え移り、身を焼いていく。

彼が、手を伸ばした。燃え盛る炎の中で、俺を引き寄せようと。そして―――。

……ロイエンタール!

「陛下、お気付きでしょうか」

カッと見開いた目は、心配そうに覗き込むミュラーの顔を映した。

「酷い夢でもご覧になったのですか? うなされておいででしたが……」

そう、言われて額に手を置いた。びっしょりと汗をかいている。背中にも冷たい感覚がある。瞠目したまま何度か瞬きし、深呼吸を繰り返した。

よく見知った天井が見える。いつもの寝室。ベッドに横たわっていた。

「外でお倒れになったので、ここへお連れ致しました。安全は確認しておりますので、どうぞご安心してお休みください」

水差しからコップに冷水を注いで、ミュラーは皇帝に差し出した。

ゆっくりと半身を起こして、それを受け取ろうとする。だが、互いの視線が、伸ばされ白い指先に釘付けになった。

ガタガタと震えていた。

ちらりとミュラーを窺った。彼は慌てて視線を逸らし、見ぬ振りをする。ラインハルトはコップを落とすまいと、両手でそれを受け取った。

熱い熱を持った身体に、冷水が染み渡っていく。心地よい安堵感。けれど、自分でもはっきりと分かる、手の震え。それは一向に治まらない。

―――何故?

「陛下、元帥は……」

コップを返そうとした手が止まった。ミュラーがさりげなく、皇帝の手からそれを受け取る。

不安げに漂う視線。

「ロイエンタール元帥は、ご無事でした。今、大本営から近いホテルに居を移されて、そこにおいでです。少し切り傷を負われているようでしたが、一週間もあれば跡もなくなるでしょう」

そう言って、窓から遠くに見えるビルを指差した。

つられてラインハルトの視線も、それを追う。

「それでは陛下、私は職務に戻ります。エミールを、呼びましょうか?」

声が出なかった。何か返事をしなければ、と思いもしたが、その余裕がない。

辛うじて首を振ると、彼は最敬礼をして踵を返した。

扉のノブを回す音がする。

「……ミュラー……」

はい、と立ち止まって振り返る。皇帝は俯いたまま、彼の方を振り向けないでいる。

「……予は、何か……言っていたか?」

うなされている間に、うわ言を言ったのか? と、問うているのだと思った。少しの沈黙の後に、彼は口を開く。

「……いえ、何も仰ってはおりません」

その、少しの沈黙が何を意味するのか、互いに察しがついた。けれど、触れてはならない、問うてはならない、と警鐘が鳴り響く。

もう、行っていい、と皇帝の手が挙がる。

結局俯いたまま、ラインハルトは最後まで顔を上げる事が出来ないでいた。

水差しの脇に置かれたお絞りに手を伸ばし、額に滲んだ汗を拭う。もう、手は震えては、いない。酷く疲れを感じた。起き上がっているのも、辛いと感じるほどに。

ゆっくりとシーツの中に身を横たえる。目を硬く閉じた。眉間に苦悩の溝が刻まれる。ぎゅっとシーツを握り込んで、身を屈めた。

あの、手の震えの意味。

今、はっきりと気付いた。

―――自分は怖かったのだと。彼を失う事が、怖かったのだと。

いつの間に、こんなにも自分の中で、彼の存在が大きなものになっていようとは、思いもしなかった。失ってしまった恋人、姉以外に、こんな気持ちを抱くとは。

突然、突きつけられた現実。否、事実。

硬く閉じた瞼に、彼の姿が浮かぶ。絶対的な自信に溢れた金銀妖瞳が見つめる。聞こえるはずのない耳に、彼の声が聞こえる。

自分を求めて名を呼ぶ、彼の声が。

「……俺を、呼ぶな……」

ラインハルトは両耳を塞いだ。左右に頭を振って、その声を振り払おうとする。

……呼ぶな。

寝返りをうった。カチャ……と、胸許で音がする。手を伸ばせば、あのペンダント。ラインハルトは縋る思いで、それを開けた。

優しく笑う幼き頃の恋人。その輪郭をそっとなぞる。急に歪んで見える視界。

……キルヒアイス!

ギュッと瞼を瞑る。溢れた涙が頬を伝い、シーツを濡らす。

ペンダントを握り締めて、胸に抱きしめた。

許して、キルヒアイス。彼を……ロイエンタールを、俺とお前の世界に……入れてしまった。

「……許して……」

シーツを頭から被って、ラインハルトは声を殺して泣いた。

絶つと決めた後、気付いてしまった事実に。そして、失った恋人への罪悪感に。

つづく…

何気にミュラー登場多し。好きなんですカレ。普通、医者かエミールが付き添ってるんじゃないかと思うんですが。そこはやっぱり好きなカレに出てもらわないとね(笑)

次回か、次次回辺り、この話を書こうと思った時、一番書きたかったシーンに辿り着けそうです。

(2003/6/9)

陽の光 闇の月 -11-

「ロイエンタールの、傷の様子はどうだ?」

もう、すっかり消えたとの事です。

秘書官ヒルダは、半ば溜息混じりに返答した。それが今日、二度目だと言う事に気付かない皇帝は、そうか、とだけ呟いて書類に向かう。

あのゼッフル粒子の引火事故以来、ラインハルトは事あるごとにロイエンタールの傷の経過を聞いていた。それがヒルダであったり、副官シュトライトであったりとまちまちではあったが、彼女が気付いた限り、日に二から三回程度やり取りされる問答だった。

だが、それも日増しに回数を増して来たように思う。今日のように、同じ人間に二度も問うなど、今までにはなかった。

しかも、回数を覚えてないとなると、その答えは既に熟知しているようで。つまるところ、気にかかっている事は、他にあるのだと彼女は考えていた。

他に気にかかる事……。

窓から差し込んだ陽に輝く金髪を、彼女は物憂げに見つめる。

自分は、元帥と皇帝の経てきた歴史を知らない。もしかしたら、考え及ばぬ絆が二人にはあるのかもしれない。ミッターマイヤー元帥とは違う、もっと深いものが。先日の審問の時に交わされていた言葉からも、きっと、他人の介入を許さぬものがあるに違いない、と彼女はその聡明な瞳を曇らせる。

ならば、歴史の浅い自分は入る余地が、割り込む余地がないではないか、と。

「どうした、フロイライン。溜息などもらして」

いえ、何でも、と誤魔化しに笑みを浮かべる。

―――素直になれば。もっと女として素直になれば、この方は自分の方を見てくださるだろうか、と書類に向かう皇帝を見た。

再び、溜息が漏れる。

恐らく、そんな事では振り向かせる事は出来ない。この方は、女を必要としていない。必要としているのは、良き理解者であり良き助言者。ともに戦えるような、戦友になりうる人物。

気付かれぬように、そっと息を吐く。

悔しい、と思う。否、悲しいのかもしれない。きっと、認めたくはないのだが、自分より遥かにロイエンタール元帥の方が、そんな存在なのだろうと。自分は、遠く及ばないのだろうと、そう思えてならない。

女である。そんな程度の基準で、あの方は人を選ばない。

彼女の、女特有の本能がそう感じ取っていた。

大した傷でない事は、承知していた。

一週間もすれば、跡形もなくなってしまうと、そう報告を受けている。

彼は、元気なのだと。

彼は、この大本営の傍に建つ、あのホテルの一室にいる。だから……だから、心配は要らないのだと。そう、何度も言い聞かせているのに、思いが一向に紛れないのは、何故?

あの時、あの生存者0と言う報告を受けた時、この身が震え上がるのを感じた。呼吸すら忘れて、只々恐怖に慄いた。

気を失う前の、彼の顔。自信に満ちた金銀妖瞳ではなく、あの哀しい表情。関係を絶つと決めてから、考える事もしなかった。

今思えば、何時から彼は、あの哀しい表情をするようになったのだろうか。俺は自分の事で精一杯で、彼の事など考える余裕すらなかった。

もしかしたらあの表情は、何か大切な事に気付いて、思い詰めたり悩んだりしていたのかもしれない。俺はそれを問うて、答えるべきではなかったのだろうか。

けれど、問えば何となく違う言葉が帰ってきそうな気がした。それこそ聞かないままであった方がいい言葉。俺はそれを恐れ、逃げていた。何も言うな、と全身で拒絶して。

いっそ、問うていれば状況は変わっていただろうか……。

もう、殆ど覚えてもいないが、目が覚める瞬間見ていた夢、ロイエンタールが炎の中で佇んでいた。やはり、あの時も同じ哀しい目をしていて。

俺が手を伸ばしても、彼は応えなかった。けれど、俺が近付こうとすると、彼は手を伸ばして来た。俺を引き寄せようと、必死に。

否、やはり問うべきではない。もう、絶つと決めたのだから。今問えばそれは恐らく―――。

ラインハルトは就寝前のワインを、グラス一杯だけ空けると、窓から見える星空を見上げた。

恐らく俺は―――。

またたく星々。その視界の端に映る人工的な光。美術館の広大な茂みの向こうにそびえる建物。

―――彼も、同じ星を見ているだろうか。

苦笑いが浮かぶ。我ながら、なんと感傷的な事かと。けれど、こんな風に思うのが、今が初めてでないことも知っていた。

ここの所、毎晩のような気がする。

失ってはならない存在だと気付かされて以来、ほぼ毎晩。こんな風に、窓からあのホテルを見上げる。そしてその度に気持ちが、揺れる。

多分、こんな風に見てはいけないのだと思った。止めなければならないのだと思った。

けれど、過ぎる。振り払っても、過ぎるのだ。

深い溜息をつく。そして胸許のペンダントを握った。手の中で微笑む人。そっと指先でなぞる。

「……ごめんキルヒアイス…お前だけだと、誓ったはずなのに……」

薄情者だとなじってくれ。裏切り者だと軽蔑してくれ。でないと俺は……多分、俺は。

崩れるように膝を折った。窓枠に凭れて膝を立てる。ゆっくりと美しい眉間に皺が刻まれていく。自らの両腕をかき抱いて、目を硬く閉じた。

哀しい表情の訳を問えば、何故振り向いてはくれないのか、と。

たとえ貴方が振り向かずとも、それでも愛している、と言われる気がした。

そして、俺は。

その時俺は、多分―――。

過ぎる言葉。一年半前のあの夜、俺が言った。

―――死んでしまった者は生きかえる事はない。

―――先に逝った者も、残された者が幸せになる事を望んでいる。

それでも。それでも人を死に追いやっておいて、自分だけ幸せになる事なんて出来ない。そんな不条理が許されるはずない。

「……う…ううっ…」

嗚咽が漏れた。声を殺そうとしても、唇が震えて止まらない。両手で覆う。押さえつけるようにして、覆う。

けれど、多分俺は、そう言われたら、流されてしまう気がした。

大切な存在だと、言葉に出して認めてしまう気がした。

愛している、とは言えないが。多分、キルヒアイスと同じくらいの重さを感じていると。

だからこんな不条理を許してはいけない。先が見えているなら、問うてはいけない。絶つと決めたのだから、揺らいではいけない。

天を仰いで、大きく息を吸う。手の甲で頬の跡を拭った。けれど、既に濡れた手では広がってしまうばかりで、拭い去る事は出来なかった。それにまだ、涙が止まっていない。

ラインハルトはふらつきながらクローゼットへ向かった。下の引き出しからタオルを取り出して、顔を覆う。濡れた手も拭った。

引き出しを元通りにしようと手をかける。けれど、コートの端がかかって、上手く閉められない。片手でタオルを握ったまま、もう片方の手でコートを払う。その瞬間。

奥に立てかけていた紙袋が、絨毯の上に落ちた。

息が、止まる。

今更、何でこんな物が出てきたのかと、恨めしく思った。

紙袋から何かはみ出していた。酒の空き瓶のように見える。ラインハルトは、それを諦めたように手に取った。

ワインの空き瓶。底の方に煙草の吸殻が入っている。

力なく、絨毯に座り込む。

それはロイエンタールが最後にこの部屋に訪れた時、忘れていったもの。ラインハルトは煙草を吸わない。だから喫煙家である彼は、気を使って瓶などに吸殻を落として、それを持ち帰っていた。酒瓶なら持ち歩いていても、そう不審には思われない。

けれど、これは偶然忘れて行ったもの。エミールや掃除の者に気付かれる前に、ラインハルトが慌てて隠していた。それから何となく捨てる機会を失って、何時の間にか存在すら忘れていた。

鮮明に思い出される記憶。

あの晩の、痛いほど張り詰めていた空気。破るのを恐れた沈黙。帰り際、シーツを引き上げて身体を覆ってくれた。なのに自分は、息をひそめてずっと眠った振りを続けた。

何もかも心に突き刺さる。

申し訳なさに瓶を握り込んだ。ふわりと立ち昇る煙草と酒の匂い。それは彼とのセックスと思い出させた。

胸に抱かれれば煙草の匂い。キスを交わせば酒の味。それはロイエンタールの匂いだった。もう、どれくらい彼に触れてないだろうか……。否、触れられていないだろうか。

途端、下半身を襲う疼き。熱と、軽い痺れを伴った男にしか解らない、あの感覚。

ラインハルトは瞠目した。手の感覚を一瞬忘れて、酒瓶が絨毯に転がる。

あろう事か、自分はこの匂いに欲情しているのだ。彼を思わせる、この匂いに。

只一度、キルヒアイスがこの身に刻んでくれた感覚は、どこへいったのだろうか。彼の感覚が強すぎて。それにすり替わっていて。ただ一度のセックスが思い出せない。

これじゃまるで……これじゃ、キルヒアイスを忘れたと同じ事じゃないか。

耳を掠めるあの低い声に、ラインハルトは両耳を塞いだ。

捉えて放さないあの金銀妖瞳に、慌てて目を硬く瞑った。

振り払わんと、何度も頭を振りながら。

けれど、彼の、低く響く声が好きだった。

彼の、自信に溢れた金銀妖瞳が好きだった。

ラインハルトは天を仰いで長い睫毛を開いた。ゆっくりと両腕を抱き寄せる。そして、心に残るのは―――。

―――彼に、ロイエンタールに抱かれたい。

つづく…

ああ、到達出来ず…。次回一番書きたかったシーンに行けます。書きたかっただけに、まともに字になるのだろうかと、ちょっと不安。てか、ロイエンタールってアル中?いえ、違います。多分。私の書くロイエンタールっていつも酒びたりだわ。

(2003/6/13)

陽の光 闇の月 -12-

熱お帯びる体。

彼の大きな手が、首筋を撫でる。

背中に落とされていくキスとともに、感じる熱い吐息。

触れられてもいないのに、隆起していく胸の突起。触れてくれ、噛んでくれと言わんばかりに突き出して。

一度も付けられた事の無い所有の証、赤い花が無数に散らばる肌。

彼の声が、聞こえる。

あの、金銀妖瞳が俺を見つめる。

行かなければ。今すぐ行かなければ、彼のもとへ―――。

ラインハルトは何かに取り憑かれでもしたように、一心に着替え始めた。目立たぬ服を選んで着込み、寝巻きと、紙袋に酒瓶を戻しクローゼットに押し込んだ。そして、コートを掴む。

部屋を見渡し、何も不審なものがないか確認する。

急ぎ机に向かい、便箋にペンを走らせた。

『夜明けまでには帰る。心配するな ラインハルト』

もう一度部屋を見渡す。納得すると、コートを羽織った。いつもの仕草で手を項に差し込んで、髪を払う。

あ、この髪の毛……。

いくら何でも、このままでは目立ち過ぎる。慌てた様子でバスルームへと駆け込んだ。脱衣場の鏡の前に、飾り紐があった事を思い出して。

黒い絹で出来たそれで、髪の毛を後ろで束ねる。襟をずらしてコートの中にしまうと、鏡を見た。

「あっ……」

小さな悲鳴にも似た声が上がる。

胸に光るペンダント。

躊躇いがちに触れて、目を閉じた。

天を仰いだ眉間に、苦悩が浮かんでいく。

幾度となく、瞬く睫毛。再び、涙が溢れそうになる。

まるで最後に残った十戒を破る僧侶のように、極限の葛藤が瞬きに表れている。心は決まっているのに、どこかに許しを請える術はないかと、必死に模索して。

脳裏に、赤い髪の哀しそうな顔が浮かぶ。怒っている顔も浮かんだ。

他に心を許した俺を、責めるように。

けれど躰の火照りが静まらない。自分ではどうすることも出来ず、戒める彼をも焼き尽くす程に。躰が彼を、ロイエンタールを求めていた。

俯いて、一気に息を吐き出した。

「許してくれ……」

チェーンの金具を外し、開かぬまま口許に寄せる。何度も何度も唇を落し、許して、許して……と繰り返して。

何度、請うたか分からない。最後に、額に強く押し当てて視線を脇に背けると、そっと鏡の前に置いた。

踵を返す。もう、振り返らなかった。

部屋に戻り、迷う事無く窓を開ける。恐らく廊下は、警備兵で溢れている。だから、ここから抜けて行くしかない。

外には兵士の姿は見えない。窓から身を乗り出して足場を確認する。手を目一杯伸ばしたところに雨樋が見えた。ここは二階、そう困難な事ではない。

窓枠に足をかける。長いコートの裾を足に巻き付けて、手を伸ばす。こんな風に宿舎を抜け出すのは何年ぶりのことだろうか。

幼年学校や、まだ下級兵士だった頃の事を思い出した。それに連なって、当然浮かぶべき人の面影が浮かぶ。

頭を振った。今は、今だけは想い出してはならない人。

振り払うように、勢いをつけて飛び移る。雨樋は思ったより頑丈で、容易に地上に降り立つ事が出来た。

直ぐに茂みに身を隠した。遠くから近づいて来る巡回の警備兵が見える。それをやり過ごして、暗闇に紛れた。

森の中を走る。明かりもなく、思いがけない所に張り出した根に躓きながら、懸命に走った。

息が上がり、冷えた空気を白くして。

森の終わりまで来ると、硬いコンクリートの壁に突き当たった。見上げてみる。乗り越えられない高さではない。だが、上部には電流か何か流れているかもしれない。

仕方なく、壁伝いに出口を探す。

程なく、小さな裏門が見えて来た。こちら側に二人兵士が見える。恐らく表にも何人かいるだろう。さて、どうやって撒いたものか……。

内側の者は何とでもなりそうだが、外にいる者の状況が掴めない。

茂みに身を隠して様子を窺う。

時折開かれる扉。定期的に外とやり取りしている。ここから確認出来たのは二人。事を荒立てて応援を呼ばれては不味い。

静かに抜ける方法は……。

扉が閉まる。

「巡回に行って来る」

内側にいた兵士の一人が遠ざかっていく。残るのは一人。チャンスは今しかない。躊躇っている暇などない。

兵士の姿が見えなくなると、ラインハルトは地面に手を這わせた。適当な小石を拾い反対側へ思いっきり投げた。

物音で銃を構える兵士。

「誰かいるのか!」

緊張に高ぶった声。その場を離れる様子はない。茂みのギリギリの所まで移動する。そしてもう一度、小石を投じた。

構えたまま歩き出す兵士。少しずつ遠ざかっていく。一瞬のタイミングを見失わないように身構える。

もしここで見つかったら、相手が誰かも確認しないまま彼は発砲するかもしれない。そうすれば間違いなく自分は死ぬ。

緊張で、喉が渇いた。自然と呼吸も止まる。今はただ、一瞬の隙をついて抜ける事に、全神経を集中させる。

彼が、闇に紛れた。

今しかない!

足音を忍ばせて一気に駆け抜ける。扉に手をかけ外に出た。突然の出現に驚く兵士。かねてから決めていた方の兵士の銃を握り、口を覆う。

「静かに。私が誰か分かるか?」

これでもかと瞠目する兵士。後ろでもう一人が銃を構える。

「貴様、何者! 放さんと撃つぞ」

口を覆われた兵士は、信じられないものを見たように、恐る恐る頷いた。

「ならば騒ぐな。私がここを抜けた事も、一切喋るな。良いな」

驚愕に瞠目したまま小刻みに頷く。ゆっくりと手を放して、後ろの兵士を振り返る。

「…陛……下」

構えた銃が驚きのあまり、あらぬ方向を向いた。ラインハルトは構わず歩き出した。追ってくる気配はない。騒ぐ様子もなかった。

それも当然の事といえる。彼はそのまま振り向かなかったから知る由もないが、当の兵士達は、腰を抜かしてその場にへたり込んでいた。声を出すことも出来ず、口をぽかんと開けたまま遠ざかる影を見送って。多分、数分後には、夢でも見たのだろうか、と首を傾げるに違いない。

角を曲がったところで、コートのフードを被った。今まで一度も被った事などなかったが、目立ちすぎる髪の毛を隠すには一番いい。

走れば目立つので、歩いた。けれど気持ちが逸るのか、歩幅が広い。またも息が上がる。フードから漏れる息が、白い。

程なくして、見慣れたホテルが見えた。近くで見ると、かなり高層なのだと知る。部屋は72階。もう何度も確認している。

眩しいほどの照明に足を踏み入れた。顔を隠すように俯いて、真っ直ぐエレベーターへと向う。誰にも呼び止められませんように、と祈りながら。

エレベーターには先客がいた。直ぐ脇の隅に身を滑り込ませて、顔を見られないように壁に向かって俯く。

階が上昇していくにつれ、高鳴っていく鼓動。もう直ぐ彼に……。

同乗した客は、一人また一人と降りて行く。その度に、怪訝そうに振り返る。恐らく自分は今、かなり不審に見えるのだろう。これが皇帝だと誰が思うだろうか。

滑稽に思えた。けれどそれ以上に増していく、強い想い。

静かな上層階で扉が開く。廊下に人影は見えない。深い緑色の絨毯がどこまでも続いているだけ。長い毛足が足音を消す静かな道のり。自分の鼓動だけが聞こえて来そうで。

中ほどに、目指す彼の部屋。

謹慎ではない為、入り口を警備するものもいない。助かった、と胸を撫で下ろす。

扉の前。

一度深呼吸をして呼び鈴に手を伸ばした。自分の手が、熱く湿っているのに気付く。そして震えても、いた。

部屋の中で鳴る音は聞こえない。応答があるまで、永遠とも思える時間を待った。

こんな風に、自分の方から彼を求めた事があっただろうか。

こんな風に、高鳴る鼓動を感じた事があっただろうか。

静かに扉が開いた。

モニターで訪問者を確認したのだろうか、フードを被っていてもそのシルエットから、人物を特定できたのだろう。彼の金銀妖瞳は、蒼氷色の瞳と重なった時、既に驚愕に瞠目していた。

「皇……」

ロイエンタールが口を開きかけた時、ラインハルトは彼の口許に手を立ててそれを制した。そのまま肩を押して室内に入る。

強引に踏み出した拍子に、フードが脱げた。

揺れる蒼氷色の瞳。

後ろで、扉の閉まる音。

何か問いたげに動く唇。けれどラインハルトは、頭を振ってそれを制する。

「何も言うな……」

ロイエンタールの眉間に皺が刻まれる。

ラインハルトは強引に唇を重ねた。

瞠目したままの金銀妖瞳。互いの意図を探らんと、交錯する視線。

「……何も、問うな」

一度、諦めた存在が、確かに目の前にある。これは夢なのだろうかと手を伸ばした。だが、触れる頬の滑らかさは確かなもので。何よりも自分を捕らえる瞳は、紛うことなき蒼氷色。

頬に触れた手を項に滑らせた。片方の手を脇に差し込んで強く抱き寄せる。少し抱き上げた肩から、コートが脱げた。

髪を束ねたせいで、普段見えない首筋があらわになる。

逸らされる事の無い視線。

ロイエンタールは不意に気付いた。皇帝の胸許にあるはずの物がない事に。ペンダントが見当たらない。いつか垣間見た中身。それが今は、ない。

置いて来たと言うのだろうか、俺に会うために。あんなに肌に離さず持っていた、大切な物を。

わざと、置いて来たと言うのだろうか。ならば―――。

永遠に選ばれたのではないかもしれない。けれど、今だけは俺を選んでくれた。もう、殺さなくてもいい。この秘める想いを。今だけは、思う存分心をぶつけてもいいのだと。

思う存分、愛してもいいのだと。

誓った心が揺らぐ。

一切を忘れると、誓った心が。

項に添わせた手に、脇を支える手に力を込めて引き寄せる。今までのように、避けられはしなかった。向かい合う瞳が、静かに睫毛を伏せた。

重なる唇。

初めは互いを確認するように。けれど一度溢れ出した想いは、止まる術を持たない。互いの舌が絡み合ったのは一瞬の後。

やはり、自分を抑えなくてもいいのだと。

貴方を愛する事を、許してくださるのだと。

一切を忘れる、と言う誓いを今だけは忘れていいのだと。

一度、唇を離した。

何度見ても、そこにあるのは蒼氷色の瞳。何者も恐れず、自分を真っ直ぐに見つめてくる瞳。一度でいいから、と強く願った想い。溢れ出る愛しさに、頬を指先でなぞった。

押し付けられる白く滑らかな頬。長い睫毛を伏せて、すり寄せられる。

何も言うなと言われた以上、告げる事は叶わない。何も問うなと言われた以上、訊く事も叶わない。けれど、間違いなく今、俺の腕の中にいるのは―――。

ゆっくりと唇を重ねた。やわらかな唇を舌でなぞり、僅かに開いた隙間から差し込む。押して、絡めて、呼吸まで奪って。

愛している、と想いを込めて。

絡まる舌。優しく、優しく、溢れる想いをのせて。

彼とのキスは、もう数え切れないほど交わした。けれどこんなにも、こんなにも優しくされた事があっただろうか。

こんなに優しく……。

慈しむように。

いとおしむように。

多分これは、キスではない。

抱きしめられる度に、コートがずり上がって脱げて行く。肩に腕に纏わりついて、ラインハルトは無意識に脱ごうとした。

それが彼にも通じたのか、抱いた手を解いてコートを脱がす。開放された唇は、酸素を求めて荒い呼吸を繰り返す。

唾液に濡れて光る唇を、ロイエンタールの指先がそっとなぞった。

そして、再び重なる。

多分、これは―――言葉に出来ない彼の、告白。

だから俺も、自分の気持ちに素直になろう。自分の心に湧き上がる想いに。

唇を離した。真直に金銀妖瞳を見つめる。

「……抱いてくれ」

脱いだコートをソファーに掛けると、ロイエンタールはラインハルトの手を取って、口許へと引き寄せた。

白く細い指先を見つめる。

彼の眉間に、皺が刻まれた。あの、哀しい顔ではない。けれどどこが苦しそうな表情で。

そして、唇が押し当てられる。

手を引かれ歩き出した。奥の寝室へ向かうために。これから愛を紡ぐために。もう、引き返せない。否、引き返す必要などない。自分の意思でここまで来たのだから。

ラインハルトは、自分の手を引くロイエンタールの背中を、静かに見つめた。

つづく…

書きたかっただけに、まともに字になってない!ショック。でもなあ…きっとこれがあたしの今の限界なんでしょうね。頭の中では劇的なのに、字にするとねえ……ああ、ショック。しかも次回H? ああどうしましょう。苦手なんです。今から緊張するわ。でも、でもつづくのです(^^ゞ

(2003/6/16)

愛したからこそ、奪った。

  いとおしかったからこそ、満たされた。

  この腕に抱いた時、歓喜に湧く自分を抑えられなくて。もう、この命すら差し出してもいいと思った。けれど相手は万人の頂点に立ち、統べていく人。そんな人を、俺のような男の腕で抱いてもいいのだろうか、と。この人には、一個人としてではなく公人としての責務がある。それをこんな男が汚してもいいのだろうか、と。

  充足と、不安。手にすれば、失う恐怖。満たされれば、飢える輪廻。

  もし、己の心に天秤があるとすれば、それらが常に振れているだろう。

  どちらで終焉を迎えるのか、多分それはふとした瞬間に訪れる。

陽の光 闇の月 -13-

寝室の照明は消えていた。けれど、眼下に広がる夜景の明かりが、佇む影を照らし出す。

壁一面ガラスで覆われた部屋。特殊な造りで、外からは見えない。

夜景を望む形で置かれたベッド。その脇には不似合いな花。ラインハルトはその花に近寄った。

部屋に不似合いなのではない。彼の、ロイエンタールの部屋にある、と言うのが不似合いな気がした。

それは真っ白い花弁。噎せ返るというより、ほのかに香る芳香。

肉厚な花びらに触れた。しっとりと滑らかで、ほんの少し爪を立てるだけで悲鳴を上げる。甘い芳香の、白い薔薇の花。

背後に彼の気配がした。

後ろから静かに手が伸びる。束ねた髪の毛にキスが降りる。優しく啄むように、繰り返し繰り返し。

無意識に首を傾けて、耳に感じる彼の唇。

回された手が、ゆっくりとボタンを外していく。

首筋に感じる、濡れた唇の感触。しっとりと滑らかで。手で弄ぶ花びらの感触に似ていた。

総て外された隙間から、冷気が吹き込む。火照る躰には心地良い。

心なしか、弄び続けた花の芳香が、強くなった気がした。

髪を束ねたせいで露になっている項を、唇が這う。

「……この花が、好きなのか?」

何も言うな、と制したのは自分なのに無意識に問うていた。彼は答えるはずもない。

一輪、花瓶から取り出す。ゆっくりと鼻先に近づけて香りを吸い込む。ほのかに甘く、そして妖しく誘う香りがした。そう、まるで清らかなものを暴いてしまいたくなるような、敢えて汚してしまいたくなるような、そんな誘われ方。

チクリと棘が刺さった。小さく真紅の玉が指先に浮かぶ。

突然、その手を掴まれ、反動で足下へ落ちた花。濃い青色の絨毯に映える、白色。決して混じり合う事なく、どこまでも真っ白に輝き続けている。

何故か、その花から目が離せない。

「……今だけは答えてもいい。この花が、好きか?」

掴まれた指先に滲む血。少し引き寄せられて、口に含まれる。多分それは血を拭う為の処置だったはず。けれど、彼の舌が……熱く濡れた彼の舌が、絡みついて……。

「…んっ……」

視界の端に映る彼の横顔。舐められているのは指先。なのにまるで……あそこが…熱を持って……。

不意に反対側の頬に手を添えられて、振り向かされた。首筋、耳朶とキスされ、そして囁く。

「……貴方に、似ている……」

その瞬間、肩を掴まれ向かい合った。襟元に指が滑り込み、服が床に落ちる。

急速に情欲の灯る瞳。高鳴り始める鼓動。

緩みかけた紐から落ちた後れ毛を、ロイエンタールの指が優しく梳いてゆく。時折地肌に当たる指先が、何とも扇情的で。

誘われるままに、ラインハルトは目の前のボタンを外していく。少しずつ彼の逞しい胸が現われる。

シャツを床に、落とした。

多分それが、合図。

ラインハルトは自分から彼の肩を押して、ベッドへ倒れ込んだ。彼の耳の両脇に手を着く。ふわりと立ち昇る煙草の匂い。彼の、匂い。

絡み合う視線。そこは無言で、交わされる言葉はない。けれども、この静寂がこれほど熱を伴い欲に揺れて互いを高めようとは。

ロイエンタールの手がゆっくりと背に回り、束ねた紐を引いた。さらさらと零れ落ちる金の糸。彼の頬をくすぐる。そして、背に回された手に力が込められた。

重なる唇。

一番深く貪れる角度で重なり合って。互いの唾液が混ざり合い息も絶え絶えに。

こんなに激しいキスを交わした事が、あっただろうか。

着いた手から、力が抜けるほどに。

脳裏を掠める赤い髪の毛を、忘れ去るほどに。

今はこの背に回された手が、いとおしい。

ロイエンタール。もっと強く、もっと激しく俺を抱いてくれ……。

いとおしかった。

この手に身を委ね、全身で俺を求める貴方が。

ロイエンタールは両手に力を込めて躰を密着させると、体勢を入れ替えた。長く波打つ金髪を梳き上げながら、そのこめかみに、耳に、首筋に口づける。

蒼氷色の瞳が、心なしか赤く腫れているように見えた。

泣いていたのだろうか。キルヒアイスを裏切る自分が許せなくて。貴方はいつもそうだった。いくら抱いても貫いても、その心から罪の意識が拭えない。

誰も責める者などいないのに。貴方が殺した訳ではないのに。どうしたら、その罪悪感を拭い去る事が出来るのかと、腕の中で喘ぐ貴方をいつも見つめていた。

この手で自由にしてやる事は可能なのか、と。

けれど、結局はそれが貴方を苦しめた。

だから今はただ、この腕に中にいる人を愛したい。

俺の持てる総てを注いで。全身全霊をかけて。

今までに一度としてつけた事のない痕。この躰に許されるのはキルヒアイスだけだと、肌が訴えていた。けれど今日は、今夜だけは……。

浮き出た鎖骨を、舌でなぞる。

小さく息を吸う音。

甘噛みして、吸った。

「んんっ……」

くっきりと浮き上がる、赤い痕。視線が合った。一瞬、咎められるのかと。けれど蒼氷色の瞳は欲に潤んで、薄く笑みを湛える。もっと付けろと言わんばかりに躰をうねらせて。

細い指がシーツを掴む。そっと重ねて指先に軽く力を入れ、すうっ……と、腕の裏側を通って撫でて行く。やわらかな二の腕。真っ白できめの細かい内側。

爪の当たる感触に、ビクッと体を震わせた。

脇に顔を埋め、やさしく啄んでみる。それでも直ぐに咲く赤い花。

脳裏に白い花びらが浮かんだ。ほんの少し爪を立てただけで、傷つき悲鳴を上げている。やはりあの白い薔薇の花は、貴方なのだと思った。

這わせていた手を、首筋から移動させる。そして、触れる胸。やわらかな乳房などないのに、手になじみ、吸い付いてくる。

指先でなぞると、存在を主張する乳首。淡く色付き、敏感に隆起して。

吐息が熱を持って荒くなる。押し殺したような声。まだ、堪えられるほど余裕があるのかと、いじめてみたくなるほどに。

脇から舌を滑らせた。

「はうっ…ん…」

下肢をしならせ、掴んだシーツを引き寄せる。けれど、乳首を含む唇からは逃れようとはしない。求めるままに胸を突き出し、もっと噛んでくれと強いてくる。

髪に細い指先が絡まる。抱きしめたいのか、押し離したいのか揺らぐ手。

手を伸ばし、立てた膝の間に差し込む。僅かな抵抗の後、開かれた脚の間に体を滑り込ませる。

表情を盗み見た。

長い睫毛を伏せて、感じるままに眉根を寄せ、頬が赤く上気している。さっきの僅かな抵抗は、最後に残った理性なのだと知る。

滑らかな内腿を撫でる手に、時折触れる感触。早く愛される事を待ち望んで、精一杯存在を主張している。

もどかしいのか、自分でズボンの留め金を外す。催促、とでも言うのだろうか。あれ程俺の手を避けていたくせに、躊躇いながらも自らへ導こうとする。

その手をやんわりと制して、下着を脱がした。望み通り、手に握り込む。

「ああっん…っ……」

髪の毛に指を絡めて、仰け反る細い首。

臍の横辺りに、歯を立てる。途端、手の中のものが一際張り詰めた。

半身を起こして、片足を肩に掛ける。日に焼けない踝に歯を立て、片手は露になった太股を撫でた。そしてもう片方の手は、指の腹を使って丁寧に扱く。

舌を踝から脹脛に滑らせた。

身をよじって、甘い喘ぎ声を漏らす。

太股の内側を吸う。赤い花が咲き乱れ、力の入らない脚は外側に大きく開かれた。

そろそろ限界だろうか。

手を放し、光る先に口づける。くちゅ……と濡れた音をたてて口に含んだ。髪に絡まる指が、強張った。ビクッと震えた内股が、俺の肩を挟んでくる。

「ロ…イ…ンター……ル……んんっはぁ…も、我慢……で……い」

最中に、初めて名前を呼ばれた気がした。否、思い違いではない。たぶんセックスの最中に名前を呼ばれたのは、初めて。

貴方を抱いているのが俺だと、初めて認められた気がした。もう、キルヒアイスの身代わりなどではなく、オスカー・フォン・ロイエンタールとして、この躰を愛してもいいのだと。

いとおしかった。

もう、許してくれ、開放してくれ、と泣き叫ぶまで抱き尽くそうと。

貴方が望むままに総てを与えて、埋め尽くす―――これが、幸せなのだと、知った。

脇に着いた手に、細い指が絡まる。欲されるままに手を自由にさせる。そして熱く濡れた感触。視界の端に、口に含まれた自分の指が見えた。

両手で手首を握って、薄く目を開けて舐めている。人差し指と中指を口に含んで、たっぷりと唾液を絡めて。感じた体が、より強い刺激を求めて。

名残惜しそうに絡みつく舌を振り切って、うごめくそこにあてがった。

期待に引き寄せられるシーツの波。

緊張に震えているのだろうか。それとも待ち焦がれているのだろうか。

ゆっくりと挿入させた。

締め付けられる指。けれど、最奥へ導かんとうごめいて。

内部が熱い。今まで幾度となく侵入をはかったが、これ程までに熱く蕩けていた事はない。それ程に感じている、という事だろうか。

熟知している場所を探して擦る。びくびくと跳ねる躰。絶頂近しと怒張し、髪と肩に細い指が食い込んで来る。

「ああっ!……だめ…ロイ…タール…」

ほとばしる飛沫を受け止めて、指が締め付けられた。しなる躰。肌には汗が浮いている。荒く呼吸を繰り返し、酔いしれて。

涙を含んだ睫がゆっくりと開いていく。熱と欲に犯された瞳が、俺を求めて瞬く。

清らかな、あの白い花が情欲に染まっていた。

躰を起こして、俺のズボンに手を掛ける。この先を求めて暴いていく指先。今まで一度として自分から触れる、などという事はなかったのに。

突然の行動に、思わず呆然と目を向ける。

あっという間にくつろげられ、下着から取り出される。そして、躊躇いもなく口に含まれた。

自分の脚の間に揺れる金色の髪の毛に、指を差し込んだ。無意識に顔を見ようと、何度も髪を梳きあげる。長い睫を伏せて両手で根元を握り、苦しそうに前後する顔が見えた。

-―――いいのだろうか、皇帝にこんなことをさせて。

過ぎる不安は、満たされた心に一点の闇を落とす。そして、波紋のように広がっていく。

見上げてくる蒼氷色。そろそろ良いか、との合図。先を望んでいるのだろう。早く埋められたくて、攻められたくて。

どこまで俺を求めているのか、少し試したい気がした。いつも被害者面して感じていた顔が、今夜はどんなに変わるのだろうかと。

腕を掴んで、仰向けに寝てみた。頬を上気させて、困ったように見つめてくる。構わず、腰を引き寄せる。望むのなら、自分でしてみろ、と。

唇を噛んで、そろそろと俺の体を跨ぐ。天を仰ぐものに手を添えると、ゆっくりと入口にあてがう。目を硬く閉じて、時折襲われる苦痛に顔を歪め、息を止めたり吐いたりしながら最奥へと導く。

こんなに情欲に犯されながら、どうしてこの人はこれ程までに美しいのだろうか。華やかに咲いて、香りを立ち昇らせ人を惹きつける。

俺の両脇に手を着く。動きやすいように腰に手を添えた。ゆっくりと自らの意思で動き始める。伏せられた長い睫毛が、酔ったように寄せられる眉根が扇情的で。

―――見惚れた。

「ふんんっ……ああっい…いっ……」

薄く開いた唇の奥に、ちらちらと揺れる舌。官能に飲み込まれ、俺を締め付けてくる。

―――共に酔いたい、と思った。けれど、一瞬過ぎった不安が消えない。目の前で、乱れる姿を目にすれば、する程。本当にいいのだろうか、こんな風に堕ちてしまっても。

俺はいい、別に。元々堕ちていた者だから。けれどこの人は違う。この人は万人の頂点に立つ人。統べて行かなければならない責務を負った人。

責務……。恐らく、貴方が皇帝などではなく一貴族でしかなかったなら、こんな風に過ぎったりはしない。満たされた筈の心に、不安を感じる事もなかっただろう。

被害者面を試したのも、この不安の表れから。多分あの時、俺の誘いを拒んでいたら、今までのように自分からは何もせず、他人事のように冷めていたのなら。

「あっいいっ……ロイ……ル…達きそう…」

半身を倒して、前屈みにキスを求めてくる。ぴったりと胸を合わせて、互いの汗が交じり合う。熱く濡れた舌が滑り込んできて、俺の舌に絡まる。

貴方は、この宇宙を統べて行く為に身を厭わないだろう。その為には、他人が持つ事を許されても、貴方は諦めなければならない事があるかもしれない。そして、王朝を維持していく為に后妃を迎え、子を生していかなければならない。平和な時を維持し統治していく為に。

それが―――責務。

ならば、公人としての立場を省みず、情欲に走らせてもいいのか? 相手は臣下の男。こんな男の手に汚されてもいいのだろうか……。

愛すればこそ、正当な道に導いてやるのが真実ではないだろうか。それに―――后妃を迎え、その手に女を抱く貴方を、俺は我慢出来るのだろうか。醜い嫉妬に支配された者に成り下がりはしないだろうか。

―――貴方が、皇帝などでなかったなら……きっと無条件に奪い去っていた。

闇が、広がっていく。愛すればこその独占欲と、いとおしいが故の倫理感とがひしめき合って、どろどろと渦巻いていく。

目を、見開いた。

背をしっかりと抱いて、くるりと体勢を反転させる。放射状に広がる金色の髪。見つめてくる潤んだ蒼氷色の瞳。背に両手を交差させて、腰に足を絡めて来る。もっと……奥に、と。

背を引き寄せられ、重なる唇。

振り払いたかった。過ぎる不安を。やっと手にした時を邪魔されないように。自分の心の巣食う闇に壊されないように。今だけは、腕の中にいる人を愛したい。ただそれだけに、生きたい。

狂ったように腰を動かした。貴方が求めるままに。そして自分を満たす為に。

喘ぎ声は掠れる。揺さぶられ、攻めたてられて限界へと向かって。しがみ付き、自分から腰を浮かし、時折思い出して俺の耳を噛む。そして―――。

反り返る背中。内股が震え、腹部に熱い粘りを感じる。締め付けてくる腸壁に、放ったばかりのものが逆流してくる。

背に突き立てられた爪が、血を滲ませた。

キスを強請って、頬に手を添えられる。

余韻を感じたくて、引き抜く事を許さない、と絡まる細い足。

いとおしい、と心の底から思った。

その想いをのせて、唇を重ねる。

「……」

一瞬にして広がっていく闇。聞かなければ良かった。否、聞こえなければ良かった。重なる瞬間、貴方の唇が形作った言葉。

己を押し潰すほどの迷いが圧し掛かる。

きつく抱いた。きつく抱かれもした。金色の髪に顔を埋めて、それでも俺は心に巣食った闇が広がっていく事を、自分ではどうにも出来ずにいた。

頭の中に響く声。

繰り返し、繰り返し。

聞こえた幸福と、聞いてしまった不幸と。

―――愛している……と、そう確かに囁かれて。

つづく…

緊張するとか何とか言っといて、思いっきりH2話目突入。アホか……(^^ゞ

ロイエンタールって陰気よね。って私が書くから陰気なのよねきっと。やっと手に入れたんだから、素直に喜びゃいいのに。いざ手に堕ちると、本当にいいんだろうかって不安になってさ。小心者だわ彼って。

(2003/6/20)

陽の光 闇の月 -14-

腕の中で静かな呼吸を繰り返す人。抱き寄せ、預けられ。この腕の中にぴったりと寄り添い、無防備に総てを晒して。

艶やかな髪の毛に、唇を押し当てた。

あれ程焦がれたものが今ここに、ある。

確かなぬくもりと、十分な重さを伴って。だが―――。

俺の心に巣食う一点の闇。忌むべき俺の歪み……。否、僅かに残った正路と言うべきか。

ロイエンタールは、腕の中の存在を確かめるように、その髪に頬を寄せた。小さな溜息をゆっくりと吐いて、ほのかに漂う髪の香りを吸い込んだ。

―――輝き続ける大切な人が、目の前で堕ちようとしている。男に情を囁き、寝所を抜け出してまで、セックスに酔う。国民に慕われ、多大なる責務を負って生きねばならぬ人が、その本来歩むべき正路から、堕ちようとしている。

こんな男のせいで……。

これで、いいのだろうか。

これで、許されるのだろうか。

歪みが心臓を掠め、ちりちりと痛み始めた。それは徐々に増して行き、眉間に苦痛を刻ませる。

息をゆっくりと吸い込んだ。

……違う。違うのだ。それは、建て前。本当は……本当の俺は、自分が恐ろしい。貴方が拒まなくなった事で、今まで押さえつけていた欲が顔を覗かせる。より多くを欲して、叫び声をあげるのだ。

奪いたい。

奪い去りたい。

あの言葉を聞いてしまった今、俺は俺自身に科した枷が外れようとしている。歯止めの効かない欲が、増殖しかけている。

一体、この先どうなるのだ。このまま増殖した欲は、皮膚を突き破って貴方に何をするだろうか。俺は、自分が恐ろしい。

欲が、俺に囁く……。

閉じ込めて一人のものにしたい。

部屋に繋ぎとめて一歩も出したくない。

貴方の世界には、俺一人が存在していればいい。

そう叫んで、そう欲して、総てを捻じ伏せて……。

けれど、貴方は皇帝。そんな事が、許されるはずもない。

ゆっくりと息を吐きながら、波打つ髪にキスを落とす。何度も啄むように、優しく施した。

俺は、我慢できるのだろうか。この先、貴方が后妃を娶り、子を生していく事に。

俺は、耐えられるだろうか。その腕が、別の誰かを抱く事に。

知らぬうちに、抱いた腕に力がこもる。僅かに身じろぐ細い肩。

「……どうした、ロイエンタール」

慌てて緩め、視線が合う。

答える事を許されない俺は、小さく頭を振った。実の所、内心ホッとしていた。こんな事、言葉に出来る訳がない。覆い茂るしがらみをかなぐり捨てて、ここまで降りて来てくれたというのに。今、訳を問われたら、何を言い出すか自分でも想像もつかない。

どうして俺は素直に喜べないのだろうか。どうして……。

更に抱き寄せた。互いの心臓の響きが伝わる程に。頬を寄せ、ゆっくりと髪を梳き続ける。

いとおしい、と心の底から想う。この想いに偽りは、ない。だが―――。

このまま行けば、間違いなく俺は貴方を壊してしまう。そうなる前に、貴方を本来の道に戻し、見守る術はないだろうか。他に取るべき術は……。

俺にしか出来ぬ、愛し方。

貴方が俺にしか求めない、愛され方。

俺は、貴方が本当に求めるものを与えてやりたい。その為に、たとえどの様な誹謗中傷を受ける事態に陥ろうとも厭わん。

伏せられた長い睫毛。俺を捉えて放さない美しい人。口許にくる髪の生え際に啄むようなキスを繰り返す。刻まれたままの眉間の皺は、深い。

これ以上こんな男に堕ちるより……貴方は陽の下を歩むべきだ。本来の道を。

貴方に闇は―――似合わない。

眉間に刻まれた皺が深みを増す。それがラインハルトからは見えない。自分を抱きしめる表情が、幾度となく目にした哀しい顔でもなく、ましてや自信に満ちた顔でない事が。

それは初めて抱いてくれ、と口にした時の苦しげな顔だった。

抱きしめる腕に力がこもる。頬を寄せ、金色の髪に指を絡ませた。

心臓が、悲鳴を上げる。

この身が、引き裂かれる痛み。全身が切り刻まれ、鮮血が噴出していく。

強く、抱きしめた。放したくない、失いたくない、と流れ出る血が叫ぶ。

誰よりも貴方を愛している。だから……愛しているから、こそ―――。

「……堕ちては、いけない……」

低い声は、静寂の中へと消えて行く。

確かに自分の口で、そう告げた。

思い違いではない。

愛している―――そう、告げた。その言葉に偽りはない。けれど……。

けれど、俺は許されるのだろうか。彼を死に追いやっておいて、他に心を移すなど。自分でも痛いほど分かっている。これは不条理なのだと。

これは許されてはならない不条理、なのだと。

けれど俺は、自分の躰が彼を欲するのを止められなかった。あろう事か、自分からこの身に沈めてくれと懇願した。そして何よりも許されないのが……。

今、抱かれているこの腕が、あたたかいと言う事。

あたたかくて力強くて、ずっと孤独だった心に沁みる、と言う事。

愛する人を死に追いやった俺が、こんなぬくもりを得るのを許されるはすが、ない。

髪の毛を梳く優しい手付き。直に伝わる心地よい心臓の響き。逞しい腕に抱かれ、総てが癒されていく。そして……満たされる。

キルヒアイスを失ってからというもの、彼への変わらぬ想いと、ただ一度与えてくれた感覚と、約束を果たす、と言う責任感で自分を支えて生きてきた。

時を経るごとに心は凍り、乾燥していった。けれど、後ろを振り返ったら、一瞬のうちに風に吹き飛ばされそうで恐ろしかった。いつも自分を奮い立たせ、精一杯前を向いていた。

お前との約束を果たす、ただその一念で。

それなのに、こんなぬくもりに触れて俺はどうなってしまうのだろうか。このままだと、独りで立つ事さえ出来なくなりそうで。

裏切った上に独りではいられなくなる……そんなに弱い人間になってどうするのだ。そんなに、弱くなって……。

俺はそんな自分が―――怖い。俺は怖いのだ。

このままロイエンタールの優しさに触れることが、恐ろしい。どこまでも彼を頼って行きそうで。彼なしでは立てなくなりそうで、この先どうなってしまうのか、想像もつかない。

怖い、ロイエンタール……怖い。

背に回された手に力がこもって、抱き寄せられた。彼に心の呟きが聞こえたのだろうかと、不安になる。

恐る恐る見上げた。眉間に刻まれた深い皺。なにか悩んでいるのだろうか。それとも後悔しているのだろうか。

抱いてくれ、と口にした時一瞬見せた、あの苦しげな表情に似ていた。

俺と同じように、彼は彼で悩んでいる。だとすれば、俺達はそれを口にし今度こそ互いに語り合わねばならないのだろうか……。

「……どうした、ロイエンタール」

無意識に問うていた。彼はハッとした表情で俺を見る。けれど、一向に答える様子はない。それもそう。問うな、言うなと制止したのは他ならぬ俺。でも今は訊くべきかもしれない。こんなにも彼は苦しんでいるのだから。

そう脳裏を過ぎった時、彼は目を閉じてゆっくりと頭を振った。

言いたくないのだろうか。それとも、言えないことなのだろうか。不安が過ぎる。どちらにしても、訊く、と言うタイミングを失ってしまった今、俺も口をつむぐしかない。

再び抱き寄せられた。ゆっくりと髪を梳かれ、こめかみや額にやわらかな唇の感触。

あたたかな光に包まれているようだった。ゆっくりと皮膚から浸透し、気持ちをあたたかくさせてくれる。長い時を経て、血が再び通い始めたように。

胸の奥に灯る、熱い想い。

このまま、彼の腕の中で眠れたらどんなにいいだろうか。共に朝と夜を迎え、同じものを見て、同じものを食す。そんなささやかな日常も、酷く満たされたものに感じるだろうか。

ロイエンタール。俺は愛した人を死に追いやった。人を不幸にした。そんな俺でも幸せになる事は、許されると思うか?

それを肯定するように一際強く抱かれた。しっかりと抱き込まれて彼の表情は見えない。髪に、何度も角度を変えては頬を押し付けられる。

触れ合ったところから、彼の心の声が聞こえて来そうだった。

愛している、と言葉が想いとなって降り注ぐ。

俺は、許されるのだろうか……。

一瞬、微かに聞こえる彼の声。けれど、何を呟いたのかは聞き取れない。

強く肩を掴まれ、抱き寄せられる。少し空気が変わった。ピンと張り詰めて、何を言ったのか問い返す雰囲気をなくしていた。

抱かれた肩に、彼の指が食い込む。幾分が、鼓動も早まったように感じた。

どうしたのだろうか、この変わり様は。この張り詰めた空気は、一体何を示しているのだろうか。

迷った末、顔を上げた。

悲痛に歪む顔。眉間に深い苦悩を刻んで、硬く目を閉じている。ゆっくりと手を伸ばした。躊躇いがちに頬に触れた瞬間、逸らされていく顔。

ラインハルトは伸ばした指先を、止めた。

何かに必死に耐えている、そんな表情。

何に耐えているのだ。何故、そんなにも辛そうなのだ。

ラインハルトは彼の苦しむ訳を知りたかった。自分をこんなにも満たしてくれた男を、この手で救えるものなら救ってやりたい、と。

少し緩んだ腕を抜け出して、今度はロイエンタールの頭を抱えるようにして抱きしめた。

頬に触れるダークグレーの髪。助けを求める様に腕の中に納まってくる体。彼の手が背に回され、ぴったりと寄り添う二人。

静かな時間が流れる。

穏やかな様で、張り詰めた時間が。

ゆっくりと彼の髪を梳きながら、目を開けた。サイドテーブルに飾られた花が、見事に咲き誇っている。辺りに漂う、甘い芳香。

何ものにも侵される事のない、ただ二人の時間。

腕の中の人を見た。静かに目を閉じて、胸に凭れている。体から要らぬ力を抜いて総てを預けて。

彼の背中がシーツから出ていた。

ラインハルトは静かにシーツを掛け直した。続いて腰から足へと視線を動かす。視界の端に、全面ガラス張りの窓が映った。

パノラマに広がる夜景。

暗い部屋に、夜景のほのかな明かりが差し込む。見上げれば夜空。雲のない空には星が輝いていた。

……幼い頃、あの星を見上げてはこの手に掴めると思っていた。そして今も思っている。そう、遠い現実ではなく。

姉を奪われて、ずっと目指して来た。最初は姉さんを取り戻す、ただその一念で。それが何時しか宇宙という野心に変わった。

誰もが夢見ては出来なかった事を、俺は成し遂げようとした。立ちはだかる幾多の壁を乗り越えて、やっとここまで来た。

もう直ぐ……もう直ぐ、この手に宇宙が……。

一瞬、脳裏を掠めた面影。ラインハルトの体が強張った。瞳は瞠目し、瞬きを忘れる。

―――宇宙を手に入れると、誓った。

誰に?

……彼に。

その誓いを果たしたのか?

……まだ、途中。

ならば、お前は何をしている?

……何って……。

心の中に木霊する自分の声。責めるのではなく、哀しく弱々しい響き。

無意識に腕に力が入る。僅かに身じろぎ、応える様に背が引き寄せられた。体の強張りが彼に伝わったのだろうか、ゆっくりと優しく背を撫でられる。

あやすように、落ち着かせるように。

彼の優しさが、沁みる。

手が、震えた。

蒼氷色の瞳が、瞬いて揺れる。

俺はまだ、誓いを果たしていない。彼の死に誓ったと言うのに、まだ果せてはいない。

苦難の中、幾度となく自らを奮い立たせてきた声が、弱く霞んでいく。俺自身が、弱く霞んでいく。

優しい手。彼のあたたかい手は、俺の信念を弱らせる。

俺を、弱らせる。

ロイエンタール……俺に優しく、するな……。

抱きこんで見えない彼の顔。髪に指を絡ませて、歪んでいく視界。

彼の頬に、落ちた。

―――俺は、自分の想いを通す前に、やらなければならない事がある。誰に頼る訳でもなく、彼に誓った信念のもと、宇宙を手にするまで戦い続けなければ。

また、ポタリと落ちた。見つめる彼の表情が、目を閉じたまま曇る。

濡れた頬に、口づけた。

震える指先を、そっと頬に添えて。

―――目を、開けるな。何も、言うな。今、お前の声を聞いたら、俺の総てが崩れそうで、怖い。

押し殺した嗚咽が漏れる。

見つめた彼の顔が、僅かに下を向いた。

―――ロイエンタール……許してくれ……。

抱きしめた彼の肩を、静かに放した。俯いたままゆっくりと体を起こす。絨毯に散らばった衣服に袖を通した。

上手くボタンが留められない。歪んだ視界に、震える手。半ばまで留めて上着を羽織った。

―――振り返ってはならない。

今、振り返れば間違いなく……間違いなく俺は、崩れ去る。

唇を噛み締めた。端から血が滲む。彼の動く気配は、ない。これでいい。これで正しいのだと思う。ラインハルトは小さく息を吸うと、立ち上がった。

振り返らない。決して……。

手を引かれ歩んだ距離を、今度は独りで戻っていく。本来、成さなければならない場所へと。

そして、一歩を踏み出した。

つづく…

次回、最終回……かしら…多分…。

何だか、終わってしまうのが淋しい気がします。

(2003/6/25)

陽の光 闇の月 -15-

強張る身体。

俺の言葉が聞こえたのだろうか。全身を張り詰めさせて、僅かに震えている。あんなにも無防備でいたのに、急にどうしたのだろうか。

額が、鎖骨辺り触れていた。静かに脈打つ鼓動が聞こえる。

……放したくはない、こんなにも愛している人を。それは紛うことなき本心。だが―――。

頬に落ちる涙の感触。泣いているのか……。俺に心変わりをされた、と思ったのだろうか。そんな事があるはずもないのに。貴方ただ一人の為にだけに生きている、と言うのに。

再び、頬に落ちた。

何を泣く事がある。貴方は獅子ではないか。万人の頂点に立つ、輝ける獅子。

あやすように、そっと背を撫でた。泣いてはいけない、と。

髪の毛に指が絡んでくる。僅かな震えが、その細い指先から伝わる。

また、頬に涙が落ちた……。

貴方に涙は似合わない。なのに何故、泣いているのだろうか。それは俺のせいなのだろうか。俺が、貴方を苦しませているのだろうか。

俺は再び、あの蒼氷色の瞳から輝きを奪おうとしているのだろうか……。

酷い自己嫌悪に襲われた。愛する人を苦しませる自分が許せなかった。目を開ければ、貴方はどんな表情で泣いているのか、俺はそれを目にする勇気が、ない。

情けなさに、眉間が曇る。自分が許せない、と深く深く刻まれて。

身じろぐ細い躰。密着した肌が、離れていく。

頬に触れた指先。小さく震えていた。そして、やわらかな唇の感触。貴方の涙で濡れた頬。詫びるようにそっとくちづけられる。

聞こえてくる嗚咽。必死に堪えるように低く聞こえる。

―――涙の訳は俺、なのか。俺が苦しませているのか。

止む事のない、嗚咽。

どうやったら、俺は貴方を幸せに出来るのだ。苦しませず、俺の独りよがりの欲に支配されず、貴方を輝かせる術はないのだろうか。

誰か……教えてくれ。

苦しかった。答えを見つけられず、闇ばかりが深まっていく。大切な人が泣いているのに、何も出来ない無力さ。嫌悪が深まる。

救い様のない情けなさに、俯いた。

…………。

吐息に混ざった声。聞き間違いだろうか。否、多分……間違いではない。

解かれて行く腕。離れていく肌。髪が頬を掠める。

目を、開けてはいけない。声を、かけてはいけない。そう、肌で感じた。

貴方が望むのなら仕方がない。寧ろ、堕ちてはいけない、そう止めた俺の方。だから、俺は黙って貴方が選ぶ道を歩かせるまで。

ベッドが揺れた。端に腰掛けて衣服を拾っている。何時かの夜と同じ。片方は眠った振り。片方はただ黙って部屋を出て行く。それが、今夜は逆なだけ。

息を詰めて、足音に耳を立てる。

止まらない嗚咽。

再びベッドが揺れた。立ち上がった気配。ゆっくりと歩み出す。毛足の長い絨毯が足音を消していく。だが、あの人が俺から離れていく様は、手に取るように伝わった。

冷気がこの身に降り積もる。

独り。

扉の開く音。

多分、これでいい。これが、正しい路。

締め付けられる胸。再び身を裂かれる思いがした。これは俺自身が望んだ事。そう納得しようとしても離れていく肌が、ぬくもりが恋しくて……。

涙が、溢れそうになった。我ながら柄にもない、と思う。だが、いとおしいが故に、叫び出したいほど辛かった。

吐息に混ざっていた声……許してくれ……と。

貴方は再び戻っていくのだろう、本来在るべき場所へ。こんな男のベッドなどではなく、ゴールデンルーヴェの旗のもとへ。

閉ざされた音。

静まり返る部屋。

ゆっくりと目を開けた。そこに確かに存在していた、シーツの乱れ。僅かに残った躰の窪みと、ぬくもり。

何時かの夜、貴方もこんな風に俺を見送ったのだろうか。細心の注意を払って遠ざかる人を見送ったのだろうか。そして一人残されたベッドの上で、何を思ったのだろうか。

大きな溜息を吐いた。無気力に体を起こす。

ベッドに腰掛けて両手で顔を覆った。息を大きく吸い込む。そして両手をずらして、口許を覆った。息をゆっくりと吐きながら、視線を下げる。

深い青色の絨毯に映える白い花。あの人が花瓶から抜き取って、香りを楽しんでいた花。だが今は長い事絨毯の上に放置され、萎れて輝きを失っていた。

そっと手に取る。

哀しげに、淋しげに項垂れていた。姿を見た訳ではなかったが、去り際、嗚咽を漏らしていたあの人の姿と重なる。

これ以上傷つけないように、静かに花瓶に戻した。華やかに咲き誇る花弁の中に、暗く沈んだ花が一輪。輝きも力強さも香りも失っている。

もう一度、水を吸い上げて輝きを取り戻すだろうか。

もう一度、華やかに咲き誇ってくれるだろうか

もう一度、甘い芳香を楽しませてくれるだろうか。

再び両手で顔を覆った。溜息とも嗚咽とも分からない吐息が漏れる。

本来、在るべき場所に戻したのだから……あの方も、輝いてくれるだろうか。

顔を覆った手を離す事が出来なかった。

許してくれ、と囁かれた言葉が耳に木霊する。

姿を見てないのに、涙を流すあの人の顔が脳裏から離れない。

だが―――これでいい。これでいいのだ、と自分を納得させる。ただ一度でいい、そう願った想いが叶えられたのだから。そして何より、たとえ一瞬であろうとも、共にこのベッドで交わした事は真実なのだと確信出来るから。

だから俺は、貴方が咲き誇り続けられるように守ってみせる。

俺を捉えて放さなかった輝きを、絶えず放ち続けられるように守ってみせる。

顔を上げた。涙の後が残る金銀妖瞳。けれど、その瞳に決意を宿らせて、花瓶を見遣る。

俺にしか出来ぬ、愛し方。

俺にしか求めぬ、愛され方。

その術はまだ分からん。だが、俺は貴方を必ず守ってみせる。

僅かに首をもたげ始めた花弁に手を添えて、静かにくちづけた。

ラインハルトは逃げるようにして、ホテルを出た。

寒く凍える道のりを、フードをすっぽり被って足早に駆け抜ける。

涙は、辛うじて堪えていた。否、寧ろ放心状態に近く、泣く事さえ忘れていたのかもしれない。すれ違う人影も視界に入らず、ひたすら深く深く俯いて、大本営への道のりを急いだ。

一刻も早くその場から離れたいと、少しでも遠く離れてしまいたいと、必死に足を送り出す。

空はまだ真夜中、星が輝いている。

程なくして、彼方に大本営の門が見えて来た。本来ならば、もと来た裏門から帰るべきなのだが、今更見つかったところで、行き先を話さなければ済む。どこから抜けたのかも、話さなければ彼らが咎められる事もないだろう。

だが、実際のところはそんな事に気を使う余裕などなかった。心を占めているのは、たった今置き去りにした彼の事と、亡き彼との誓い。

自分は唯一一人、心に住まわせている人を心の支えに、強く生きていけるものだと思っていた。それはどんな事があろうとも不変で、揺るぎないものだと信じていた。

それがどうだ。いつの間にか他の侵入を許し、気付いた時には大きな存在になっている。失う事を恐れ、心を開く事に恐れた。このままだと、自分が弱くぼろぼろに消え去ってしまいそうで恐ろしかった。彼を頼りきって、彼無しでは生きていけなくなりそうで、恐ろしかった。

―――だから、逃げた。まだ、宇宙を統一した後ならば、他に道があったかもしれない。けれど、まだ何一つ誓いを果たしてない今、弱くなってしまうことは許されない。

そんな事は、あってはならない!

脳裏に木霊する言葉は強固なものでも、なぜか心が痛んだ。今にも涙が溢れそうだった。多分、逃げて来た今でも彼を失いたくないと思っている。彼のあたたかい胸が恋しいと思っている。けれど、けれども―――。

突き進む俺に兵士の銃が向けられた。

「止まれ! 手を上の頭に置くんだ!」

止まらない俺に、次々と銃口が向けられる。

うるさい。一人にしてくれ。早く静かな場所で一人になりたい……と、ただその思いだけが足を動かせる。

「おい!貴様、撃つぞ」

兵士の一人が銃の安全装置を外した。反対側の兵士が腕を掴む。その拍子にコートのフードが脱げた。

ひっ……!口々に漏れる悲鳴に似た驚き。ラインハルトは構わず歩き出した。呆然と見送る兵士の群れ。扉のところで待ち構える兵士も、ただ黙って目で追う。

「……キ…キスリング親衛隊長に報告しろ!」

我に返った兵士の一人が、声を張り上げた。途端、周囲がざわつき始める。けれどラインハルトは俯いたまま建物に入った。

不審者の侵入と勘違いして集まって来る兵士。皆決まったように瞠目し、声を忘れる。どうして良いのか分からず、目の前を行く皇帝を見守った。

「陛下!」

慌てた様子のキスリングが追いついてきた。横へ回り込んで皇帝の足を止めようとする。だが、表情を見た瞬間凍りついた。彼もまた同じように瞠目し、呆然と目で追うのみ。

不意に、皇帝の足が寝室に向かっていないのに気付いた。我に返り、後を追いかける。

訳を訊こうと何度も声をかけようとした。けれど、ただ後について行くのが精一杯で、とても声などかけられる雰囲気ではない。

表情のない顔。蒼白で精気を失った肌。虚ろな瞳。瞬きさえあまりせず、彼にとってこの様な皇帝の姿は始めてだった。けれど、何よりも彼を躊躇わせたのは、今にも泣きそうな蒼氷色の瞳。必死に堪えているように見えて、もし自分が声をかけたなら、その途端泣かれてしまう気がした。

皇帝の足が止まった。

執務室。

だが自分で開けようとはせず、扉の前で立ち尽くしていた。キスリングが近寄って、暗証キーのカバーを開けコードを入力する。

黙ったまま足元を見つめる皇帝。ロックが解除されても身動き一つしない。

用があったのはここではなかったのか、と過ぎったが、一応扉を開けてみた。

僅かに開いた隙間。皇帝は滑るように部屋に入った。そして、後を追う事を許さぬように扉が閉まる。

自動ロックのかかる音が、静かな廊下に響いた。

残されたキスリングは扉の前で立ち尽くした。只事ではない様子に表情が曇る。だが、いかに彼が気遣おうとも、退室されるのを待つ他に、なす術はなかった。

つづく…

最終回じゃないじゃないか!

すみません。まったく辿り着けず、途中挫折しました。そもそも考えてみればこの話自体、当初6話程度の予定…なのに今は15話……。オーバーし過ぎって(汗)

次回こそ最終話です。

(2003/7/2)

陽の光 闇の月 -最終話-

闇に閉ざされた執務室。

扉が閉まると同時に、背を凭れさせる。そして張っていた緊張を解こうと、深呼吸を一つ。

独り。やっと独りになれた―――。

自分の息遣いさえ聞こえてくるようで、冷え切った冷気が心地いい。

暗闇の中、朧気に見える机の輪郭。しばらくの間、見つめ続ける。

ドクドクと自分の鼓動が、やけにうるさい。

息を、吐いた。大きく、ゆっくりと。全てを諦めるように、そして振り切るように……。

静かに机に歩み寄る。手元を照らすだけの小さな明かりを灯す。指先が机の輪郭をなぞって、引き出しの暗証キーに触れた。

初めて気付いた、手の震え。纏わりつく寒さからでないことは、嫌と言うほど承知している。

引き出しの中、たった一枚の文書。

手に取って、文字を追った。

視界が、歪む。堪える限界を越えたのだろう。手の震えが紙に伝わり、強く握られて波打った。

「……すまない……」

睫毛を伏せた瞬間、ポタリと雫が落ちた。一度堰を切ると、雫は後から後から溢れ出し、頬に幾筋も跡を残していく。

手にした文書の上にも落ちた。所々、インクが滲む。

伏せた瞼が揺れて、美しい眉間に苦悩が刻まれた。

静かに息を吸い込んで、天を仰いだ。その刹那―――。

ビリビリを無残な音をたてて紙が二つに裂かれた。垣間見えた紙面には「ノイエ・ラントにかかる人事、厳重注意、……謹慎」の文字。

更にそれを重ねて破る。小さく小さく、手で裂く事が出来なくなるまで繰り返した。そしてその紙片をシュレッダーにかける。

吸い込まれて灰になっていく様を、ぼんやりと目で追った。

もう、二度と元には戻らない。込み上げる嗚咽に、口許を覆う。

「…う……くっ……」

もう、二度と……。

歪んだ視界のまま、机に着いた。

無地の公文書用紙を広げる。インク瓶の蓋を開けて、羽ペンを浸す。嗚咽で肩が揺れるせいか、ペン先と瓶が触れ合ってカチカチと音が響く。

手が、酷く震えていた。

何度も浸し直したペン先が、紙面を走る。

視界はますます歪んでいく。無地の紙面にもいくつか透明な染みを作りながら。それでもラインハルトはペンを走らせる。

いつもより字が、乱れていた。それでも綴り続ける。嗚咽の漏れる口許を手で覆って。紙面には「ノイエ・ラントにかかる人事」とある。先刻破り捨てたものの代わりだろうか。

ペンを置いた。

新しく書き上げた文書は、ひどく乱れた字だった。察しの良い秘書官なら、所々に滲んだものの跡に気付くかもしれない。けれど、今のラインハルトには、書き直す気力など全くなかった。

何度も読み返す。頭では納得していた。自分で決めた事なのだから、それも当然と言える。けれど心が、痛い。締め付けられて引き裂かれるほどに、痛む。

―――すまない、俺は逃げる。

両手で顔を覆った。込み上げる嗚咽が堪えられなかった。肩が大きく揺れて、涙で濡れた頬に、髪の毛が張り付いた。

―――今はただ、謝るし事しかできない。一方的に関係を絶つと決めておきながら、強引に求めたりして。そして今また、絶とうとしている。

ロイエンタール、俺は怖いのだ。お前に守られて、お前を頼って、弱く崩れ去ってしまうのが。このまま一緒にいると、間違いなくそうなりそうで恐ろしい。今まで奮い立たせて来た信念が、弱って霞んで消え去る。いつもお前が心の中にいて、お前の事ばかり考えてしまう。

それほど存在が大きくなった、と言うことだ。

まだ、俺は何も成しえてないと言うのに。そんなことが許されるはずかない。だから俺は逃げる。せめてキルヒアイスとの誓いを果たすまで、お前の傍にはいかない。

机に突っ伏して、重ねた手の甲に額を押しつけた。嗚咽は一向に収まる気配がない。暗い執務室で僅かに灯された明かりの下、皇帝は肩を震わせ続ける。

―――けれど俺は弱い人間。お前の顔を見ていると、いつかきっと今夜の様に求めてしまう。いくら絶とう誓っても、瞬時に揺らぎ去ってしまいそうで、怖い。

だから―――許してくれ……。離れよう。今度こそ距離を置いて。そして、彼との誓いを果たしたなら……。

その時は―――。

暗がりの中ラインハルトは、自らの両腕を抱き寄せた。ひたすら謝罪の言葉を繰り返し、涙を流す。

窓の外は白んで夜が明けようとしていた。

また一日が始まる。このハイネセンの復興と宇宙統一の戦いが。だから、夜が明けるまで、残された僅かな時間の今だけは……。

何者でもない一人の人として、傷ついた心のままにいたい。

ロイエンタール、本当にすまない―――。

3月19日。ロイエンタールに処分が下される日を迎える。

美術館の大広間、立ち並ぶ者それぞれが美術品のように見える。そして、一際輝く彫刻が公文書を手にした。

頭を垂れ、宣告を待つ臣下。

周囲は異様な緊張に包まれる。

皇帝は臣下を見ることが出来なかった。その意を察したのか、彼もまた視線を合わせることはなかった。

ただ、静かに時を待つ。

読み上げられる告示。

最初の言葉に、皆が息を呑む。読み上げられたのは、あの夜破られた告示書ではなく、同じ夜、ひどく乱れた字で書き直された方。

乱れた字とは裏腹に、力強く読み上げられる言葉。共に戦って来た僚友の栄達に、皆、喜びの表情が浮かぶ。

けれど臣下は複雑な思いでいた。これは何を意味するのだろうか、と。皇帝に次ぐ強大な権力を与えられ、新領土を任せられるとは。

ただの謝意の表れなのだろうか。それとも、他に意図があってのことなのだろうか。何れにしても皇帝の心中など、彼は知る由もなかった。

あの夜、言葉もなく去っていく人を送りながら誓った。愛するが故に正路に導くと。目の前で堕ちようとしている人を、正路に戻すと。そして―――。

ロイエンタールにしか出来ない、愛し方。

ロイエンタールにしか求めない、愛され方。

その答えをまだ見出してはいない。

告示が終わると、臣下は僚友の列に加わった。玉座では皇帝の声が響いている。たった一人残った敵を屈服させると、喚起している。

あの蒼氷色に輝く瞳で。

あの良く通る声で。

臣下は思う。これぞまさしく自分を捉えて放さなかった姿ではないか、と。この姿に恋し、この姿を手に入れたいと焦がれたのだと。

あの夜、黙って見送ったのは正しかった、そう納得して眩しい姿を見つめた。

二人は同じ光ではないか、と思う。

ラインハルトは強い支配者の陽。そしてロイエンタールは、暗い陰りを放つ月。だから二人は一緒にはいられない。陽が昇れば月は沈むのだから。両者が寄り添える事は決してない。

もしあるとすれば、こんな小さな宇宙などではなく、双方の光が合わさっても焼き尽くすものが存在しない、地の果てなのかもしれない。

破滅を招こうとも、廃頽しようとも誰はばかる事のない世界。

けれど今、二人がいるのはこの銀河系。築き上げたものを崩さぬように、微妙な均衡のもと生きていかなければならない。彼らを取り巻く環境が変わらないことを祈りながら。

後にメックリンガーが語っている。ふたりの人間の野心を、同時代に共存させるには、どうやら銀河系は狭すぎるらしい……と。

この発言に至った頃。まさに答えを見出した瞬間ではなかったかと思う。

彼にしかできぬ、愛し方。

それは即ち、戦いを好む獅子が敵を食い尽くした時、敢えて敵に身を堕とし、再び獅子を輝かせた。血に飢えた獅子に血を啜らせ、失いかけた光を取り戻させた。

そして、彼にしか求めぬ、愛し方。

結果として陥れられて反逆者の汚名を着ることとなったが、彼にしてみれば反逆の怒りよりも、血を与えてくれる喜びの方が勝っていただろう。あたたかな腕よりも、蕩けるような囁きよりも欲していたに違いない。

あの夜、ロイエンタールの寝室から逃げた結果が、後にこの結果をもたらすなど、この時まだ誰も知る由もない。だが、彼らは決して不幸ではなかったと思う。

彼らの許された範囲限界のところで、精一杯愛し合っていたのではないか、と。

互いを一番深く理解できたが故に、微妙な擦れ違いを生んだのではないか、と。

陽と月だった故に互いの光に焦がれ、陽と月だった故に寄り添うことを許されなかった。願わくば別の世界で、再び出会うことを祈りたい。

終わり

最終回を無事迎えました。

長い間お付き合いくださいまして本当にありがとうございました。今年の4月8日から連載を始めましたが、その間、以外にも黒金ファンの多さに驚かされました。

同士を得て気を良くしたばか者は、リンクサイトまで作ってしまう始末。呆れて苦笑いの日々でした。

思えば、黒金サイトって少ないですね。今回実感しました。

さて、この「陽の光 闇の月」は記述にもあったように、私にとって「二人は似ているようで全く正反対な者、尚且つ、決してまみえることが出来ないもの」という印象でした。だから太陽と月に例えさせてもらって、こんな題名になりました。

BGMはロイエンタールのテーマ曲(また勝手に……)Led ZeppelinのStairway to heavenという曲です。もしご存知の方がいらっしゃったら、是非ともバックで聴いて頂ければと思います。

最後に、卒倒ものの美イラをくださったテトラさま、ありがとうございました。

(2003/7/6)

馬鹿な私、余韻覚めやらず……エピローグ的別話を書きます。よろしければそちらもどーぞ(^^ゞ

エピローグ ― 白い華 -


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