妻の姪で昨年結婚したばかりの咲子さんが夫君と喧嘩をし、我が家に転がり込んできてから一週間が過ぎた。咲子さんは高校の数学教師で、私の娘は家庭教師代わりに咲子さんを頼りにし始め。
「お姉さん、離婚して家においでよ」
冗談交じりに甘えていた。咲子さんも咲子さんで。
「そうしちゃおうかな。ねえ叔父さん」
私を覗き込んで言うのである。私はぞくりととするようななまめかしさを感じた。
「もうじき永井さんが来るのよ。早くテーブルの上片付けてよ」
妻がキッチンから大声を出した。この数日何故か妻は苛立っていた。娘は私を見て首をすくめた。そろそろ更年期なのかも知れない、私は苦笑すると、
「私に任せて、叔父さん」
咲子さんは気を利かせ片づけを始めた。しばらくして永井が来た。永井は私の会社の部下で、急ぎの書類を届けに来たのだ。永井とは同じ町内のブランテッマ活動で娘とも親しかった。
書類の簡単な説明が終わると娘も永井の近くに座り込み、いつの間にかペットの話になった。咲子さんも猫が好きらしく、ビールを運んでくるとそのまま私の脇に座り永井の話に耳を傾けた。
「猫も人間と同じように気を遣うんですよ。実は僕の家には大きな黒トラがいたんです。隣の家には茶トラの子猫がいましたね」
永井はビールを飲みながらこんな話をした。
隣の猫が居座るようになると、隣の奥さんはその猫をお宅に上げますと言い出し、永井家は二匹の猫を飼うようになった。すると居候となった子猫は黒トラ2気兼ねをし、餌も決して先には食べなかったという。
ある時永井の母親が子猫を久の上にのせて可愛がっていると黒トラが外から帰ってきた。すると子猫は追い立てられたわけでもないのに膝から飛び降り、黒トラに母の膝を譲ったという。
「単なる偶然だろ」
私は言った。
「いえ。僕が抱いていても黒が来ると飛び降りて部屋の隅に行くんです。黒の大好物のアジの骨をやると、子猫は食べないんです。初めはアジが嫌いなんだと思ってたんです。」
「嫌いなんじゃなかったの?どうしてわかったの」
「ある時黒トラは車にひかれて死んじゃったんです。黒トラが帰ってこなくなると子猫はアジを喜んで食べたんです」
それを聞いて私は、
[それじゃ子猫が黒トラに遠慮して旨い物は食べないようにして至っていうわけかい?」
冷やかし半分に聞いた。
「そうとしか思えないです。だって家にいる時の子猫はいつも黒の後からついて行って、黒が食べ残したものだけを食べたんです」
「それは黒が怖かったからじゃないのかい」
「いいえ。怖ければ、元々隣の猫ですから隣に帰ればいいインです。思うに親分子分の関係が出来上がっていて、親分に気を遣っていたんです」
永井はいたって冷静な口調で言った。
「それからその猫、どうしたの」娘が聞くと。
「ええ、黒が居なくなってから子猫は、黒がしんだことが分からないので、毎日夕方玄関先に出て黒の帰りを待っていたんです。ところが、ある日、子猫も居なくなったんです。家族会議の結果、子猫は自分のせいで黒が家出をしたんだろうから、自分も家を出ようと思ったに違いない、という結論になったんです」