孩子和旅行
田山花袋
2026.8.6.
在明治四十四年元旦于上诹访温泉迎接新年。山上积雪映照着阳光,凛冽的寒风直透肌肤;在半冻的湖面上,那艘几天前还能通行的小汽船已被冰封。
昨晚深夜,我抵达此处。温泉的浴桶就位于从楼梯下走而来的路径上;昨晚及今晨,这里均无任何客人。我与随我一同前来、年仅十岁的男孩在浴池中嬉戏,共同在此逗留了较长时间。
“谁都没沸腾,怎么偏偏只有我这里能冒出这样的热水?”男孩睁大眼睛,神情似在思索。
池水清澈宜人,双手双脚都透着晶莹的光泽。男孩子们手持大浴桶,在水中游来游去;而昨天那漫长而令人乏味的乘车时光、那些令人头痛的无数隧道,似乎都被彻底抛在脑后了。
当日野春与小渊泽一同望着夕阳下熠熠生辉的红色富士山时,男孩脸上不禁露出一丝惊讶之色,始终没有从窗前移开视线。然而,山峦、积雪、山谷、城镇——这些景象,在年幼孩童的眼中,并未激起多少好奇。男孩心中,正满是对母亲的思念。
在炉灶上的台面上,我们摆放着茶碗和碗,开始拿起吃杂煮饭的筷子。父亲虽试图向孩子讲些讨他喜欢的话,但话锋总不知不觉地转向了大人的话题。
在乘坐汽车沿诹访湖畔行驶的过程中,从连绵的群山之间,可见深邃的碧色富士山。临近盐尻站时,日本阿尔卑斯山脉的连绵山峦时而晴朗,时而阴云密布,时而又被狂风裹挟的雪尘所笼罩。在车站前旅舍二楼的一间房内,正午温暖的阳光洒下,照得房间明亮;男子与孩童剥下的蜜柑果皮,零星地散落在炉灶周围。
木曾之谷积雪深厚。在该处及周边,随处可见载有石块的木板屋。我指着下方那根长长的冰柱,向我的孩子展示。在这个人们见惯一切、常于世间奔波的环境中,这位初次面对这般景象的男孩的心境,于我而言,蕴含着深意。
虽不解其意,却深谙其中奥妙。
那些想知道却无法知晓、亦未被了解的事物,除了静默观察之外,别无他法。
那个男孩始终静默地凝视着。无论山峦高耸,还是河流奔流,无论山谷在群山之间豁然开朗,即便旅店的女子抹上白粉、微笑着说出意味深长的话语……那个男孩依旧静默地注视着。
生活并非仅靠思考的生活,而是通过观察与倾听而构成的生活;正是从观察的视角、倾听的维度,种种现象才得以赋予其丰富的意义。
眼睛能看见便是好事;耳朵能听见便是好事;若耳朵已听不见,那么通过触摸来感知生命也至关重要。
子供と旅
田山花袋
明治四十四年の元日は上諏訪温泉で迎へた。山の雪に日が光つて、寒い風が肌に染み渡つた。半凍つた湖水には二三日前まで通つて居たといふ小蒸汽船が氷に閉ぢられて居た。
昨夜遅く此処に着いた。温泉の湯壺は階梯を下りて行つたところにあつた。昨夜も今朝も浴して居る客は一人もなかつた。私はつれて行つた取つて十歳になる男の児と戯れながら一緒に其処に長くつかつて居た。
『誰れも沸かす人がなくつて、独りでにこんなにお湯が出るの?』
男の児は目をるやうにして言つた。
綺麗な湯であつた。手も足も皆なすき透つて見えた。男の児は大きい湯壺をわが物にして泳いで廻つた。退屈した昨日の長い/\汽車、頭痛のする無数の隧道、それをも全く忘れたやうに見えた。
日野春と小淵沢の間で夕日に映つた赤い富士を見た時には、男の児は流石に驚いたやうな顔をして、窓から首を離さなかつた。しかし山や雪や谷や町や、さうしたものは、また稚いものゝ眼には余り多くの好奇心を惹かなかつた。男の児は矢張遠い母親のことを思つて居た。
火燵の上の板の上に、茶碗やお椀を並べて、私達はお雑煮の箸を取つた。父親は子供に気に入るやうな話を何彼として聞かせたが、いつかそれが大人に話すやうな調子になつて居た。
諏訪湖の縁を汽車の駛る間は、山と山の間から濃い碧の富士が見えた。塩尻駅に近いた頃には、日本アルプスの連山が或処は晴れ、或処は曇り、或処は吹雪に包まれたやうに見えた。停車場の前の旅籠屋の二階の一間には、午の暖かい日影が明るくさして、男の児の剥いた蜜柑の皮が火燵の周囲に二つ三つ散らばつて居た。
木曾の谷は雪が深かつた。石を載せた板家が其処にも此処にも見えた。長い氷柱の軒に下つて居るのを私は子供に指さして見せた。見ることの多い世の中考へることの多い世の中、それに初めて向つた男の児の心持が私には意味が深かつた。
解らない、しかし知り度い。
知りたい、しかし解らない知られないものは、黙つて見て居るより他に仕方がない。
男の児はいつも黙つて見て居る方であつた。山が聳えて居ても、川が流れて居ても、谷が山と山との間に開けて居ても、旅店の女が白粉をつけて笑つて打解けた言葉をかけても……
男の児は黙つて見て居た。
ライフは考へるライフよりも見るライフである。聞くライフである。見る処から、聞くところから、いろ/\な現象が、その意味を豊富にして行つた。
眼さへあれば好い。眼がつぶれたら、耳さへあれば好い。耳も聞えなくなつたら、触つてゞもライフが知りたい。