日大新監督に青葉昌幸氏が就任…箱根駅伝4度Vの77歳“大御所” 20年ぶり現場復帰
青叶昌幸就任日本大学新教练 箱根驿传接力赛4次优胜的77岁“泰斗” 时隔20年重回现场
今年の箱根駅伝で18位だった日大の新監督として、大東大の元監督で関東学生陸上競技連盟(関東学連)の前会長の青葉昌幸氏(77)が就任することが23日、分かった。箱根駅伝を主催する関東学連の会長まで務めた“大御所”が現場の第一線に復帰することは極めて異例。武者由幸監督(36)は退任し、大学の一般職員となる。
据23日消息报道,前大东文化大学教练,关东学生陆上竞技联盟(关东学联)的前会长青叶昌幸(77岁),将担任今年箱根驿传接力赛第18名的日本大学的新教练。主办箱根驿传接力赛的关东学联会长的“泰斗”重返现场第一线,这是极其罕见的。武者由幸教练(36岁)卸任,成为大学的普通职员。
箱根駅伝優勝12回(歴代3位)、出場89回(歴代2位)を誇る名門、日大で驚きの監督人事が断行された。今年の大会で18位に終わり、6年連続でシード権を逃した結果を受け、若手の武者監督が退任し、77歳の大ベテランの青葉氏が新監督に就く。日大出身の青葉氏は卒業後、25歳の若さで大東大の監督に就任し、新興チームを強豪に育て上げた。箱根駅伝5区で4年連続区間賞の大久保初男、1996年アトランタ五輪マラソン代表の実井謙二郎ら多くの名選手を育成し、箱根駅伝で4度も優勝した。
箱根驿传接力赛优胜12次(历届第3名)、出场89次(历届第2名)的名门日本大学实行了令人震惊的教练人事变动。今年的接力赛以18名结束,连续6年丢失种子资格后,年轻的武者教练卸任,77岁的老将青叶担任新教练。日本大学出身的青叶毕业后,才25岁就担任大东文化大学的教练,把新兴队伍培养成了首屈一指的强队。在箱根驿传接力赛5区培养了连续4年获得区间赏的大久保初男,1996年亚特兰大奥运会马拉松代表的实井谦二郎等众多名选手,在箱根驿传接力赛中获得了4次优胜。
2000年に大東大監督を退いた後、関東学連の会長、名誉会長など要職を歴任。指導現場の復帰は実に20年ぶりとなる。埼玉・東松山市内の大東大選手寮の近隣に自宅がある青葉氏は、東京・稲城市の日大選手寮で60歳近く年下の学生と共に暮らすという。「あの年齢で、まだ、現場で戦おうという姿勢はすごい、というしかない」と青葉氏をよく知る関係者は感嘆の声を漏らす。
2000年卸任大东文化大学教练后,历任关东学联会长、名誉会长等要职。再次回到指导现场实际已经隔了20年。据说家在埼玉東松山市的大东文化大学选手宿舍附近的青叶,会和比自己小60岁左右的学生一起住在东京稻城市的日本大学选手宿舍。熟悉青叶的相关人士感叹道,“那个年纪,还想在现场战斗的姿态真是太厉害了。”
新型コロナウイルス感染拡大の影響で他大学と同様に日大も活動自粛中。厳しい状況の中で“超大御所”の手腕が注目される。
受新型冠状病毒感染扩大的影响,日本大学也和其他大学一样停止活动。在严峻的状况下,“大泰斗”的手腕备受瞩目。
◆青葉 昌幸(あおば・よしゆき)1942年6月16日、埼玉・大田村(現秩父市)生まれ。77歳。秩父農工高(現秩父農工科学高)入学と同時に陸上を始める。3年時に同校初の全国高校駅伝出場に貢献。61年に卒業後、秩父鉄道に就職。62年、日大に入学。箱根駅伝は4年時の66年大会で1区3位。卒業後は埼玉県庁に。68年~2000年まで大東大監督。箱根駅伝優勝4回(75、76、90、91年)。90年度は史上初の大学駅伝3冠を達成した。07~16年、関東学生陸上競技連盟会長を務めた。
◆青叶昌幸,1942年6月16日出生在埼玉大田村(现在的秩父市)。77岁。入读秩父农工高(现在的秩父农工科学高)开始田径运动。3年级时为该校首次参加全国高中驿传接力赛做了贡献。61年毕业后就职于秩父铁道。62年入读日本大学。箱根驿传接力赛在4年级时的66年大赛上获得1区第3名。毕业后去了埼玉县厅。68年~2000年期间担任大东文化大学教练。箱根驿传接力赛获得4次优胜(75、76、90、91年)。90年达成了史上首次的全日本大学接力赛3冠。07~16年担任关东学生陆上竞技联盟会长。