各位听众小伙伴大家晚上好~
佐贺的超级阿嬷驾到!
今天又会发生什么有趣的事情呢?
快来听 みちこ主播 娓娓道来~
(此处需要掌声papapa~)
佐贺的超级阿嬷
故事讲述了在8岁那年,小主人公德永昭广离开家乡广岛,来到佐贺的乡下老家。这里没有玩具,这里没有朋友,甚至连送他来的妈妈也转身离开,迎接德永昭广的只有低矮破旧的房屋,以及独立抚养了七个儿女的超级阿嬷。刚来阿嬷家的德永昭广无法适应这里的寒酸生活,但随着时光的流逝,德永昭广渐渐体味到了与阿嬷在一起生活所得到的幸福。
——岛田洋子
02
そんな訳で、俺にはとうちゃんの思い出はなにもない。本当に小さい頃、誰かに「行ってらっしゃい」と手を振った記憶があるのだが、とうちゃんがずっと入院していたというのなら、それはとうちゃんではなかったのだろう。母親の姉妹の家に転々と預けられていた時期があったそうだから、その家のご主人に手を振っていたのかもしれない。
因为这个缘故,我对父亲毫无印象。我似乎记得,很小的时候,曾向某个人挥手说:"早点回来哦。"如果父亲一直住院的话,那个人就肯定不是父亲。因为我曾经辗转寄居于几个姨妈家里,或许是跟某位姨丈在挥手。
いずれにせよ、俺の記憶がある程度鮮明になるのは、小学校へ上がる少し前で、その時には、俺の世界のすべては、かあちゃんで占められていた。かあちゃんは、とうちゃんに死に別れてから、広島で居酒屋をやって俺と兄ちゃんを養っていた。元々、とうちゃんとかあちゃんが暮らしていた家のあったところで店を始めたのだが、そこは原爆ドームのすぐ側で、原爆で無茶苦茶にされた後だったので、ほとんどスラム街というような状況だった。みんなが、てんで勝手に露天を出して、いろんな店がひしめき合っていた。
不论如何,我开始有比较鲜明的记忆,大概是在上小学前不久,那时我的世界已全被母亲占满了。母亲在父亲去世之后,在广岛开了家小酒馆,抚养我和哥哥。店就开在父母以前居住的屋子里,就在原子弹爆炸纪念馆的旁边。广岛当时遭到原子弹炸后不久,市区几乎像一个大贫民窟。每一户都擅自占地,摆摊开店,到处挤满了各式各样的店铺。
家を店にしたので、俺たちの住まいは、近くに借りた六畳一間のアパートだった。そこで兄ちゃんとふたり、毎日、留守番をするのだが、とにかく俺はまだちっちゃかったし、かあちゃんが恋しくて恋しくて、たまらなかった。かあちゃんを待つ夜は、とてつもなく長くて、寂しくて、泣いては兄ちゃんを困らせていた。
母亲以家为店,我们只好租住附近一间只有六个榻榻米大的小屋。我和哥哥每天留在小屋看家,可是我年龄太小,非常依恋母亲,常常想她,想着想着,就会忍不住哭起来。等待母亲回家的夜晚总是无尽漫长,我一直寂寞地哭,让哥哥很心烦。
泣いていると、アパートの大家のおばちゃんがやって来て、「泣いたらダメよ」と、膝に乗せて頭をなでてくれたことを覚えている。あの頃は、大家さんと言えば、貸している家の人の事情をよく知っているものだった。家族構成はもちろん、収入から借金まで、誰よりも把握していたのだ。だから、おばちゃんも俺の家の事情をよく知っていて、俺をあやしに来てくれたのだろう。
记得我一哭,房东大婶就过来哄我说:"不要哭了啊!"说着,把我抱在膝盖上,抚摸我的脑袋。那时候的房东都很清楚房客家里的情况。不仅对家庭成员了如指掌,连收入、欠债甚至比房客本人还清楚。大婶也很清楚我们家的情况,经常照顾我。
けれど、家の中でピーピー泣いているうちは、まだ近所迷惑程度で済んだ。困ったことに、小学校に入る頃になると、俺はチョロチョロと夜中に家を抜け出しては、かあちゃんの店に出かけて行くようになったのだ。さっきも書いたように周りはスラム街である。そんなところを、ちっこい俺がチョロチョロやって来るのだから、かあちゃんも心配でたまったもんじゃない。多分、その頃から俺には秘密で、かあちゃんたちの計画が進められていたのだと思う。しかし、もちろん俺はそんなことは何もしらなかった。
在家里呜呜哭,顶多吵到邻居,也就罢了。麻烦的是,上了小学后,我会半夜三更溜出小屋,一溜烟地跑到母亲的店里。那一带如同贫民窟。小小的我嗖嗖地跑到店里,让母亲担心得不得了。大概就从那时候起,母亲瞒着我盘算了某个计划。我当然一无所知。
小学校二年生になったある日だった。かあちゃんの妹だという「喜佐子おばちゃん」が佐賀から遊びにやって来た。妹というだけあって、かあちゃんによく似た人で、忙しいかあちゃんに代わって、あちこち連れて行ってくれたり、時には膝枕で耳かきまでしてくれる。
小学二年级的某一天。母亲的妹妹喜佐子姨妈从佐贺来我家玩。她长得很像母亲,代替忙碌的母亲带我四处转悠,有时候还让我枕在她的膝盖上,给我掏耳朵。
本期主播
主播/みちこ
小编/小小铭
责编/日语之声
栏目/佐贺的超级阿嬷