1中国
上巳节简介
上巳(sì)节,俗称三月三,汉民族传统节日,该节日在汉代以前定为三月上旬的巳日,后来固定在夏历三月初三。
传统的上巳节在农历三月的第一个巳日,也是祓禊的日子,即春浴日。上巳节又称女儿节。
古时以三月第一个巳日为“上巳”,汉代定为节日。
子路、曾晳、冉有、公西华侍坐。子曰:“以吾一日长乎尔,毋吾以也。居则曰:‘不吾知也!’如或知尔,则何以哉?”
子路率尔而对曰:“千乘之国,摄乎大国之间,加之以师旅,因之以饥馑;由也为之,比及三年,可使有勇,且知方也。”
夫子哂之。
“求,尔何知?”
对曰:“方六七十,如五六十,求也为之,比及三年,可使足民。如其礼乐,以俟君子。”
“赤,尔何如?”
对曰:“非曰能之,愿学焉。宗庙之事,如会同,端章甫,愿为小相焉。”
“点,尔何如?”
鼓瑟希,铿尔,舍瑟而作,对曰:“异乎三子者之撰。”
子曰:“何伤乎?亦各言其志也!”
曰:“莫春者,春服既成,冠者五六人,童子六七人,浴乎沂,风乎舞雩,咏而归。”
夫子喟然叹曰:“吾与点也!”
三子者出,曾晳后。曾晳曰:“夫三子者之言何如?”
子曰:“亦各言其志也已矣!”
曰:“夫子何哂由也?”
曰:“为国以礼,其言不让,是故哂之。唯求则非邦也与?安见方六七十如五六十而非邦也者?唯赤则非邦也与?宗庙会同,非诸侯而何?赤也为之小,孰能为之大?”
——《子路、曾皙、冉有、公西华侍坐》
兰亭集序 / 王羲之
永和九年,岁在癸丑,暮春之初,会于会稽山阴之兰亭,修禊事也。群贤毕至,少长咸集。此地有崇山峻岭,茂林修竹;又有清流激湍,映带左右,引以为流觞曲水,列坐其次。虽无丝竹管弦之盛,一觞一咏,亦足以畅叙幽情。是日也,天朗气清,惠风和畅,仰观宇宙之大,俯察品类之盛,所以游目骋怀,足以极视听之娱,信可乐也。
夫人之相与,俯仰一世,或取诸怀抱,悟言一室之内;或因寄所托,放浪形骸之外。虽趣舍万殊,静躁不同,当其欣于所遇,暂得于己,快然自足,不知老之将至。及其所之既倦,情随事迁,感慨系之矣。向之所欣,俯仰之间,已为陈迹,犹不能不以之兴怀。况修短随化,终期于尽。古人云:“死生亦大矣。”岂不痛哉!(不知老之将至 一作:曾不知老之将至)
每览昔人兴感之由,若合一契,未尝不临文嗟悼,不能喻之于怀。固知一死生为虚诞,齐彭殇为妄作。后之视今,亦犹今之视昔。悲夫!故列叙时人,录其所述,虽世殊事异,所以兴怀,其致一也。后之览者,亦将有感于斯文。
诗词世界详细介绍
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2日本
由中国传过去的三月三,在日本更显得隆重。他们称之为女儿节,桃花节。
詳細については
https://sanpomiti.com/why-march-3-hinamatsuri/
1 ひな祭りはなぜ3月3日?
2 ひな祭りの由来・歴史
3 雛人形を早く片付けなければいけない理由
4 ひな祭りの意味を子供に教えよう
4.1 ひな祭りの絵本
5 まとめ
5.1 併せてこちらもどうぞ
概要
3月3日といえば、ひな人形を飾ってお祝いをする、ひな祭りですよね。
女の子のお祝いと言われています。
でも、昔の人は女の子だけの日ではなかったんですよ。
男女関係なく、大人も子供も、自分の内にある厄を落とすための日でした。
では、ひな祭りは何故3月3日なのかご存知でしたか?
今回は、ひな祭りの由来や歴史等、子供でも理解できる説明をご紹介いたします。
3月3日の上巳の節句は、旧暦の3月が桃の咲く時期だったので、桃の節句と言われるようになりました。
桃は中国で昔から邪気を祓う聖なる果物とされていました。
日本でも、古事記でイザナギノミコトが、黄泉の国からの追っ手を振り切ろうと桃を投げたり、桃から生まれた桃太郎が鬼退治をしたりと、桃の逸話がたくさんあります。
ひな祭りの由来・歴史
昔の中国では、上巳の節句に、川で身を清めて、邪気を祓うという習慣がありました。
このことが日本に伝来した時に、人形に自分の災いを込めて、川に流すようになりました。
昔から人形は「形代」というお払いの時にその人の代わりに使われたりしていたのです。
災いの代わりとして流された人形は、今のような素敵なひな人形ではなく、草や藁、紙等で作られた素朴な物でした。
現代でも「流しびな」という行事があります。
流しびなは、源氏物語の須磨の巻にも出てくるんですよ。
光源氏がお祓いをした人形(形代)を船に乗せて、須磨の海に流すという場面があります。
それとは別に、同時代の平安時代、貴族のお姫様たちの間で「ひいな遊び」という、お人形遊びが流行っていました。
また、古代の中国では上巳の節会では、桃の花を飾ったり、桃の花を浮かべたお酒を飲んだりしていました。
川に藁人形を流して邪気を払う行事と「ひいな遊び」、中国の上巳の節会。
この2つの人形つながりと桃の宴がいつの頃からか、合わさって「ひな祭り」になったと言われています。
ひな人形は時代とともに、華やかで豪華な人形になっていきました。
大きなひな壇の上で、豪華で愛らしいお姫様やお殿様、家来たちや華やかで細かい細工の小物は、庶民の憧れになりました。
お金持ちは、愛娘の幸せと権力を見せつけるために、より大きくて豪華なひな人形を作らせました。
現代は住宅事情もあって、うちにあるおひな様も一段の小さな物です。
でもよそのお宅で大きな七段飾りを見させてもらうと、やっぱり「おおーっ」と思いますね。
ちょっと話がずれました。
ひな祭りは、元々全ての人の災いを祓い、健康を願う日だったのです。
ですが、「ひいな遊び」と合わさった関係もあり、いつの間にか、女の子の日として認識されるようになったということです。
……
ベッツィ
2018.4.18