说云之种种 幸田露伴

关于作者:幸田露伴(こうだ ろはん,1867年7月23日—1947年6月30日),日本小说家,本名为幸田成行,别号蜗牛庵。出生于日本江户(今东京) 。幸田露伴以《五重塔》和《命运》等作品确立了在文坛的地位。东京英学校(青山学院大学的前身)肄业。他从小受到中日古典文学的熏陶,学识渊博,文学造诣颇深,与尾崎红叶、坪内逍遥、森鸥外等人齐名,这一时期在日本文学史上被称为红露逍鸥时期。1937年获日本政府颁发的第一届文化勋章。

翻译:王志镐

夜云

夏秋之交,夜里可见美丽无比的云,都市人却多不加关注。乘船过海时,天黑水暗,星月之光不泄,浪打船舷,青白骚动,洋面之上,令人忐忑不安。半夜三更,友人远离之时,独立于船舱之上,迎着扑面海风,任凭海浪频频打湿衣襟,吟诗以遣不眠之旅情。闪电忽起,水天一色,骇人电光使海天齐明。千叠万叠,浪头如白银之簪,辉煌涌起,如怪岩,如野兽,如高山,如鬼神,耸立天空。蟠卷之云,皆镶嵌金黄色花边,久久呈现肃穆之状,使人见之惊讶不已,此云真是美不可言。

夜の雲

夏より秋にかけての夜、美しさいふばかり無き雲を見ることあり。都会の人多くは心づかぬなるべし。舟に乗りて灘を行く折、天(そら)暗く水黒くして月星の光り洩れず、舷を打つ浪のみ青白く騒立(さわだ)ちて心細く覚ゆる沖中に、夜は丑三つともおもはるゝ頃、艙上に独り立つて海風の面を吹くがまゝ衣袂(いべい)湿りて重きをも問はず、寝られぬ旅の情を遣らんと詩など吟ずる時、いなづま忽として起りて、水天一斉に凄じき色に明るくなり、千畳万畳の濤の頭は白銀の簪(かざし)したる如く輝き立つかと見れば、怪しき岩の如く獣の如く山の如く鬼の如く空に峙(そばだ)ち蟠(わだか)まり居し雲の、皆黄金色の笹縁(さゝべり)つけて、いとおごそかに、人の眼を驚かしたる、云はんかたなく美し。


雨后云

雨后云之美,只有山上可见。居住低矮山上,无此效果。座座名山,尽收眼前脚下。夏日黄昏,微风拂面之时,望溪谷远近,观云之往来,令人兴起。前山翠色倍增,多见原野风情之处,看起来像是一城郭之山村寺庙。密密白云,乘风疾走,翱翔于空中。各自形状,似龙似虎,如布一般飘扬,如伞一般张合,变幻无常。侵蚀山麓,覆盖原野,将山村吞吐。前者刚爬行而去,后者又如飞而来,百看不厌。小山峰峦伫立,远望松林如马鬃展现,金字塔之山巅于云中时隐时现,见其在心中未曾料到之目标露出面容,尤为有趣。

雨後の雲

雨後の雲の美しさは山にてこそ見るべけれ。低き山に居たらんには猶甲斐なかるべし。名ある山々をも眼の前脚の下に見るほどの山に在りて、夏の日の夕など、風少しある時、谿に望みて遠近(をちこち)の雲の往来(ゆきき)を観る、いと興あり。前山の色の翠ひとしほ増して裾野の風情も見どころ多く、一郭(ひとくるわ)なせる山村の寺などそれかとも見ゆるに、濃く白き雲の、足疾く風に乗りて空に翔くるが、自己(おのれ)の形をも且つ龍の如く且つ虎の如く、飜(ひるがへ)りたる布の如く、張りたる傘の如くさま/″\に変へつゝ、山を蝕(むしば)み、裾野を被(おほ)ひ、山村を呑みつ吐きつして、前なるは這ふやうに去るかと見れば、後なるは飛ぶ如くに来りなんどする状(さま)、観て飽くといふことを覚えず。小山の峰通(みねどほ)り立てる松の並木の遠見には馬の鬣のやうなるが現はれつ隠れつする、金字形したる山の嶺の、心あてに見しあたりならぬところに突として面出す、ことにおもしろし。

坂东太郎云

记得丹波太郎曾出现在西鹤之文中,坂东太郎未曾在古人之文中展现其风情乎?云亦有为人知与为人不知之处乎?坂东太郎在东京之夏日多见,实为可怕之云。傍晚雨即将来临之时,遮盖半边天空,如十万大军占领原野,黑压压地一动不动,却觉察其中含风,眼看就要风雨飘摇之势,简直就像打了败仗之后的将士,期待着必死的结果,在一派寂静之中,饱含着抑制不住的勃勃杀气。云天横行,须臾风簌簌吹过,倾盆大雨骤然而下。在暴风雨的天气,此云一出,其可怕无物可比,其变幻之状,与其他云不同。如千里秋水浸犯,展现宏伟壮丽之情趣,为懦弱儿女爱之不能也。在东京市中观察之中,除了此云风情之外,壮观快慰之感甚少。

坂東太郎

丹波太郎は西鶴の文に出でたりと覚えたり、坂東太郎は未だ古人の文に其風情をしるされざるにや、雲にも人に知らるゝ知られざるのあるもをかし。坂東太郎は東京にて夏の日など見ゆる恐ろしげなる雲なり。夕立雨の今や来たらんといふやうなる時、天の半(なかば)を一面に蔽ひて、十万の大兵野を占めたる如く動かすべくもあらぬさまに黒みわたり、しかも其中に風を含みたりと覚しく、今や動(ゆる)ぎ出さんとする風情、まことに一敗の後の将卒必死を期してこと/″\く静まりかへつたるが中に勃々として抑ふべからざる殺気を含めるが如し。此雲天に瀰(はびこ)るとやがて、風ざわ/\と吹き下し、雨どつと落ちかゝり来るならひにて、あらしめきたる空合に此雲の出でたる、また無く物すさまじく、をかしき形などある雲とは異りて、秋水の千里を浸し犯す如く出で来れる宏壮の趣きありて、心弱き児女の愛する能はざるものなり。東京の市中(まちなか)にて眼にするものの中、此雲の風情など除きては、壮快なるものいと少かるべし。


蝴蝶云

风吹之时,分散的不大的白色云朵,也有灰色的云朵,如蝴蝶般的翩翩随风飞舞而行。这就是有趣的蝴蝶云。

蝶々雲

風吹く時、はなれ/″\になりたる大きからぬ雲の色白き、あるは薄黒きが、蝶などの如くひら/\と風下へ舞ひつ飛びつして行くあり。これを蝶々雲とは、面白くも名づけたるものかな。


野猪云

蝴蝶云见诸古歌,不知是否。野猪云见诸于仲正之歌。夏秋之夜,雨过天晴,一块云朵,如野猪又肥又圆,行走于月之畔,人皆知之,此乃风情犹存之云也。歌曰:“碧空万里月光明,时聚时散野猪云飞。”颇具情趣。传播野猪云之名,功在此歌耶?

ゐのこ雲

蝶々雲は古き歌に見えたりや否や知らず、ゐのこ雲といへるは仲正の歌に見えたり。夏の夜秋の夜など、雨もたぬ空の晴れたるに、ひとかたまりの雲のゐのこの如く丸く肥えて見ゆるが、月のあたり走り行くは人々の知るところなるが、これもまた風情ある雲なり。「空払ふ月の光におひにけり走りちりぬるゐのこ雲かな」とよめる歌は、おもしろしとも思へねど、ゐのこ雲といふ名を伝へたる功は此歌にあるべきにや。


水云

慈镇和尚歌曰:“未晴水云月,空濛雨夜长。”水云究竟指何种云,久久疑之。据全流兵书载,为雨云之一种,成分散鱼鳞状,遍布空中。”我想,此非水增云之义否?古代歌人之言不容忽视。比起今人勤勤恳恳,用心构筑,森罗万象,于我等想象不到之处,用之于歌之题材。

みづまさ雲

慈鎭和尚の歌に、「まだ晴れぬ水まさ雲にもる月を空しく雨の夜はやおもはん」といへるがあり。水まさ雲は如何なる雲をさすにやと久しく思ひ疑ひ居けるに、全流の兵書に、雨雲の一種にて、はなればなれに魚の鱗のならべるやうに空に布くものなり、とありたるにて、さては水増雲の義なるべしなど思ひぬ。古(いにしへ)の歌人はあなどり難し。なか/\に今の人などより森羅万象に心をつくることまめやかにて、我等が思ひも寄らぬあたりのものをも歌の材として用ゐ居るなり。


望云楼云

东坡望云楼诗云:“阴晴朝暮几回新,已向虚空付此身,出本无心归亦好,白云还似望云人。”果然不无情趣。似乎有其用心,然而白云是否点头,则无觉察。

望雲楼

東坡が望雲楼の詩に、陰晴朝暮幾回新、已向虚空付此身、出本無心帰亦好、白雲還似望雲人、といへる、さすがにをかしからぬにはあらねど、なほ下の心のあるやうにて、白雲点頭すべきや否や覚束無し。


寂莲云

“风吹有云似无云,大空飘荡人世间。”寂莲法师之歌颇有意味。云之虚幻,为世间之不可信赖之物,此乃人所皆知。可是几次三番吟咏美妙之歌的话,现在才能切身体会到云之无常,人世间之无助。以“风吹”起句,已情趣满储,继而“有云似无云”一句,既新颖,又妥帖,而且所用语言,将人心引向幽玄之境。然后以“大空”一词拈出其广大,“飘荡”如人世间,可怜之悲伤长叹,缠结在哀情之上。对于此歌,谁能无动于衷,或恶语相向?心静吟唱三遍,人们心中便油然涌出一种“厌弃”之念,纷纷舍弃名利之境,回归寂静之土。


寂蓮の雲の歌

「風にちるありなし雲の大空にたゞよふほどや此世なるらん」といへる寂蓮法師の歌こそおもしろけれ。雲のはかなき、此世のたのみなきは知れわたりたる事なれど、かく美しく歌ひ出されたるを二度三度吟じかへせば、また今さらに、雲のはかなさ、此世のたのみなさを身にしみて覚ゆるなり。風に散ると云ひ起したる既にいとあはれなるに、ありなし雲のと、めづらしくておだやかなる、しかも人の心を幽玄なる境にひきこむやうなる言葉を用ゐて、さて其後に、大空にと、広大なるものを拈出し、たゞよふほどや此世なるらんと、あはれに悲しき長歎のおもひの上に結びとゞめたる、誰か感無しと此歌に対ひて云ひ罵り得ん。心しづかに三たびも唱ふれば、紛々たる名利の境を捨てゝ寂静の土に往かんと願ふ厭欣(をんぐ)の念、油然として湧き出づるを覚ゆるなり。


沙丁鱼云

所谓沙丁鱼云,即如沙丁鱼群般相连,布满空中的云。虽多见于晴日之夕暮,却也含着水汽。看起来与水云相同。“芝浦渔人忘打网,沙丁鱼云月月厌。”这样的狂歌,是天明时代的人所咏。几乎半片蓝天布满了这种相连的白云,即美又充满风情。儿童手指此云,即预兆沙丁鱼丰收。

いわしぐも

鰯雲といふは、鰯などの群るゝ如く点々相連(あひつらな)りて空に瀰るものを云ふなり。晴れたる日の夕暮など多く見ゆるなるが、雨気を含むものにや。さては水まさ雲と同じかるべし。「芝浦の漁人も網を打忘れ月には厭ふいわし雲かな」といへる狂歌、天明頃の人の咏にあり。青き空の半ほど此雲白くつらなりて瀰(わた)れる、風情ありて美はし。童児などは、此雲を指さして、鰯の取るゝ兆なりといふもまたをかし。


旗云

说起旗云,准确地说此云之名或不妥。在信实的歌中,所说的是像傍晚下雷阵雨时,照例出现的威风凛凛的云。在后鸟羽院的御歌中,指如玉的美丽黄昏之云。“龙王旗云融落日,今宵月夜又辉煌。”天智天皇的御歌中第一次见到这种云,歌中只是指旗状的傍晚之云。云状如旗者见之多多,旗云之称谓如今已无。

とよはた雲

とよはた雲とは、しかと雲の名にはあらぬなるべし。信實の歌にては、夕立する頃の例のいかめしき雲を云へるが如く、後鳥羽院の御歌にては、たゞ美しき夕の雲をさし玉へるが如し。「わだつみのとよはた雲に入日さしこよひの月夜あきらけくこそ」といへる天智天皇の御歌に見えたるがはじめなるに、御歌にては、旗の形なせるやうの夕の雲を云ひたまへるのみなり。雲の旗の如く見ゆることは多し、旗雲といふ語は今無きやうなり。


细卷云

如白布一般显眼,平静地布满天空之云。大抵见此云时,天空碧蓝,风平浪静,景色秀美。如毛刷般淡白色的云彩横贯天空。我曾问老人此云何名?却无答案。听说此云一出,即预兆有好天气。看了海贼王第一能岛家的兵书,才知道有细卷云之说。名称虽好,应为歌所用吧?

ほそまひ雲

布を引きたるやうに白くおだやかに空にわたる雲あり。大抵此雲見ゆる時は、空青く澄みて色美しく凪ぎわたりたるに、刷毛にてひきたる如く淡く白く天に横たはるなり。これを何といふ名の雲ぞと折ふし老人などに問ひたれど教へ呉るゝ人も無く、彼(か)の雲出づるは天気よき兆なりと云ひしを聞きたるのみなりしに、海賊衆の一なる能島家の兵書によりて、ほそまひ雲といふものなりと知りぬ。名もゆかし、歌などにも用ゐ得べきか。


翻云覆雨

“ 翻手为云,覆手为雨。”这是人所熟知的“贫交行”中的句子,意思是说复无常。在中国的不良小说中,多用为形容“荒唐古怪”的套语。根据原来的意思,形容人美不应该用“沉鱼落雁”之类的话,用作形容美的套语,即为谬误。

翻雲覆雨

翻手為雲覆手雨とは人も知りたる貧交行の中の句にして、句意はたゞ反覆常ならぬことを云ひたるまでなるに、支那の悪小説などには怪しからぬことを形容する套語として用ゐられたるが多し。もとの意義人の美を形容したるにはあらざるべき沈魚落雁などいふ語の、美を形容する套語となれる如く、いとをかしき誤謬(あやまり)なり。

云之去向

云往东,车马通,云往西,马溅泥,云往南,水潭涨,云往北,麦好晒。这是中国的农谚。和歌中也有“云往东,雨霏霏”之说,还有“若雨北天云叆叇,望君他处多瞭望。”“夕云北行遮大空,如此看来雨霏霏。”如果说因地而异,因时而异,不过虽有差别,道理相同。如果细细想来,难免有浅薄之心想得太多,非要分出孰是孰非。也有这样的俗谚:“云往南,雨漂漂。云往北,老鸛寻河哭。云往西,雨没犁。云往东,没尘埃老翁。彼亦不谬,此亦不谬。我邦俗书上有“朝见西北方向黑云必雨。青云遮北斗有大雨。”之说。一般来说,我邦不会有“好晒麦”、“老鸛寻河哭”之类的事情。语易译,意难达,有关事例颇多。前所提到的光俊之歌,如译给中国村老野人看,恐怕会被笑掉大牙。

雲の行くかた

雲東に行けば車馬通じ、雲西に行けば馬泥を濺ぎ、雲南に行けば水潭に漲り、雲北に行けば麦を晒すに好し、と支那にては云ひならはしたるに、雲北に行けば雨ふるもののやう歌へる和歌のあるもをかし。「雨ふれば北にたなびく天雲を君によそへてながめつるかな」、「北へ行く夕の雲の大空にかさなるみれば雨はふりつゝ」などいへる、地異なり時異なれば、たがひあるべき道理ながら、思ひくらぶれば、如何にも那方(いづれ)かいつはりなるべきやう浅まなる心には思はるゝを免れず。雲南に向へば雨漂漂、雲北に向へば老鸛河を尋ねて哭し、雲西に向へば雨犁を没し、雲東へ向へば塵埃老翁を没す、といへる俗諺もある由なれば、彼もいつはらず、これもいつはらざるなるべし。我が邦の俗書に、朝に西北の方に黒雲見ゆるは雨なり、といひ、青き雲北斗を蔽へば大雨なり、などいへるあるを見れば、おしなべて我が邦にては、麦を晒すに好しといひ、老鸛河を尋ねて哭すというやうなる事は、云ひ得ざるにや。語を訳すことの易くして意を伝ふる事の難きは、かゝる事の多ければなり。前にあげたる光俊の歌を訳して支那の村老野人に示さんには、恐らくは嘲(あざ)み笑はれん。

南行云

在东京,云南行,多火灾。从明历三年至明治十四年期间,曾发生过九十三次大火。其中除二十二、三次,都发生在云朝南而行,或者朝东南、东西方向而行的时候。冬天多吹北风,火灾多发生在冬天,也就不足为怪。说起东京的大火,真是令人担心,火光映照北行之云,如红霞满天。若无其他缘故挥笔记之,老人见了,岂不苦矣?若能如愿,不失为诚实之举。

南へ行く雲

東京にては雲の南へ行く時火災多し。明暦三年より明治十四年までの間に大火九十三度ありて、中二十二三度のほかは、雲南の方へ走り、若くは南東南東西の方へ走りたる時なり。冬は多く北風吹き、火のあやまちは冬多きものなれば、怪むべくもあらぬ事ながら、東京の大火を叙せんとて、心も無く、北へ行く雲に火の色うつりて天は紅霞のわたれるが如し、など別の故も無きに筆を舞はして記さば、如何に見苦しきものに老いたる人などの見なさん。心せでは叶ふまじきことなり。

徘徊云

风力弱,云行稍迟。天犹黑,可见星光闪烁,此景多见于雨后。此时,云既不得行,亦不得停,游弋不定。因有星月之光,看起来相形见绌。谓之十六夜晚之云也未尝不可。若称徘徊云,弥漫云,踌躇云则兴趣全无。歌曰:“徘徊云间见星星,村落云空。”此歌唱云之徘徊,颇有趣味。我想对伊势歌人来说,有关的话是有效的,但比起有效来,说过的话所不具备之价值也弥足珍贵。语言文雅极好,语言的确切与实际结合,更好。

たぢろぐ雲

風の力おとろへ、雲の行くこと少し遅くなりて、天の猶黒きが中より星などきら/\と見ゆること、雨の後などにはあるものなり。さる折の雲の得行きもせず、遏(とゞ)まるといふにもあらで、たゆたふやうなるが、月星などの光あるに気圧(けお)さるゝかとも見ゆるさまなるを、たゞ、いざよふ雲と云はんもをかしからず、たゞよふ雲、たちまよふ雲、行きまよふ雲など云はんも興無し。「はれぬるかたぢろぐ雲の絶間より星見えそむる村雲の空」といへる歌に、たぢろぐ雲といへるはいとおもしろし。ゑせ歌人(うたびと)は、かゝる言葉のはたらきあるはたらきよりは、猶ふるき言葉のあたひ無きあたひを尊むべきものと思へるなるべし。言葉のやすらかなるは極めてよし、言葉の確(しか)と実際に協(かな)ひたるは、ひときはよきなり。

驱云

使用汉语与使用日语尽管不一样,但同样有趣。如“灼然驱云如见白日”这句话的“驱云”两字,为我邦歌中所难以见到。“拂”字比起“驱”字较弱,而且无趣。

雲を駆る

支那の言葉づかひには、また我が邦のと異りたるおもしろみあるにや。灼然として雲を駆って白日を見る如し、といふ語の駆雲の二字の如きは、我が邦の歌の中には見がたきものなるべし。はらふといふにては駆るといふより弱くしておもしろからぬなり。

徒云

“月前时雨刚过去,徒云飘飘秋山风。”此歌为慈镇和尚所咏,不足挂齿。妙的是“徒云”一词。所谓“徒”,应该是“徒人”,“徒花”之徒也。比起它的用法,足以组成有花季节的歌语言。

あだ雲

「月の前に時雨過ぎたるあだ雲をはらふならひは秋の山風」といへる歌、慈鎭和尚の詠としては、つたなし。されどあだ雲といへる言葉をかし。あだは、あだ人あだ花などのあだなるべし。用ゐざまによりては、をかしき節ある歌をもなすに足るべき言葉なり。

云之技

组成云的技能有多种,其中最有趣的是,冬日早晨,平缓地漂浮着的云,笼罩着溪谷,遮盖着山麓,使山上的人什么也看不见。一轮太阳尚未出山,月落星光依稀,天空犹暗之时,在高山上住宿者,无论其身价有多珍贵,无例外地早早起床,亲自打开门户,忍着钻心般的寒冷,放眼远眺。昨日脚下山路边的村庄,看起来小巧如画,河流洁白,细如银丝。隔着深山峡谷,到处是名山,数量众多,连绵起伏,一望无际。离开我现在站着的地方不远处,向着遥远的不知哪里是边际的四周,如平缓的大河似的叆叇白云飘然而过,遮蔽了村庄,遮蔽了河流,遮蔽了山脉山谷,看起来下届像是沉入了海底。明知云有此技,可是到底还是让我开了眼,感到惊讶不已。“开门忽怪山为海,万叠云涛露一峰”。这首诗说得太恰当了。

雲のわざ

雲のするわざも多きが中に、いとおもしろきは、冬の日の朝早く、平らかにわたれる雲の、谷を籠め麓を蓋(おほ)ひて、世の何物をも山の上の人には見せぬことなり。日輪いまだ出でたまはず、月落ち星の光り薄れながら、天(そら)猶ひとしきり暗き頃、山高きところに宿りたる身のよろづ物珍らしきに、例に無く夙(はや)く起き出でゝ、戸などをも自ら繰り、心しまるやうなる寒さを忍びて眼を放つて見わたせば、昨日は脚の下に麓路の村も画の如く小さく見え、川の流れの白きが糸ほどに細くそれと知られ、深き谿を隔てゝかれこれと名ある山々の数多く連なり立ちたるが眼に入りしに、今は我が立てるところを去る幾干(いくばく)もあらぬ下より遙に向ふの方際涯(はて)知らぬあたりまで、平らかにして大江の水の如くなる白雲たなびき渡り、村もかくし川もかくし山々谿々も匿(かく)しはてゝ、下界を海の底に沈め尽したるが如くに見せたる、雲のわざとは知りながら流石に馴れぬ眼には驚かるゝものなり。開門忽怪山為海、万畳雲濤露一峰と詩にいへるも、まことによく云ひ得たりといふべし。

云中梦

睡在如上所述之云中,人之梦依然沉迷于尘世,满眼仅见愚昧之事。“白云之中睡,出山梦尘俗。”咏出了我有的时候的实际状况。

雲中の夢

上にあげたる如き白雲の中に眠りても人の夢は猶塵境に迷ひて、おろかなる事のみ見るものなり。「白雲の中に寐(いね)ても山をいでゝ塵のちまたに通ふ夢かな」とは我がある時の実際をよみたる吟なりき。

云之态

韩云如布,赵云如牛,楚云如日,宋云如车,卫云如犬,周云如轮,秦云如行人,魏云如鼠,齐云如绛衣,越晕如龙,蜀云如菌,各种说法,颇为有趣。各地有一定之规的云,云有一定之规之形状,大体已定,详细如何呢?江户的坂东太郎,浪花的丹波太郎,九州的比古太郎,近江附近的信侬太郎,这些都根据出处而赋予其名,毫不足怪。加贺的鼬云,安房的岸云,播磨的岩云,当地人以云之形状而名之。魏云如鼠,齐云如绛衣,皆根据魏齐之俗,遂有鼠云,绛衣云等称呼,而后述之。单凭一人之口随意呼之,便说出了那里的云像什么形状,真可谓愚人也知道的伎俩也。

雲のさま

韓雲は布の如く、趙雲は牛の如く、楚雲は日の如く、宋雲は車の如く、衛雲は犬の如く、周雲は輪の如く、秦雲は行人の如く、魏雲は鼠の如く、斉雲は絳衣の如く、越雲は龍の如く、蜀雲は※(きん)の如し、と云へるはいとをかし。地に定まりたる雲あり、雲に定まりたる形あるべきにや。おほよそは定まりもあるべし、詳しくはいかゞ。江戸の坂東太郎、浪花の丹波太郎、九州の比古太郎、近江あたりの信濃太郎、これらは雲の出づる方により負はせたる名なれば、けしうもあらず。加賀の鼬雲、安房の岸雲、播磨の岩雲などは、其土の人々の雲の形を然(しか)思ひ做して然呼び做したるなるべければ、魏雲鼠の如く斉雲絳衣の如しなどいへるも、魏斉の俗に鼠雲絳衣雲等の称ありて後云ひ出せることにや。単に一人の口よりほしいまゝに、いづくの雲はそれのものの形に似たりなど云はんは、余りに烏滸(おこ)にしれたるわざなるべし。

伞峰云

此云为向南天张开似的竖立云,谓之伞峰云。云不久即破,听说风从破口处吹来。居住在市中心的自己尚未见过,亦无见到的机会,甚是可惜。

かさほこ雲

南の方の天にさしがさを開きたるやうに立つ雲を、かさほこ雲といふとぞ。其雲やがて破れて、その破れたる方より風吹くと聞きたれど、市中にのみ住める身の、未だよく見知るべき時にあはざるこそ口惜けれ。

铁砧云

东方如拔地而起的白云,称之为铁砧云。铁砧即打铁的铁砧,其形状像铁砧。据说其尖端如退去的话,则西风劲吹,如伸足站起的话,则要下雨。眼见东方白云如拔地而起,犹不知云铁砧云之风情。

かなとこ雲

東の方に築地をつきたる如く立つ白雲を、かなとこ雲といふよしなり。かなとこは鉄砧にて、其形鉄砧にも似たればなるべし。其雲先しりぞけば西風強く吹き、たちあがれば足をおろして雨となると伝ふ。東に白雲の築地の如く見えたるは眼にしたれど、猶かなとこ雲の風情といふを知らず。

卿云

诗云:“景云卿云庆云,非确指之云也。”诗云:“卿云绚烂旖旎。”诗云:“非烟非云,紫气飘曳,电光流逝。”诗云:“大人作矣,五色氤氲。”诗云:“金柯始缭绕,玉叶渐氤氲。”“还入九霄成,夕岚生处松鹤归。”见了这样的诗句,可知归处即美云。一年中,见不到几次绚烂云,如果出现看不惯的美云,反而超于常理,似乎不是什么可喜的事情。五色云又怎么样?蓝天为舒畅,白云为优秀。橘守部解八云立神之御歌曰:“此时直立云是天地魂灵显现,并以吉祥驰名,最可能成为上上签。”不知是否灵验。成为上签的云又是何云?无可问津。说到八云立,他断言“八云立”是出于对神奇瑞云的惊讶而使用的词语。他不说“八云出”而说“八云立”,其用语惊人,成为最雷人之语。

卿雲

景雲といひ、卿雲といひ、慶雲といへる、しかと指し定められたる雲にはあらざるべし。卿雲爛たり糺縵々たり、といへる、煙にあらず雲にあらず紫を曳き光を流す、といへる、大人作矣、五色氤※(いんうん)、といへる、金柯初めて繞繚、玉葉漸く氤※、といへる、還つて九霄に入りて※※(かうがい)を成し、夕嵐生ずる処鶴松に帰る、といへる詩の句などによりて見れば、帰するところは美しき雲といふまでなり。一年の中に幾度か爛たる雲の見えざらん。若しまた余りに美しき眼なれぬ雲などの出でたらんは、気中のさまの常ならぬよりなるべければ、却つて悦ぶべからざるに似たり。五色の雲など何にせん、天は青きがめでたく、雲は白きこそ優しけれ。八雲立つの神の御歌を解きて、その時立ちし雲は天地のみたまの顕(あら)はせりし吉瑞にて、いともくしびなる雲なりけむなど橘の守部が云へるは、当れりや否や、知らず。くしびなる雲とは如何なる雲ぞや、問はまほし。八雲立ちといひたまはで、八雲立つと言い切り玉へるも彼の奇しき瑞雲に驚かせ給へる語勢なりなどいへる、ことに奇しき言なり。崇神紀の歌に、八雲立つ出雲梟師が云々と歌へるも、八雲たちとは云はで八雲立つといひたるなれば、驚きたる語勢なりといふべきか、いと奇しき言なり。

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