春昼
太宰治
2026.8.24.
四月十一日。
他在甲府郊外临时住了一间房子,很想早点回东京住,虽然努力工作,却怎么也做不到,已经过去了近半年。今天早上天气很好,我要带妻子和妹妹去武田神社看樱花。也邀请了母亲,但母亲肚子不舒服不在家。武田神社祭祀武田信玄,每年四月十二日举行大祭,那时神社境内的樱花正好盛开。妻子和妹妹详细地说明四月十二日是信玄出生的日子,还是死去的日子,但我觉得很奇怪。樱花盛开的日子和出生的日子如此吻合,总觉得很奇怪。我觉得他说得太好了。甚至怀疑这是不是神主的机关。
樱花凋谢地开着。
“不散,不散。”
“不,不散落,散落。”
“不是,散落,散落,水。”
大家都笑了。
祭典的前一天,是干净、年轻、紧张的日子。寺院内被扫得一尘不染。
“好像是展览会的招待日。今天来,做了件好事。”
“我一看樱花,就想起青蛙蛋的那一团——”妻子不风流。
“那可不行,一定很难受吧。”
“是的,非常困扰。我尽量不去想它。可是,有一次,我看到了那一团鸡蛋——我舍不得离开。”
“我想起了食盐山。”这也称不上风雅。
“总比青蛙蛋好吧。”妹妹发表意见。“我想起了雪白的白纸,因为樱花没有一点气味。”
有没有气味,我停下脚步,稍微安静了一会儿,比起气味,首先传来的是牛虻的振翅声。
也许是蜜蜂的振翅声。
四月十一日的春天中午。
春昼
太宰治
四月十一日。
甲府のまちはずれに仮の住居をいとなみ、早く東京へ帰住したく、つとめていても、なかなかままにならず、もう、半年ちかく経ってしまった。けさは上天気ゆえ、家内と妹を連れて、武田神社へ、桜を見に行く。母をも誘ったのであるが、母は、おなかの工合ぐあい悪く留守。武田神社は、武田信玄を祭ってあって、毎年、四月十二日に大祭があり、そのころには、ちょうど境内の桜が満開なのである。四月十二日は、信玄が生れた日だとか、死んだ日だとか、家内も妹も仔細しさいらしく説明して呉くれるのだが、私には、それが怪しく思われる。サクラの満開の日と、生れた日と、こんなにピッタリ合うなんて、なんだか、怪しい。話がうますぎると思う。神主さんの、からくりではないかとさえ、疑いたくなるのである。
桜は、こぼれるように咲いていた。
「散らず、散らずみ。」
「いや、散りず、散りずみ。」
「ちがいます。散りみ、散り、みず。」
みんな笑った。
お祭りのまえの日、というものは、清潔で若々しく、しんと緊張していていいものだ。境内は、塵一つとどめず掃き清められていた。
「展覧会の招待日みたいだ。きょう来て、いいことをしたね。」
「あたし、桜を見ていると、蛙かえるの卵の、あのかたまりを思い出して、――」家内は、無風流である。
「それは、いけないね。くるしいだろうね。」
「ええ、とても。困ってしまうの。なるべく思い出さないようにしているのですけれど。いちど、でも、あの卵のかたまりを見ちゃったので、――離れないの。」
「僕は、食塩の山を思い出すのだが。」これも、あまり風流とは、言えない。
「蛙の卵よりは、いいのね。」妹が意見を述べる。「あたしは、真白い半紙を思い出す。だって、桜には、においがちっとも無いのだもの。」
においが有るか無いか、立ちどまって、ちょっと静かにしていたら、においより先に、あぶの羽音が聞えて来た。
蜜蜂の羽音かも知れない。
四月十一日の春昼。