日本語精読|こそそめスープ 村田沙耶香

    私は、大学を卒業して1年くらい経つまで、コンソメスープをコソソメスープだと思っていた。片仮名だと解り辛いと思うが、「こそそめ」だと思っていたのだ。

    なぜ大人になるまで間違いに気付かなかったのかと思うかもしれないが、私は現実を改ざんしてまで、ずっとそれを信じ続けていた。皆が、そのスープを「こんそめ」と呼んでいることには気付いていた。けれど、私は自分の頭の中を修正しなかった。皆が「こんそめ」という言葉を口にするとき、彼らが飲んだり手にしたりしていたのは缶やレトルトのコンソメスープだった。私は、皆はそのせいであえて「こんそめ」という間違った呼び名で呼んでいるのだろう、と勝手に解釈した。そこから、レストランで本当のシェフが作った本物のそのスープだけが「こそそめ」という正式名称で呼ばれる権利があるのだろう、と勝手な思い込みは発達していった。

    私はあえて買って飲むほどそのスープが好きではないが、きっとレストランで出される本格的なものはさぞかし美味しいことだろう。その時こそ、「これは美味しい!これはこそそめスープだね」「本当ね、これはレトルトのこんそめなどとは一味違うわ。これこそ、本物のこそそめスープだわ」などという会話が交わされるのだろう、と想像していた。いつかちゃんとしたレストランで、「こそそめ」の称号を与えられる本物のそのスープを飲んでみたいなあ、と思っていた。

    大学を出て一年ほどして、私はファミレスでアルバイトを始めた。そのファミレスはチェーンにしては本格的な料理を出すことが売りな店だった。ある朝、私は一人の常連のおじさんにコンソメスープを運んでいた。料理に自信がある店だけあって、それは本格的で美味しそうだった。私は(ちょっと手前味噌かなあ)と思いながら、「お待たせしました。こそそめスープでございます」と、そのスープをうやうやしくおじさんのテーブルに置いた。

    いつも無口で憮然としているそのおじさんは私のセリフを聞いてびくっ!と肩を震わせ、物凄い勢いで顔を上げ、私の顔を凝視した。おじさんの激しいリアクションを見て、(ああ、やっぱりファミレスのスープが「こそそめ」を名乗るなんて、ちょっと図に乗りすぎていたんだ)と思った。しかしその時頭の隅で、(ひょっとしたら、こそそめスープというものは、この世に存在しないのではないか)という考えが閃いた。

    そんな訳ないと思いつつ何となく引っ掛かった私は、バイトを終えると友達にこそそめスープについてメールしてみた。「ばかー!意味がわからないよ!」という返信を見て、私はこの世にこそそめスープが存在しないことを知った。

    その日からしばらくは可笑しくてしょうがなくて、その話を家族や友達に話して大笑いして過ごした。だが、それからいくら日がたっても自分の中から「こそそめスープ」という存在が完全に消滅することはなかった。理屈では自分の勘違いだとわかっていても、安いチェーンのお店でカップに入ったコンソメスープが出れば、(これはこそそめとは到底呼べないな、こんそめだな)と思ったり、ちゃんとしたレストランでメニューにコンソメスープの文字を見つければ、(これはこそそめに違いない)と思ったりした。

    思えば、もう二十年以上もこそそめスープのある世界で育ち、生きてきたのだ。私は、それが嘘である世界には、もう戻れないのだった。

    いろいろ考えてみた末、私はこれからもこっそりと、こそそめスープのある世界で暮らしていくことにした。さすがに口にはしないように気を付けるようになったが、心の中では、いつまでもこそそめスープという概念を消さずに生きていくことに決めた。もちろんそんな言葉はどの辞書にも載っていないし、こんそめが正しいのも知っているが、私が二十三年間信じていたのだから、ある意味では私にとってはこそそめスープのある世界のほうが真実なんじゃないかと思うのだ。

    私のようなバカなケースでなくとも、人は皆、自分の作り上げた思い込みの世界で暮らしているところがあるのではないだろうか。ある道を歩いていても、一人はそこが新宿方面に繋がっていると言って疑わず、もう一人はこの先は公園になって行き止まりになっていると主張する。たとえ現実にはその道は二年前に工事されて渋谷方面に繋がるようになっていたとしても、二人は違う現実の中を歩いている。

    そんな風に考えると、今、同じ場所を歩いている隣の人も、その隣の人も、自分の作り上げた異世界で暮らしているんだと思えてくる。同じ場所を歩いていても、脳が違う限り、私たちは違う光景の中にいるのだ。

    私には、それが凄く楽しいことに思える。それぞれの世界を行き来できたらもっと楽しいのになあと思う。隣の人の住む世界に遊びに行き、その脳の持っている情報の中で日常を過ごす。それは私の住む世界とはまったく違う異世界だろう。こんなにそばに異世界への扉が無数にあるというわけだ。そのドアを、ぜひ開けてみたい。

    そしていつか、私の住む世界にも遊びに来て欲しいと思う。その時は、ぜひ、一緒にこそそめスープが飲みたい。私の住む異世界に遊びに来てくれた人と一緒に、生まれて初めての本物のこそそめスープを味わえたら、とてもうれしい。


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