月夜 樋口一叶

月夜

樋口一叶 

2026.9.20.

村中飘着几缕云,有也好,无也罢。在那如打磨过一般皎洁的月光下,隐约传来尺八的乐声,若演奏者技艺高超,想必格外动听。三味线亦是如此,我曾在西片町一带的墙垣外听见琴音,那月色极美,弹琴人身影也令人想见,故事仿佛就浮现在眼前。离别挚友时的月亮,是否也曾这般慰藉人心?纵然心驰千里之外,却终究无法抵达,只能徒然羡慕。倘若将这明月暂且当作镜子,或许连人的影子也能映照出来吧——这种荒唐念头竟也会浮现心头。池塘水面微波荡漾,倒映出的影子仿佛漂浮不定,我伫立于栏杆旁久久凝望,起初觉得它只是浮在水面上,渐渐地,却感觉这池水深不可测,仿佛月影已沉入其底。长久仰望之下,再难分辨天上之月与水中之影,究竟哪一个是真实之形。虽心生向往,但若将庭院中的石子投入水面,激起一圈涟漪,月影便随波轻摇。这般细微之事,竟让年幼的侄子学着姐姐的样子,拿起砚台里的小石月夜

月の夜

樋口一葉

 村雲むらくもすこし有るもよし、無きもよし、みがき立てたるやうの月のかげに尺八の音ねの聞えたる、上手ならばいとをかしかるべし、三味さみも同じこと、琴ことは西片町にしかたまちあたりの垣根ごしに聞たるが、いと良き月に弾く人のかげも見まほしく、物ものがたりめきて床ゆかしかりし、親しき友に別れたる頃の月いとなぐさめがたうも有るかな、千里ちさとのほかまでと思ひやるに添ひても行かれぬものなれば唯うらやましうて、これを仮かりに鏡となしたらば人のかげも映うつるべしやなど果敢はかなき事さへ思ひ出でらる。さゝやかなる庭の池水いけみづにゆられて見ゆるかげ物いふやうにて、手すりめきたる処ところに寄りて久しう見入るれば、はじめは浮きたるやうなりしも次第に底ふかく、此池このいけの深さいくばくとも測はかられぬ心地こゝちに成なりて、月は其そのそこの底そこのいと深くに住むらん物のやうに思はれぬ、久しうありて仰あふぎ見るに空なる月と水のかげと孰いづれを誠まことのかたちとも思はれず、物ぐるほしけれど箱庭はこにはに作りたる石いし一ひとつ水の面おもにそと取落とりおとせば、さゞ波すこし分れて是れにぞ月のかげ漂たゞよひぬ、斯かくはかなき事して見せつれば甥なる子の小さきが真似て、姉さまのする事我れもすとて硯すゞりの石いつのほどに持もて出いでつらん、我われもお月さま[#「お月さま」は底本では「おさま」]砕くだくのなりとてはたと捨すてつ、それは亡なき兄の物なりしを身みに伝つたへていと大事と思ひたりしに果敢はかなき事にて失うしなひつる罪つみ得えがましき事とおもふ、此池このいけかへさせてなど言へども未まださながらにてなん、明あけぬれば月は空に還かへりて名残なごりもとゞめぬを、硯すずりはいかさまに成なりぬらん、夜よな/\影や待まちとるらんと憐あはれなり。嬉しきは月の夜の客人まらうど、つねは疎々うと/\しくなどある人の心安こゝろやすげに訪とひ寄よりたる、男にても嬉うれしきを、まして女をんなの友ともにさる人あらば如何いかばかり嬉しからん、みづから出いづるに難かたからば文ふみにてもおこせかし、歌よみがましきは憎きものなれどかゝる夜よの一言ひとことには身にしみて思ふ友とも成なりぬべし。大路おほぢゆく辻占つぢうらうりのこゑ、汽車の笛ふえの遠くひゞきたるも、何なにとはなしに魂たましひあくがるゝ心地こゝちす。

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