中国で生活をしていると、二つの国の特徴を自然と比べてしまうことがありました。もちろんどちらもいいところが有り、ドリらも素敵であるのは言うまでもありません。ただ海外の価値観に影響を受けたり、反対に私はやっぱり日本人なんだと再確認するようなことがよくありました。
今日は自分が思う中国の素敵な習慣、つまり自分の価値観にあっていたものと自分はやっぱり日本人だなと感じたところを紹介したいと思います。
まず、中国の習慣で自分の価値観に合っていたものを紹介します。
一つ目は誕生日の人が友達やお世話になった人を紹介しご馳走する習慣です。今の自分がいるのも周りのおかげという考えかどうか詳細はわからないのですが、主役が今までの感謝を込めてもてなす週刊に感激しました。日本では基本的に誕生日の人が祝ってもらう、周りがなにかしてあげるという役割ではないかと思います。それまでの私も誕生日は祝ってもらうというスタンスで、周りに感謝するどころか自分をどう祝ってもらうかを考えていました。
しかし、自分が誕生日を迎えることができたのも、今で支えてくれた周りん人々のおかげです。いつかんしゃするのでしょうか。じょうじつ頃からもっている感謝を口に出して、形にして表現できる意言い切っかけとなるのではないかと感じました。また祝ってもらう日というスタンスで誰かになにかしてもらうのを待つのは自分の誕生日を人に任せるようなものですよね。自分が素敵な一日にしたければ、誕生日を迎える本人が皆を楽しませるために積極的に企画し準備すれば、大切な人達との絆が深まり結果楽しい一日となる気がします。以上のような理由で、中国のお誕生日の習慣が大好きです。
二つ目は、他人を許すところです。許すというより、違いを受け入れるというべきでしょうが。中国でよく聞くセリヘに「中国人は多いですから」「いろいろな人がいますから」などがあります。そもそも違った週刊や言葉を持つ民族の集まりでもあるので、こういった考え方になるのも当然の流れかもしれません。しかし、個性や違いを受け入れることに慣れていない日本では(最近は少し変わっているとは思いますが)、違うという事ですまされず、面倒なつ、変わり者扱いを受けてしまいます。そのため、中国の皆さんはとても寛容だと思えるのです。
フアッションあからも同じようなことが学べます。にほんでは、行動をともにしている友達は同じようなファッションをしている人が多いです。一緒にいるうちに似てくるのかもしれませんね。一方、中国では、カジュアルけいの服装をした学生とギッル系の服装をしたがくせいが一緒に歩いている姿を何度も見たことがあります。同じタイプの人同士が一緒にいるということではないようです。その人がどのような服を着ているか見た目がどうなのかということはあまり関係がないということです。服装を撮ってみてもわかるように、違って当然であり、同じである必要はないのです。また同じであることに安心感を覚えたりすることも日本よりは少ないのではないでしょうか。そういった意味でも、違いに対する寛容度や理解度が違うような気がしました。
反対にやはり日本人だなと感じたところは、リスクを考え心配するところです。日本の会社で働いていると想定できる問題をつぶして安全な道が見えてきてから初めてGOセインが出ることが多いのではないでしょうか。実際そこまで心配しなくてもよかったというクースが多いのかましれませんが、これが日本のやり方なのでしょう。