小说的趣味 太宰治

小说的趣味

太宰治

2026.8.24.

小说这种东西,本来是给女人和孩子看的,不像所谓聪明的大人会改变眼色来读,而且还会拍桌子讨论读后感。读小说的时候,有的人会正襟危坐,有的人会低头行礼,如果这是玩笑,那也不失为有趣的话题,但如果是事实,那就只能说是疯子的举止了。比如在家里,老婆读小说,丈夫上班前对着镜子打领带,问最近什么小说有趣,老婆回答说,海明威的《丧钟为谁而鸣》很有趣。老板一边扣着背心的纽扣,一边用嘲笑的口气问是什么料子。妻子突然兴奋起来,逐字逐句地讲述故事情节,为自己的说明感动得泣不成声。老板,穿上上衣,嗯,看起来很有趣。于是,有工作的丈夫外出工作,晚上出席某沙龙,曰:“近来的小说,似乎还是海明威的《钟声为谁而鸣》最好。”

小说就是这么无情的东西,其实只要骗骗妇女就能大获成功。欺骗妇女的手段也多种多样,有的假装严谨,有的卖弄美貌,有的谎称自己出身名门,有的炫耀自己的学识不怎么样,有的不要脸地谈论自己家的不幸。想要收买妇女的意图明明很明显,却有个叫评论家的傻瓜,把它奉上,还当作自己的饭碗,真是令人吃惊啊。

说一句,从前有个叫泷泽马琴的人,他写的东西没什么意思,不过,他毕生事业里见八犬传的序文,如果能让妇女们清醒过来就太好了。上面写着。为了让妇女醒过来,那个人弄瞎了眼睛,还继续做口述笔记,这不是很傻吗?

说句题外话,我曾经在不眠之夜把藤村黎明前的作品全部看完,一直读到早上,然后觉得困了,就把那本厚厚的书扔到枕边,迷迷糊糊地睡着了。做了梦。那是一个与作品毫无关系的梦。后来听说,那个人为了完成那部作品花了十年时间。

小説の面白さ

太宰治

 小説と云うものは、本来、女子供の読むもので、いわゆる利口な大人が目の色を変えて読み、しかもその読後感を卓を叩いて論じ合うと云うような性質のものではないのであります。小説を読んで、襟えりを正しただの、頭を下げただのと云っている人は、それが冗談ならばまた面白い話柄でもありましょうが、事実そのような振舞いを致したならば、それは狂人の仕草と申さなければなりますまい。たとえば家庭に於いても女房が小説を読み、亭主が仕事に出掛ける前に鏡に向ってネクタイを結びながら、この頃どんな小説が面白いんだいと聞き、女房答えて、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」が面白かったわ。亭主、チョッキのボタンをはめながら、どんな筋だいと、馬鹿にしきったような口調で訊たずねる。女房、俄にわかに上気し、その筋書を縷々るると述べ、自らの説明に感激しむせび泣く。亭主、上衣を着て、ふむ、それは面白そうだ。そうして、その働きのある亭主は仕事に出掛け、夜は或るサロンに出席し、曰いわく、この頃の小説ではやはり、ヘミングウェイの「誰がために鐘は鳴る」に限るようですな。

 小説と云うものは、そのように情無いもので、実は、婦女子をだませばそれで大成功。その婦女子をだます手も、色々ありまして、或あるいは謹厳を装い、或いは美貌をほのめかし、あるいは名門の出だと偽り、或いはろくでもない学識を総ざらいにひけらかし、或いは我が家の不幸を恥も外聞も無く発表し、以て婦人のシンパシーを買わんとする意図明々白々なるにかかわらず、評論家と云う馬鹿者がありまして、それを捧げ奉り、また自分の飯の種にしているようですから、呆れるじゃありませんか。

 最後に云って置きますが、むかし、滝沢馬琴と云う人がありまして、この人の書いたものは余り面白く無かったけれど、でも、その人のライフ・ワークらしい里見八犬伝の序文に、婦女子のねむけ醒ざましともなれば幸なりと書いてありました。そうして、その婦女子のねむけ醒しのために、あの人は目を潰つぶしてしまいまして、それでも、口述筆記で続けたってんですから、馬鹿なもんじゃありませんか。

 余談のようになりますが、私はいつだか藤村と云う人の夜明け前と云う作品を、眠られない夜に朝までかかって全部読み尽し、そうしたら眠くなってきましたので、その部厚の本を枕元に投げ出し、うとうと眠りましたら、夢を見ました。それが、ちっとも、何にも、ぜんぜん、その作品と関係の無い夢でした。あとで聞いたら、その人が、その作品の完成のために十年間かかったと云うことでした。

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