他人任せ、というような否定的な意味で使われがちな「他力本願」だが、本来は仏教用語。自分の力だけでは及ばないことがあることを認め、ゆだねる、ポジティヴな意味。「自分が変わる」ためには、他人の存在が実際に必要である。
誰かが目の前にいると、それだけで異なる自分が立ち上がる。Aという人格がBに接すると、(A)A' -> Bという風に、新しい人格A’が生まれる。A’は、相手がBであるか、Cであるか、Dであるかによって異なる。だからこそ、多彩な人と向き合うことが必要なのだ。
ボーイスカウトのお兄さんが、「いいかい、君たち!」などと言っているのを見ると、ああ、あの人はそういう人なんだ、と思いがちだが、実は「ボーイスカウトのお兄さん」という人格は、子どもたちに向き合うことで生まれる。−>Bという圧力を受けて、自分が変わっている。
ホームばかりで生きていると、新しい自分が生まれる機会を失う。アウェーで活動して初めて、それまでにない人格が創造されるきっかけが生まれる。特に意識する必要はない。文脈に合わせて自己を調整する無意識の働きが、創造のフロー状態を生み出すのである。
子どもでも、相手によって自分のふるまいを変えるということを本能的に知っている。脳の前頭葉を中心とする「文脈」に自分を合わせるダイナミクスによって、自分は自在に変わる。だから、自分を変えようと思ったら、他者にゆだねるのがいい。「他力本願」は合脳的である。
他人にゆだねることは、力にもなる。泣き叫ぶ赤ん坊は、周囲の大人たちに対して、王様となる。もっとも非力な存在が、他人にゆだねることで、最も強い存在になる。すべて自分の力でやる必要はない。むしろ、無力を自覚することが大切である。
新入社員などは、どうせ何も知らないのだから、自分の力で何とかしようとしないで、むしろ非力さを自然に表現した方がいい。自分が知らないことを、いかに他者から教えてもらうか。無知の知を体現できる人は、助けてもらえる。かわいがってもらえる。
そもそも、すべて自分で抱え込む必要はない。自己完結は愚かである。「能力主義」という言葉は、個人競技だという誤解を与えがちだが、実際には他力本願の競争である。一人ですべてできる人などいない。スティーヴ・ジョブズは、自分でプログラムするわけではない。
他力本願を貫くには、自分をオープンにすること。さまざまな人たちが、自分という「ハブ」を通してつながっていくような、ネットワーク構造をつくること。弱さ、至らなさをさらけ出してよい。ネット時代には、むしろ、無知や弱さを自覚する人こそが、輝くのである。