谷崎潤一郎 tanizaki junichiro
陰翳礼讃 In Praise of Shadows
本课内容
谷崎潤一郎简介、生平
作品特点
《阴翳礼赞》内容、背景、评价
《厕所种种》阅读、分析
谷崎潤一郎简介、生平
古崎 润一郎
1886年7月24日 - 1965年7月30日
小説、随筆、戯曲、翻訳、和歌
代表作:『刺青』(1910年 短篇小说)、『痴人之愛』(1925年)、『春琴抄』(1933年 中篇小说)、『陰翳禮讚』(1933年、随筆)、『細雪』(1948年)、『钥匙』(1956年)、『瘋癲老人日記』(1962年)
古崎 润一郎生平
1886年 出生于东京,父亲是米商。
1908年 东京帝国大学国文科,读了两年之后就离开学校,
1910年 第二次《新思潮》。
1915年 与石川千代结婚。
1918年 年底他曾到朝鲜,中国北方和江南一带拜访。回到日本之后担任了一阵子的中日文化交流顾问。
1923年 9月,东京大地震,全家搬到关西的京都,此后他的写作从青年时的西方风格转变,开始带有一些大阪方言和大阪特有的风土人情。
1926年 年初,再度拜访中国,并结识了郭沫若。
1949年 63岁时获得日本文化勋章。
1952年 高血压相当严重,随后到热海静养。
1958年,有中风现象,右手麻痹,此后的作品都用口述的方式写作。
1960年代(1958年、1960年、1961年、1962年),他由美国作家赛珍珠推荐提名诺贝尔文学奖,是日本在早期少数几位获得此大奖提名的作家之一。
1965年时因肾病去世。葬于京都法然院附近的公共墓园,其墓地立有两块青石分别刻上“空”、“寂”二字。芥川龍之介の墓と背中合わせとなる
作品特点
文学活動
耽美派
悪魔主義
古典回帰
作品主题
女性美崇拝
被虐
恋母
老人的性
江户之绚烂
悪魔心理
日本的传统美
关注摩登主义/西洋文化(特别是初期)
关注东方主义/中国文化(主要在中期)
题材特点
悬疑
推理
历史
幻想
怪物
黑色幽默
语言特点
漢語
雅語
俗語
方言
《阴翳礼赞》 In Praise of Shadows
《阴翳礼赞》出版发行
雑誌『経済往来』の1933年(昭和8年)12月号と1934年(昭和9年)1月号に連載された。
単行本は1939年(昭和14年)6月に創元社より刊行された。
『陰翳礼讃』(中公文庫、1975年10月。改版1995年9月)
《阴翳礼赞》目次
『陰翳礼讃』(中公文庫、1975年10月。改版1995年9月)
「陰翳礼讃」
「懶惰の説」
「恋愛及び色情」
「客ぎらい」
「旅のいろいろ」
「厠のいろいろ」
《阴翳礼赞》内容
日本の美の感覚、生活と自然とが一体化し、真に風雅の骨髄を知っていた日本人の芸術的な感性について論じたもの。
西洋vs日本
陰翳を認め、それを利用することで陰翳の中でこそ生える芸術を作り上げたのであり、それこそが日本古来の美意識?美学の特徴だ
建築、照明、紙、食器、食べ物、化粧、能や歌舞伎の衣装の色彩など
《阴翳礼赞》背景
当時の西洋近代化に邁進していた日本の生活形態の変化の中で失われていく日本人の美意識や趣味生活
谷崎の代表的評論作品で、関西に移住した谷崎が日本の古典回帰に目覚めた時期の随筆である。
《阴翳礼赞》评价
美について語っているテキストがそれ自身美しいことはほんとうにまれです。美こそまさにこのテキストが語っていることです。しかも、このテキストには美のかたちそのものがあります。濁り水にさした光のような美が。
幽玄の美の「イマージュ(image)」、「空想の世界」
「洞察の鋭さ」や「叡智」
《厕所种种》かわやのいろいろ
思考
思考厕所
厕所文化、厕所文学
日本人的审美意识
原文摘抄
我脚踩的木板下面,除了空气再没有其他任何东西。我肛门排泄的固体由几丈高的空中降下来,掠过蝴蝶的翅膀和行人的脑袋,坠落在粪坑里。
唯独这种蛾翅的粪纸,想象着就很美。粪团自上吧嗒而下,无数蛾翅烟雾一般腾升起来。
注:倪瓒 号云林
SHADOW(西洋)
西洋の文化では可能な限り部屋の隅々まで明るくし、陰翳を消す事に執着した
不浄扱い
公衆の前で口にするのも忌む
陰翳(日本)
自然の風光と一体化した風情の中で四季折々のもののあわれ
詩化
風流で雅致
花鳥風月の懐かしみの連想へ誘い込む
真に風雅の骨髄
以下、参考資料
耽美派=后期浪漫主义
耽美主义=唯美主义、审美主义
《昴星》、《三田文学》
永井 荷风、古崎 润一郎、佐藤 春夫、久保田 万太郎
废弃道德功利性,以美的享受、形成为最高价值的西欧艺术思潮。
起源于19世纪后期的法国、英国,主张将生活艺术化,追求官能的享乐。
代表人物:奧斯卡·王尔德(Oscar Wilde)