日曜日の夜。これほど憂鬱なものはありません。寝てしまえば月曜日になり、あの、考えたくもない時間に食われます。目をつむって、うっかり眠りの中に入ってしまえば、気が付くのは、朝です。
最近、父は髪をセットしたり、スーツの乱れを直したりしなくなりました。文句を言っても無表情です。普段、酔っぱらって帰ってきて、早く寝なさい、とか、門限は守れ、とか、彼氏はいるのかって聞いてくるのに、最近はそれもありません。このごろ帰ってくるのが早くなりました。というのも、夜は飲酒運転の検問が厳しくなり、飲み会ができないそうです。なので、いつも一人でお酒を飲んでいます。ちなみに、母はお酒を飲めません。だから一人寂しく、無表情でお酒ばっかり飲んでいて、何だかおやじくさいです。
明日は冬至。ゆず湯にカボチャ、楽しみです。中学三年にもなって子供っぽい、なんて言わないで下さい。私は、カボチャとかサツマイモとか、自然のままで甘い食べ物が大好きなのです。でも、食べ過ぎると太ってしまうから我慢しています。テレビでは、すごく痩せているタレントさんが人気だし、ダイエット番組で痩せた人はすごく褒められています。痩せている方がいいのでしょうか。みんながそう思い込んでいるのは、なぜでしょう。
今朝のニュースで、中学一年生の女の子が自殺したという報道がありました。原因はいじめだそうです。かわいそうですね。コメンテーターの方々もかわいそう、かわいそうと言っています。
「やっぱり、中一くらいの女の子が周りから無視されたり、物を隠されたりしたら、死を選んじゃうわよねぇ。」というコメンテーターさんの言葉に救われたような気がしました。実は、私も学校で無視されています。ふと、その報道が私のだったら、なんて考えてしまいました。みんなからかわいそうって言ってもらえるし、顔と名前がテレビに出て、まるで芸能人になったような錯覚がします。いじめられているわけだし、死んでも当たり前ですよね。母と父に怒られてしまうから、こんなこと考えるのはやめます。
今日も父は早くに帰ってきました。無表情で元気がないのはいつものことですが、今日は少し疲れも交じっているような感じです。まるで、長距離走の後の私みたいです。父は今日から連休になると言っていました。私は新学期が始まるというのに、休みなんて羨ましすぎます。こんな不景気なのにのん気に休みなんてとっている場合かなどと思ってしまう私は、親不孝でしょうか。それにしても我が家は貧乏を極めています。貧乏神なんて、つくだ煮にするほどいます。毎月、学校で授業料未納の封筒が渡され、そのたびに、授業中に寝ていることが申し訳なくなります。両親は、家の経済のことなどは教えてくれません。それでも、授業料の封筒とかから我が家の経済状況は察しがつきます。保険証がないこともその理由となるでしょう。両親の話などからもわかります。私には聞こえないと思っているのでしょうが、意外と耳に入るものです。父はいつも母に文句を言われています。
毎日のお酒の量が増えている父ですが、最近、夜眠れていないように思えます。我が家は、ベッドではなく蒲団を敷いて雑魚寝をします。いびきや寝相などで寝ているかどうかは案外わかるもので、それから判断して、父は夜寝ていません。夜中にこっそり起きてお酒を飲んでいることも知っています。しかし、そんなことでは体を壊してしまうのではないかと、内心、すごく心配しています。それにしても、野球、ラーメン、お酒、たばこがなければ、男の人は生きていけないのでしょうか。
父はまだ四十五歳になったばかりです。それなのに、近頃、よくおかしなことを言いだしたりします。
「駅で、みんなが俺のことを見てくるんだ。」
とか
「おれは神様かもしれない」
とか。私をからかっているのでしょうか。母に、父はボケてしまったのかと問えば、
「まだ若いのにそんなことあるわけないでしょ。それより、今晩のおかず何にしようか。」
なんて、まともに掛け合ってくれません。
連休と言っていましたが、もう一月以上経ちます。疑問に思い、母に―母に聞くということから、私の中で薄々気が付いていたのでしょうか―聞いてみると、父はリストラになってしまったそうです。やはり、この不景気ですから相当落ち込んだことでしょう。それに、若いバリバリの学生ですら、職がないとテレビで知りました。再就職なんて考えるのが馬鹿なのでしょうか。しかし、私には家の事情というものがわかりません。私の学校の授業料や部費、塾などの受験にかかるお金が負担であることが推測できるくらいです。
父と仲が悪くなったのは、いつ頃からでしょうか。一つ思い浮かぶのは、私が部活をやめたあたりからということです。やはり、経済的な問題から部活やめざるを得なくなりました。私は、青春を賭けてきた部活を引退を目前に退部することになってしまったことに納得がいかず、父と大喧嘩をしました。といっても、一方的に私が責めるだけで、父はうつむいたまま、何も言いません。それが、余計に気に障り、父を責めるという悪循環でした。部活は、私にとっての唯一の生きがいです。学校ではいじめられていましたが、部活ではみんなと仲良くできましたし、青春の思い出は全て部活の中にあるといっても過言ではありません。受験校も部員の仲間が皆、同じ高校を目指しています。それほど、私の中で重要な意味を持つ部活を、しかも、引退というピリオドを目前にやめるなんて、生きる理由が消えたに等しいです。私は―感情に支配されたせいもあるでしょうが―激しい罵倒の途中、沈黙を始め、「死にたい」と一言発し、死ぬ理由を父に結び付け、罵倒を再開しました。その間、父は黙ってお酒を浴びるように飲んでいました。反論すらないことに、私の気持ちが父へは届いていないのではないかと腹を立て、驚かすつもりで―今ではこう思っていますが、実際はどんな気持ちであったかは定かではありません―ベランダへ飛び出し、フェンスに足を掛け、「本当に死ぬから」と、重い言葉を父に投げつけました。思惑通り、父はそこで初めて言葉を発しました。しかし、「死ぬな」と叫んだだけです。
「私が死ぬのはお父さんのせいでしょ。止める資格あんの?」
私の言葉に父は、
「死んだら駄目だ。自殺してはいけない理由を教えてやる。」と言い放ち、私に近づいてきました。正直、感情で発した言葉を訂正するには勇気と恥がいります。寒いベランダから部屋へ戻る理由としては、父に連れ戻されて嫌々ながら部屋へ入る方が恰好がつきます。しかし、父は私の隣に来たかと思うと、フェンスから飛び降りました。
父のお葬式中、私は涙が出ませんでした。父を殺した私に泣く理由がありましょうか。母はそのとき、お風呂に入っていて、喧嘩の一部始終は聞こえていたそうですが、父が死んだ理由を酔っていた勢いで飛び降りた、と答えました。父の死は自殺ということになり、私は自殺遺児ということになるようです。
病死では、支援がいろいろありますが、自殺では補償がほとんどなく、生活は貧困を極めました。もちろん、私には文句を言う資格はありません。しかし、母は気の毒です。私は、高校進学を諦め、働くことにしました。若い就活生として活動しましたが、どこも決まらず、傷つき、自分を責める毎日です。就職を諦め、簡単にお金を稼ぐ道を見つけました。女に生まれたことに感謝しました。
私の将来はどうなるのでしょうか。父は、そんな私の将来を見通していて、私を捨てたのかもしれません。売春で生計を立てるようになると、見通していたのかもしれません。それしか方法がないのだから責めないでください。私は自分が大嫌いです。いじめてきた人はたくさんいますが、自分が一番嫌いです。理由はわかりません。頭が悪いから、理屈では考えられないのでしょう。
悲しい、うれしい、楽しい。最近は、感情を持つことがなくなりました。自分が嫌いかどうかも興味ありません。他人にも、誰にも興味ありません。食べることも、最近は億劫です。私の気持ちに共感してくれる人、慰めてくれる人はいませんか。外は寒く、夜が長く、寂しさが増し、人恋しくなります。そんな中、感情の薄くなった私ですが、寂しさ、孤独感、それと、正体のわからない不安だけは残ったようです。
テレビでも明るい話題は少ないです。今日も自殺報道がありました。今までは、かわいそうと思っていましたが、今の私ではそんな気持ちすら起こりません。反対に、私も死のう、みんな死んでいるんだ、私も死のう、こんな気持ちを必死に抑えています。
外は、快晴です。我が家は九階で、富士山が見えます。あの山のどこがきれいなのでしょうか。コンパスを一杯まで広げたような、醜い三角形のあの山のどこが魅力的なのでしょうか。「富士山」だからきれいなのでしょうか。答えが見つかりません。こんな屁理屈な私は死ねばいい。生きる理由が見つかりません。飛んでしまいましょうか。怖さもありません。
ただ一言、良いものは良い、駄目なものは駄目、と強く言って下されば、私は死なずに済んだでしょう。生きることに理屈なんていりません。
私は、死んで当然でしたか?