综合日语第五册第十二课 岁时记
翻译:王志镐
(一)与五月相会
关于作者:谷川俊太郎,1931年生于东京,诗人。21岁时出版第一本诗集《二十亿光年的孤独》,作为战后诗坛的新人而为人瞩目。至今,在现代诗人中最受大众的好评,作为跑第一棒的选手而活跃在诗坛。他的诗集还包括《六十二的十四行诗》、《语言游戏歌》等。不仅仅局限于诗的范围,从随笔、翻译开始,他还广泛活跃于广播、电视、电影、视频等多方面的领域。翻译有《鹅妈妈的歌》等。他还是《铁臂阿童木》主题歌的词作者。
课文翻译:
说到五月,已经是初夏了。可是在日本,夏初并不是直接进入了夏天的,其中还夹杂着梅雨这样阴霾的季节。虽然梅雨作为季语被划分在夏天,不过我感觉还不是夏天,当然也不是春天。我觉得它似乎是游离于四季之外的特殊季节。
根据统计,入梅的日期似乎分布在五月四日到六月二十二日之间,而在我的心中,五月这样的月份,还是五月晴的五月。她灿烂明亮,光辉夺目,而且干燥。因为之后将面临梅雨,使人感觉与之形成鲜明的对照。
说到这里,五月晴这个说法,从前是指阴历梅雨期间暂停的间隙。现在似乎是指阳历五月上旬,比如像众多鲤鱼旗势头强劲地游弋着的晴天。无论是那一种,我都感觉与秋晴不同。五月晴有预感之类的东西,而秋晴没有。
秋晴本身就很充裕,之后不留任何余地。与其说豁然放晴,不如说在那空荡荡的感觉中,带有一种清爽感,而五月晴却像心中无底似的,无安心感。有的只是隐隐约约的焦虑,以及毫无来由的期盼。
阴霾的梅雨季节一旦豁然放晴,眼前就是夏日。确实,对这样季节的期盼和欲望,就是对这种感情的呼唤,同时,我想这样的焦躁和期盼,也面对着更加无形的东西。日期和时间虽有偏差,可是也有许多人将它与基督的复活联系起来,戴着华丽的帽子去发泄精力。不过对于我来说,无论它表现的是什么,其中心似乎还是回归我自己的血肉之躯而已,换言之,它是与我自己生物的生命欲望联系在一起的。正因为如此,它伴随着一种以自我为中心的苦闷,这种苦闷发自自我,归于自我。
因此,此时突然闯入我脑海的预感,不包含一切对他人的同情心。这是一种不管世界如何变化,我都要生存下去的盲目的预感,所以当然不可能是合乎逻辑的东西,也许对人提起都是毫无意义的。
这样的生命的冲动,对我来说毫无疑问是重要的东西。可是我之所以能够爱他人,能够写诗,或许是因为我能够为他人而牺牲自己,一切都是以这种力量为源泉的缘故。
来自于自然并非来自于他人,不,它是从更加深邃的宇宙直接产生的力量,这种力量的取得,并不是我个人的特权吧。我想,所有的人都在无形之中做着同样的事,在社会上所谓的与他人的关系,其根源是作为一个生命体出自于人类盲目的、以自我为中心的生命力在起作用。我想,可以说正是出于这样绝对的孤独,人类才经常建立起新的关系的出发点。
正因为如此,我们有必要发挥对他人的想象力,尤其是对关系疏远的他人,除此之外别无他法。而且为此目的,我们只能尽可能深入地追求自己的个人主义。与自己的生命欲望完全相同的生命欲望,只能到他人之中去得到认同。通过想象力被唤起的东西,并非简单的同情之类的东西,而是欲望与欲望互相争斗的阿鼻地狱。
也有意见认为,对于居住在现代都市的人来说,几乎没有季节感之类的东西。我曾经也这样想过,可是我现在不相信。街道上只要有一棵树,天上只要能看到真正的太阳,季节就会围绕着我们循环,强迫我们产生新的感触。季节在变迁,却没有感觉到季节的轮回,难道不就是自己尚未感觉到的证据吗?
在街角遇到的像气味之类无常的东西,如果那一刻突然有拨动心弦的从容,让自己打开心扉,那么那里会隐藏着多少丰富的感情啊!这时,我好不容易才明白,只有无止境地凝视自己,才能与他人心心相印,与世界心心相印。我想,知汝自身这句话真是可怕。我终于开始注意到,自己对亲近的人怀有同情心,而对疏远的他人却想象力不足。
在过去的五月,我只关心着拯救自己的灵魂,对他人的事情几乎无暇顾及。灿烂绿叶为悦我之目而存在,那注目一瞬间的幸福,理应是我私有的东西。
现在那也没有改变,如果失去那感受幸福的能力,那么我岂不是感觉不到他人的不幸了吗?可是我现在还是能将那幸福的富有魅力作为一种相对的东西来感受。虽然找不到任何答案,可是隐隐约约的焦躁和毫无来由的期盼 ,还是让我感到郁闷。不过每次与五月相会,我就会因五月而添加某一部分的经验,我对此深信不疑。
(译自讲谈社《散文》)
课文解释:
1. 年輪:树的年轮或历史的技艺经验。
2. 肉感:性感,富有的魅力。
3. 鲤のぼり:(夏季寄语)鲤鱼旗势头强劲地游弋着。鲤鱼旗,日本人在端午节竖立在门口的旗杆上,用纸或布做的流线型鲤鱼状风幡。
4. 梅雨:(夏季寄语)
5. 五月晴:5月的晴天,梅雨中的晴天。
6. 汝自身知:据说是刻在希腊阿波罗神庙的玄关上的一句话。
7. 秋晴:秋天里的晴天,秋高气爽的天气。
8. 安易:容易,轻而易举。
9. 无间地狱:佛教中八大地狱之一。犯有五种孽罪者无休止地受苦的地狱。
10. 余裕:充裕,从容,富裕。
(待续)
歳時記
五月に出会う
五月といえばもう初夏である。だが日本では、夏の初めがまっすぐに夏へは続いてゆかない。間に梅雨といううっとうしい季節がはさまる。梅雨は季語としては夏に分類されるようだが、私の感じでは夏ではなく、かといってもちろん春でもない。何か四季から少しはずえれた特殊な季節のような気もするのである。
統計的にみると、入梅の日付けは五月四日から六月二十二日までの間に分布しているそうだが、私の心の中では五月という月は、やはり五月晴れの五月である。それはまぶしくきらきらと輝いていて、しかも乾いている。後に梅雨をひかえているから、よけい対照的にそう感じられるのだ。
そういえば五月晴れということばは、昔は旧暦で梅雨の中休みの晴れ間を指していたという。今は新暦で五月初旬の、たとえば鯉のぼりの勢いよく泳いでいる晴天を指すようだが、そのいずれにも、私は秋晴れとは違ったもののを感ずる。五月晴れには秋晴れにない予感のようなもののがある。秋晴れはそれ自体で充足していて、後にはもう何も残っていない。からっと晴れあがったという、そのからっぽなかじにむしろすがすがしさがあるのだが、五月晴れにはそういう底が抜けたような安心がない。かすかないらだちといわれのない希望がある。
梅雨という薄暗い季節をぬけて、その先に夏がある、そのことへの期待や欲望がそんな感情を呼び覚ますのは確かであるが、同時にそのいらだちや希望は、もっと形のないものにも向かっていると私は思う。日時はややずれるけれどもそれをキリストの復活に結びつけ、派手な帽子で発散してしまう人びともいるわけだが、私にとってはその表現は何であろうとその中心は、自分一個のこの生きている肉体に帰ってきそうである。すなわちそれは私という一個の生物の生命欲のようなものに結びついている。それゆえにそれは、自分に発し自分に帰る一個自己中心的な息苦しさを伴うのである。
そんなときに私を襲う予感は、だから他人への思いやりなどいうものは一切含んでいない。世界はどうあろうと自分は生きるのだという盲目的な予感なのであって、それはもちろん論理的なものではあり得ないし、こうしてそれを他人に語ることすら無意味なのかもしれない。
けれどそうした生きることへの衝動が、私にとっては大切なものであることは疑いない。私に人を愛することができるのも、詩を書くことができるのも、もしかすると他人のために自分を犠牲にすることができるのも、すべてはその力が源になっているからである。
他人からではなく自然から、いやもっと深く宇宙そのものから直接に生きる力を得るというのは、何も私だけの特権ではなかろう。あらゆる人が知らず知らずmぴとも同じことをしていると思う。社会の中での他人との関係というものにも、その根元には一個の生命体としての人間の盲目的で自分中心の生命力が働いている。いわばそういう絶対的な孤独から、人間はつねに新しく関係を出発させると私は考えている。
だからこそ我々には他人に対して想像力を働かせる必要があるのである。特に遠い他人に対してはそれよりぼかに結ばれようはない。そしてそのためには、我々は自分のエゴイズムをできる限り深くつきつめるしかない。それは欲望と欲望のせめぎあう無間地獄なのである。
現代の都会に住む人間にとっては、季節感などないに等しいという意見がある。かつてそう思ったこともあったが、今は私は信じない。街に一本の街路樹がある限り、空に本物の太陽がかいま見える限り、季節は我々についてまわり、我々に新たに感じずることを強いる。季節は移り、時節はまた来るとしか感じないのは、すでに自分で感じていない証拠ではないか?
街角で出会うにおいのようにはかないもの、そのときふと動いた自分の心のひだに分け入る余裕があれば、そこに何と多くのものがかくされていることだろう。際限もなく自分を目つめることが他人につながり、世界につながろと、このごろようやく私にも分かってきた。(汝自身を知れ)とは、恐ろしい言葉だと思う。近い他人への思いやりはあっても、遠い他人への想像力の働かなかった自分に、やっと私は気づき始めている。
かつての五月に、私は自分のたましいにのめ気を奪われていて、他人などというものにはとんと思いが及ばなかった.青葉の輝きは私の目のたのしみのために存在し、それを目にずる束の間の幸福を私は当然のものとして私有していた。
今それに変わりはないし、その幸福を感ずる能力を失っては、私に人の不幸を感ずることもなくなるだろう。けれど今はその幸福の肉感がひとつの相対的なものとして感じられる。答えは何ひとつ出ていなくて、かすかないらだちといわWれのない希望は、¥やはり私を息苦しくさせるのだが、五月に出会うたび、私が五月によって年輪のある部分を加え得ているということもまた、私には信じられる。
综合日语第五册第十二课 岁时记(二)
翻译:王志镐
(二)十一月的忧郁
作者介绍:渡边淳一,1933年出生于北海道上砂川镇,小说家。毕业于札幌医大,医学博士。从中学时代起爱好短歌,之后立志于医学和文学。以医生的目光抓住“母亲之死”而写的《死化妆》获得直木奖。其他作品有《小说. 心脏移植》、《紫丁香凋谢的街道》、《雪舞》、还有以植物人安乐死的医学伦理为主题的《神灵的晚霞》等许多著作。
课文翻译:
十一月的北海道阴沉沉的,凄凉而使人阴郁。
不过说到阴郁的天气,并不仅限于十一月。隆冬,大雪整天不断下着,天昏地暗;就连盛夏也有被厚厚的阴云笼罩着的时候。
无论哪个月都有阴暗的日子。
然而,一年之中唯有十一月的阴暗与众不同,只须瞧一眼那涂满铅灰色的天空,就会心灰意冷。
估计那一定是因为,十一月是通向冬季的入口。这个月一结束,冬季就真的来了。这种精神郁闷,使十一月变得越发阴暗、难以忍受。
从前我住在札幌的时候,一到十一月就会心神不定。
刚晴了一天,第二天又笼罩在黑压压的乌云底下,整天冷雨不断。这雨时而会转变成雨夹雪,入夜则气温骤然下降,又下起了雪。
早上,即使天晴了,院子里也被冰霜覆盖着,在那底下,枯萎的草木正在冬眠,看上去就像是一个只有黑白两色的死亡世界。
仅剩的葡萄架朝天而立,当朝阳照射在那黑色的颗粒上时,才知道还残存着活着的东西。花楸树殷红的萌芽是漂浮在天上的唯一色彩。
即使是万里晴空,已失去了秋日的柔和色彩。说起来也是蓝色,不过已接近死人嘴唇的带有灰色的苍白了,全然失去了秋天晴朗天空的透明感。
短暂的放晴之后,又下起了冷雨,并变成了雨夹雪。再次偶尔放晴,第二天却下起了雪。
十一月的天空瞬息万变,令人一刻也不得安心。
一边瞧着那阴暗的、确实临近冬天的天空,一边心里却盼望着:“倒不如早点进入冬天吧!”
假如到了冬天,最好完全进入冬天。原野也好,山上也好,街道也好,最好都彻底被皑皑白雪覆盖。
半途而废、有头无尾可不行!
北国的十一月,正是有头无尾的季节。虽然不指望转暖,不过不时突然见晴,让人抱着或许会放晴这样的期待,却又被一阵冷雨浇了个正着。
好不容易下决心截断对夏天的留恋,却不时反复无常地阳光普照。每当阳光露面,好不容易坚定了的迎接冬天的决心便发生了动摇。
这焦躁的情绪,恰如从已分手的对象那儿偶尔接到一个电话似的。已经决定再也不见面了,却还要发出召唤,惹得人心七上八下的。
不错,十一月一定是“作女”。或是应该叫“恶男”吧?
总之,我讨厌十一月的北海道。虽然我生于兹长于兹,却无法接受十一月。
所以一到这个月份,我就想“去南国走一走。”我宁可到阳光更加明媚、色彩更加丰富的南国街道去走一走。
现在我住在东京,偶尔也回北海道,这种心情却还未改变。十一月的反复无常,如今依然使我坐立不安。
如果有人去北海道,我一定会说“十一月份请不要去。”面对着一点点走近的冬天,我不能容忍那貌似故弄玄虚、实质上却冷酷无情的季节变化。
晴了又雨,雨了又晴,天空昏暗,道路泥泞。这与融雪季节的三月如出一辙。
不过三月尚可饶恕,原因是季节准是在向着春天迈进,与面向冬天的忧郁的十一月截然不同。
无论札幌如何现代化,高楼比比皆是,暖气系统完备,居住环境舒适,可是这种感觉却无改变。自然可不管那一套,每年准时送上那阴暗而使人不爽的季节。
恐怕任何地方都有使人不爽的季节。而只有这个季节,是不应该推荐给初次造访者的。比如说东京,也许梅雨的六月,酷热的八月,就是这样的季节。说到京都,八月份和寒冷彻骨的一二月份是没人喜欢的。
东北和北陆自不用说,说到气候适宜的湘南和山阳道,也一定各有各令人厌烦的季节。
有这样的季节,住在那里的人们无论如何也不喜欢,也许其原因除了住在那里的人之外,谁也不能明白。
(摘自文艺春秋杂志《日本的著名随笔 20冬 岁月记》)
(二)十一月の憂鬱(ゆううつ)
十一月の北海道は暗い。寒々といて、陰鬱(いんうつ)である。
もっとも陰鬱なのは、なにも十一月にかぎったわけではない。真冬(まふゆ)で、終日(しゅうじつ)、雪の降り続く日も暗いし、真夏にも雨雲(あまぐも)に厚く閉ざされているときもある。
いつの月でも暗い日はある。
だが、一年のうちで、十一月の暗さだけは特別である。鉛色(なまりいろ)でぬりこめられた空を見ているだけで気が滅入(めい)る。
それはおそらく、十一月が冬への入り口であるからに違いない。この月が終わると、間違いなく冬が訪(おとず)れる。その気の重さが、十一月をいっそう暗く、やりきれないものにさせる。
かつて僕が札幌(さっぽろ)に住んでいたころ、十一月になるときまって心が揺れた。
一日、晴れたかと思うと、翌日(よくじつ)はもう低い雲の下、終日冷雨(れいう)が訪れる。それがときに霙(みぞれ)になり、夜からさらに冷え込んで雪になったりする。
朝、晴れていても庭は霜で覆われ、その下で立ち枯れ草木が眠っている。それは白と褐色(かっしょく)だけの、死の世界そのものとも見える。
わずかに葡萄棚(ぶどうだな)が空に向かい、その黒い粒(つぶ)に朝の陽がさすとき、辛(かろ)うじて生きているものが残っているのを知る。ななかまどの赤い芽が、空に浮かぶただ一つの色である。
晴れても空の色には、もう秋のやわらかさはない。蒼といっても、それは死人の唇(くちびる)の灰色がかった蒼に近く、秋空の透明感にはほど遠い。
みじかい晴れ間のあと、また冷雨(れいう)がきて、霙がくる。再(ふたた)び思い出したように晴れた日がきて、翌日(よくじつ)はもう雪に変える。
十一月の空は目まぐるしく動き、いっときといえども安心できない。
暗く、確実に冬へむかう空を見ながら、「いっそ早く、冬になって欲しい」と願った。
冬になるなら、さっかりと冬になるといい。野も山も街も、思い切り白い雪で覆われるといい。もしや、という期待を射抱かせて、また冷雨を浴びせる。
折角、夏への愛着を断ち切ろうと心を決めたのに、ときに気まぐれのように陽光を届ける。それが訪れる度に、ようやく固まった冬を迎える決心が鈍る。
この苛々した気持ちは、あきらめかけた人から、時に電話をかけられるのに似ている。もう別れようと決心がついたのに、その心を弄ぶ(もてあそぶ)ように声をかけてくる。
まさしく、十一月は「悪女」に違いない、あるいは「憎男」というべきか。
ともかく、僕は十一月の北海道は嫌いである。僕が生まれ育った土地ではあるが、十一月だけはいただけない。
この月になると、僕はいつも「南の国へ行きたい」と思った。もっと太陽の明るい、色彩の豊かな南の街へいきたいと願った。
いま東京に住んで、ときに北海道に帰っても、その気持ちは変らない。十一月の定めのなさは、やはりいまも僕を苛立たせる。
北海道に行く人がいると、僕は決まって「十一月だけやめなさい」という。あの一寸刻みみ冬へ向かう、思わせぶりで冷酷(れいこく)な季節の移ろいは許せない。
晴れては降り、降っては晴れる、空は暗く道は汚(よご)れる。それは雪どけどきの三月も同じである。
だが三月のほうはまだ許(ゆる)せる。それは間違いなく季節が春に向かうからだ。冬に向かい、なお陰鬱な十一月とは違う。
この感覚は札幌がいかに近代化し、ビルが立ち並び、暖房(だんぼう)が完備(かんび)し、住みやすくなったとしても変らない。自然はそんなことにかまわず、毎年確実に暗く、重い季節を送り届けてよこす。
そそらくどこの土地にも、感心しない季節というものがあるに違いない。このときだけは、初めて行く人にすすめたくないという季節である。東京でいえば、梅雨の六月とか、酷暑の八月とかがそうかもしれない。京都(きょうと)も八月とか、底(そこ)冷(ひ)えの一、二月は感心しない。
東北や北陸はもちろん、気候のいいといわれる湘南や山陽道にも、それぞれに厭な季節があるに違いない。
その土地に住む人々が、どうして感心しないという季節がある。そしてそれは、その土地に住んだ人にしか、わからないものかもしれない。
(『日本の名随筆 20冬 歳時記』文芸春秋より)