在海中 菊池宽

在海中

菊池宽 

2026.9.15.

从八月开始,两人生活便逐渐陷入极度的困顿。每一天,他们的生活都被笼罩在阴郁而压抑的阴影之下。对敬吉而言,奥美仿佛成了横亘在他与当下黑暗、压抑世界之间的一道屏障,他每天都会感到越来越多的隔阂。因为奥美的虚弱无力的手缠绕着自己的颈项,他似乎越来越深地陷入了这种束缚之中。

每当这样的情形发生,他就愈发觉得奥美的轻率举动令人憎恶。她那过于随意、浅薄的行为,让原本的种种痛苦仿佛被进一步放大了。

生活变得越苦涩,他对过去那些记忆的痛楚就越发如啃咬稻草般地折磨着他。曾经四五月前还充满欢乐的回忆——与她的恋爱过程以及其中的各种情景——如今已化作令人厌恶、难以承受的痛苦记忆,深深沉入心底。然而,他却始终无法正面责备她过去的轻率行为,也无法以任何方式将她当时的过失归咎于现在的痛苦。

她比他更深刻地后悔自己的轻率之举。她甚至没有一丝可以被责备的空间,反而不断自责,苛刻地审视自己内心。

“我的轻率行为,实在给贵君带来了麻烦。”她总是如此口头抱怨。自从上京以来,只要一察觉到生活里有丝毫痛苦的影子,她便会立刻向自己道歉。他对自己丈夫的言语几乎无法表达,但自己却常常主动向他人坦白自己的轻率之处。

然而,这种轻率行为,并非只有她一人需要承担。就连敬吉,也从未真正为她的轻率感到喜悦。在生活尚未变得如此艰难之前,敬吉从未有过责备她的念头。

敬吉与奥美,故乡位于北越地区的一个偏僻小镇。敬吉中学毕业后,立即回到家乡担任小学教师。年轻的教师很快便与当地艺伎奥美坠入爱河。这位性格奔放自由的青年,在某个深夜宿夜时,竟将奥美带进学校宿舍,结果被校长的妻子发现,随即被免职。对于小学教师,乡下人一向怀有极大的尊敬,他们绝不会容忍哪怕一点瑕疵。更何况,把艺伎引入学校,是乡村狭小社会中不可饶恕的大罪。敬吉因此不得不面对来自镇上居民的强烈排斥。与此同时,作为他的对象,奥美也必须承受来自周围人的激烈迫害。在乡下,报纸的记者们总是吝惜地使用一、二号字的活字,公然写下敬吉与奥米之间的关系,并攻击教育界的腐败。敬吉在家里受到严厉的父亲的憎恨目光注视;走到外面,又不得不面对那些充满恶意的嘲笑。他无论如何也无法再留在国家里了。他只能依靠慈母那无私的付出,才得以前往京都。当敬吉痛苦地生活着时,奥米也正承受着自己的苦痛。自从报纸报道了这起事件后,她的客人明显地减少了。

“你家的君勇先生,真是个狡猾的妓女,连一分钱都不值的教员,却还妄图扬名。”那个阴险的女人竟如此对奥米说,仿佛是在对客人说话一般。

性格内向、柔弱的奥米,立刻被这些尖刻的话语刺伤了心。

就在敬吉即将启程上京的夜晚,奥米丈人送她到了车站。敬吉的上京几乎已是夜行。虽然他心中仍怀有明亮的希望——比如能进入早稻田大学之类,但他的出发却无人愿意送行,令人无比凄凉。

奥米独自逃出了家门。她在候车室里哭泣着,可当火车即将发车时,她突然振作起来,说道:“请让我一直等到敦贺吧!我觉得,就这样离开我,实在无法忍受。”

敬吉并不觉得这种女子的怨念是值得高兴的。他明白,自己与她的关系早已根深蒂固,他对她的爱并未因此而丝毫受损。他欣然接受她这样体贴的关怀。于是,奥米亲自去售票处,和敬吉一样,买了一张三等票。

上了火车,敬吉第一次离故乡而去,内心充满了忧伤。然而,奥米将他送到敦贺的消息,究竟让他多少得到了安慰?但他从未对她说过任何承诺未来爱情的言语。他从与她的关系中遭受了巨大的打击,这对他而言是一段极其痛苦的经历。离开家乡之后,他自然地与她渐行渐远。他决心要开启属于自己的自由新生活。

但在敦贺与她分别,对他来说绝非一件轻松的事。极度感伤的她,在其他乘客面前也不曾掩饰,持续地哭着,这令他内心深受触动。

“这次就到敦贺下车吧,反正已经到了。你哭了什么,还能做什么呢?好吧,那就好好照顾身体,坚强地活下去吧。”他低头望着车窗,紧挨着奥米耳边说道。

然而,即使火车停在敦贺,她也始终不肯下车。 

“喂!敦贺,怎么了?你为什么不下来?”敬吉略显慌乱地催促着她。可她却无论如何都不肯下车。敬吉焦躁地望着她那近乎无理的固执,强忍怒意,试图将她从座位上拉下来。就在此时,她突然抬起头,泪眼汪汪地说道: 

“我……我!其实我已经买到了米原站的车票。因为是后生,所以请送我到那里去吧,否则这或许就是我一生的分别了。” 

话音刚落,火车便已缓缓启动。敬吉对她的这种行为感到既恼火又不安,但也不得不为她如此强烈的坚持而感到一丝欣慰。

“你已经买了米原站的车票!别撒谎,一旦过桥就会出事,快给我看看哪张车票。” 

敬吉说着,从她包里取出了一张本该放着的车票。她没有拒绝丈夫,只是继续哭着,泪水不断涌出。

敬吉无意中从钱包里抽出车票,透过昏暗的灯影仔细查看。他惊讶地发现,那张车票上竟与自己的车票一样,写着“△△△至东京”字样。

他猛然惊呼:“这是我的车票!” 

可女子比他更早地喊道:“请放行!” 

随即,她更加剧烈地抽泣起来,声音比以往更加凄厉。

她的举动极其鲁莽。她离开家时,连一件换衣服都没有带。事实上,她买下前往东京的车票,纯粹是因为偶然在车站看到的念头。敬吉忽然觉得,自己仿佛背负着无法承受的重担。他对自己故乡的失误感到无比痛苦,而那个必须由他保护的女子,此刻正成为他心中最沉重的负担。

他终于用嘶哑的声音责备她。但她除了说“请放行”之外,再无其他回应。更何况,要将一个哭泣不止的女人送到一个连名字都陌生的小站,任何有爱的人都是难以做到的事。就在那一刻,火车抵达了米原站。

“既然已经说是米原站,那就请下车吧!然后立刻返回国家,毕竟你是后生,我恳求你!” 

敬吉反复叮嘱。可她依旧一动不动。

敬吉也无法强行拉她下车。他一边责骂她的鲁莽,一边也很难为她对自己所采取的极端行动感到高兴。

自从这段关系被世人知晓以来,她也遭受着同样程度的痛苦。作为丈夫,她独自逃离家乡社会,只留下丈夫一人,如今仍承受着生活的艰辛——这看起来似乎是一种自私的行为。女人若真如此依附于他,那除了同行之外,再无其他出路,敬吉于是重新思考。两人便前往东京。

上京之后,敬吉仍为女人多次承受着痛苦与不快。妻子的监护人自然认为是敬吉诱骗了她,因此对敬吉家展开猛烈的报复。他父亲年事已高,性格刚强,对敬吉再次的混乱行为怒不可遏。他向妻子索要钱款时,却被告知今后绝不再给敬吉汇款。

敬吉最初想学点东西,但这个念头很快消失得无影无踪。他必须自己谋生,而更重要的是,他还必须养活妻子。起初的三个月里,他们依靠自己的积蓄,虽然内心不安,却过着相当愉快的生活。然而,随着四月和五月的到来,生活日益艰难,巨大的压力无情地笼罩在两人身上。

敬吉起初还尝试写笔记、练笔墨等,但丈夫根本无法承担养活两人的责任。他最终不得不放下身段,成为炮兵工厂的一名工人。由于欧洲战争爆发两年,薪水虽高,但他的健康却因二月的繁重劳动而不堪重负。七月初,炮兵工厂停止运营后,他又被迫寻找新的生存之路。

男人越是陷入生活的困境(“足下+宛”,第3级1-92-36),女人就越难以忍受。她渐渐意识到,自己轻率地追求男人,竟成了如今一切不幸的根源。她开始后悔自己曾将命运的重担压在男人肩上,仿佛自己正不断将他推入深渊,而内心深处,她终于明白,自己再也无法容忍这种被抛弃的感觉。

敬吉也清楚地意识到这一点:既然已经深陷于妇人之中,就只能一同跌落,无论走到哪里都无路可退。尽管丈夫并不憎恨她,但每当她察觉到对方言语中的轻率,他的心便充满了对她的怨恨。事实上,当生活困苦,情绪急躁时,他常会责备眼前的女人过去所犯的过错,甚至想要责骂她。然而,当他这样做的时候,却反而更加沉默寡言,几乎无法动弹,什么也无法做。

每当敬吉说出粗鲁的话,她便会说:“我全都是错的。”她心里也始终认定,男人现在的不幸,全由她一人所致。

到了八月,通风不良的敬吉等人房间,即便在暖炉中也每日闷热难耐。这更让两个精神疲惫的人彻底崩溃。

敬吉渴望从女人那里得到鼓励的话语,而非哀伤的诉说。生活让他疲惫不堪,他渴望从任何人那里得到鼓励的话语。然而,女人却从未真正理解这种强烈的情感。每当男人在生活的重压下露出疲惫的神情,她便立刻陷入自己惯常的哀伤之中。敬吉渐渐无法承受女人这种深沉的忧愁,他开始频繁地外出散步。但无论何时回家,她总坐在桌前,半身倚靠在椅上,呜咽着哭泣。而当敬吉归来时,她那双如羊眼般温柔的眼睛,又会抬起,含泪凝望。

敬吉渐渐意识到,女人的这种悲伤正一步步渗入自己的内心。他越是想逃避她的哀伤,就越难摆脱。

海の中にて

菊池寛

 二人の生活は、八月に入つてから、愈々困憊の極に達して居た。来る日も、来る日も彼等の生活は陰惨な影に閉ざされて居た。

 敬吉には、おくみの存在が現在の暗いじめ/\とした世界と、明るい晴々とした自由な世界とを、遮ぎつて居る障壁のやうに、思はれる日が多くなつた。おくみの羸弱かよわい手が、自分の頸の廻りに、纏ひ附いて居る為に、※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)けば※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)くほど、深味へ陥ちて行くやうに思はれてしやうがなかつた。

 そんな度に、彼はおくみの軽挙が、恨まれ始めた。彼女の、余りに軽率な、浅慮な行動から、現在の凡ての苦痛が、萌して居るやうに思はれた。

 生活が、苦しくなればなる程、其当時の思出が、韮を噛むやうに、苦がくなつて来た。つい、四五月前迄は楽しい思出として享楽して居た、彼女との恋の発生や、経過などに就いての色々な情景が、今ではもう嫌な不快な記憶として、心の裡に澱んで居た。が、彼は彼女の過去の軽挙を、真正面から叱責したり、又その軽挙に現在の凡ての苦痛を、脊負はせるやうな、態度を見せる訳にも行かなかつた。

 彼女は、彼以上に自分の軽挙を悔いて居た。彼から叱責せられる余地のない程、自分で自分の心を責めぬいて居た。

「私の軽はづみから、貴君あなたに迷惑をかけて済まない。」と、彼女は口癖のやうに云つて居た。上京して以来、彼等の生活に少しでも、苦痛の影が射すと、彼女はもう直ぐに自分の軽率を謝して居た。彼が、夫それに就いて、口出しが出来ないほど、自分で自分の軽率を謝して居た。

 が、その軽はづみと云ふのも、彼女ばかりに脊負はせて置けるものでもなかつた。敬吉の方でも、その軽はづみを心から嬉しく思つた事があつたのだ。生活が今のやうに苦しくならぬ前には、敬吉は彼女の軽はづみを、叱責する心などは少しもなかつたのである。

 敬吉とおくみとは、北越のある田舎町を故郷に持つて居た。敬吉は、中学を出ると、直ぐ自分の町で、小学校の教師を勤めて居た。そして、若い教師はいつの間にか、その町の芸者で、一本になつたばかりの、おくみと恋に陥ちて居た。奔放な自由な青年であつた彼は、ある宿直の晩に、おくみを学校の宿直室に引入れて居たのを、校長の妻君に見附けられた為、彼は直ぐ免職になつてしまつた。小学校の教員に対して、絶大な尊敬を払ふ田舎の人々は、又彼等に少しの瑕瑾をも、許さなかつた。まして、学校へ芸者を引き入れる事などは田舎の、狭い世間では、許すべからざる大きな罪過であつた。敬吉は、町の人々から、恐ろしい排斥を受けねばならなかつた。それと同時に、敬吉の相手であつたおくみも、彼女の周囲から、可なり烈しい迫害を、受けねばならなかつた。材料に渇かつゑて居た田舎の新聞は、一号や二号の活字を惜し気もなく使つて、敬吉とおくみとの関係を露骨に書き立てゝ、教育界の腐敗を攻撃した。敬吉は、家では厳格な父から、憎悪の眼を以て見られた。外へ出れば、出逢ふ人々から、悪意のある嗤笑を受けねばならなかつた。彼は、何うにもかうにも、国に居堪まれなくなつた。彼は、慈母のそれとなき尽力で、到頭上京する事になつた。敬吉が、苦しんで居ると同時に、おくみも亦、彼女自身の苦痛を持つて居た。新聞にその事件が出てからは、彼女の客は、目に見えて落ちてしまつた。

「内の君勇さんは、ほんまに悧巧な妓ぢや。一文にもならん教員さんと浮名を流しとる。」と、意地の悪い女将は、おくみに聞えるやうに、客に向つて話したりなどした。

 内気な、気の弱いおくみは、かうした棘々とげ/\しい言葉から、直ぐ傷けられた。

 敬吉が、愈々上京すると云ふ晩に、おくみ丈が、停車場迄送つて来た。敬吉の上京は夜逃よにげに近いものであつた。上京したら早稲田へでも、入学しようと云ふやうな、明るい希望が、動いて居ないでもなかつたが、彼の出立は、誰人だれにも送られない程淋しかつた。

 おくみは、そつと自分の家を脱け出して来て居た。彼女は、待合室でさめ/″\と泣いて居たが、愈々発車の時間が近づくと、急に元気づいて、

「私、敦賀迄見送らせて下さいな。この儘茲こゝで別れてしまふのは、何だか堪らないと云ふ気がするから。」と、云つた。

 敬吉は、女のさうした未練を嬉しく思はずには居られなかつた。彼の失脚は、全く此女との関係に胚胎して居たとは云へ、彼女に対する愛は、その為に、まだ少しも傷けられては居なかつた。彼は、女のさうした親切を快く容れた。すると、おくみは自分で、切符売場へ行つて、敬吉と同じく三等の切符を買つた。

 汽車に乗つてしまふと、敬吉は遉さすがに初めて故郷を離れると云ふ、哀愁に囚はれて居た。が、おくみが敦賀迄送つて来ると云ふ事は、何れほど彼を慰めたか分らなかつた。が、敬吉は彼女に、自分達の愛の将来を誓ふやうな言葉は何も云はなかつた。彼は、彼女との関係から、可なり大きい打撃を受けた事が、彼には全く苦い経験であつた。故郷から離れる事に依つて、彼女からも自然に離れる。そして自分一人の、自由な新しい生活を開拓しようと、彼は心の裡で決心して居たのであつた。

 が、敦賀で彼女と別れる事は、彼に取つて決して平気な事ではなかつた。極度にセンチメンタルな彼女が、他の乗客の前も憚らず、しく/\と泣き続けて居る事は、彼の心を可なり手強く動かさずには居なかつた。

「もう、此次が敦賀だから下りる仕度をして置くといゝ。何んなに泣いたつて、何うする事も出来ないんだから。まあせい/″\身体に気を附けて、丈夫に暮すんだね。」と、彼は車窓に顔を埋めて居る彼女の耳の傍で、云つた。

 が、汽車が敦賀に停まつても、彼女は降りようともしなかつた。

「おい! 敦賀だよ。何うしたんだい! おい降りないか。」と、敬吉は稍々狼狽しながら、彼女を促した。が、彼女は何うしても降りようとはしなかつた。敬吉は、彼女の駄々つ子のやうな無理解さに、焦だちながら、強ひて彼女を座席から引き剥がさうとした。すると、彼女は泣き脹した眼を上げながら、

「妾わたし! 本当は米原迄の切符を買つたのよ。後生だから、彼処迄送らして下さい、もう之が一生のお別れかも知れないのだから。」と、泣きながら云つた。その途端に汽車は動き出してしまつた。敬吉は女のさうした行動に、迷惑と不安を感じながらも、女の突き詰めた心持を、嬉しく思はないでは居られなかつた。

「米原迄買つた! 偽を云つては困るよ、乗越をすると困るから、どれ切符をお見せ。」かう云つて敬吉は、おくみが切符を入れた筈の、彼女の財布が帯の間にあるのを取り上げた。彼女は夫を拒まないで、その間しく/\泣き続けて居た。

 敬吉は、何心なく財布の中から切符を取り出すと、暗い電燈の光で、切符の文字を透かして見た。すると思ひがけなく、その切符には彼自身の切符と同じく、△△△から東京迄と云ふ字が、歴々あり/\と読まれたのである。

 彼は「しまつた!」と、思はず声を出さうとしたが、女は夫よりも早く、

「御免なさい!」と云つたまゝ、前よりも烈しく歔欷し始めた。

 女の行動は、極端に無謀であつた。彼女は自分の家を脱けて停車場へ来た為に、着換一枚持つて居なかつた。実際彼女が、東京迄の切符を買ふ気になつたのは、ホンの停車場での、出来心であつたらしかつた。敬吉は、不意に自分の身に、脊負ひ切れぬ重荷を負はされたやうに感じた。彼は、故郷に於ける失策を、脊負つて居る事さへ可なり苦しかつた。而も、その失策の相手方、而も当然彼が保護してやらねばならぬ女を、伴ふと云ふ事は、その時の敬吉に取つては、彼の力に余つた苦しい荷物であつた。

 彼は思はず荒々しい声を出して、彼女を責めた。が、彼女は只「御免なさい。」と云ふ外は、何も云はなかつた。その上、泣き頻しきつて居る彼女を、他国の名も知れぬ小駅に、下す事などは、少しでも愛を持つて居る者には出来なかつた。その裡に、汽車は米原に着いた。

「米原迄と云つたのだから、茲こゝで下りて呉れ! そして直ぐ国へ引返して呉れ、後生だから! 頼むから!」と、敬吉は幾度も繰返した。が、女は動かうともしなかつた。

 敬吉も、引ずり下すことは出来なかつた。彼は女の無謀を責めながら、女の自分に対する死身の行動を、嬉しく思はずには居られなかつた。

 自分との関係が、世間に知られてから、彼女も同じ程度に苦しんで居るのだ。夫だのに、自分一人故郷の世間を脱出しながら、女丈だけを後に止めて、今迄通りの苦しみを苦します事は、考へて見れば利己的な事に相違なかつた。女が、さうして自分に縋り附いて来る以上、行く所迄女を伴うて行く外はないと、敬吉は思ひ直した。

 そして二人は東京へ出た。

 上京してからも、敬吉は女の為に、幾度も不快な苦痛を嘗めた。おくみの抱主は、当然敬吉がおくみを誘拐したものと、極めてしまつた。そして、敬吉の家へ烈しい掛合を持ち込んだ。昔気質かたぎの一徹な敬吉の父は、敬吉の再度の不始末に、火のやうに怒つてしまつた。おくみの前借を、抱主に払つた代りに、敬吉には、以後絶対に送金せぬと云つて来た。

 敬吉は、学問をするなどと云ふ最初の目的は、夢のやうに消えてしまつた。彼は自分で喰ふ道を求めねばならなかつた。その上におくみを養うて行かねばならなかつた。最初三月ばかりは、二人の所持金で、彼等は不安に襲はれながら、相当に楽しい月日を送つた。が、夫が四月となり、五月となるに従つて、生活難の烈しい圧迫が、容捨なく二人を襲ひ始めた。

 敬吉は、最初はノートの写字や、筆耕などをやつて来たが、夫は二人を養ふのに十分な職業ではなかつた。彼は到頭、身を落して、砲兵工廠の職工に雇はれた。欧洲戦争が、始まつて二年目の年であつたから、給料は高かつたが、彼の健康は二月とその烈しい労働に堪へなかつた。七月の初に、砲兵工廠を止めてからは、彼はまた新しい生活の道を求めねばならなかつた。

 男が生活に※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)けば※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)くほど、女は堪へられぬほどに悶えて居た。自分の軽はづみ、自分が自分の運命に忍従する事を忘れて、冒険的に男を追つた事が、凡ての現在の不幸の初だと思ひ出すと、女は身も世もないやうに自分の軽はづみを悔いた。自分は男の身体について居る重錘おもりのやうに、段々男を浮ぶ瀬のないやうに、沈落させて行くのだと思ふと、女は心の底から男に済まないと思ひ出した。

 敬吉は敬吉で、同じやうにその事実を意識して居た。おくみに憑かれて居る以上、二人一緒に陥ちる所迄、陥ちる外、仕方がなかつたが、夫でも敬吉は、おくみを憎みはしなかつた。おくみが、二言目には自分の軽率を、詫びて居る事を思ふと、彼の心は、彼女に対するいぢらしさで一杯になつた。実際苦しい生存の為に、気が焦々する時は、目の前に居る女の、過去の軽率を責めて、思ふ様に撲ぐつてゞもやりたいと思ふ事は、よくあつたが、さうした時、女は撲ぐられた以上に、しめ/″\と悄気て居るので、何うする事も出来なかつた。

 彼女は、少し敬吉が荒い言葉を出すと「妾が皆悪いのです。」と、云つた。彼女は心の裡でも、男の現在の不幸は皆自分にあると、思ひ詰めた。

 八月が来ると、風通しの悪い敬吉等の部屋は、煖炉の中にでも居るやうに、毎日蒸せて居た。そして精神的に耗すれ切つて居る二人の頭を、更に狂はせた。

 敬吉は、女から愁嘆の代りに、激励の言葉が欲しかつた。生活に労れ切つて居る彼は、誰からでも激励の言葉を欲して居た。が、女はさうした強い分子は、少しも持ち合はして居なかつた。男が生活のうめきを洩しかけると、女は一足先きに、お定まりの愁嘆を始めた。敬吉は、人を地の底へでも引き入れさうな女の愁嘆に、堪へ切れなくなつて来た。彼は、自然外出する日が多くなつた。が、何時帰つて来ても彼女は、きつと机に上半身を凭せて、じめ/\と泣いて居た。そして敬吉が帰ると、羊のやうに、オド/\した眸を挙げた。

 敬吉は、女のさうした愁嘆が、段々自分の心にも浸み入つて来るのを覚えた。女の愁嘆を逃れようと思へば思ふほど、彼女の愁嘆は彼の心に浸み入つて来た。彼女がじめ/\すればする程、彼の心も陰鬱になり始めて居た。

 下宿代が六月分も滞つて居た。下宿屋の主人が、敬吉と同郷である為に、夫程烈しい督促もしなかつたが、女房の方が時々敬吉等に向つて、不快な督促の言葉を吐いた。敬吉は割合平気であつたがおくみはそんな事にも、意気地なく傷けられて居た。

 敬吉が求めて居た夜学教師の口が、僅かの行違で駄目になつた為に、彼等の生活は、愈々暗いものになつてしまつた。

 敬吉は、此先、殆ど生活の手段が考へられなくなつた。彼は前に幾度も伯父から「女とさへ手を切れば、親父の方は、何うにでも説きなだめて、学資を送らすやうにするから。」と、手紙で云はれて居た。彼は、生活が苦しくなる毎に、伯父の忠言を幾度も思ひ出した。が、今迄一緒に苦しい中を切り抜けた女を、自分丈の幸福の為に、見捨てる事は何うしても忍びなかつた。

 が、今度と云ふ今度は、もう最後の手段を考へるより外、仕方がなかつた。之以上、二人が一緒に居れば、お互に餓ゑ死するより外なかつた。その上、女が、自分が男に掛けて居る迷惑を意識して、段々自分の身を引かうとするのが、敬吉には淋しかつた。

「私もう、一層の事死んでしまひたい。」女は口癖のやうに云ふ日が多くなつた。敬吉も、女に対する愛が、かうした陰惨な生活で、段々麻痺されて行くやうに思つた。愛が段々憐憫と云つた感情に、移りかけて居た。

 愈々生活の見込が立たなくなつた時、敬吉は心の裡では幾度も云ひかけて居た事を、到頭云ひ出した。

「何うだい! おくみ、思切つて国へ帰つて呉れたら。俺に附いて居たとて、此先何うと云ふ見込があるのでなし、夫にもう、本当に仕方のないどん底迄、陥ちてしまつたんだから。お前が、一旦思ひ直して国に帰つてさへ呉れゝば、両方ともうまく行きさうに思ふのだが、どうだらう。親元だつてお前を情つれなくする訳はないだらう。」

 半分も云はない裡から、おくみは泣き出して居た。敬吉は「またか。」と思つたが、可愛い相でもあつた。敬吉が幾度も同じ事を繰返しても、おくみは返事をしなかつた。

 すると、その翌日平常ふだんよりも早く起きたおくみは、何時になく鏡台の前で身づくろひをしてから、

「一寸神楽坂迄。」と云ひながら、出て行つた。敬吉は、おくみの沈んだ様子が、何となく気がゝりであつたので、彼はおくみの姿が見えなくなると、本能的に鏡台の引出しを探しにかゝつた。すると、其処に小さく折たゝんだ紙片が見附かつた。

「長い事苦労をかけて済みません。妾が居ては、貴君の出世の邪魔をするやうなものですから、あなたの為に死んでお詫を致します。お傍を離れるのは誠に辛い。決してあなたを見捨てたのではありませんから、恨まないで下さい。」と、見馴れた彼女のいぢけた文字で書いてあつた。

 敬吉は、かうした事変を予期して居た。そして此手紙を見た刹那にも、殆ど駭かなかつた。この儘にして置けば、あの女の陰鬱な把握から、逃れることが出来ると云ふ、利己的な、悪魔的な考へが、頭の中に浮ばないでもなかつた。が、彼は直ぐ思ひ返して、おくみの後を追つた。もう此の辺に一年近く住んで居るのだが、殆ど外出しなかつたおくみは、まだ電車迄の道に、十分に馴れて居なかつた。敬吉は息を切らしながら、神楽坂下の停留場へ駈け附けて待つて居た。すると、暫く経つてから漸くおくみがやつて来た。おくみも、心の底では、引き止められる事を予期したやうでもあつた。彼は「おい!」と云つて、おくみの肩を叩くと、黙つて自分達の下宿の方へ引返した。おくみも素直に彼の後に従つた。

 おくみが、本当に死なうと云ふ覚悟を見せてからは、二人の間はもつと暗くなつた。敬吉は、なるべく外出しないで、おくみを慰めようとしたが、その事は、尚おくみを苦しがらせた。おくみとしては、自分の為に敬吉を、此上少しでも煩はすと云ふ事が、心苦しかつたのだ。二人は何も話さないで、向ひ合つて居る日が多くなつた。敬吉は女の心が、日一日益々沈んで行くのを、明あきらかに感じた。そして女の沈んで行く心が、敬吉にも反響した。二人は手を携へたまゝ、段々最後の悲劇へ急いで居たのであつた。

 おくみが再度男に迫られて、到頭国へ帰る事に得心した日の、午後四時頃であつた。急に「涼みに行きたい。」と云ひ出した。八月十三日で、朝から下宿の狭い部屋は、焼き附くやうに暑かつた。女は珍らしく機嫌を直して居たので、男もつい涼みに行く気になつた。

 二人は、珍らしく連れ立つて家を出た。芝浦へ行く心算つもりであつたが、電車に乗つてから女は「海へ出たい。」と云ひ出した。

 敬吉も、さうした女の気紛れを、嬉しく思ふやうな、妙にそは/\した心になつて居た。二人は築地橋の船宿から、ボートを借りて海へ出た。

 海の上には、遉さすがにそよ/\と微風が吹いて居た。男は台場の方を目指して、思ひ切り漕ぎ進んだ。が、中途迄行くと、余りに労れ過ぎて、帰りに漕げないでは困ると思つたので、後へ引き返さうとした。すると女は急に「いや/\、私、何時迄も海に居たいわ。」と云ひ出した。

「馬鹿な! もう日が暮れかゝつて居るぢやないか。」と、敬吉は、女の多愛たわいのない態度を叱責した。

「私、茲こゝから飛び込んで死にたいわ。妾わたしが死んだら、あなたは何うするの。」と、女は平生いつもの彼女と全く違つてしまつたやうに、快活で大胆になつて居た。

「冗談を云ふな! 馬鹿!」と男は叱つたが、女の態度や言葉の裡には、冗談にしては底気味の悪い確かさがあつた。

「妾わたし、本当に茲で身を投げるから見て居て頂戴。何んな事があつても助けないで下さいよ。」と、云ふと、今迄冗談のやうに云つて居た彼女の眼から、大粒の涙が湧くやうに流れ始めた。敬吉は、動揺するボートの底板を、重く踏みしめながら、女に近づいて女の身体を捕へた。今年十八になつたばかりの小柄の女は、敬吉の眼に此時程いた/\しく映つた事はない。敬吉一人を頼りにして、故郷を脱出ぬけだして、下宿屋の汚い部屋で、今迄惨じめな、苦しい生活を忍んで来たのが、敬吉に帰国を迫られた為到頭死を覚悟した女の心持が、敬吉の頭の中へ力強く反映した。

 敬吉は、女をヂツと抱いて居ると、女の心持が、沁々と彼の心の裡に浸にじみ込んで来た。そして段々暗くなつて行く海上の、ボートの中では、おくみと自分との二人限きりの運命の事しか、心に浮ばなかつた。

 彼にとつては、おくみの外に、もう何も存在しないやうに思つた。自分を慕うて色々な苦痛を忍んで来た、いぢらしい女の外には、世の中には何も存在しないやうに思はれ出した。彼は今迄に感じた事のない程の、女に対する烈しい愛が、自分の心の裡に湧いて来るのを感じた。静に女を抱いて居ると、何も云はないでも、二人の取るべき道が、敬吉には判つて来るやうに思つた。一緒に死ぬと云ふ事が、苦痛でも何でもなくなつた。彼は女を心から愛しながら、死ぬ事を何よりも幸福だと思つた。女も、男に抱かれながら死ぬ事を、思ひ掛もない幸福だと思つた。愈々二人の身体を結び合はしてしまふと、女はたつた一言「済みません。」と、囁くやうに云つた。

 何の恐怖もなく、躊躇もなく、二人は舟端から滑り込んだ。敬吉は、最初冷たい海水の触感を、快いとさへ思つた。が、死の苦痛は直ぐ二人を襲つた。敬吉は、女の身体をグイと抱きしめながら、その苦痛と戦つた。すると、最初は敬吉の身体に縋り附いて居た女が、徐々に身を※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)き始めた。敬吉は女の苦痛をいたましいと思つた。彼は一層力強く女を抱きしめようとした。すると、女は却つて反対に左右の手で、グン/\男の身体を押し除けようとした。その時二人の身体は一時海面に出た。敬吉は、女が自分を押し除けようとする態度を、可なり不快に思つた。声を出して女に何か云はうと思つたが、もう声は出なかつた。その中うちに、二人は又沈みかけた。女は以前よりも、一層烈しく※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)き出した。そしてもがきながら左右の手で、烈しく敬吉の顔を掻き続けた。敬吉の段々混乱しかけた意識にも、女のさうした態度が不満でならなかつた。つい一時間前に、あれほど愛して居た女から、顔を掻きむしられながら、死んで行く事が、彼には堪らなく不快だつた。彼は水の中で、女を叱らうと思つたが、口を開ける度に海水に咽せた。彼は、ぢつと女を抱きしめながら、女の左右の手の不快な運動を堪こらへて、死の苦痛を忍ばうとした。彼は三四分も、その苦痛に堪へて居た。その内に今度は、彼自身何どうにもかうにも堪らなくなつた。彼は女を抱いて居た手を離すと、自分の身体に纏ひ附いて居る女の身体が、邪魔で邪魔で仕方のないやうに思ひ出した。彼は両手で、女の身体を力一杯押し除けようとした。敬吉の手と、女の手とが水中で打ち合つた。それは、水中に於ける烈しい格闘であつた。敬吉の頭の中には、何等の記憶も感情もなかつた。たゞ生きたかつた。彼は最後に、渾身の力を籠めて、自分の身体に纏ひ附いて居る、邪魔物を押し除けた。彼は、何だか安心したやうな、救はれたやうな心持になつた。が、彼の身体はもう疲れ切つて居た。彼は、もう何等の苦痛も感じなかつた。底の無い深淵へ沈むやうに、深く/\陥ちて行くやうな気がした。何だか周囲が、ボンヤリと明るくなつたかと思ふと、少年時代からの色々な出来事が、映画フイルムのやうに彼の頭の中を通過した。夫が終ると段々周囲が闇くなつた。淋しいやうな頼りないやうな嫌な心持がした。夫が彼の意識の終だつた。

 女は死んでしまつて、敬吉は救はれた。

 彼が意識を恢復したのは、その日から丁度五日目であつた。気がつくと、彼は病院の一室に寝て居た。何だか、顔が掻ゆいので、手をやつて見ると、額にも頬にも、幾つも蚯蚓脹みゝずばれがして居た。彼は、最初その傷が、何うして出来たのか判らなかつた。が、だん/\意識が明確になるのに従つて、その原因が判つた。

 彼は、夫を女の唯一の片身として、痕跡が全く無くなる迄、時々淋びしく撫でゝ居た。そして、女を突き放して、自分一人助かつた事を、さう後悔もして居なかつた。

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