原文
京都盆地の南西にある乙訓(おとくに)地域はタケノコの名産地である。孟宗竹(もうそうちく)の盛りが過ぎ、これから淡竹(はちく)、ついで真竹(まだけ)へ旬が移る。京都府向日(むこう)市で竹林を営む田中益一(ますかず)さん(62)を訪ね、掘り方を教わった。
土から顔を出したものには手をつけない。のどを刺す「えぐみ」があるからだ。地割れや隆起をたよりにスッとくわを土に刺す。身を傷つけぬよう地下茎の筋を読み、素手でやさしく掘り起こす。〈発掘の石仏に似て春筍〉村上喜代子
「子ども時分に覚えた人は手際がいい。バイオリンの稽古に似ています」と田中さん。いまは祖父や父から教わった知恵を、高校生の息子さんに伝えている最中という
03 .
田中さん宅で孟宗竹の水煮をいただいた。身がとろけるほど軟らかく、まろやかである。流通量は少ないものの、淡竹は苦みがあってパリパリした食感が通に好まれる。真竹も苦いが、軟らかみは孟宗に近いそうだ。
一帯は長く竹産業で栄えた。かつて竹材は、桶(おけ)や樽(たる)の製造、建築現場はもちろん、のりの養殖のさおや、衣類のボタンにも使われた。近年は需要が細り、花器や茶器、門松など工芸品が軸と聞く。
「いまは昔、竹取の翁といふもの有けり。野山にまじりて竹を取りつゝ、よろづの事に使ひけり」(竹取物語)。長きにわたり生活全般「よろづの事」を支えてきた竹の万能性に思いを致す。もっぱら春先にかぶりつくばかりで、竹やぶに足を向けない現代人の暮らしぶりを知ったら、竹取の翁も嘆くことだろう。竹な忘れそ。
翻译
位于京都盆地西南的乙训郡是有名的竹笋产地。过了孟宗竹的季节,接着是淡竹然后到了真竹的季节。我拜访了在京都府向日市经营竹林的田中益一先生(62岁),向他请教了挖笋方法。
不能用手碰从土里露出来的东西,因为会有刺喉的味道。顺着地缝和隆起的土用桑枝迅速的插进土里,在不弄伤地下根茎的条件下弄清其脉络,用手轻轻将笋挖出。--村上喜代子《挖出像石佛的春笋》
02.“小时候就学会挖笋的人手法是很好的,就像学习小提琴一样。”田中先生说道。田中先生现在正在把从爷爷和爸爸那里学到的智慧传授给读高中的儿子。
我在田中先生家里品尝了水煮孟宗竹笋。竹笋像是要化了一般柔软,味道十分圆润。淡竹市场流通量很少,但由于其有苦味口感独特受到喜爱。真竹虽然苦,但柔软程度与孟宗竹相近。
这一带长期因为竹子产业而繁荣。曾经竹子不但能用于造水桶酒桶和建筑工地,还能做成养紫菜的竹排和衣服的纽扣等。这些年需求变少,主要用来制造插花用具,茶具和门松等工艺品。
“却说以前有一个叫竹取翁的人,到野山砍竹子,用来制造东西。”(竹取物语) 长久的生活全部靠竹子做的东西支撑,认为竹子是万能的。要是知道现代人只要到了初春就能吃到竹笋,却没有进过竹林的生活方式,竹取翁也会感叹吧。不能忘了竹子啊。