一年生の時、ガリレオと言うドラマをきっかけに、推理小説が好きになった。そして、東野圭吾の作品を何冊読んだ。その中で、特に印象深く心に残っている作品は「百夜行」である。
主人公とヒロインの二人は、小学校の頃に奇妙のことに会って、犯罪した。主人公の亮司は罪を背負いながら、身を潜めながらまた犯罪を重ねてしまぅた。でも、ヒロインの雪穂は罪を背負いながら、いつも太陽の下で歩いていた。二人はどこにいても、何をしていても、他の誰としても、運命共同体なのである。
「百夜行」の中の「あたしの上には太阳なんかなかった。いつも夜。でも暗くはなかった。太阳に代わるものがあったから。太阳ほど明るくはないけれど、あたしには十分だった。」と言う文章がすごく好きだ。雪穂は太陽の下に生きることができるのは、亮司の献身的な愛情だと思う。だがいつも雪穂のために犯している罪なのである。命まで犠牲を払った愛情が素晴らしいと思う。犯罪と言うことは悪いのがわかってるが、とても感動した。だが、もう一つの想いが会った。もしこの二人は犯罪をせず、幸せになれるのか。もし亮司の父親が生きていれば、幼い雪穂は苦しみから逃げれられないだろう。自分の目で父親の犯罪を見た亮司も自分を許せないだろう。どうでも不幸な二人はかわいそうと思う。
この文の最後で亮司がなくなった時、雪穂は身も回らず、離れた。その時、彼女の言った文を思った。「あたしには最初から太阳なんかなかった。だから失う恐怖もないの。」人物の心理描写を使わず、ストーリーが終わった。普通の人が理解できない深い愛情だったのだろう。
推理小説だが、心に残っている悲しいラブストーリーであった。