《菊与刀》是美国文化人类学家鲁思·本尼迪克特创作的文化人类学著作,首次出版于1946年。“菊”是日本皇室的象征,“刀”是日本武士道精神的体现。本尼迪克特用这两个词表示了日本人的两种矛盾的性格:好战而祥和,黩武而好美,傲慢而尚礼,呆板而善变,驯服而倔强,忠贞而叛逆,勇敢而懦弱,保守而喜新。对于日本人的这种国民性格,本尼迪克特从等级制度、报恩意识、义理、日本儿童的养育方面展开分析。
日本人はアメリカがこれまでに国を挙げて戦った敵の中で、最も気心(きごころ)のしれない敵であった。大国を敵とする戦いで、これほど甚(はなはだ)しく異なった行動と思想の習慣を考慮の中に置く必要に迫られたことは、今までにないことであった。われわれは、われわれより前に、1,905年に日本と戦った帝政ロシアと同じように、西洋の文化的伝統に属さない完全に武装され訓練された国民と、戦っていたのである。
在竭尽全力与美国军队进行战斗的敌人中,日本是最让人难以把握的。这是一个前所未有的情况,他们非常强大,但他们的行为和思维习惯又与我们熟悉的方式截然不同,这让我们不得不集中精力认真对待。就像在此之前,1905年沙皇俄国所遇到的情况一样,日本是一个全副武装并经过良好训练但又完全在西方文化传统之外的强悍民族。在日本人那里,我们熟悉的那些战争中公认的基于人性的惯例,并不存在。这就导致了在太平洋战场上,美国要考虑的不仅仅是关于如何登陆岛屿进行艰苦卓绝的作战和解决同样困难的后勤补给问题,还要十分注意研究日本人的行事方式和国民性格。我们要想取得对日本的胜利就必须理解日本人为什么这么干。
西洋諸国が人間の本性(ほんせい)に属する事柄として承認するにいたった戦時慣例は、明らかに日本人の眼中には存在しなかった。このために太平洋における戦争は、島から島へ一連の上陸を決行するだけ、軍隊輸送・設営・補給に関する容易ならぬ問題を解くだけでなく、敵の性情を知ることが主要な問題になった。われわれは、敵の行動に対処するために、敵の行動を理解せねばならなかった。困難は大きかった日本の閉じされた門戸が開放されて以来七十五年の間に日本人について書かれた記述には、世界のどの国民についてもかつて用いられたことのないほど奇怪至極な「しかしまた」の連発が見られる。真面目な観察者が日本人以外の他の国民について書く時、そしてその国民が類例のないくらい礼儀正しい国民であるという時、「しかしまた彼らは不遜(ふそん)で尊大である」とつけ加えることはめったにない。ある国の人びとがこの上なく固陋(ころう)であるという時、「しかしまた彼らはどんな新奇な事柄にも容易に順応する」とつけ加えはしない。ある国民が従順(じゅうじゅん)であるという時、同時にまた彼らは上からの統制になかなか従わない、と説明したりはしない。彼らが忠実で寛容(かんよう)であるという時、「しかしまた彼らは不忠実で意地悪である」と言いはしない。彼らが真に勇敢であるという時、その臆病さ加減を述べ立てることはしない。彼らが他人の評判を気にかけて行動するという時、それに引き続いて、彼らは本当に恐ろしい良心を持っていると言いはしない。彼らの軍隊(ぐんたい)のロボットのような訓練(くんれん)ぶりを描写(びょうしゃ)する時、それに続けて、その軍隊の兵士たちがなかなか命令に服さず、公然と反抗する場合さえあることを述べるようなことはしない。西欧の学問に熱中する国民について述べる時、同時にまた彼らの熱烈な保守主義について詳しく記することはない。美を愛好し、俳優や芸術家を尊敬し、菊作りに秘術を尽くす国民に関する本を書く時、同じ国民が刀(かたな)を崇拝(すうはい)し武士に最高の栄誉を帰する事実を述べた、もう一冊の本によってそれを補わなければならないというようなことは、普通はないことである。
这是一项十分困难的工作。我们历来就对日本人充满了迷惑。从日本国门被西方文明打开到现在的75年时间里,所有对于日本人的描述几乎都是令人费解的。我们总是在描述完日本人的一个特性之后不得不加上“但是,他们又……”之类的词句,这与我们的研究者在以往研究世界其他民族时的情况完全不同。无论多么严肃的观察家,当他表述其他非日本民族的情况时,应该不会在认定“他们彬彬有礼”的民族性格之后,再加上一句“但是,他们又非常倨傲和蛮横”作为不得不说明这个民族所同时具备的另一个事实。他不会说这个民族十分顽固和保守,同时又说“但是,他们又能够非常容易地进行激烈的改革”;他也不会说这个民族是一个有着温顺性格的民族,同时又说“但是,他们又不会毫无怨言地服从某个阶级的控制”;他不会说他们是忠诚宽厚的人,同时又说“但是,他们的内心中又有叛逆和不满的情绪”;“他们既勇敢成性,又非常怯懦”;“他们的行为既是出于注重自己的面子,同时又是出于真诚的良心”;“他们在军队中接受像机器人一样的训练,但又会出现不服从管教,甚至进行兵谏的情况”;“他们对于西方文化热诚倾慕,但又顽固地认为自己民族的文化并不比西方差”。我想我们的研究者不会既写一本描述一个普遍爱美、对文学和艺术家给予崇高荣誉,甚至醉心于菊花栽培的民族的书,又写一本另外的书来说明这个民族同时是一个崇尚武士荣誉和刀剑的民族。
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主播/周周
编辑/ミアオ
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