漁師の娘
徳冨蘆花
+目次
一
常陸ひたちの国霞が浦の南に、浮島うきしまと云って、周囲めぐり三里の細長い島がある。
二百あまりの家と云う家はずらり西側に並んで、向う岸との間は先ず隅田川位、おおいと呼べば応おうと答えて渡守わたしもりが舟を出す位だが、東側は唯ただもう山と畠で持切って、それから向うへは波の上一里半、麻生天王崎あそうてんのうさきの大松おおまつも、女扇おんなおうぎの絵に画かく子日ねのひの松位にしか見えない。
此の浮島の東北の隅の葭よし蘆あし茫々と茂った真中に、たった一軒、古くから立って居る小屋がある。此れは漁師の万作まんさくが住家すみかだ。夏から冬にかけては、人身ひとだけよりも高い蘆が茂りに茂って、何処に家があるとも分らぬが、此あたりを通って居ると、蘆の中から突然だしぬけに家鴨あひるの声が聞えたり、赤黒い網がぬっと頭を出して居たり、または、一条ひとすじの青烟けぶりの悠々と空に消えて行くのを見ることがある。併しかし其れよりも著しいしるしがある。其そは此の蘆の中から湧いて来る歌の声――万作の娘お光みつが歌う歌であった。
「浮島名物、一に大根、二に鮒鰻、三みつにお光の歌……」などとよく島の若い者が歌う位、実にお光の歌と云ったら此のあたりに知らぬ者はない。秋の夕日が西に入って、紺色になった馬掛まかけの※(「山+鼻」、第4水準2-8-70)はなから水鳥が二羽三羽すうと金色こんじきの空を筑波の方へ飛んで、高浜麻生潮来いたこの方角が一帯に薄紫になって、十六島じゅうろくしまの空に片破かたわれ月がしょんぼりと出て、浮島の黄ろく枯れた蘆の根もとに紅色の水ゆらゆらと流るる時分、空くうより湧いて清い一と声、秋の夕の森しんとした空気を破って、断続の音波おんぱが忽たちまち高く忽ち低く蘆の一葉一葉を震わして、次第次第に霞が浦の水の上に響いて行く時は、わかさぎを漁して戻る島の荒あらし男おも身震いして橈かじをとどめた。実に此の歌こそは浮島の名物であった。
ああ、しかしながら其の歌は最早もう聞かれない。万作が小屋は今も浮島の蘆の中に立って居る。併し最早其の歌は聞かれない。日の入るまで立ち尽しても、最早其の歌は聞かれない。
渔夫的女儿
德富芦花
一
常陆国霞浦南有个叫浮岛的细长岛,周长三里。
二百多户人家整齐地排列在西侧,与对岸之间是隅田川,只要喊多,渡守就会开船出海,东侧只有山和旱田隔开,再向对面是麻生太郎,波浪上一里半。天王崎的大松树,看起来也只是女扇画上的子日松树。
在这座浮岛东北角的芦苇苍茫茂密的芦苇丛中,有一间历史悠久的小屋。这里是渔民万作的家。从夏天到冬天,芦苇长得比人还高,看不清哪里有房子,经过这一带时,芦苇里突然传来家鸭的叫声,黑红的网突然探出头来。有时会看到一条青烟悠然地消失在天空中。但是有比那个更显著的标志。那是从芦苇中涌出的歌声——万作的女儿阿光所唱的歌。
“浮岛名产,一是萝卜,二是鲫鱼鳗鱼,三是阿光之歌……”岛上的年轻人经常唱这首歌,说到阿光的歌,这一带无人不知无人不晓。秋天的夕阳西下,变成藏青色的马挂※(“山+鼻”,第4水准2-8-70)花上有两三只水鸟从金色的天空飞向筑波方向,高滨麻生潮来了,这个方向一带变成淡紫色,十六岛十六岛的天空中,一轮残破的月亮垂头而出,浮岛上枯黄的芦根上,红色的水缓缓流动的时候,天空中涌出一声清脆的声音,断断续续的声波打破了秋日的森林寂静的空气。忽高忽低的芦苇一叶震颤,霞浦的水面渐渐响起时,捕完西太公鱼回来的岛上的荒浪男也颤抖着关掉橈舵。其实这首歌才是浮岛的名歌。
啊,可是那首歌已经听不到了。万作小屋至今仍矗立在浮岛的芦丛中。现在已经听不到那首歌了。即使站到太阳落山,也不会再听到那首歌。
二
十四五年も前の事だ、白髪だらけの正直万作、其頃はまだ隻手かたてで櫓柄ろづかあげおろす五十男で、漁もすれば作も少しはする。稼ぐに追付く貧乏もないが、貧乏は唯ただ子のないのが是れ一つ。若い内は左さもなけれど、五十の坂目さかめかけては、是れほど心配はないもので、夫婦寝ざめにも此事を語り合い、朝夕筑波さまを拝んで居た。或日万作潮来へ網糸買いに往って、晩おそく帰って来たが、「それ土産だ」と懐ふところから取出したのを見ると、当歳とうさいの美しい女の子だ。「どうしたんべい、此の孩児ねねっこは」。「此れか、此れか、此れは……婆ばば、筑波さまに御礼申しや」
万作夫婦、夜は二人がからだを屏風にして隙もる風にもあてぬ。乳がないので、毎日粥を作って粥汁おもゆをのませる。歯が生え出すと、鯉鮒の肉みをむしって、かけかかった歯に噛んでくくめる。「這えば立て、立てば歩めと親ごころ、吾身につもる老を忘れて」。万作夫婦老を忘れてお光を愛する。這う。立つ。歩む。独りで箸を持つ。それはそれは愛らしい。だがどうも変だ。万一ひょっと唖おしじゃあるまいかと万作夫婦心配した位、口をきかない。其のかわりようく物を見る、ようく聴いて居る。極ごく小さい時分から自在にかけた薬缶やかんの湯気の立のぼるを不思議そうに見送る。蝶々の飛ぶのを不思議そうに眺める。花でも草でも摘んでやれば、唯もう何時までも見とれて居る。風、雨、鳥の音、何でも耳引立てて真から聞き惚とれる。大きくなって舟に乗せると、不思議そうに山を見水を見て居たが、頓やがて楓もみじのような手に水を掬すくってはこぼし掬ってはこぼして、少しも恐れる様子がない。或時万作が何処から買って来たか、ガラスの球に金魚を入れたのをやると、お光は見て居たが、やがて汀みぎわに持ち出して水ながら湖にうつして仕舞って、洋々として泳いで行く金魚の影を見送って、手をたたいた。鳥を非常に愛して、よく諸鳥の鳴声を覚えて、雀や鴉を見ると、お光は直ぐ両手を羽の様にひろげて、舞う真似をする。水鳥の蘆辺を立って、遥に筑波の方に飛んで行くを見送っては、半時も一時間も、見えなくなっても、猶空を眺めて居る。
三つ四つの頃から、お光は口をきかぬかわり、よく歌った。如何にも清い、銀鈴ぎんれいの様な声をもって居る。内に居ても、外に居ても、遊んでも、必ず何か歌って居る。誰が教えたと云うでもなく、独ひとりで歌う。其歌と云ったら、意味のある様なないようなものだが、如何にも美しい声で節面白う歌うので、聞く者は皆含笑ほほえむ。また如何にも奇妙な言ことをいう。「おっかあ、あたい蝶々になりたいねえ。まんまたべないで、花を吸って飛んであるきたいよう」。「とっちゃん、あのけむけむはどうして上って行くの、天に行くの、あたいも行きたいねえ、よう、あたいをけむけむにしてよう」。また或冬万作が黐網もちあみで鴨をとって来て毛をひくのを見て、「あらとっちゃん、とっとの衣服べべをとってしまうの。とっとが寒い寒いって泣くわ」。また或時万作が鯉を漁とって来て料理するのを見て居たが、其右の手にすがって「あらとっちゃん、いやいやあたいもうお魚たべるのはいや」。そして其可愛らしい手で鯉の鰭から流れる血汐を拭って、其落ちた鱗を一枚一枚はめにかかった。万作夫婦は日々に生いたつお光に慰められて、蝶花と愛いつくしみながら、「妙な子だのう」「妙な子だよ」斯く語り合った。
文化の沢たくは此の島村しまむらにも及んで、粗末ながら小学校の設もうけがある。お光八つにもなると路が遠いに伴つれもないからよせと父母ふたおやの拒むも聞かないで、往来ゆきもどり一里の路を日々弁当さげて通う。何処の誰の血を承けたか、口数はきかないが学才すぐれて、暫しばしの間に村長の子と威張る十一二の小供までも追い越して級第一の位を占めた。先生は可愛がる。嫉妬が起る。女連おんなづれは同盟して、お光を法外のけものにする。男児連おとこづれは往来毎にお光を窘いじめる。併しお光は避け隠れして取り合わぬ。其の内誰かお光坊は拾いっ子だ、捨てっ子だ、といい出して、果はてはみんなが拾っ子やあいやあい、と囃し立てる。其の夕お光は家に帰るといきなり、母に向い「母ちゃん、あたいは拾いっ児こ? え、捨っ児?」。母はぎょっとしたが取り直し「あに、拾いっ児なもんか。嘘よっ」
明夕あくるよお光はまた帰って来るとすぐ「母ちゃんあたい拾いっ児なの、え、拾いっ児」。「あに」と言いは言ったものの、其れから毎晩毎晩思い込んでせきかけせきかけお光が問うので、母も外で漏れては内で塞いでも詮ないとでも思ったか、或夜お光を膝にかき抱いだきて、涙ながらに話し聞かした。即ちお光は七年前、木がらしの恐ろしく寒い夜、潮来と牛堀うしぼりの間の蘆の中に棄てられて、息も切れる程啼ないて居たのを、万作が拾い上げて来たので、何のしるしもなかったから、生うみの父母は誰か何人なにびとか一切分らぬ。七年の間夢にもそれと、知ったでもないから、今は全く此家の女むすめだ、と云う事をこまごまと話した。お光は黙然もくねんとして聞いて居たが、聞き終って涙ぐんで俯むいてしまった。其の顔をのぞき込んで「光よ。おいらは最早もう段々年寄って来た。是れから力にするは手前ばかりぞよ」と云うと、お光はほろほろ涙こぼしていきなり婆ばばの頸くびにかじりついた。
それから、最早如何様どんなに言っても学校には行かない。始終家で遊んで居る。一度「おっかあ、捨児すてごってどうするの」と聞いたが、母が心を傷いたむる様子を見てからは、もう何も聞かぬ。真ほんの父母ふたおやのありやなしや、更に聞かぬ。併し口にこそ言わぬが、其小さい心に一点の暗愁立ち去らぬ霧の如く淀んで居るのは、余所目よそめにも見られる。可愛想にまだ八つ七つのお光は始終捨児真の父母など云うことを、思うともなく思って、独り解かれぬ疑問に心を苦しめて居る。之を知る者は只天道様てんとうさまばかりだ。
二
那是十四五年前的事了,满头白发的正直万作,那时还是单手抓着橹的五十岁男人,会打鱼也会耕作。没有比赚钱更穷的了,唯一的贫穷就是没有孩子。年轻时不左,年过五十,此事就没什么好担心的,夫妇俩熟睡中也谈此事,朝夕拜祭筑波大人。有一天,她去万作潮来买网纱,很晚才回来,说着“这是伴手礼”,从怀里取出来一看,原来是个年龄相仿的漂亮女孩。“这孩子是怎么回事啊?”“这是吗?这是吗?这是……婆婆,向筑波大人道谢吧!”
万作夫妇晚上把身体当作屏风,迎着风。因为没有奶,所以每天煮粥喝粥汤。牙齿长出来后,揪出鲤鱼鲫鱼的肉,咬在缺了的牙齿上。“爬则立,立则行,父母之心,吾身积老而忘”。万作夫妇忘老爱阿光。爬行。站起来。走路。独自拿起筷子。那真是太可爱了。但总觉得很奇怪。万作夫妇甚至担心他会不会哑巴,不开口。相反,经常看东西,经常听东西。她不可思议地目送着从很小的时候起就能自由悬挂的水壶冒着热气。不可思议地看着蝴蝶飞舞。只要摘花摘草,她就会出神地看个没完。风、雨、鸟的声音,什么都竖起耳朵听得入迷。长大后坐上小舟,不可思议地看山看水,不一会儿,像枫树一样的手掬了掬水,洒了洒,一点儿也不害怕。有一次,万作不知道从哪里买来金鱼装在玻璃球里给阿光看,阿光在一旁看着,不一会儿就把它拿到海边,把它倒映到湖里去了,目送着洋洋自得地游去的金鱼的身影,拍了拍手。非常爱鸟,能记住各种鸟的叫声,看到麻雀和乌鸦,阿光马上张开双臂,做出飞舞的样子。从水鸟的芦苇边站起来,目送它们向筑波的方向飞去,即使半个小时、一个小时不见了,也会继续眺望天空。
从三四岁开始,阿光虽然不说话,但经常唱歌。她的声音非常清脆,宛如银铃一般。无论在家还是在外面,无论在玩耍,一定会唱着什么。没有人教,只有一个人唱。说到那首歌,虽然似有似无,但那优美的声音,优美的曲调,听的人都会含笑而笑。又说些莫名其妙的话。“妈妈,我想变成蝴蝶啊。我不想吃它,我想吸着花飞来飞去。”“阿爸,那个毛毛虫为什么要升上去呢?要到天上去吗?我也想上去,哟,把我变成毛毛虫吧。”又有一次冬万作看见用细胶网捉鸭子来拔毛,“哎呀,小豆豆,要把小豆豆的衣服脱了,小豆豆冷得直哭。”还有一次,看见万作抓了鲤鱼来做料理,就拽着他的右手说:“哎呀,爸爸,不要不要,我不要再吃鱼了。”然后用那可爱的手拭去从鲤鱼鳍流下的血汐,将掉落的鱼鳞一片片嵌在鱼鳍上。万作夫妇每天都受到生龙活虎的安慰,对蝴蝶花怜爱不已,“真是个奇怪的孩子”“真是个奇怪的孩子”,他们这样说着。
文化的繁荣也波及了这个岛村,有简陋的小学。到了八岁,他不听父母说路远没有伴儿,每天带着便当往返一里路。不知继承了谁的血统,他虽然沉默寡言,但学识出众,不一会儿就超越了自称村长之子的十二岁小孩,位居班级第一。老师很可爱。产生嫉妒。女人们和女人们结成同盟,把阿光变成法外的野兽。男孩和男孩每到街上都会责备阿光。并躲着灯光,不予理睬。其中有人说阿光是捡来的孩子,也有人说她是捡来的孩子,最后大家都跟着起哄说:“捡来的孩子呀,呀呀呀呀。”那天晚上,阿光一回到家就对母亲说:“妈妈,我是捡来的孩子?啊?是扔掉的孩子?”。母亲吓了一跳,接着说:“哥哥,怎么可能是捡来的孩子呢?骗人!”
明后天,阿光一回来就说:“妈妈是拾荒儿啊,咦,拾荒儿。”“哥哥”虽然嘴上这么说,但从那以后,阿光每天晚上都固执地问她,母亲也觉得在外面漏,在家里堵也没用,一天晚上,她把阿光抱在膝上,流着泪对他说。也就是说,七年前,在寒风刺骨的寒冷夜晚,阿光被扔在潮来和牛堀之间的芦苇丛中,哭得上气不喘,万作把她捡起来,没有留下任何痕迹,所以生海的父母是谁,几个人,几个人。我完全不知道。零零碎碎地说,七年来做梦也不知道,现在完全是这个家的姑娘。阿光默不作声地听着,听完后泪流满面地低下了头。我盯着她的脸说:“光啊,我渐渐老了,现在能帮上忙的也只有我了。”阿光泪汪汪地突然咬住了老婆婆的脖子。
从那以后,不管怎么说我都不去学校了。我一直在家里玩。我曾经问过她:“妈,扔孩子干什么?”看到母亲伤心的样子,我就不再问了。我更不知道有没有真正的父母。虽然嘴上没说,但在她那幼小的心灵里,有一点阴暗的愁思像挥之不去的浓雾一样沉淀着,旁人看了也看得出来。可怜的是,才八、七岁的阿光,始终若有所思地想着舍儿真父母之类的事,独自为解不开的疑问而苦恼。知道这一点的只有天道大人。
三
万作が住家は前にも言った通り浮島の東北の隅の一軒家で、眺望ながめにかけては恐らく浮島第一の風景を控えて居る。
後は畑からすぐ山つづき、左と右は唯もう茫々たる葭葦の何段ともなく生い茂って居て、前の方ばかり少し開けて居る。此の開けて居る間から溶々として家の戸口まで這入って来るのが霞が浦で、此の開けて居る間を横一文字に遥に限って居るのが筑波の連山だ。家の前には水の中に杭くい打って板をわたし、霜の朝あしたに顔洗うも、米洗い、洗濯、あと仕舞い、または夕立に網あらい、ただしは月の夕に泥鍬を洗うのも、皆此処ここだ。水の中には何時も茶碗のかけ飯粒菜葉などが落っこちて小魚ざこや水馬あめんぼうが群って居る。すぐ向うの杭には、常に一艘の小舟が筑波とすれすれに繋がれて、其のあたりには家鴨が始終ぽちゃぽちゃやって居る。其の向うには、鰻や鮒を入れた大きな魚籃びくが半分水に浸ひたって、もう其の向うは乱れ葦の縦横に生い茂って、雲つく程伸びたのもあれば、半なかばからぽっきと折れたのもあり、葉が浮くやら、根が沈むやら、影が水に映って、水が影を揺うごかして、影か形か、形か影か、深いか浅いか、一切分らない。右の方は物干竿が立って其の向うの蘆の少し開けた処に大きな柳の古株があって、此処に腰かけると霞が浦は一眼だ。それ水鳥が飛ぶ、白帆が走る、雲が出て筑波が潜む、魚がはねて水に環わを画く。いやもう言われぬ。
此の絶景を占領して居る万作が家は主人あるじだけ無風流だ。歌に詠んでこそ海人あまが家やだが、内はしきりもない一間に炉を切って、煤だらけな自在をかけ、其処らじゅう漁の道具何かで一ぱいだ。家の後うしろは壁一重にすぐ鶏や鶩あひるの小屋があって、朝夕は中々かしましい。東が白むと万作一家三人直すぐと起きて、霞が浦の水掬いあげて顔を洗って、日輪さまを拝んで、それから鳥屋とやを明けて鶩を出してやるのがお光の役で、万作は時節とき相応鯉鮒鰻などの釣に出掛けることもあれば、網曳に雇われて行くこともあり、時々はまた鴨を猟とりに行くこともあり、さもなければ裏の畑に麦蒔き大根作ることもある。薪取り草取り縫針飯炊は婆ばばの役で、お光は時々爺おやじと一処に、舟に乗って行くこともあれば、ひとり勝手に遊ぶこともある。夜は万作は大概寝酒に酔ってしまい、さもない時は草履を作ったり簑を織ったり、母は薄暗い行燈あんどうのかげでつづれをさしたり、網の繕つくろいをしたりすると、お光は学校已やめて後も矢張やっぱり手習読書をせっせと勉強する。誰が心をつけるのであろう?
お光の身体からだは万作夫婦の手で育ったが、お光の心を育て上げたものは筑波と霞が浦だ。山は天気予報、水は魚類の動静を見る外には、霞が浦が如何どうあろうと筑波がこうあろうと頓着とんじゃくもない万作が眼には何も見えぬが、お光の眼には、四季刻々うつりかわる景色が如何様どんなに面白く珍らしく見えたであろう! 背戸せどの柳やなぎ緑の糸をかけそめて枯葦の間からぽつぽつ薄紫の芽がふく頃となれば、それ「雪は申さず先ず紫の筑波山」霞ゆえに遠くなって名詮自称めいせんじしょう霞が浦は一面春霞だ。其の間に此処に一つ、彼処かしこに二つ、掌てのひらに載る程の白帆が走るともなく霞の奥にかくれ行く其の景色は、如何様どんなにゆかしくお光の心に覚えたであろう。それ夏が来る。四面あたりは只もう真青の葦だ、葦だ、葦だ。世間の風と云う風は一つになって此処に吹くと云う位。それ夕立だ。筑波の頭から空くうを劈さいて湖に落込む電いなずまぴかりぴかりと二筋三すじ、雷が鳴る、真黒の雲見る見る湖の天そらに散って、波吹き立つる冷たい風一陣、戸口の蘆のそよと言い切らぬ内に、麻生の方かたからざあと降り出した白雨ゆうだち横さまに湖の面を走って、漕ぎぬけようとあせる釣舟の二艘はい三ばい瞬く間ひまに引包むかと見るが内に、驚き騒ぐ家鴨の一群ひとむれを声諸共もろともに掻き消して、つい鼻先の柳の樹をさっと一刷毛ひとはけ薄墨にぼかしてしまう。晴るる、暮れる、真黒い森の背うしろぽうっと東雲しののめに上る夕月、風なきに散る白銀しろがねの雫ほたほた。闇は墨画の蘆に水、ちらりちらりほの見えて、其処らじゅう蛍ぐさい。お光の心は如何様に涼しく感じたであろう。秋になる。万頃ばんけいの蘆一斉にそよいで秋風の辞を歌う。蘆の花が咲く。雁かりが鳴く。時雨しぐれが降る。蘆は次第に枯れそめる。やがて限りなき蘆の一葉一葉に朝霜白く置いて、磨とぎ澄ました霞が浦の鏡一面、大空につく息白く立ち上る頃は、遠かった筑波も毛穴の見える位近々と歩み寄って、夕日の頃は、其の下に当る相見崎観音あいみざきかんのんの石段の数も殆どよまれる。お光の心はどんなに此の清い景色を吸い込んだであろう。冬が来る。景色は寂さびれ行く。鴨の羽音冴えかえって胸にこたえる。それに雪が降り出すと、空と湖と一かたまりになって、筑波処か、すぐ先も見えぬ位、ちらちらちらちら降って降って降りしきり、櫓の音もしなければ、鳥の声もせず、唯時々つもる雪の重みに枯葦のぽきぽき折れる音ばかりだ。此様こんな時には、お光の心は如何様に淋しくあわれに感じたであろう。
学校に行かなくなってからなおなお世間に遠とおざかって、捨児と聞いてから万作夫婦の愛は昔にかわらぬが何となく心に欠陥あきがあるらしく、何か始終思い沈んで居る。それを聊いささか慰むるは歌と筑波山だ。お光は言ものいわぬさきに先ず歌ったと云っても宜い位だ。何を歌うのか。よく此島で歌う俚歌りかではない。文句は薩張さっぱり分らぬが、如何にも深い思いがあるらしく、誰かをさして訴うるらしく、銀の様な声をあげては延ばし、延ばしては収め、誰教うるともない節奏せっそう自然しぜん妙みょうに入いって、吾ながら吾声に聞きほれて、とんと夫それで自ら慰めて居る様だ。仕事をするにも歌う。遊ぶにも歌う。内に居ても外でも歌う。が、其の最も好む所は、夕焼の美しい時分、家の前の柳の古株に腰かけて、遥に筑波の方を眺めながら歌うのだ。筑波山は幼い時からお光の友であった。其の筈だ、朝起きて顔を洗って眼をあげると、にっこり笑って、とんと「お光坊、おはよう」といわんばかりに此方こっちを向いて居るのは筑波山だ。夕方飯をしまってまた柳の古株に来て眺めると、とんと「お光坊おやすみ、あすもね」といわぬばかり、此方を向いて居る。何処へ往っても、眼をあげさえすれば、筑波は始終此方を向いて居る。時々は蘆のかげに「居ない居ない」をするが、少しでも隙があれば「ばあ、お光坊、此処に居たよ」と云わぬばかりに顔を出す。斯様かように小供の時から始終見馴れて居るので、お光の心には筑波が生きて居るように思われて、幼い時から筑波を見ては「あらお山が紫の着物着た。そら浅葱あさぎの着物着た。あら白い衣物きもの着た。あれ幕の中に入ってしまった」などという。冬になって骨あらわに瘠せて見えると「あらお山が寒そうな」という。雪げに見えなくなると、お光は終日ひねもす悵然ちょうぜんとして居る。年とる程親したしみが深うなって、見れば見る程山はいよいよいきて見える。心に悲しい思おもいがあって、柳の根株ねっこに腰かけてつくづくと眺めて居ると、お光の眼には山が段々近うなって、微笑んで小手招こてまねぎするように思われる。「お光坊何を案じて居るの。何を考えて居るの。真正ほんのお父さんお母さんに逢いたいの。何が悲しいの。お泣きでないよ、わたしたちが見て居るよ」といい顔にじっと此方こちを眺めて居る。見れば見るほど、嬉しく、悲しく、恋しく、なつかしく、霞が浦の水の面をさらさらと走ってお山に抱きつきたいとお光は思って、飛ぶ鳥の翼を羨んで居ると、「お案じでないよ、今にね、わたし達の傍そばに来られる、それまでは辛抱して御出で」と慰め顔に此方を眺める。眺め眺めて日は入って、恋しい思の筑波も黄昏の奥に入ってしまっても、猶立たないで「お光ちょう、日がくれたに何をしてるよう。よう、早う来う」とかしましく呼ぶ養母の声が聞ゆるまでは眺め入って居る。実にお光の眼には、男体なんたい女体にょたい二つ並んで水と空の間にゆったりと立った筑波が、宛さながらに人のようで、またさらに二親ふたおやのように思われて、其のゆったりとしてやさしく大きく気高く清い姿がなつかしくてなつかしくて、其の前に歌う時は、恰ちょうど父母の膝に突伏して、余所よそでの悲しさを思い入れ泣くような心地がして、歌って果は泣いて、それが為に心は慰められた。
三
万作的家前面也说过,是浮岛东北角的独栋房子,从眺望景致来看,恐怕是浮岛第一风景。
后面是一片田地和群山,左右两边都是茂密的芦苇,只有前面稍微开阔了一些。从这敞着门的房间蜿蜒进入家门的是霞浦,将这敞着门的房间隔成一条横线的是筑波的群山。屋前在水中打桩交板,霜晨洗脸、洗米、洗衣、收衣,阵雨中洗网,月夜洗泥锹,都在这里。水里总是有碗渣、饭粒、菜叶掉落,小鱼小鱼、水马面虫成群。对面的木桩上,经常有一艘小船与筑波紧紧相连,那一带经常有家鸭在嘎嘎作响。对面是盛着鳗鱼和鲫鱼的大鱼篓,一半浸在水里,对面芦苇丛生,有的长得像云朵一样长,有的半截就断了,叶浮根沉,影影憧憧。倒映着,水摇动着影子,是影是形,是形是影,是深是浅,一概分不清。右边立着竹竿,对面芦苇丛稍开阔的地方有一棵老柳树,坐在这里可以望见霞浦。水鸟飞翔,白帆奔驰,云朵升起,筑波潜伏,鱼群跳跃,在水面画出圈圈。不,已经不说了。
占据这绝景的万作画家只有主人不风流。吟诗作诗的海人海我家,里面是一间没完没了的屋子,炉灶上满是煤灰,里面堆满了捕鱼的工具。房子后面一面墙就是鸡窝鶩鸭窝,早晚很热闹。东方一亮,万作一家三口就立刻起床,去霞浦捞水洗脸,拜拜日轮神,然后打开鸟屋,把鶩端出来,这是阿光的任务,万作有时会去钓鲫鱼鳗鱼,有时也会去网网。有时受雇拉曳,有时去猎鸭,或在后田里种麦萝卜。柴火拔草、缝针做饭是老太婆的工作,阿光有时和爷爷一起乘船去,有时自己一个人玩。万作晚上大多睡得醉醺醺的,否则就作草鞋、织蓑衣,母亲则在昏暗的灯笼下缝补衣裤、补网,阿光辞去学校工作后仍坚持读书。拼命学习。谁会留心呢?
阿光的身体是万作夫妇一手培养起来的,而培养阿光心灵的却是筑波和霞浦。山上看天气预报,水中看鱼类的动静,霞浦、筑波等都无所谓的万作在阿光眼里什么也看不见,但在阿光眼里,四季不断变化的景色是多么有趣、多么珍贵。会得到的吧!当背户的柳树披上绿色的丝线,从枯芦苇丛中冒出淡紫色的嫩芽时,“筑波山虽未下雪,但却是紫色的”,因霞光而渐行渐远,名反正自称霞浦,是一片春霞。其间,这里一个,那里两个,手掌般大小的白帆奔驰着消失在霞光深处的景色,在阿光的心中留下了多么愉快的印象啊。那夏天来了。四面都是碧绿的芦苇,芦苇,芦苇。世间所有的风都在这里吹拂。那是骤雨。从筑波的头顶劈开一道天空,射入湖中的电闪雷鸣,两道、三道,电闪雷鸣,漆黑的云眼看着湖的天空散开,海浪吹起一阵冷风,还没来得及说门口的芦声,麻生那边就哗哗地响了起来。下起白雨,横着划过湖面,两艘渔船三倍急着划过去,转眼间就被淹没了,这时,一群野鸭的惊叫声和声音一起被淹没了,不一会儿就把眼前的柳树给刮跑了。一刷一刷模糊成淡墨。忽而晴忽而暮,漆黑森林背后的东方云朵上挂着一轮晚月,无风飘散的银白色水滴。黑暗是墨画芦水,ちらりちらり祷祝的鼠,ぐさい萤火虫们整天。阿光的心情是多么凉爽啊。到了秋天。万顷万顷芦一齐吹拂唱秋风之辞。芦花开。雁叫。下阵雨。芦苇逐渐枯萎。不久,无边无际的芦苇上挂满了晨霜,清澄的霞光在浦的一面镜子里升腾起直冲天空的雾气时,远处的筑波也走近来,连毛孔都能看见了,夕阳西下的相见崎观音石阶的数量也几乎都能数出来。阿光的心是多么地吸收了这清澈的景色啊。冬天来了。景色变得萧条。鸭子的振翅声清脆悦耳。而且下起雪来,天空和湖水融为一体,连筑波处或前方都看不见,稀稀落落地下个不停,既没有橹声,也没有鸟鸣声,只有枯芦苇不时被积雪的重量咔嚓咔嚓折断的声音丽达。这种时候,阿光的心情是多么寂寞可怜啊。
自从不去上学以后,她就远离了社会,听说是舍儿之后,万作夫妇的爱虽然没有改变,但心里好像有缺陷,总是闷闷不乐。和歌和筑波山可以聊以解忧。甚至可以说,阿光没说什么就先唱了。唱什么歌?这不是岛上经常唱的俚歌。虽然萨张完全听不懂他在说什么,但他似乎有什么深刻的想法,好像是在对谁倾诉,他发出银白色的声音,拖了又拖,没有人教他,他的节奏很自然,很微妙,我自己也说了出来。听得入迷了,好像是丈夫在自我安慰。工作也要唱歌。玩也要唱歌。无论在里面还是在外面都要唱歌。但他最喜欢的地方是在晚霞最美丽的时候,坐在房前的老柳树上,一边遥望筑波一边唱歌。筑波山从小就是阿光的朋友。照理说,早上起来洗完脸抬头一看,笑眯眯地说:“阿光,早上好。”面朝这边的是筑波山。吃完晚饭,又来到柳树的老株前看了一眼,只见阿光面朝这边,好像在说:“阿光晚安,明天也见。”无论走到哪里,只要抬眼一看,筑波就始终朝这边看。有时会躲在芦荫下说“不在不在”,但只要有一点空隙,就会探出头来,仿佛在说:“奶奶,阿光,我在这儿呢。”像这样从小就看惯了,所以在阿光的心中筑波好像还活着一样,从小看到筑波就说:“哎呀,山穿紫色的和服,穿浅葱的和服,穿白色的和服。那个进入幕布里了”。到了冬天显得瘦骨嶙峋,就说“荒尾山好冷啊”。这眼中一片雪花,为他终日感到惋惜。年纪越大,亲切感就越深,山越看越生动。心里有些伤感,坐在柳树的树根上仔细眺望,阿光觉得山越来越近了,她微笑着摆了摆手。“阿光,你在担心什么?你在想什么?你想见真正的爸爸妈妈吗?你在悲伤什么?你别哭了,我们都在看着你呢。”她一脸得意地望着这边。阿光越看越高兴、悲伤、思念、怀念,霞浦的水面上沙沙地跑着,阿光很羡慕飞鸟的翅膀,“不用担心,马上就会来到我们身边的。在此之前请忍耐一下吧”,带着安慰的表情望着这边。望着望着,太阳渐渐西沉,思念的筑波也渐渐没入黄昏的深处,但他仍然目不转睛地望着,直到听到养母聒吵的呼唤:“阿光,太阳下山了,你在干什么呢?哟,快来吧!”在阿光的眼里,男人和女人并排站在水与天之间的筑波,既像人,又像一对双胞胎,那悠闲、温柔、高大、清丽的身姿。很怀念很怀念,在那之前唱歌的时候,我正好趴在父母的膝盖上,想到在别处的悲伤,就好像在哭泣一样,唱着唱着就哭着,心里也因此得到了安慰。
四
霞が浦の秋幾たびか立ちかえって、漁師の娘お光十四の春を迎えた。木綿縞の古布子ふるぬのこ垢づいて、髪は打かぶって居るが、生うみの父母ふたおやの縹緻きりょうも思われて、名に背かず磨かずも光るほどの美しさ。色雪を欺いて、乱れて居れど髪つややかに、紅梅の唇愛らしく、眉細くして、第一眼は玉とも露とも秋の水とも譬たとえかたなく澄んで美しい。それに少しも引きつくろう容子もなく、何時も袖なしの着物で古手拭打かぶって、洗濯をしたり、飯を焚いたり、時々は爺じいと一所に漁に出かけたり、それに櫓も小腕に似合ぬほど達者に漕ぐ。が、天の生せる麗質で、爺と潮来に行った時、女郎屋の亭主お光を見て「これは大したものだ、三百両の代物しろものだ」と云ったこともあった。島の若者どもが時々其の姿を見てちやほやするが、お光は頓と気もつかぬらしい。
秋も次第に老けて、猟の好時節となった。或日お光は背戸に大根を乾して居ると「お光ちょう、お光ちょう」と母の声がするので、庭の方に出て見ると、洋服出立いでたちで鉄砲をもった若い男三四人、それに兎だの鴨だの一ぱい入れた網嚢あみぶくろを舁かついだ男が一人――此れは島の者だ――どやどや騒いで立って居る。「お光ちょう、爺ちゃんが居ねえからお客さま方を牛堀までお伴して来う」と母が云った。此れは東京あたりの猟組で、後の山を越えて来たので、渡わたしを頼むのだと思われる。手ばしこく船を用意して、薄べり敷いて客をのせ、すぐ漕ぎ出す。客の一人が旅は遠慮もなく、一人のコートの裾を牽き、お光を顋あごで指し「中々美人だねえ、此処らにゃ惜しいもんじゃないか」と云う。網を担いで居た男が、ほほと笑って、「お光坊、旦那方が賞めらっしゃるだに、一つ歌って御聞かせ申さねえかい、のうお光坊」。客の一人「歌が上手なのかね」。「上手って、此処ら一の名人でさあ。浮島名物と云うんでさあ」。「ほう、そいつは妙だ。おい、みいちゃん、何ぞ歌って聞かせぬかい」。「其様そうだ其様だ、此こいつは土産だ。一つ聞きたいな」などと囂やかましく言うのを聞かぬ風で一同に顔見られるのを五月蠅うるさそうにお光は顔をそむけて漕ぎながら、時々見るともなく眼を側そばだてて見ると、たちまち眼についた者がある。何様なにさま此れは一行の主あるじとでもいいそうな、たしかに華族の若殿様だ。年頃は二十四五、眉濃く眼きりりとした色白の美男子だ。浅葱天鵞絨びろうどの鳥打帽子を被って、卵色薄羅紗うすらしゃの猟装束りょうふくを着て、弾帯おびをきりりとしめて、薄皮の行膝はばきをはめて、胡坐あぐらをかきながら、パイプを軽くつまんでマニラを吹いて居る。うっかり見とれて居ると、其の殿様がふっと此方こちらを向いたので、お光は狼狽うろたえて此方へ向いて俯向いて櫓を押す拍子に、水に映った乱髪の姿が見えたので、さっと顔を赤めた。影も顔を赤めた。ふっと気づいて、片手は櫓を押しながら、片手は鬢をなでた。客はがやがや騒いで居る。吾事わがことではあるまいかと耳を傾けて見ると、何なに左様そうでもないが、何か胸騒ぎがして人に聞えはしまいかと思うように動悸がうつ。兎角とかくして牛堀について、一行はどやどや上って行った。「美人御苦労だったね、此れは少しだが簪かんざしでも買いなさい」と、一人が紙に幾干いくらか捻ひねって渡したのを受取ったまま、お光は何か本意ほいなさそうに跡見送って、ほっと溜息ついて、頓やがて棹を返そうとすると、舟の中に白いものが落ちて居る。拾って見れば、白絹しらぎぬのハンケチで、縁を紫で縫ったものだ。お光は何思ったかそっと頬を摩なでて見て、懐にしまった。
「婆ばば、光あどうしたんだんべい、変だのう」此れは右の事があって十四五日してから万作が嚊かかに話した言葉だ。何さま変だ。昔から妙な児こであったが、近来は殊に変だ。何時となく歌も歌わなくなった。山も眺めなくなった。仕事はする。が、気が入らぬようす。始終溜息ばかりついて居る。それに今迄と違って、髪も気にする。水鏡も見る。両親ふたおやに対しては前よりも一入なお言わぬ。何処をあてともなく茫然ぼんやりとして溜息をつく。好人ひとよしの万作も年寄っては愚痴っぽく、また邪気まわりぎもちっとは出るかして、お光の阿魔あまめ実の親が恋しいので己等おいらを疎略にするのじゃあるめえかと思ったと見え、時々は今迄になく叱ったりすることもあるが、お光は唯黙って聴いて、一言もあらそわぬので、万作の方から気の毒になってやめて仕舞う。「光にかぎって其様そんな事はありゃしねえよ」。是は婆ばばが万作を宥なだめる言だ。
左右とかくする内、二三ヶ月たって、お光十五の二月となった。お光は爺じいと舟に乗って加藤洲かとうすに行って、それから潮来に寄って、用を達して帰りかかって居ると、隣に人待顔ひとまちがおに立派な毛氈もうせん敷いて烟草盆たばこぼん茶盆まで揃えた舟があって、頓やがて一人の男が鉄砲三四挺一所にかついでやって来たが、其跡からどやどや人の跫音して、男女づれが大勢やって来た。舟の方へ下りて来ると芬ぷんと酒の臭においがして、真先に女しかも女郎の肩に手をかけてぐでんぐでんに酔って、赤い眼をとろとろさせて、千鳥足に下りて来るのを見ると、此は驚いた、去年の秋の頃吾舟に乗せたことのある、あの美男子の若殿様だ。其若殿様が正体なく酔って、舟にのるといきなり大の字に倒れてしまったので、お光ははっと驚いて、如何にも不思議相そうに、それから哀しそうに、無念そうに眺めて居たが、爺おやじに催促して、跡の騒ぎや女郎などの「どうぞまたおほほほほほ」など蓮葉はすはないやらしい笑声を聞き捨てて、舟を出してしまった。「何だよ光、何をすてる? 其の白いものあ。うん、ハンケチか。何どうする」お光は答えない。黙ってしまった。
其日帰ってから幾月ぶり思い出したようにお光の歌うのをきいて、万作は「のう媼ばば。お光ちょうは変な児こだのう、久しゅう歌わねえからどうしたんべいと思ったら、ひょっくら歌い出したのう」と言った。成程お光は久し振りに歌い出して、また久しぶりに柳の根株ねっこに腰をかけた。そして久しぶりに筑波の方を眺めた。すると筑波は「久しゅう逢わなんだねえ光みいちゃん。何様どうしたんだえ。よう帰ってお出でだ」と云いそうに依然やはりゆったりとして気高く清く眺められた。
四
霞浦几度回春,渔夫的女儿阿光迎来了十四岁的春天。她身上染着木棉条纹的旧布料,头发披散着,却带着一对生身父母的漂亮,不辱其名,散发着光彩。她的秀发虽然被白雪覆盖,但却光润动人,红梅唇齿娇艳,眉毛细长,第一眼是玉,是露,还是秋天的水,那么清澈美丽。而且一点也不做作,总是穿着无袖的衣服,盖着旧手巾,洗衣服,烧饭,有时和爷爷一起出海捕鱼,摇橹也划得很熟练,与他的小胳膊不相称。不过,她天生丽质,和爷爷去潮来时,看到妓院的老板阿光就说:“这可了不得,三百两银子。”岛上的年轻人不时看到他的身影,对他百般奉承,阿光却毫不在意。
秋天渐渐苍老,成了打猎的好时节。有一天,阿光正在后门晒萝卜时,听到母亲喊“阿光、阿光”,走到院子里一看,只见三四名身穿西装、手持铁炮的年轻男子,抬着装满兔子和鸭子的网袋。一个男人——这是岛上的人——吵吵嚷嚷地站着。“阿光长,爷爷不在,我带客人们到牛堀来吧。”母亲说。这是东京一带的猎组,翻过后面的山来,所以请求渡渡。准备了一艘手船,铺上薄薄一层船,让客人上船,马上划行。一个客人毫不客气地扯起另一个客人的大衣下摆,用下巴指着阿光说:“她长得可漂亮了,在这儿可可惜了。”扛着渔网的男人呵呵笑着说:“阿光坊,老爷都夸我了,我唱首歌给你们听听吧,阿光坊。”一位客人说:“歌唱得好吗?”“高明?他是这里的第一名人,据说是浮岛名产。”“哦,这可真奇怪。喂,小美,唱点什么给我听听。”“是啊是啊,这是礼物。我想问你一个问题”,阿光嫌杂地把脸别过去,划着五月的苍蝇,不时地把眼睛侧向一边看,忽然就看到了一个人。这家伙可称得上是一行之主,的确是个华族的年轻殿下。年纪约二十四、五岁,是个浓眉大眼、皮肤白皙的美男子。他头戴浅葱天鹅绒鸭舌帽,身穿蛋色薄罗纱猎装,腰带系得紧紧的,腿上挂着薄皮的长膝袜,盘腿而坐,手里轻轻捏着烟斗吹奏马尼拉风。看得入迷的时候,那位殿下突然转向这边,阿光惊慌失措地朝这边俯首推橹,就在这时,看到水中有个乱发的身影,脸一下子红了。影子也红了脸。蓦地回过神来,一只手推着橹,一只手抚摸着鬓发。客人吵吵嚷嚷的。会不会是我自己的事呢?我侧耳倾听,虽然不是那样,但心里还是忐忑不安,生怕别人听见似的心跳不已。一行人终于来到牛堀,浩浩荡荡地爬了上去。“美人辛苦了,这个不多,你去买簪子吧”,其中一人捻了几卷纸递给阿光,阿光接过纸片,似乎不太情愿地目送着她离去,长叹一声,顿了顿琴杆。有白色的东西掉在船上。捡起来一看,是一条白绢手帕,边缘是紫色的。阿光不知想到什么,轻轻摸了摸脸颊,收进怀里。
“老太婆,光怎么了?好奇怪啊。”这是万作在上述事件发生十四五天后对嚊说的话。哪里奇怪了。他以前就是个奇怪的孩子,近来更奇怪了。不知不觉也不唱歌了。山也看不见了。我会工作的。但是,好像不太感兴趣。始终唉声叹气。而且和以前不同,也在意头发。也看水镜。对父母二人不再多说了。茫然地叹了口气。老好人万作上了年纪就爱发牢骚,有时也会耍心机,因为想念阿光的阿魔阿糖亲生父母,所以才会疏远我们,有时还会前所未有地训斥我们也有,但阿光只是默默地听着,一言不发,万作觉得可怜而作罢。“光是不会有那种事的。”这是老太婆劝慰万作的话。
左顾右盼,两三个月过去了,阿光十五二月。阿光和爷爷乘小舟去了加藤洲,又去了潮来,办完事正准备回去的时候,旁边有一艘小舟,上面铺着漂亮的毛毡,连烟灰缸和茶盘都准备好了,顿了一下。一个男人扛着三四挺铁炮走了过来,紧接着传来一阵脚步声,男男女女成群结队地走了过来。一下船,便闻到一股浓烈的酒气,只见她先把手搭在女郎的肩头,醉醺醺的,红眼睛迷迷糊糊的,摇摇晃晃地走了下来,这让我吃了一惊,去年秋天我乘过船。有,那个美男子年轻殿下。那位年轻老爷喝得酩酊大醉,上了船就一个大字躺倒在地,阿光吃了一惊,一脸不可思议、悲哀、懊悔地望着他,他催老头儿说:“我看到了船舷上的骚动和妓女等。”“请继续喔喔喔喔喔喔”,听不进莲叶的笑声,便驾船出发了。“什么啊,光,要扔掉什么?那个白色的东西啊。嗯,是手绢吗?要干什么?”阿光没有回答。沉默了。
那天回去后隔了好几个月才想起阿光在唱歌,万作说:“老婆婆。阿光长真是个奇怪的孩子,好久不唱歌了,我还在想这是怎么回事呢,一下子就唱了起来。”果然,阿光久违地唱起歌来,又久违地坐在柳树的树根上。然后眺望久违的筑波方向。筑波依然从容不迫、高雅清澄地望着我,仿佛在说:“好久不见啊,小光美。什么呀,你怎么了?欢迎回来。”
五
お光は今迄にもまして人中ひとなかに出るを厭がり、男などが戯言ざれごと云いかけても、ふいと側わきを向いてしまう。其のかわり両親ふたおやには今迄にもまして孝行をする。口数はきかないが、それはそれは細こまかに心をつける。生うみの親の事は忘れたのであろうか。否々いやいや万作夫婦の前では左もないが、独ひとり居る時は、深く深く思案に沈むことがある。其時は直ぐ歌う。如何にも悲しそうに歌う。歌うと泣く、泣くと直ぐ柳の根株ねっこに行って筑波を眺める。ややしばし眺める。筑波は常にお光の心を慰めた。
万作夫婦も今は六十の上越して、段々体は不自由になって来るし、わけて万作は此頃僂麻質斯りゅうまちすで右の腕をいためて時々は久しく仕事を休むこともあり、それに不漁しけが続くやら網を破くやらで活計くらしも段々困難になって来るので、果ては今迄になく大酒をのみ出して、酔っては罪もないお光を叱り飛ばすこともある。が、お光は一言もあらそわぬ。やっと十五になるかならぬの小腕で、鰻をとったり、網を張ったり、せっせと働いて居る。其上夜も少し暇さえあると、先生に書いて貰った手本を出して、習字てならいをする。万作も時々は叱りとばすものの、斯うやさしくせられては、めそめそ泣き出してお光を抱きしめ、お光も万作にすがりつきて、何とはなしに親子差向いて泣くこともある。
其の内万作は僂麻質斯が段々こうじて、果は床につくようになる。生計くらしはますます困って来る。八月の中旬なかばとなった。或日万作が識人しりびとで同じ島の勘太郎という男が尋ねて来て、斯ういう話をした。其れは潮来一の豪家の子息むすこ某なにがし、何時かお光を見染め、是非妾めかけにしたい、就いては支度金として五十円、外に万作夫婦には月々十円と網一具やろうとの話だ。万作は一々頷き勘太郎を返して、直ぐお光を呼んで斯々こうこうと話して見ると、お光は情なさそうにじっと爺おやじの顔を見つめて居たが、頭を掉ふって外へ出てしまった。万作は腹を立てる。勘太郎は三日にあげず来て催促する。婆ばばは中に居て万作には「無情なさけねい事をしなさんな」と諫める。お光には「爺ちゃんもああではなかったが、のうお光ちょう、あの年でのうお光ちょう、それにあの病気でのう、お光ちょう、気にかけなさんなよ、のうお光ちょう」と慰める。お光は人の見る所でこそ泣きもせぬが、少し暇さえあればすぐ柳の根株に行って、小声に歌いながら、天外遥に筑波の双峯そうぼうを眺めて思いに沈む。
其の内九月となった。月のはじめから暑いような寒いようないやな天気であったが、日を逐おうて空の模様怪しゅうなって、月の中旬なかばに入ると、それはそれは天の戸一時に破れたかと思うばかり大雨大風となって、それからというものは、毎日毎日降り明し降りくらし、降って降って降りぬく程降りつづける。「湖の水まさりけり五月雨さつきあめ」で、諸処方々の水はどんどん霞が浦に流れ込む。霞が浦の水は段々南に押し出して来る。浮島は其の正面に当るから、どうもたまらぬ。水は万作が家の戸口を越した。やがて床につかえる。樽を並べて戸板を敷いて居ても、もう其の内水はどんどん押して来て、家の内では堪こたえ切れぬ。万作も少しは塩梅あんばいも宜いから、強つとめて起きて、親子三人大骨折して後の山にようよう雨露を凌ぐばかりの仮小屋を建てて其処に住んだ。斯様こうからだをつかったせいか、其晩から万作が腕は非常に痛み出して、少し熱さえ出て渇かつを覚ゆると見え、頻りに焼酎が飲みたい飲みたいとくりかえしていう。譫言うわごとのようにいう。焼酎! 此水に焼酎! 島には到底とてもない。一里半の水を押切って麻生まで行かなければない。お光は藁の上に坐って、爺おやじの腕を静に摩さすりながら、熱に浮かされて赤みばしった爺の眼を見、其の白髪頭から其の皺だらけの額から大粒の汗の湧くを見、其の唇のいらいら乾くを見て居たが、そっと腕を置いて、そこにあった一升徳利をとって、外へ出た。
雨は已んで、空は星だらけだ。月も出て居る。下しもの方を見ると、吾家わがいえも半なかば水に浸って、繋いだ舟は背戸せどの柳の幹の半なかばに浮いて居る。手を翳して向うを見ると、水漫々として飛ぶ鳥の影もなく、濁浪渦まいて流れ行くのが月下に見える。麻生の方は眼に見えぬほど沈んで、大海を隔てたようだ。遥に北の方を眺むれば、常見る霞が浦俄にわかに浮き上ったように、水※(「水/(水+水)」、第3水準1-86-86)々びょうびょうとして遥に天腹てんぷくを浸ひたし、見ゆる限りの陸影皆小く沈んで、唯遥に筑波山の月影に青く見えるばかりだ。更に南の方を見ると、北利根、横利根、新利根の水一処に落ち合って、十六島は何処に行ったか影も見えぬ。唯水勢浩々こうこう渺々びょうびょうとして凄じく南の方に押して行くのが荒海のように聞える。
「婆さん、お光あ何してる」。「ほんに、お光あ何してるだんべい」、飯焚いて居た媼ばばはふっと気づいて其まま声を立て「お光ちょうお光ちょう」と呼んだが返事がない。仮屋のむしろ戸明けて半分頸を出し見まわしながら「お光ちょうお光ちょう」と叫んで見ても返事がない。俄に狼狽うろたえて走り出で下しもを見まわすと、繋いであった舟の影もない。若しやと思って伸びあがって手をかざし、月の光にすかして見ると、成程一艘の小舟が荒波を押切って麻生の方へ向って居る。耳をすますとごうごう鳴りどよむ水音の間々あいあいにかすかに櫓の音が聞える。「爺とっさんお光が――お光ちょう、お光ちょうい」のび上って叫べば、万作もころげ出でて木にすがり泣声あげて「お光ちょうい、おー光ちょうい」と叫んで見ても、舟は次第次第に陸を離れて、果は櫓の音も聞えぬ。「お光ちょうい。内のお光ちょうい」。老夫婦が力の限り根こん限り叫ぶ声は徒いたずらに空明くうめいに散ってしまって、あとはただ※(「水/(水+水)」、第3水準1-86-86)々びょうびょうたる霞が浦の水渦まいて流れるばかり。
五
阿光比以前更不愿意出现在人群中,即使男人说些俏皮话,她也会突然把脸扭到一边去。相对的,对父母比以前更加孝顺。虽然不怎么说话,但却很细心。你忘了你的生身父母吗?不,不,在万作夫妇面前没有左面,但独处的时候,就会陷入沉思。那时我马上唱歌。唱得很悲伤。一唱歌就哭,一哭就马上去柳树树根处眺望筑波。看了一会儿。筑波经常安慰阿光。
万作夫妇现在都六十多岁了,身体渐渐不方便,尤其万作最近因患麻质瘤而伤了右臂,有时也会暂停工作,与之对抗的是连续的渔场和渔网破裂,生活也渐渐困难。越来越困难,最后竟喝起前所未有的大酒来,喝醉了还骂无辜的阿光。但阿光一言不发。刚满十五岁的他,用自己的小胳膊,又是捕鳗鱼,又是张网,忙得不可开交。而且晚上一有空闲,就拿出老师写的字帖,学习书法。万作有时也会呵斥她,但被她这么温柔地对待,她就会哭哭啼啼地抱紧阿光,阿光也会依偎着万作,不知不觉地对着父子俩哭泣。
其中万作与王子麻质斯渐渐依依糊糊,最终与王子卧床不起。生活越来越困难。八月中旬了。有一天,万作的识人、同一个岛上的勘太郎来访,说了这样的话。那是潮来第一豪族的公子,某天看上了阿光,很想娶她为妾,说要给她五十元的嫁妆,给万作夫妇每月十元,外加一套嫁妆。万作一一点头让勘太郎回去,立刻把阿光叫来,滔滔不绝地说了起来。阿光可怜地盯着老爹的脸,摇了摇头,走了出去。万作生气了。勘太郎三天不来催促。老太婆在里面劝万作:“不要做无情的事。”她安慰阿光说:“爷爷也不是那样的,鱼光蝶,那个年纪的鱼光蝶,还有那个病啊,阿光蝶,不用担心啊,鱼光蝶。”阿光在别人看见的地方不哭,但只要一有空闲,她就会跑到柳树树根处,一边小声唱歌,一边遥望天外筑波的双峰,沉浸在思念中。
其间已进入九月。从月初开始就是似热似冷的令人讨厌的天气,随着日子一天天过去,天空的模样也变得怪怪的,到了月中旬,天之门仿佛一下子破了,下起了大雨大风。每天下下下下,雨下个不停。“五月雨胜过湖水”,各处的水源源不断地流入霞浦。霞浦的水渐渐向南涌来。浮岛就在它的正面,实在让人受不了。水越过万作家的门口。不久便趴在地板上。即使摆上木桶,铺上门板,里面的水还是不断涌来,家里无法忍受。万作也好,多少也好,我就硬着头皮起来,一家三口骨折后,在后山搭了个可以遮风避雨的木板房,住在那里。也许是锻炼了身体的缘故吧,从那天晚上起,万作的胳膊就开始疼痛起来,甚至有点发烧,还感到口渴,不停地说要喝烧酒。梦呓似的说。烧酒!此水加烧酒!岛上根本没有。必须蹚过一里半的水去麻生。阿光坐在稻草堆上,静静地摩挲着老爷爷的手臂,看着老爷爷因发烧而发红的眼睛,看着他满头白发、满是皱纹的额头上冒出大颗汗珠,看着他的嘴唇干巴巴的,轻轻放下他的手臂。拿起那里的一升酒壶,走到外面。
雨停了,天空繁星点点。月亮也出来了。往下一看,我们家也有一半浸在水里,系着的小船漂浮在背门的柳树树干的一半上。我举起手向那边望去,只见月光下的水面漫漫的,不见飞鸟的影子,浊浪旋涡滚滚而去。麻生那边沉没得看不见,仿佛隔着大海。遥望北方,就像常见的霞浦突然浮现出来一样,水※(“水/(水+水)”,第3水准1-86-86)々々遥浸着天腹天福,所见之处的陆影都小下沉,唯遥见筑波在山的月影下只能看到蓝色。再往南看,北利根、横利根、新利根的海水汇集在一起,十六岛不知去向。只是水势浩渺渺地向南推进,听起来宛如波涛汹涌的大海。
“婆婆,阿光你在干什么?”“真是的,阿光你在干什么呢”,正在烧饭的老婆婆突然注意到这一点,便大声叫了一声“阿光、阿光”,没有人回答。我打开草席门,探出半个脑袋四处张望,嘴里喊着“阿光、阿光”,也没有回应。突然惊慌失措地跑出去环视下方,连拴着的小舟也不见了。也许吧,我伸出手,借着月光一看,果然有一艘小船正乘风破浪驶向麻生方向。侧耳倾听,在哗哗的水声中隐约可以听到橹声。“阿光爷爷——阿光爷爷、阿光爷爷”,万作爬上来叫道,爬到树上哭喊着“阿光爷爷、阿光爷爷”,可小舟渐渐离陆,连橹声都听不到。“阿光蝶衣,我的阿光蝶衣。”老夫妇竭尽全力的喊叫声消散在空中,剩下的只有※(“水/(水+水)”,第3水准1-86-86)霞浦的水在旋涡中流动。
六
大水は久しく湛たたえて終に落ちた。万作夫婦も仮小屋を出て、水余すいよの家に帰った。併しお光は帰って来ない。帰らぬ、帰らぬ、今日までもまだ帰らぬ。万作夫婦は朝夕涙に暮れて、茶断ちゃだち塩断しおだちして、いつもお光が腰かけた柳の根株にしめなわかけて筑波さまあらぶる神さまに願をかけても、一向に帰って来ぬ。帰って来たのは、唯万作が見覚えある徳利の如何して流れついたか浮島の南端に流れよったばかりだ。
島の者は色々に評議を凝こらした。大方は舟が覆かえったのだと云う説であったが、中には何処かへ流れついて其のまま帰って来ないのだろうと云う者もあった。尤も此れは其の後の話だが、島の次郎八と云う漁師が、或朧月の夜晩おそくわかさぎを漁して帰る時、幽かすかに聞いた歌の声が、全くお光の声の様で、耳を澄して聞くといよいよ夫れに違いない様だから、次郎八は声をしるべに舟を漕いで行くと、何処まで行っても茫々とした朧月夜の湖で、人の影もない。よくよく聞くと、其歌う声が水の底にあるようでもあり、空にあるようでもあって、稍やや久しく迷って居たが、終に思い切って舟を返すと、其の歌の声は遠くなり近くなり、久しい間幽かに響いて居たと云うことであった。併し其れは水鳥の声だと云う者もあった。
苦調凄金石、 清音入杳冥、 くちょうきんせきよりもすさまじく せいおんようめいにいる
蒼梧来怨慕、 白※(「くさかんむり/止」、第3水準1-90-68)動芳馨、 そうごはえんぼをいたし はくしはほうけいをうごかす
流水伝湘浦、 悲風通洞庭、 りゅうすいしょうほにつたわり ひふうどうていにつうず
曲終人不見、 江上数峰青、 きょくおわりてひとみえず こうじょうすうほうあおし
六
大水漫了很久,终于落下了。万作夫妇也离开木板房,回到水余的家。并汐光没有回来。不回去,不回去,到今天还没回去。万作夫妇朝夕以泪洗面,断茶断盐,经常系在阿光坐过的柳根上,向神明祈求筑波大人,但他始终没有回来。万作见过的酒壶不知是怎么漂到浮岛南端回来的。
岛上的人议论纷纷。大部分人认为是船翻覆了,但也有人认为是漂流到什么地方后一去不复返。不过那是后来的事了,岛上一个叫次郎八的渔夫,在一个朦胧月色的深夜打西太公鱼回来的时候,隐约听到歌声,那声音好像是阿光的声音,侧耳一听,越发觉得那肯定是丈夫的声音,次郎八便出声问道。白天划船前行,月色朦胧,不见人影。仔细一听,那歌声似在水底,又似在空中,犹豫了片刻,最后下定决心返回小舟,那歌声忽远忽近,幽幽地回响了许久。也有人说那是水鸟的叫声。
苦调凄金石,清音入杳冥,比苦调金石更凄厉地在清音阳明中
苍梧来怨慕、白※草寒梦/止动芳馨、苍梧来怨慕、白子来芳慕
流水传湘浦,悲风通洞庭,流水传湘浦,悲风通洞庭。
曲终人不见,江上数峰青,曲终人不见江城数峰青。