「ミステリー小説」《特ダネ、抜かれまして》作者:萌乃ポトス 第一章(1)

第一章 特ダネ、抜かれまして(1)

 リリリリン──。深い眠りの外で何かが鳴っている。

「うーむぅう」

 毎朝《まいちょう》経済新聞社記者の深堀圭介《ふかぼり・けいすけ》は頭から布団を被った。それでも、それは鳴り止まない。

「る……さいなぁ……」

 舌打ち混じりのくぐもった声が漏れる。

「でん……わ」

 微かに女の声がする

「うーむぅう」

 圭介は布団の中でさらに丸まる。背中に誰かが触れている。いや、何度もゆすっている……気がする。

「圭ちゃんってば︎」

 布団もろとも剥がされて、芋虫(いもむし)状態の圭介が露わ(あらわ)になる。

「圭ちゃん、電話だってば︎」

 甲高い(かんだかい)声が激しく鼓膜(こまく)を刺す。

「はいっ︎」

 反射的に跳ね起きる。ドクンドクンと心臓が波打つ(なみうつ)音肌で感じていた。

 ぼやけた視界の先。間接照明に照らされたベッド上の人影に段々と焦点が定まる。交際相手の常木翠玲《つねき・みれい》が上体を起こして冷めた目で圭介を見下ろしていた。

「翠玲……どうしたの?」

 圭介は目を擦りながら尋ねる。

「だから、これっ︎」

 翠玲が圭介の胸にグイと長方形(ちょうほうけい)の物体(ぶったい)を手渡す。社用のスマートフォンだった。スマホは今、まるで自らの存在を誇示(こじ)するかのように咆哮《ほうこう》し、薄暗い(うすぐらい)室内で場違い(ばちがい)な光彩(こうさい)を放っていた。

 壁掛け(かべかけ)のデジタル時計に思わず視線が行く。二〇二二年四月十四日午前三時五分過ぎ。

 ──こんな深夜に……一体誰が?

 圭介は眉間(みけん)に皺を寄せ眩しすぎる液晶(えきしょう)画面に目を細める。

 <青木俊一《あおき・しゅんいち》>

 バクン──。その名前を見た瞬間、明確に心臓が跳ねた。 

 圭介の所属する企業部第七グループの担当デスク。その風貌(ふうぼう)と言動から社内では「若頭」の異名(いみょう)を持つ

 一気に眠気(ねむけ)が吹っ飛ぶ。震える指で、通話ボタンでタップ。その瞬間──。

「アサボリ、バッカ野郎︎ 抜かれてんぞ︎」

 スピーカーモードでもないのに、室内に怒声(どせい)が響き渡る。

 声は出ない。代わりに驚いて、圭介の体が大きく跳ねる。そのままベッドを転がり、尻からフローリングの床に叩きつけられた。

「うぐぉ!」

「うぐぉじゃねーよ︎ アサボリ︎ てめー、今すぐウィレットを見ろ︎」

 ウィレットは、米ウィレット通信社のことである。最近、日本での経済分野の報道を強化している。

「ウィレット……?」

 妙な胸騒ぎ(むなさわぎ)がした

 慌ててスマホ画面を検索して、ウィレットの日本語版ホームページに飛ぶ

 ──あっ︎

 一番目立つ位置で、<New>の赤文字がピコピコと点滅しているその見出しを見た瞬間、圭介の息は止まった

<2022/04/14/3:00 【スクープ】シャイン、輝川社長を解任へ きょう開催の取締役会で決議>

 スクープ、つまり特ダネだ──。

 以前、息は止まったまま。本文も一気読みする。

<手作りパン工房「モグモグ」を全国展開するシャインベーカリーは十四日、創業家出身の輝川誠社長を解任する方針を固めた。きょう開催される緊急の取締役会で解任を決議し、正式決定する。同社株式の二十%を保有する筆頭(ひっとう)株主の投資ファンド、東洋キャピタル(東京・千代田)が社長解任を主導したとみられる。

 誠社長は創業者の故・輝川龍造氏の長男。龍造氏が二十一年四月、航空機事故で死去したことを受けて、同社社長に就任していた。就任から一年での電撃退任となる。(遊田・クリスティーン・江麻)>

「シャインの社長が……解任……」

 それ以上、圭介は言葉を紡げない(つむげない)。

「まんまとウィレットのクソ記者に出し抜かれやがって︎」

 午前三時にスクープが炸裂(さくれつ)。青木の怒りは収まらない歯を剥き出し(むきだし)ているのが電話越しでも分かる

「担当記者として、飛んだ大失態だな、アサボリさんよ︎」

 担当記者──。そう、圭介は新任の外食担当なのだ。

 最近は外食業界の主要企業の挨拶回りに徹していた。そして、シャインには今日午後が開かれる新商品発表会の場で挨拶する算段だった。

 だが、よりによって、その当日にシャインのネタを抜かれた

「いいかアサボリ、テメーは今すぐ追いかけて、敗戦(はいせん)処理しろ︎」

 敗戦処理──。そう、まさしくこれは敗戦処理なのだ。

 ちなみに、深堀という名字に反して、物事を深堀りできない記者だから「アサボリ」らしい。

 プツン──。青木の性格そのままに通話は切れた。静寂が寝室を支配する

 茫然自失(ぼうぜんじs)──。間接照明が照らすだけの薄暗い部屋に同化するように圭介も静止する。

「大丈夫、圭ちゃん? 青木デスクからだよね?」

 だから、その声が鼓膜を優しく包んだ瞬間、圭介の暗転していた世界がパッと明るくなる。いや、文字通り明るくなっていた。寝室の電気がついたのだ

 ベッド上の翠玲が整った眉をハの字にして、床に落ちた圭介を見下ろしていた。

 ──イテテテ。

 今になって痛みだす尻を労わり(いたわり)ながら、圭介はなんとかベット脇(わき)で立つ。フラフラと眩暈《めまい》がした。

「いや……実はその……」

 頭を掻きながら、バツが悪そうに圭介は言葉を吐き出す。

「特ダネ、抜かれまして……」

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