社会が複雑にばって、分業が進み、生活に必要なことの多くを他人に委ねるようになると、人間の思考はバランスが失い、価値判断に前後の脈絡がなくなります。その洋画社会現象が、リサイクルに及び、「環境主義の両価性矛盾」を生み出しています。
「両価性」とは本人がそうと気づかぬまま、同時に正反対の行動を取ることを言います、例えば、ケーキの食べ放題に夢中になりながら、ダイエットに精を出すといった行動です。
リサイクルは環境を守り、資源の枯渇を防ぐことをその目的としているので、環境にやさしいことを標榜する製造メーカーは「製造量、販売量を少なくなるする。製品の寿命を延ばす」ことを全力を尽くすはずです。しかし、現実には本音で減産、販売量の減少を目標としている会社はまずありません。むしろ、増産、販売量の増大を計画している場合がほとんどです。これは両価性です。
産業界全体を覆うこの両価性矛盾は、新聞などのマスコミにも広がっています。個人でも、会社では企業人として増産に知恵を絞り、家庭では市民としてものを倹約するという例を見受けられます。
本来、正常な人間は価値観の違うことを同時にするときに、ストレスを感じるものです。しかし、現在の日本では社会自体が大きな矛盾を抱えているので、両価性が直接的なストレスにならず、じわりじわりと社会を喰んでいるといえるでしょう。
両価性矛盾は環境保護活動に全般にも及んでいます。その著しい例が、「リサイクル推薦派の人で現実にリサイクルをしている人はまれだ」という現象です。ほとんどの人はっペットボトルをリサイクル箱に入れたり、新聞紙を束ねて出したりしているだけで、実際にはリサイクルをしていないです。