睡莲,一个好邻居的故事

睡蓮(すいれん)

横光利一

(译自青空文库)

翻译:王志镐

那还是十四年前的事情。家里造房时,木工来与我洽谈选何处地皮。因尚未想好哪个地方特别喜欢,我回答想去二三个合适的地方看看。过了两三天,木工又来了,说是有一处位于下北沢的地皮,建议我现在就去看一看。说起北沢,我想起以前确实有一次朋友向我透露,如果我打算建房,想推荐北沢一带的地皮。我急于想去那儿看看,就马上与木工一起出了门。

もう十四年も前のことである。家を建てるとき大工が土地をどこにしようかと相談に来た。特別どこが好きとも思いあたらなかったから、恰好(かっこう)なところを二三探して見てほしいと私は答えた。二三日してから大工がまた来て、下北沢(しもきたざわ)という所に一つあったからこれからそこを見に行こうという。北沢といえば前にたしか一度友人から、自分が家を建てるなら北沢へんにしたいと洩(も)らしたのを思い出し、急にそこを見たくなって私は大工と一緒にすぐ出かけた。

将近秋天的日暮时分,当我们换乘了几次电车来到北沢时,看到原野上的田间小道旁,白色的茶花伫立在薄暮中。

“就在这里吧?到底在哪里呢?”

木匠在一块高岗上平坦的农田中停住了脚步,他脸上的神情表明,这不是特别令人满意的地皮。所见之处均为种着芋头的平平常常农田,周围有榉树和杉树的森林,附近没有人家。对于生气时动辄大声怒斥的我,这似乎是个好安排。如果在气愤的时候,因顾虑周围邻居而大气也不敢出,装模作样的,那么我在家里就有失去自由的危险。而且,这一带虽然不是什么稀奇的地方,看头一眼已经厌倦了,所以心里有安定感,于是我一个人决定了:在这里居住就是最好的选择。

 秋の日の夕暮近いころで、電車を幾つも乗り換え北沢へ着いたときは、野道の茶の花が薄闇(うすやみ)の中に際(きわ)立って白く見えていた。

「ここですよ。どうですかね」

大工は別に良いところでもないがといった顔つきで、ある高台の平坦な畑の中で立ち停った。見たところ芋の植(うわ)っている平凡な畑だったが、周囲に欅(けやき)や杉の森があり近くに人家のないのが、怒るとき大きな声を出す私には好都合だと思った。腹立たしいときに周囲に気がねして声も出さずにすましていては家に自由のなくなる危険がある。それに一帯の土地の平凡なのが見たときすでに倦(あ)きている落ちつきを心に持たせ、住むにはそれが一番だとひとり定めた。

  “到底怎么决定?如果中意的话,回去跟地皮的主人交涉吧。”

  “好,就选在这里吧!”

  事情就这样,马上与地皮主人定了下来。于这年年末先将房子盖了起来,然后将一家人迁移过来。因为周围景色很平常,善于观察周围特殊性的我,用自己的眼睛细细打量着自然环境。被森林包围着的道路,几乎不能通行。有时走过鱼铺,四周一片寂静。从早春冒出新芽开始,经常看见有两位年轻夫妇走过。两人像是在散步,丈夫的两只手插在背后的腰带上,仰脸瞧着树木,乐呵呵地慢慢走着,妻子倚在丈夫的旁边,脸上洋溢着笑容。我看着他们,觉得有一株特别的光线照在这对夫妇身上。虽然两人看来不像是生活富裕的人,可是我一眼就看出他们是相貌堂堂,脊背挺直,互相信任,互相热爱,十分满足的样子。一边走,一边看着阳光从嫩叶之间直射下来的前方,两人满足的身影,即使从远处看来,也是少有的充满幸福的感觉。到今天为止,我好几次看见乐呵呵的夫妇来到这里,从未见过像这两人那样目不斜视,互相坚守着不可摧残的幸福的夫妇了,从那以来,我变得特别注意他们。尽管一次也没有说话的机会,可是不久我打听到丈夫是陆军监狱的看守,每天早上骑自行车去衙门上班,妻子在附近帮女人做针线活,一旦渐渐了解了,我对这两位十分特别的人的生活越发引起了兴趣。

「どうしますか。お気に入ったら帰りに地主の家へいって交渉してみますが」

「じゃ、ここにしよう」

こういう話でその土地は地主ともすぐ定められた。そして、その年の暮に家も先(ま)ず建って私たちの一家は移って来た。周囲の景色が平凡なため、あたりの特殊性を観察する私の眼も自然に細かく働くようになった。森に包まれている道も人はあまり通らず、ときどき魚屋が通るほどの寂しさだったが、春さきの芽の噴き始めたころから若い夫婦が二人づれで通るのをよく見かけるようになった。この二人は散歩らしく良人(おっと)の方は両腕を後の帯にさし挟み、樹木を仰ぎ仰ぎゆっくりと楽しそうに歩き、妻君の方はその傍(そば)により添うようにして笑顔をいつも湛(たた)えていた。私は見ていてこの夫婦には一種特別な光がさしていると思った。二人とも富裕な生活の人とは見えなかったが、劣らず堂々とした立派な風貌(ふうぼう)で脊(せい)も高く、互に強く信じ合い愛し合っている満足した様子が一瞥(べつ)して感じられた。晴れた日など若葉の間を真直ぐに前方を見ながら来る二人の満ち足りたような姿は、遠くから見ていても稀(まれ)に見る幸福そうな良い感じだった。今までからも私は楽しげな夫婦を幾つも見て来ているが、この二人ほど、他所見(よそみ)をせず、壊(こわ)れぬ幸福をしっかり互に守っているらしい夫婦はあまり見なかったのでそれ以来、特に私は注意するようになった。話す機会は一度もなかったが、間もなく良人の方は陸軍刑務所の看守で朝毎に自転車で役所へ通うということや、細君の方は附近の娘たちに縫物(ぬいもの)を教えているということなど、だんだん分って来ると、またその特殊な二人の生活が一層私の興味を動かした。

我从进出蔬菜店的小伙计的嘴里得知,丈夫的名字叫加藤高次郎,他们住在离我家约两条街道远的伯爵庭院中的小屋里,还从小伙计的嘴里得知一些其他的事情,那就是蔬菜店的老主妇对加藤高次郎那漂亮的身影,每天早上都看得发呆,如痴如醉。总之,已经到了老年的蔬菜店的主妇,每天早上对踩着木屐经过的高次郎氏的身影看得如痴如醉的事情,连我也一同理所当然地认可了。除了高次郎氏的容貌是美男子之外,毫无疑问,也是人格美的表现所致。老年妇人可不是只是将他看作一个混账美男子而入迷。

主人の方の名を加藤高次郎といい、私の家から二町ほど離れたある伯爵の庭の中の小さな家にいる人だということも、出入りの八百屋の小僧の口から私は知ることが出来た。またその小僧の口から、八百屋の老いた主婦が加藤高次郎氏の立派な姿に、朝ごとにぼんやり見惚(みと)れているとまで附け加えて語ったことがある。とにかく、もう老年の八百屋の主婦が、朝毎にペダルを踏んで通る高次郎氏の姿に見惚れるというようなことは、私もともに無理なく頷(うなず)くことが出来るのである。高次郎氏の容貌(ようぼう)には好男子ということ以外に、人格の美しさが疑いもなく現れていたからだった。老年の婦人というものはただの馬鹿な美男子に見惚れるものではない。

我有这样的想法。——人们在生活中如果不作特别的观察,无所事事,就那样相信由自然反映的周围人们的身影,那么跟谁都已死去毫无差别。所以我常常感到,比起用特殊的眼光在旁边进行观察分析,有时常常会感到也许是不正确吧。高次郎氏的故事也是如此,我当然不能站在旁边用自己的眼睛来进行观察,以下只是根据我所留下的印象自然而然地反映出来的事情,以此写下了他的故事。

 私はこんなに思うことがある。――人間は生活をしているとき特に観察などをしようとせず、ぼんやりとしながらも、自然に映じて来た周囲の人の姿をそのまま信じて誰も死んでしまうものだということを。そして、その方が特に眼をそばだてて観察したり分析したりしたことなどよりも、ときには正確ではなかろうかということをしばしば感じる。高次郎氏のことにしても、私は眼をそば立てて注意していたわけではなく、以下自然に私の眼に映じて来たことのみで彼のことを書きたいと思う。

  高次郎氏是军人中相当著名的剑客的事,我有所耳闻,其曾经努力做到平安无事。表面上高次郎氏沉默无言、低三下四,性格貌似庸庸碌碌。由于我所在的地方周围一带风景看上去极为普通,所以我马上选择这块地并下定决心移居,正好与那风景似乎适合似的,出现了高次郎氏的身影,一定是自然唤起了他的兴趣,无论哪一方面,我选择的这个地方好处多多,他应该很喜欢。我有时工作疲倦,半夜一边用一只火盆烤着手,一边听着雨夹雪降落的声音,这时候突然想到高次郎氏现在正做些什么,即使旁人不说,有时候他在我心中成了一个泡沫似的萦回的人影。有一天,从我家的二楼往下看的地方,大约隔开二十间的茶园之一隅被拆掉,石头被往那里集中,不足十坪的基石正在夯实,能听到那里的喊叫声。

  “是在盖房子吗?是街坊第一次盖房子吗?”


 高次郎氏は軍人の間ではかなり高名な剣客だということも、私の耳にいつか努力することなく聞えて来た。見たところ高次郎氏は無口で声も低く、性格も平凡なようだった。私のいるこのあたり一帯の風景が極(きわ)めて平凡に見えたがために、私は即座にこの地を選んで移り棲(す)む決心をしたのであったから、ちょうどその風景に適合したように現れて来た高次郎氏の姿も、自然な感興を喚(よ)び起したにちがいないが、いずれにせよその方が私にはこの地を選んだ甲斐(かい)もあったと喜ぶべきである。私はときどき仕事に疲れ夜中ひとり火鉢(ひばち)に手を焙(あぶ)りながら、霙(みぞれ)の降る音などを聞いているとき、ふと高次郎氏は今ごろはどうしているだろうと思ったりすることもあって、人には云わず、泡のように心中を去来する人影の一人になっていたころである。ある日、私の家の二階から見降せる所に、二十間ほど離れた茶畑の一隅が取り払われ、そこへ石つきが集って十坪にも足らぬ土台石を突き堅めている声が聞えて来た。

「家が建つんだなア。近所へ建つ最初の家だ。あれは」

我刚对妻子说了这些话,就有蔬菜店的小伙计走来,告诉我那里是高次郎氏的房子在建。自己家旁边不认识的人家在盖房子的时候,我心里惦记着他是何来路。突然我心里感到明朗起来,我知道那是高次郎氏的家。可是向下看去,他家的地皮比我窄小的家还要狭窄,与富丽堂皇毫不相称,我不断地从这里向下看,倒不是我家二楼房间在他家上方耸立而感到相映成趣。我苦笑了,因为这件事使我为难。无缘无故让自己喜欢的人永久地感到生气,那么选择这块土地是违反了我初衷。

こんなことを私は家内と話していると、また八百屋の小僧が来て、そこへは高次郎氏の家が建つのだと告げていった。自分の家の傍へ知らぬ人の家の建つときには、来るものはどんな人物かと気がかりなものだが、それが高次郎氏の家だと分ると急に私は心に明るさを感じた。しかし、また小さな私の家よりはるかに狭い彼の家の敷地を見降して、堂々たる風貌におよそ似もつかぬその小ささに、絶えずこれから見降さねばならぬ私の二階家が肩の聳(そび)えた感じに映り、これは困ったことになったと私は苦笑した。故(ゆえ)もなく自分の好きな人物に永久に怒りを感じさせるということはこの土地を選んだ最初の私の目的に反するのである。

暂且不谈高次郎氏成了我家最初的邻居,将近年底时,我将自己的家从树木林立的伯爵家庭院中,搬到了明亮的茶园中的自己家里。高次郎氏家是一座单薄而狭小的平房,他如果要伸腿的话,脚像要从板壁里伸出来似的。我每次从边上经过,总觉得其中有注意自己的视线,因担心受到斥责而返回。不久周围建筑工地连成片,我担心肯定会有一天将逼到底的高次郎氏家的平和破坏了。

ともかく高次郎氏は最初の私の家の隣人となって、暮のおし迫ったころ樹木の多い伯爵家の庭の中から明るい茶畑の中の自分の家へ移って来た。高次郎氏が足を延ばせば壁板から足の突き出そうな、薄い小さな平家(ひらや)だった。私は傍を通るたびに、中を注意したがる自分の視線を叱(しか)り反(かえ)して歩くように気をつけたが、間もなく周囲に建ち並んで来るにちがいない大きな家に押しつめられ氏の家の平和も破れる日が来るのではないかと心配になることもあった。

早晨离家时,我见过一两次高次郎氏,他嘴里叼着敷岛烟,飞快地骑着自行车,心情舒畅的样子。他妻子和子夫人把将背后上方的门闩插上,穿着鼠灰色看守人衣服的丈夫送出门口。

“一路走好,一路走好!”

接连不断地说着,挥着手,站在电线杆边,直到看不见丈夫为止。不管是下雨还是下雪,她的身影每天早上都不会变。这位新邻居主妇爱情的细致,让我妻子许久也回不过神来,无论如何也成不了对头吧,她死心了,马上回到了前面。

“对不起,我责备你的时候大声叫嚷,我想如果这样没错的话,那就不好了。”

我与妻子面面相觑,笑着。于是,我想,高次郎先生被电车撞飞,一定是他誊写完自己的歌集的当晚的归途。对我来说,高次郎先生的死已经不是别人的事了,而是一种新的冲击,就像火烧在身上一样。高次郎端坐在那里,握着毛笔誊写自己的作品,作为一种面对末日世界的一种态度,他的形象早已成为文人最为本怀的东西。我仿佛一剑落在刀刃上,此刻只能眺望着这位剑客的离去。

高次郎先生去世一周年纪念日即将到来。前几天,我的妻子说他看到加藤家的一只猫,把我家的兔子给咬死了,面容憔悴,用肮脏的手来回觅食。偶尔我也想看看那只猫。

我还和妻子面面相觑,笑了。从二层建筑朝问平房的对面,我们都有压迫的拘谨感,但实际上,这种不断地从下面摇晃而产生的滑稽感,一年到头都不间断地持续着。我家里的女佣也经常拿加藤家和我家做比较,

“我结婚的时候,想和那样的丈夫结婚。”

 朝家を出るとき敷島を口に咥(くわ)え、ひらりと自転車に乗るときのゆったりした高次郎氏の姿を私の見たのは一度や二度ではなかった。また細君のみと子夫人が、背中の上の方に閂(かんぬき)のかかった薄鼠色の看守服の良人を門口まで送って出て、

「行ってらっしゃい。行ってらっしゃい」

 と高くつづけさまに云って手を振り、主人の見えなくなるまで電柱の傍に立ちつくしている姿も、これも雨が降っても雪が降っても毎朝変らなかった。私の家内もこの新しい隣家の主婦の愛情の細やかさが暫(しばら)くは乗りうつったこともあったが、とうてい敵ではないとあきらめたらしくすぐ前に戻った。

「どうも、お前を叱るとき大きな声を出したって、ここなら大丈夫と思って来たのに、これじゃ駄目だ」

と私は家内と顔見合せて笑ったこともある。二階建から平屋の向うを圧迫する気がねがこちらにあったのに、実は絶えず下から揺り動かされている結果となって来た滑稽(こっけい)さは、年中欠かさず繰りつづけられるのであった。私の家の女中も加藤家と私の家とをいつも比較していると見えて、

「あたくし結婚するときには、あんな旦那(だんな)様と結婚したいと思いますわ」

无意中泄漏了妻子。不仅是蔬菜店的老主妇,我家的女佣对早上踩着花瓣走出去的高次郎先生也不忘恭恭敬敬地鞠躬。也许正因为如此,女佣还养成了一个习惯,每天早上都不忘在墙外拔草。这位女佣过了两年完全变了样。下一位女佣似乎也对加藤夫妇的和睦感到吃惊,对围墙外的拔草工作也是勤勤恳恳。因为自诩为颜值不错,村里的年轻人都吵得不可开交,那些性格有点蛮横的,有一天也对老伴说:

“加藤家的太太是爱吃醋的。刚才那老爷出门的时候,我跟他说了一句话,太太就暗暗盯上了我。”

 とふと家内に洩(もら)したことがあった。八百屋の老主婦ばかりではなく、私の家の女中も朝ペタルを踏んで出て行く高次郎氏には、丁寧にお辞儀をするのを忘れない風だった。そのためもあろうか女中は塀(へい)の外の草ひきだけは毎朝早く忘れずにする癖も出来た。この女中は二年ほどして変ったが次に来た女中も、加藤夫妻の睦(むつま)じさには驚いたと見え、塀の外の草ひきだけはまめまめしく働いた。顔自慢で村の若者たちから騒がれたこともあるとかで、幾らか横着な性質だったから、ある日も家内に、

「あのう加藤さんところの奥さんは、やきもちやきですわね。さっきあそこの旦那さんのお出かけのとき、一寸(ちょっと)旦那さんに物を云いましたら、奥さんがじろっとあたしを睨(にら)むんですのよ」

女佣用很好笑的声音告状道。不过,这位女佣也没多久就出嫁了。到了那个时候,我家附近的森林全部被砍掉了,空地上比我家大的房子一间接一间地拔地而起。因此,正如预想的那样,加藤家呈现出一种似有似无的景象,正在凹陷下去。但这对夫妻俩的感情之深厚,与以前没有丝毫变化。去澡堂的时候,两个人也是关上门,一起带着脸盆出门,再并列而归。高次郎先生的官厅回来时,夫人一定会去很远的地方迎接他。在越来越多的小杜鹃花和金盏花等盆栽树的小院子里,高次郎正在观赏花朵,他的身旁经常能看到跟他说些悄悄话的和子夫人。这两个人结婚不知有多少年了,可是从和我做邻居第三年的时候起,不知怎的,和子夫人的身体竟大得引人注目了。

 とこの女中はさも面白そうな声で告げ口した。しかし、この女中も間もなく嫁入りをした。そのころになると、私の家の附近いったいの森はすべて截(き)り払われ、空地には私の家より大きな家が次ぎ次ぎに建ち出した。そのため予想のように加藤家はあるか無きかのごとき観を呈して窪(くぼ)んでいったが、夫妻の愛情の細やかさは、前と少しも変りはなかった。銭湯へ行くときでも二人は家の戸を閉め一緒に金盥(かなだらい)を持って出かけ、また並んで帰って来た。高次郎氏の役所からの帰りには必ず遠くまで夫人は出迎えにいっていた。小さな躑躅(つつじ)や金盞花(きんせんか)などの鉢植(はちうえ)が少しずつ増えた狭い庭で、花を見降している高次郎氏の傍には、いつも囁(ささや)くようなみと子夫人の姿が添って見られた。この二人は結婚してから幾年になるか分らなかったが、私の隣人となって三年目ごろのあるときから、何となくみと子夫人の身体は人目をひくほど大きくなった。

“现在才有孩子吗?加藤先生一定很高兴。”

当我说这些话的时候,奇怪的是我家里也有出生的预感,这一天天成为事实。在此之前,我每年只去加藤家拜年一次,对方也只是应接不暇地来。我可以用谦逊的心情想象在大街上遇到的我的妻子与和子夫人暗中的目光。

“到底哪个早?家里的?”当我听到送走和子夫人丈夫的声音时,我也曾向妻子询问过,但加藤家比我家早一点。其次是我家的二儿子。没过两年,加藤家的二女儿又出生了。

「今ごろになってお子さんが出来るのかしら。加藤さんの旦那さん喜んでらっしゃるわ。きっと」

 こういうことを家内と云っているとき、奇妙なことにまた私の家にも出生の予感があり、それが日ごとに事実となって来た。それまでは、私は年賀の挨拶(あいさつ)に一年に一度加藤家へ行くきりで向うもそれに応じて来るだけだったが、通りで出会う私の家内とみと子夫人のひそかな劬(いたわ)りの視線も、私は謙遜(けんそん)な気持ちで想像することが出来た。

「いったい、どっちが早いんかね。家のか」

 と私はみと子夫人の良人を送り出す声を聞いた朝など家内に訊(たず)ねたこともあったが、加藤家の方が少し私の家より早かった。次ぎに私の家の次男が生れた。すると、二年たらずにまた加藤家の次女が生れた。

不知不觉间,我家周围的房屋四面八方,院子里来玩的不认识的孩子们的数量每年都在增加。加藤家的两个前额上有静脉凸出的女孩也经常混在其中。不知从哪里来的孩子们出来的时候,卖给我家宅基地的地主也死了。邻居家的主妇,还有邻居的邻居家的主妇,也不日亡故了。于是,那位亡故的邻居家的斜对面的主妇也没多久就死了。后面这一带的乡绅中,有三对夫妇齐集的长寿之家,其中的主人也死了。

就在这一天,加藤家又生了第三个孩子,那是第一个男孩。父亲早晨踏着自行车出去后,传来孩子们把高次郎送出去的热闹的声音,和夫人的声音一样,一如既往地传来。事实上,我已经听了有十几年了:

“一路走好,一路走好。”

 いつの間にか私の家の周囲には八方に家が建ち連り、庭の中へ見知らぬ子供たちの遊びに来る数が年毎に増えて来た。それらの中に額に静脈の浮き出た加藤家の二人の女の子もいつも混っていた。どこから現れて来るものか数々の子らの出て来る間にも、私の家の敷地を貸してくれた地主が死んだ。また隣家の主婦も、またその隣家の主婦も日ならずして亡(な)くなった。すると、その亡くなった斜め向いの主婦も間もなく死んでしまった。裏のこのあたり一帯の大地主に三夫婦揃った長寿の家もあったが、その真ん中の主人も斃(たお)れた。

 こんな日のうちに加藤家ではまた第三番目の子供が生れた。それは初の男の子だった。朝ペタルを踏み出す父の後から、子供たちの高次郎氏を送り出す賑(にぎ)やかな声が、夫人の声と一緒にいつものごとく変らずに聞えていた。実際、私はもう十幾年間、

「行ってらっしゃい。行ってらっしゃい」

这样呼唤加藤家精神饱满的声音,不知听了多少次了。每一次,我都觉得高次郎先生离开这个充满爱意的家时,他那满足的神情,一定会传达给许多囚犯们什么。说起这家人的不幸,我想,恐怕只是因为我家调皮的老二,让女孩子哭个不停吧。不知道从哪儿传来一个女孩子的哭声,我就从楼上跑了出来,“又来了!”这老二的恶作剧真难对付。这样的事情虽说是孩子的事情,但我总觉得这是加藤家和我家不和的暗流涌动,也许孩子对从长年累月下一直在二楼房子里摇摇欲坠的加藤家进行了自然的报复。

“哎呀,别把那孩子弄哭了。”

 とこう呼ぶ加藤家の元気の良い声をどれほど聞かされたことかしれぬ。その度(たび)に私は、この愛情豊かな家を出て行く高次郎氏の満足そうな顔が、多くの囚人たちにも何か必ず伝わり流れていそうに思われた。この家の不幸なことと云えば、見たところ、恐らく私の家の腕白な次男のために、女の子の泣かされつづけることだけではなかろうかと私は思った。どこからか女の子の泣き声を聞きつけると、私は二階から、「またやったな」と乗り出すほどこの次男のいたずらには梃擦(てこず)った。このようなことは子供のこととはいえ、どことなく加藤家と私の家との不和の底流をなしているのを私は感じたが、それも永い年月下からこの二階家を絶えず揺りつづけた加藤家に対して、自然に子供が復讐(ふくしゅう)していてくれたのかもしれぬ。

「こらッ、あの子を泣かしちゃいかんよ」

我这样经常对自己的二儿子说,可是二儿子说:

“那孩子,哭了。”说着,又把他逗乐似地弄哭了。一年去高次郎那里拜年,我也说:“不知道今年还会做些什么,请多关照吧。”这大概也包含了我谢罪的意思。这所房子一开门就一步也没进,可马上又要开门,我感到了一种奇怪的麻烦,门槛也一年比一年高。只有出来的和子夫人的笑脸和最初的时候一点也没变。

 私はこんなに自分の次男によく云ったが、次男は、

「あの子、泣きみそなんだよ」と云ってさも面白そうにまた泣かした。高次郎氏の所へ一年に一度年賀の挨拶に私の方から出かけて行くのも「今年もまた何をし出かすか分りませんから、どうぞ宜敷(よろし)く」と、こういう私の謝罪の意味も多分に含んでいた。この家は門の戸を開けると一歩も踏み込まないのに、すぐまた玄関の戸を開けねばならぬという風な、奇妙な面倒さを私は感じ敷居も年毎に高くなったが、出て来るみと子夫人の笑顔だけは最初のときと少しも変らなかった。

我和高次郎先生也没有碰面的机会。在月色晴朗的夜晚,一听到明笛的声音,孩子们就说那是加藤的叔叔啊,我就想和他一起唱一首明治时代的歌。

高次郎氏成为看守长的那年秋天,汉口陷落了。那天傍晚吃饭的时候,大儿子突然从外面回来了, 他说:“加藤家的叔叔,被担架抬回来了,脸上盖着手帕。” 我和我老伴立刻直觉到高次郎先生的意外死亡。

“你怎么了?我没问你。”

 高次郎氏とも私は顔を合すというような機会はなかった。月の良い夜など明笛(みんてき)の音が聞えて来ると、あれ加藤の小父さんだよと子供の云うのを聞き、私も一緒に明治時代の歌を一吹き吹きたくなったものである。

 高次郎氏が看守長となった年の秋、漢口(かんこう)が陥(お)ちた。その日夕暮食事をしていると長男が突然外から帰って来て、

「加藤さんところの小父さん、担架に乗せられて帰って来たよ。顔にハンカチがかけてあった」と話した。

 私と家内は咄嗟(とっさ)に高次郎氏の不慮の死を直覚した。

「どうなすったのかしら。お前訊(き)かなかった」

面对老伴的提问,孩子一脸没有任何兴趣地回答:“不知道。”在外界看来,高次郎先生并没有什么有趣的地方。但他是个笃实的人,因此在失落的喜悦中,他在某处举行了酒宴。我想象他在回家的路上,会不会被汽车撞得晕晕乎乎的。那么,我想这的确是一种光荣的战死,于是我马上上楼,向加藤家低头看了看。然而,整个家只是在落叶的高大梧桐下静悄悄地沉静下来。那一夜,仿佛夜色密密麻麻地垂在附近,一片寂静。我感到火盆里的木炭也是一个人准备守夜的寂寞。第二天早上,二儿子说:

“加藤先生的小叔叔,喝完酒回来,被电车撞死了。”他又说。

 家内の質問に子供は何の興味もなさそうな顔で「知らん」と答えた。外から見てどこと云って面白味のない高次郎氏だったが、篤実な人のことだから陥落の喜びのあまりどこかで酒宴を催し、ふらふらと良い気持ちの帰途自動車に跳(は)ねられたのではなかろうかと私は想像した。それならこれはたしかに一種の名誉の戦死だと思い、すぐ私は二階へ上って加藤家の方を見降した。しかし、家中は葉を落した高い梧桐(あおぎり)の下でひっそりと物音を沈めているばかりだった。そのひと晩は夜の闇が附近いちめんに密集して垂れ下って来ているような静けさで、私は火鉢につぐ炭もひとり通夜の支度をする寂しさを感じた。すると、次の朝になって次男が、

「加藤さんの小父さん、お酒飲んで帰って来たら、電車に突き飛ばされて死んじゃったんだって」とまた云った。

“不对,他还活着。” 这一次,长子强烈地否定了这是怎么回事。

“死了,他说死了。” 老二又提高了嗓门,一直对长子说。我不知道到底是哪一个,反正是意外的事情,我也不敢去打听,就这样呆在那里。第二天,高次郎家就开始埋葬了。

我让妻子去加藤家烧香后,看着成群结队地沉在满弄堂的电线杆旁的许多穿着看守服装的人。这时,我突然想起了四五天前看到的,加藤家的一只半白的猫咬住了我家兔子的脖子的时候,它的身姿就像钻过篱笆逃跑的脱兔一样快。

「違うよ。まだ生きてるんだよ」

 と長男が今度はどういうものか強く否定した。

「死んだんだよ。死んだと云ってたよ」

 とまた次男は声を強め倦(あ)くまで長男に云い張った。どちらがどうだかよく分らなかったが、とにかく不慮の出来事のこととてこちらから訊ねに行くわけにもいかずそのままでいると、その翌日になって高次郎氏の家から葬(とむらい)が出た。

 私は家内を加藤家へお焼香にやった後、小路いっぱいに電柱の傍に群れよって沈んでいる、看守の服装をした沢山な人たちの姿を眺めていた。そのときふと私はその四五日前に見た、加藤家の半白の猫が私の家の兎(うさぎ)の首を咥(くわ)えたと見る間に、垣根(かきね)を潜(くぐり)り脱けて逃げた脱兎(だっと)のような身の速さを何となく思い出した。

高次郎先生的意外死亡似乎还正像是孩子们所坚持的,是喝醉后从最后一班电车跳了下来,马上住院了,当时因为内出血过多,第二天就去世了。因为和子夫人是缝纫高手,所以不必担心高次郎死后的生活,看着也觉得事情有点太残酷了的这个家。在那之后,加藤家很快归他人所有了。于是一家人就像流水一样,悄悄地搬到了高次郎氏和他夫人的家乡城岛。

 高次郎氏の不慮の死はやはり子供たちの云い張ったようだった。酔後終電車に跳ねられてすぐ入院したが、そのときはもう内出血が多すぎて二日目に亡くなったということである。みと子夫人は裁縫の名手だから高次郎氏の死後の生活の心配は先ず無くとも、見ていても出来事は少しこの家には早すぎて無慙(むざん)だった。加藤家はその後すぐ人手にわたった。そして一家は高次郎氏やみと子夫人の郷里の城ヶ島へ水の引き上げてゆくような音無(おとな)しさで移っていった。

三个月的意外死亡的味道潜伏在四周,使我寂寞址站在二楼。有一天,美和子夫人寄来了一本贫苦的歌集《香奠返礼》。被收纳的和歌少之又少,但全都是高次郎先生的遗作。我一直以为他是剑客,当得知他还是一位和歌人时,突然感到一种身边人临死前的紧张感,于是先翻开一本简陋的集子读了一遍。

“宵月今在雪山之端,见其冴色,夕之依依。”

“傍晚的黑暗中,映入眼帘的山百合的幽香,清晨绽放。”

 三カ月は不慮の死の匂いがあたりに潜んでいる寂しさで私は二階に立った。ある日みと子夫人から、香奠返(こうでんがえし)に一冊の貧しい歌集が届いた。納められた中の和歌は数こそ尠(すくな)かったがどれもみな高次郎氏の遺作ばかりだった。私は氏を剣客だとばかり思っていたのにそれが歌人だったと知ると、俄(にわか)に身近かなものの死に面したような緊張を感じ、粗末な集を先ず開いたところから読んでみた。

「宵月は今しづみゆき山の端(は)におのづ冴(さ)えたる夕なごり見ゆ」

「夕暗(ゆふやみ)に白さ目につく山百合(やまゆり)の匂ひ深きは朝咲きならむ」

我以为高次郎先生是在月夜吹奏明笛的剑客,所以是一个相当优雅的人,但是,一看到这两首歌,我就会发现,一直以来以不祥的色彩出现在淀上的加藤家的一角,突然吹起爽朗的光芒,充满清风而来,这让我想起了端正衣领的心情。

“冷得发冷,晚上睡在床上,摸着我的床上用品。”

“我的妻子在井边洗东西,胃口好吐的声音就会冲上来。”

 月夜に明笛を吹いた剣客であるから相当に高次郎氏は優雅な人だと私は思っていたが、しかし、これらの二首の歌を見ると、私は今まで不吉な色で淀(よど)んで見えた加藤家の一角が、突然爽(さわ)やかな光を上げて清風に満ちて来るのを覚え襟(えり)を正す気持ちだった。

「冷え立ちし夜床にさめて手さぐりに吾子の寝具かけなほしけり」

「井の端にもの洗ひ居(を)る我が妻は啖(たん)吐く音に駆けてきたれる」

这首歌等,高次郎先生的胃口大吐的声音,也让人对他身边的孩子夫人的日常生活有所泛泛,但并不是这些歌,每首歌都有人格的圆满,格调的强化和提高。对于生活的谦虚清澈的意趣,以及竭尽全力为自己和别人祈祷幸福的真挚心境等,和歌中的精神远比作为邻居看待的高次郎先生的温厚质朴的态度更为深刻。

 この歌など高次郎氏の啖吐く音にも傍まで駆けよって来るみと子夫人の日常の様子が眼に泛(うか)んで来るほどだが、これらの歌とは限らず、どの歌も人格の円満さが格調を強め高めているばかりではない、生活に対して謙虚清澄な趣きや、本分を尽して自他ともどもの幸福を祈ってやまぬ偽りのない心境など、外から隣人として見ていた高次郎氏の温厚質実な態度以上に、はるかに和歌には精神の高邁(こうまい)なところが鳴りひびいていた。

许久以来,我对自己的伙伴默默地用锄头钻进这里的内部生活充满了浓厚的兴趣,悄悄读完了高次郎先生的歌集。吟咏妻子和孩子的歌曲自不必说,还有四季的关心,职务,人事,以及对囚犯身世的了解,以及对爱情的美好等等,大约一百三十二首歌,对于我来说,一句也不能随便读下去。虽说我们两人除了拜年以外,从来没有交谈过,但都是十多年来的老资格。在这本歌集的序文中,一位歌唱大师写道,加藤高次郎君是在剑道之后才进入和歌的,虽然还不到十几年,但他的精神却如此之高,这是令人惊叹的。对我来说,高次郎先生的每一首歌,不仅都是我能想到的,而且都是他去世后向我生动地搭话的声音。我准备探身倾听。

 暫くの間、私はこのあたりに無言でせっせっと鍬(くわ)を入れて来た自分の相棒の内生活を窺(のぞ)く興味に溢(あふ)れ、なお高次郎氏の歌集を読んでいった。妻を詠(うた)い子を詠う歌は勿論(もちろん)、四季おりおりの気遣(きづか)いや職務とか人事、または囚人の身の上を偲(しの)ぶ愛情の美しさなど、百三十二ほどのそれらの歌は、読みすすんでゆくに随(したが)い私には一句もおろそかに読み捨てることが出来ないものばかりだった。私ら二人は新年の挨拶以外に言葉を交(まじ)えたことはなかったとはいえ、どちらも十幾年の月日を忍耐して来た一番の古参である。この歌集の序文にも加藤高次郎君は剣道よりも後から和歌に入りまだ十幾年とはたたぬのに、かくも精神の高さにいたったことは驚歎に価すると歌の師匠が書いているが、私には、高次郎氏の歌はどの一首も思いあたることばかりだったのみならず、すべてそれは氏の亡くなってから私に生き生きと話しかけて来る声だった。私は身を乗り出し耳を傾ける構えだった。

“心系一剑,不知身之赤裸裸。” “摆好正眼与敌人对着干,试探一下对方的呼吸。” 这是户山学校的剑道大会优胜时紧张的剑客的歌。接下来是这样的。 “习惯了一天天的生活,但求苦差事的心情很舒畅。” 这首歌恐怕与早已习惯了美子夫人情爱的高次郎先生的悔恨不同吧。我不太知道写出这样的歌的和歌人,但是我也经常有同样的悔恨来折磨我。

「一剣に心こもりておのづから身のあはだつをかそかに知れり」

「正眼に構えて敵に対(むか)ひつつしばし相手の呼吸をはかる」

 これは戸山学校の剣道大会に優勝したときの緊張した剣客の歌である。次にこういうのがあった。

「ことたれる日日の生活(たつき)に慣れにつつ苦業求むる心うすらぐ」

 この歌は恐らくみと子夫人の情愛に、いつとなく慣れ落ちてしまった高次郎氏の悔恨に相違あるまい。このような歌を作った歌人はあまり私の知らないところだが、また私にも同様の悔恨が常に忍びよって来て私を苦しめることがある。

“现身的脆弱生命的思绪,却不能消除平常的谨慎。” 这大概是不断注视着囚犯的人回到家中的述怀吧,而这种述怀又积累成了下面这样一首歌,袭击了人们的心。 “把活生生的身体砍下来,让囚犯的心清醒过来。” 除此之外,看守长的慈爱还在继续。以偶尔为题, “我不是重口的人,今天又是一句恭维话,心不阴。” 这个人在内心躁动的日子里,总是习惯吟诵哀叹的诗歌,其中之一, “自己有没有身体的感觉呢?对别人的错误,心里就这么乱。”

「現身(うつしみ)のもろき生命(いのち)の思ひつつ常のつつしみかりそめならず」

 これは囚人を絶えず見守っている人の家に帰った述懐であろうが、この述懐がつもり積って次のような歌となり、人人の心を襲って来るのが一首あった。

「生きの身をくだきて矯(た)めよ囚人(めしうど)の心おのづとさめて来たらむ」

 看守長のなさけはまだこの他にも幾つとなくつづいていた。折にふれてと題して、

「口重き吾(われ)にもあらず今日はまたあらぬ世辞言ひ心曇りぬ」

 この人は心の騒ぐ日、いつも歎き悲しむ歌を詠むのが習慣となっているが、その一つに、

「己が身の調(ととの)はざるか人の非にかくも心のうちさわぎつつ」

这样的说法。我想起自己也经常来过这样的日子,而且几十年来几乎没有遇到别人的错误,居然这么多年来一直保持着这种忍耐。现在回想起自己,不禁感慨道。 “我为上司的厚爱而鞠躬尽瘁。” 想到高次郎先生,这首歌也并非谎言。我最近深切地感到,即使是这样的心灵人物中的一个人,也会遭受死亡的损失。但是,对于那些反抗上司的技术开始培养出尊重个性这一美名的现代人来说,古人的这颗心该有多大的影响呢?我常常对现在青年心中的阴暗、没有好处可言的理性主义感到不合理。我想,我的孩子要是这样的话,你的时代就没戏了,于是继续念下一首歌。 “我的池塘,白花花的睡莲,看不见被移来移去的样子。”

 というのがある。私は自分にもこんな日がしばしば来たばかりか、他人の非に出あわぬ朝とて幾十年の間ほとんどないのを思いよくも永年(ながねん)この忍耐をしつづけて来たものだと、我が身をふり返って今さら感慨にふけるのだった。

「上官のあつきなさけに己が身を粉とくだきて吾はこたへむ」

 この歌も高次郎氏を思うと嘘ではなかった。私はこのような心の人物の一人でも亡くなる損失をこのごろつくづくと思うのだが、上官に反抗する技術が個性の尊重という美名を育て始めた近代人には、古代人のこの心はどんなに響くものか、私は今の青年の心中に暗さを与えている得も云われぬ合理主義に、むしろ不合理を感じることしばしばあるのを思い、私の子供にこれではお前の時代は駄目になるぞと叱る思いで、次の歌を読みつづけた。

「移されしさまにも見えずわが池の白き睡蓮(すいれん)けさ咲きにけり」

加藤高次郎先生的这本歌集的题目叫做“水莲”。这是高次郎先生的歌的师傅起的题目,这个老师把高次郎先生的“睡莲”当作水睡,这样写着。 “加藤君曾经根据水莲,说有过受人生委托教导的事,深切地漏(也)了的事。前些年,在政府机关(监狱)的庭院里建造的池塘里,曾请所长先生将一株水莲分根种植。这水莲移到监狱池塘里来,一点也不变。还是充分发挥了水莲的个性,开出了那可爱的美丽花朵。这水莲惹人怜爱的花姿打动了加藤君的灵魂。人无论多么伟大的人,一旦被转到监狱,态度就会变。然而,水莲却毫不理会被移走的事实。大自然多么伟大啊。如果可能的话,我也想像这水莲花一样,即使遇到什么样的事件也不要动心。这就是加藤君从水莲中领悟到的心境。”

 加藤高次郎氏のこの歌集は題して「水蓮」という。これは高次郎氏の歌の師匠のつけた題であるが、この師は高次郎氏の「睡蓮」について睡を水としたまま次のように書いている。

「加藤君がかつて水蓮によって、人生をいたく教えられたことがあると言って、しみじみと洩(も)らされたことがあった。先年役所(刑務所)の庭に造った池に、所長さんの処から一株の水蓮を根分けしていただいたことがある。この水蓮は刑務所の池へ移されて来ても、少しもかわるところがない。やはり水蓮としての性を十分発揮してその可憐(かれん)なやさしい美しい花を開いているではないか。この水蓮の可憐な花の姿に加藤君は魂をうたれた。人間であればいかなる偉い人でも、刑務所へ移されると態度が変ってしまう。それなのに水蓮は移されたことも知らぬ顔に咲き誇っている。なんたる自然の偉大さであろう。出来得べくんば自分もこの水蓮の花のように、如何(いか)なる事件に逢おうとも心を動かすことなくありたい。これが加藤君の水蓮によって悟入した心境であった」

师父是深知弟子之心的,而高次郎先生也一定是像水莲一样的人,在师父眼中。这本遗歌集的最后两首,又像是氏的最后一首,留下了成熟而透明的痕迹。 “忍者拂晓,小夜乌,高高地飞向西边。” “大物打醒,梧桐枯叶凄凉” 高次郎先生的师傅还在这本歌集的卷末说:有一天晚上,加藤君在从政府机关回来的路上,突然来找我,说是想把杂志上登的自己的歌全部誊写一遍,坐着一直到深夜才誊写完。之后两人喝了酒,踏上归途,第二天接到加藤病危的消息,第二天就去世了。书中写道,虽说人生如朝露,但由于过于劳累,自己也会因此而丧失自我。

 師匠というものは弟子の心をよく知っているものだが、高次郎氏もまた、水蓮のような人として師の眼に映じていたにちがいない。この遺歌集の最後の二首は、また氏の最後のものらしく円熟した透明な名残(なご)りをとどめている。

「しののめはあけそめにけり小夜烏(さよがらす)天空高く西に飛びゆく」

「大いなるものに打たれて目ざめたる身に梧桐(あをぎり)の枯葉わびしき」

 高次郎氏の師匠はさらにこの歌集の巻末に、加藤君はある夜役所の帰りに突然私の所へ来て、雑誌に出た自身の歌を全部清書したいからと云い、端座したまま夜更(よふけ)までかかって清書をし終えた。その後で酒を二人で飲んで帰途についたが、翌日加藤君の危篤の報に接し、次の日に亡くなった。人生朝露のごとしといえあまりのことに自分は自失しそうだと書いてあった。

于是,我想,高次郎先生被电车撞飞,一定是他誊写完自己的歌集的当晚的归途。对我来说,高次郎先生的死已经不是别人的事了,而是一种新的冲击,就像火烧在身上一样。高次郎端坐在那里,握着毛笔誊写自己的作品,作为一种面对末日世界的一种态度,他的形象早已成为文人最为本怀的东西。我仿佛一剑落在刀刃上,此刻只能眺望着这位剑客的离去。 高次郎先生去世一周年纪念日即将到来。前几天,我的妻子说他看到加藤家的一只猫,把我家的兔子给咬死了,面容憔悴,用肮脏的手来回觅食。偶尔我也想看看那只猫。

 してみると、高次郎氏が電車に飛ばされたのは、自分の歌集を清書し終えたその夜の帰途にちがいないと私は思った。私には高次郎氏の死はもう他人の事ではなく、身に火を放たれたような新しい衝撃を感じた。一度は誰にも来る終末の世界に臨んだ一つの態度として、端座して筆を握り自作を清書している高次郎氏の姿は、も早や文人の最も本懐とするものに似て見え、はッと一剣を浴びた思いで私はこの剣客の去りゆく姿を今は眺めるばかりだった。

 高次郎氏が亡くなってからやがて一周忌が来る。先日家内は私の家の兎を食い殺した加藤家の猫が、老窶(おいやつ)れた汚(きたな)い手でうろうろ食をあさり歩いている姿を見たと話した。私は折あらば一度その猫も見たいと思っている。

2024.4.29.

最后编辑于
©著作权归作者所有,转载或内容合作请联系作者
  • 序言:七十年代末,一起剥皮案震惊了整个滨河市,随后出现的几起案子,更是在滨河造成了极大的恐慌,老刑警刘岩,带你破解...
    沈念sama阅读 217,509评论 6 504
  • 序言:滨河连续发生了三起死亡事件,死亡现场离奇诡异,居然都是意外死亡,警方通过查阅死者的电脑和手机,发现死者居然都...
    沈念sama阅读 92,806评论 3 394
  • 文/潘晓璐 我一进店门,熙熙楼的掌柜王于贵愁眉苦脸地迎上来,“玉大人,你说我怎么就摊上这事。” “怎么了?”我有些...
    开封第一讲书人阅读 163,875评论 0 354
  • 文/不坏的土叔 我叫张陵,是天一观的道长。 经常有香客问我,道长,这世上最难降的妖魔是什么? 我笑而不...
    开封第一讲书人阅读 58,441评论 1 293
  • 正文 为了忘掉前任,我火速办了婚礼,结果婚礼上,老公的妹妹穿的比我还像新娘。我一直安慰自己,他们只是感情好,可当我...
    茶点故事阅读 67,488评论 6 392
  • 文/花漫 我一把揭开白布。 她就那样静静地躺着,像睡着了一般。 火红的嫁衣衬着肌肤如雪。 梳的纹丝不乱的头发上,一...
    开封第一讲书人阅读 51,365评论 1 302
  • 那天,我揣着相机与录音,去河边找鬼。 笑死,一个胖子当着我的面吹牛,可吹牛的内容都是我干的。 我是一名探鬼主播,决...
    沈念sama阅读 40,190评论 3 418
  • 文/苍兰香墨 我猛地睁开眼,长吁一口气:“原来是场噩梦啊……” “哼!你这毒妇竟也来了?” 一声冷哼从身侧响起,我...
    开封第一讲书人阅读 39,062评论 0 276
  • 序言:老挝万荣一对情侣失踪,失踪者是张志新(化名)和其女友刘颖,没想到半个月后,有当地人在树林里发现了一具尸体,经...
    沈念sama阅读 45,500评论 1 314
  • 正文 独居荒郊野岭守林人离奇死亡,尸身上长有42处带血的脓包…… 初始之章·张勋 以下内容为张勋视角 年9月15日...
    茶点故事阅读 37,706评论 3 335
  • 正文 我和宋清朗相恋三年,在试婚纱的时候发现自己被绿了。 大学时的朋友给我发了我未婚夫和他白月光在一起吃饭的照片。...
    茶点故事阅读 39,834评论 1 347
  • 序言:一个原本活蹦乱跳的男人离奇死亡,死状恐怖,灵堂内的尸体忽然破棺而出,到底是诈尸还是另有隐情,我是刑警宁泽,带...
    沈念sama阅读 35,559评论 5 345
  • 正文 年R本政府宣布,位于F岛的核电站,受9级特大地震影响,放射性物质发生泄漏。R本人自食恶果不足惜,却给世界环境...
    茶点故事阅读 41,167评论 3 328
  • 文/蒙蒙 一、第九天 我趴在偏房一处隐蔽的房顶上张望。 院中可真热闹,春花似锦、人声如沸。这庄子的主人今日做“春日...
    开封第一讲书人阅读 31,779评论 0 22
  • 文/苍兰香墨 我抬头看了看天上的太阳。三九已至,却和暖如春,着一层夹袄步出监牢的瞬间,已是汗流浃背。 一阵脚步声响...
    开封第一讲书人阅读 32,912评论 1 269
  • 我被黑心中介骗来泰国打工, 没想到刚下飞机就差点儿被人妖公主榨干…… 1. 我叫王不留,地道东北人。 一个月前我还...
    沈念sama阅读 47,958评论 2 370
  • 正文 我出身青楼,却偏偏与公主长得像,于是被迫代替她去往敌国和亲。 传闻我的和亲对象是个残疾皇子,可洞房花烛夜当晚...
    茶点故事阅读 44,779评论 2 354

推荐阅读更多精彩内容

  • 最後のサヨナラは 最后的那声再见 他の谁でもなく 不为任何人 自分に叫んだんだろう 只为了自己而喊 サヨナラサヨナ...
    米多先生阅读 5,238评论 0 3
  • 花物語 寺田寅彦 翻译 王志镐 花的故事 一.打碗花 虽然确切地记不得是什么时候的事情了,想起了小时候的事情。我...
    ca2408595bb7阅读 216评论 0 1
  • 花物語 寺田寅彦 花的故事 翻译 王志镐 一.牵牛花 想起我幼年的事情,记不清是什么时候的事了。沿着宅前流淌着的浑...
    jimaiwa阅读 190评论 0 0
  • 山幸彦海幸彦 昔々、それはもうトコトン昔、神話の時代のお話です。 很久以前,总之这是远古的神话时代发生的故事。 ニ...
    日语之声阅读 379评论 0 0
  • ❖天の岩 アマテラスオオミカミという神様は、いやもうありがたい。世界中を明るい光で照らす、それはもうありがたい神様...
    日语之声阅读 262评论 0 1