老来苦
德田秋声
“那么爸爸和小三一起坐卧铺汽车去吧,我坐电车去。”
“哎呀,是吗。”
“我会陪你一起去医院的。”
“好吧。”
“T老院长对患者很有感情,无论如何都想要治愈。如果在那个海岸的疗养所呆上一个夏天的话,应该会渐渐好起来的吧。他担心连费用都不要花。啊,这样的病人,家里出了一个人,中产阶级的富裕家庭一般都会垮掉,所以他也这么关心我。”
“毕竟时间太长了。”
长子正雄与年轻院长自不必说,与老院长也关系密切。他拥有一颗与任何人都能亲近的柔软的心。
来到路边一家汽车店前,只见那辆相当庞大的卧铺车茫然地停在路边树荫下。他带着快二十岁的女儿、偶然从乡下来的外甥和女佣四个人坐了那辆车。
“我在W药店买了东西,之后坐电车去。”
早晨清爽的风吹动着门帘,卧铺汽车缓缓行驶在街道上。虽然离医院不是很近,但每次分别的时候,他都会感到寂寞,所以一直没有去探望,现在上二楼的病房一看,患者依然是一张白皙而美丽的脸。他在兄弟姐妹中个子最高,个子高,有青年的朝气和活力。他长时间仰躺在床上,耽于随便找个人谈话和议论。他无所不知,作为初中生来说,各方面的知识丰富得有些过于成熟。
“这个嘛……。”他用明晰的语调开始说话,丈夫对丈夫滔滔不绝地滔滔不绝。
“如果现在还健康的话……。”
但他决定不去想这些事。他对两个没志气的哥哥一直心怀不满,一想到他长时间在慵懒的病床上忍受病痛,就觉得他的命运是多么痛苦。当然,这样的病人不止她一个。患有结核性脊髓炎或骨膜炎的少男少女、青年处女很多,只要去医院一看就会明白。而没有适当的疗养所的国家设备,又使许多贫困患者的父母兄弟们伤心难过。他注意到背对着自己哭泣的三郎。
“小三好像想自杀。”
也听姐姐说过这样的话。
“啊,是啊。可不能把钙素放在枕边哦。”他对女儿说。
但是,家里每天都要给患者换纱布的哥哥正雄,不管怎么说,他最亲近患者了。正雄在任何情况下都不会失去希望。他经常鼓励父亲(二字点,1-2-22)。
“如果治不好的话,纱布的卷帘也没有张合,怎么也弄不好。”
“可是痊愈之后……。”
“能走。”
卧铺汽车正行驶在京滨国道上。宽阔的国道现在变得十分狭窄,交通变得频繁起来。乡下女佣从打开门帘的窗子环视四周。仰卧着的患者眼中,スヾカケ,屋顶、电线杆、电线,缝隙间不时出现蓝天白云,这样的风景很难得地持续着。病人心情很好。
“我曾经用伊家的发卡去镰仓兜风。”病人用长手摸了摸脸,过了一会儿。
“爸爸,喝点葡萄酒。”
他从口袋里取出医院准备的小瓶子递给他。病人希望有个谈得来的哥哥同乘一辆车。阿希达长期劳苦,他的心脏很少因悲伤或喜悦而跳动或受压,但也很难像长子那样灵活、轻松地与患者谈笑风生。音乐也好,文学也好,时事问题也好,体育八卦也好,流行读物,甚至是针对结核病的最新知识和治疗方法也好,他的世界不过是离现实世界越来越远的陈旧背景罢了了。
“看到广阔的天空了。”走过街道时,患者露出怀念的微笑。
疗养所位于广阔的庭园之中。签合同的是一间五坪左右的西式房间,属于最右边一栋的一部分。老院长也得了同样的病,最小的儿子死了一个。这是为了纪念那些生活不富裕的人们而设的慈善活动。那是附近有名的料理店的遗迹,如果院长资金充裕的话,再完善的设备也完全有可能建成。
“老院长,这下好像亏了不少了。”
晚到的长子让父亲坐在一张不大的椅子上,似乎在说,无论如何,只要能早一天把病人送到这里来就放心了。在这个连厨房和女佣的厕所都没有的房间里,一个病人担心最近发烧会侵犯胸部,一个身体不太结实的长子和女佣睡在蚊帐里,这让他感到非常不安。更重要的是,女佣极其厌恶患者的不安情绪威胁着他。
不久,两人上街去买家庭用品和日用品。城里什么都没有。以稻荷神为中心,料理店和艺妓店遍布各处。迷信与福音奇妙地交织在一起。
那天晚上,他彻夜待在蚊帐外,一边烧蚊帐,一边读着自己不想读的书。不久,随着行々子苇莺的啼声,天渐渐亮了。
有一天,他去看望病人。
那天,他从唯一的避难所舞厅回来,疗养所打来电话,女佣说想回去。连在医院雇的护士来哄骗她。
“还打电话到日本桥那边去了。哥哥好像也肚子不舒服,正在睡觉。”
哥哥也不能一直陪着他。
“啊,是吗?那我马上过去。”
无论多么郁闷的时候,他都会在宽敞的大厅里转上三四圈。当然,那是乐队不生气的白天。一到晚上九点十点钟,舞者络绎不绝,匆忙起身的加耶兹和几十对男女的旋转令人眼花缭乱,使他的神经疲惫不堪。他已经过了混迹于这群人之中狂舞的年龄,也没有那种个性了。从椅子上站起来去跳舞屡々是一种怯懦的努力。直到自己的舞步完整为止,今天和明天的脚步都自然而然地走向那里。对他来说,这不过是无止境的生活荡秋千罢了。
他在木板间脱下西服擦了擦汗,急忙出了家门。
他在高轮车站买了点心和食品。然后提着它上了蒲田。蒲田车站很安静。我抽着烟等了一会儿,才知道电车已经停驶了。他急忙上街,在瓦砾地雇了一辆车。
“我老了以后,又要受这种苦!”他靠在梳子的一角,回想着梦幻般的漫长过去。没有任何愉快的回忆。身为作家的矜持、身为人类的矜持,早就消失得无影无踪了。
到了疗养所,铁门微微敞开着。他侧过小小的身体,从那里走了进去。从松树和枫树丛中,架在池塘水面上的土桥,从儿童病房透出的光亮下碧绿的草坪,他踩着这些走到窗下。病人躺在床上,女佣躺在床上,两人都陷入了深深的睡眠中,醒来之前必须喊四五声,然后敲楼梯口的门。
“发烧怎么样?”他问眯着眼的孩子。
“今天八度多一点。”病人懒洋洋地回答,又闭上眼睛。
他只穿着衬衫和长裤,和女佣并排躺在枕头上,怎么也睡不着,便爬出蚊帐,坐在靠窗的椅子上,翻看那里的杂志。隔着一条马路的芦苇繁茂处,行行子不时发出性欲旺盛、惹人厌的声音。
黎明时分,他走到室外,在宽阔的庭院和菜地的空地上散步。他还在苇帘下的长椅附近踩着步。不久太阳升起来了。
女佣人收拾寝具,打扫房间,花了很长时间。患者在眼睛上愉快地把玩着昨晚他买来的一个甜瓜,半个身子沐浴在从窗户射进来的早晨阳光下。手脚瘦得像竹子一样。
香肠、牛奶和面包,满足了患者早晨的食欲。他没有什么可吃的东西。他上街去看。到处看也什么都没有。只有一家新的佃煮店。他买了一些不太好吃的东西回来了。然后让人泡了红茶,用面包和豆子充饥。
“本来是要派护士来的,可是医院里想照顾的人回乡下去了,在她出来之前,你要是能在这里待着就好了……。”
朴素而精明的她一如往常的※(《立心弁+哥哥》,第3水准1-84-45)装傻地回答。
“我不愿意,让我回乡下吧。”
“是吗,那就没办法了。”
“昨天也没有人来,我一个人很为难。”
“病人很难受……。”
“嗯,也有这样的事,我不喜欢待在这种寂寞的地方。”她走出房间。
他看了看孩子的脑门。
“你是不是又觉得不舒服了。”
孩子眼里含着泪水。
“不能太着急了,因为发烧了。反正时间也长了,要冷静下来,慢慢坚持下去。要是有母亲在的话。可是有母亲在的话,还是过得不好。”哥哥你也不能这么纠缠不清,你和你身边的人也要留点耐心,慢慢来才行。”
孩子什么话也说不出来。
“那家伙*(《立心弁+哥哥》,第3水准1-84-45)长着一张滑稽的脸,说着滑稽的嘴,逗人发笑,但他却很狡猾。”孩子这样说道。
“昨天晚上,他在隔壁的病人那里听着留声机,卖油卖到深夜十二点。白天他基本上都在和其他病房的护士聊天,很少到我身边来。”孩子也忍着。
他知道父亲比较信任这个女佣人。
在他看来,求知欲和求生欲望旺盛的孩子最需要的还是精神修养和信仰,但对于忙于吸收丰富近代知识的卧病在床的青年来说,缺乏理性的主观是行不通的。哭了。
渐渐地,他感到了疲劳。然后躺在堆在墙壁上的被褥上,用手揉了揉就睡着了。
一个闷热的夜晚,他在京滨电车里摇摇晃晃。在舞场认识的人的聚会在鹤见的大厅举行,刚回来。朋友中有大工厂的厂长、有名的博士、帝大和三田出身的绅士、年轻作家、杂志记者还有T先生,其中还有夫人和小姐……还有一个舞者。
电车即将驶离蒲田时,偶然遇到他的儿子正雄上了车。他戴着一顶廉价巴拿马草帽,腋下夹着纱布消毒器。
“呀。”大厅里认识的两三个人都把视线集中到正雄身上。
“上哪儿去了?”
“我刚从羽田回来,不经意间看到了大家的脸……。”他笑了。
“啊,原来如此。真是太好了,病人怎么样了?”
关心他和他的孩子的K先生,用毫无隔阂的语调问道。
“算了……。”
“我现在要去银座,请您和我一起去吧,爸爸。”
他一边笑着,一边询问病情。
“那么烧的话……等稍微冷静一点应该就会退烧的。老院长来过一次,说是胸部没有什么不舒服。”不管是谁,只要照过x光片,百分之八都有故障,所以不用担心。”
“是吗,那就好。”
“你去卷曲看看,最后在老院长面前大致做了一下……听说你参加了这个新体诗祭,听了一些关于那个时代诗坛的往事。大人写文章的时候,就会说父亲的事……如果能见上一面就好了,真是个给人感觉很好的老人,以前的人总觉得很好。”
他一直在想,一定要去拜访一次,向她道谢。
“老院长好像想在那里治疗三郎,我对他抱有很大的希望。”
正雄常替父亲打听这位老院长的消息。就像谈论自己的父亲或叔叔一样亲切愉快。
大厅里的朋友们在干事事先准备好的银座某餐馆的一个房间里,用几个起泡的煎饼和三盘新鲜的菜肴互相祝贺身体健康。天真的诙谐和机智的俏皮话,与啤酒泡沫一起从唇间喷涌而出。从那里出来的时候,银座的天色渐渐暗了下来。
他适度散步之后,坐计程车回家。
“……阿芳今天逃走了。”
正在他脱下西服上衣擦汗的时候,女儿静代过来告诉他。
“这样啊。”
“她在储藏室里收拾东西,我觉得有点奇怪,我带桃子去买东西,她不在家,她就出去了。”
“昨天不是三十号,因为要买东西就想领工资……那家伙果然还是不行啊。”
大约五天前,现在有一位老婆婆也请假去乡下生活了,后来听照顾她的妇人说,阿芳一直在乡下生活。
“阿芳从很久以前就住在这里了……”他想起老婆婆时常说的这句话。
“那家伙/也许不行吧。”
“明明什么都不出去的……。”女孩觉得好笑。
这时正雄也在浴室擦了擦身子,回来了。
“阿三打从一开始就说他是个很狡猾的家伙,净说些滑稽的话。”
“也许吧。大概是回乡下去了吧。”
他又忧郁起来。不过,他想暂时不要雇人手。
“你父亲有空的时候,去那边坐坐吧。”
当时,长子寄宿在离疗养所不远的某餐馆二楼的一个房间里。
“食物还不错,鳗鱼也有。我听老爹说过鳗鱼的事,他说一看长相就知道是原产地还是产地。”正雄漫不经心地说。
“不,那一带也不景气,听说艺伎连五分钱的泡澡钱都没有……K小姐说要在那里闹啊。”
K先生是今晚的干事。K——先生是个不管什么三味线都能配上布鲁斯舞步的人。正雄也知道这一点。
听到两点了,正雄上了二楼,他躺在床上迷迷糊糊地睡了一会儿,又睁开了眼睛。好几次起床,拉开檐廊的门帘,打开玻璃门。他从以前就有这个毛病。
到了早上,他轻手轻脚地走到厨房,把笸箩里的米移到锅里,把笸箩粘在瓦斯上。找了味增、鲣鱼干和汤种。酱汤在壶底长了一层蘑菇般的霉菌。卖纳豆的时候,女儿也起来了,有点不耐烦地开始干活。这时,四儿子和小女儿也起来了。
他当然打扫了两个属于自己的房间,擦了擦抹布。感觉上气不接下气,便坐在地板间的椅子上抽烟。太阳照到院子的半边时,甜美的睡意袭来。他在里屋铺好被褥,安详地躺下。今天买了竹帘挂在檐上,又买了新的门帘把家里装扮得像夏天一样漂亮。说着说着他睡着了。
(昭和5年9月《文艺春秋》)
老苦
徳田秋聲
「ではお父さんは三ちやんと一緒に寝台自動車に乗つて行つて下さい。僕は電車で行きますから。」
「あら、さう。」
「病院までは僕も一緒に乗つて行きますから。」
「よし/\。」
「T老院長は患者に愛著をもつてゐます。どうしても癒さうとしてゐます。あの海岸の療養所にこの夏一杯もゐたら、づつと快くなるでせう。費用もかけさせないやうにと、心配してくれてゐるんです。あゝ云ふ患者が、一家のうちに一人出ると、中産階級のちよつとした家は大概へたばつてしまふもんだからつて、そこまで思つてくれてゐるんです。」
「何しろ長いからね。」
長男の正雄は若院長は勿論、老院長とも親しくなつてゐた。彼は誰とも親しくなれる質の柔軟やわらかな心をもつてゐた。
通りの自動車屋の前へ来ると、尨大なその寝台車が路傍樹の片蔭に用意されてあつた。彼は二十になる娘と田舎から偶然出て来てゐる甥と、それに女中と四人でそれに乗つた。
「僕はW薬局で買ひものをして、後から電車で行きますから。」
寝台自動車は朝の爽やかな風にカアテンを煽らせながら、ゆつくり街路を走つた。病院までは大した距離でもなかつたが、彼はいつも別れる時が寂しいので、余り見舞はないことにしてゐたが、今二階の病室へ上つてみると、患者は相変らず白皙な綺麗な顔をしてゐた。節々の暢びやかに育つた彼は、兄弟中で尤も脊が高くて、尤も青年らしい気慨と元気とをもつてゐた。長いあひだ仰臥したまゝの彼は、誰でも捉へて談話や議論に耽つた。彼は何んでも知つてゐた、中学生にしては少し大人つぽすぎるほど各方面の知識に富んでゐた。
「それはね……。」と、明晰な口調で彼が遣りはじめると、夫から夫へと際限もない雄弁がつゞいた。
「若しこれが今頃健康であつたなら……。」
彼はしかしそんな事は考へないことに決めてゐた。気慨のない二人の兄にきつと不満を抱いてゐるであらう彼が、怠窟な病床に長い病苦を忍んでゐることを思ふと、彼の運命が何んなに辛いものであるかゞ思ひやられた。勿論こんな病人はこの子一人ではなかつた。結核性の脊髄カリエースや骨膜炎を悩んでゐる少年少女、青年処女の多いことは、病院へ行つてみれば直ぐ解ることであつた。そして又適当な療養所の国家的設備のないことが、如何に多くの貧しい患者の父母兄弟達を泣かしてゐることだらう。彼は何うかすると顔を背向けて泣いてゐる三郎に気づいた。
「三ちやんは自殺しようとしたらしいの。」
姉娘からそんなことを耳にしたこともあつた。
「あゝ、さう。カルモチンなんか枕元においちやいけないよ。」彼は娘に言つた。
しかし家ではエトラガーゼの捲替へを、毎日一回づつ欠かさずにやつてゐた兄の正雄が、何と言つても一番患者に密接してゐた。正雄は何んな場合にも希望を失ふやうなことはなかつた。彼は屡※(二の字点、1-2-22)父を励ました。
「若し癒らないものだつたら、ガーゼの捲替へなぞ、張合がなくて迚もやれやしませんよ。」
「だが癒つてからが……。」
「歩けますよ。」
寝台自動車は今京浜国道を走つてゐた。広い国道も今は狭すぎるくらゐ交通が頻繁になつてゐた。田舎ものゝ女中は、カアテンを繰つた窓から、きよろ/\四辺を見廻はした。仰臥してゐる患者の目には、スヾカケ、屋根、電柱、電線、その隙間から時々の青空白雲、そんな風景が珍らしく続いた。患者は機嫌がよかつた。
「I――の家のパツカードで鎌倉までドライブしたことがあつたけがな。」患者は長い手で顔を撫ぜたが、暫くすると、
「お父さん葡萄酒を少し。」
彼は病院で用意して来た小さい壜をポケツトから取出して渡した。患者は話の合ふ兄の同乗が望ましかつた。父なる彼も長いあひだの労苦で、悲しみや喜びに心臓が踴つたり圧されたりするやうなことは少なくなつたけれど、長男のやうな柔軟さと気安さで患者と談笑を交へることは困難であつた。音楽の話にしろ、文学の話にしろ、時事問題にしろ、スポーツ界の噂にしろ、流行の読みもの、乃至は結核に対する最新の知識や療法にしろ、総て彼の世界は現実界のづつと後ろの方に遠ざかつた古ぼけた背景にすぎなかつた。
「やつと広い空が見え出して来た。」町をはづれたとき患者は懐かしさうに微笑した。
療養所は広大な庭園のなかにあつた。契約したのは右端にある一棟の一部を成した五坪ばかりの洋室であつた。老院長は同じ病気で、その末子を一人亡くしてゐた。こゝは其の記念として、生活の余り豊かでない人達のために慈善的に設けられたものであつた。界隈では名の通つた料理屋の迹で、若しも院長が資金に恵まれてゐたら、何んな完全な設備でも出来る筈の余地が十二分にあつた。
「老院長さん、これで大分損したらしい。」
おくれて着いた長男は一脚しきあない椅子に、父をかけさせながら、何はともあれ一日でも早く、患者をこゝへ寄越しておけば安心だと云ふ風であつた。台所や女中の便所すらないこの一室で、しかも最近の発熱が、胸を冒されてゐるからではないかと云ふ心配のある患者と、余り丈夫でない長男や女中と一つ蚊帳に寝るといふことが、彼に取つても大いなる不安であつた。それよりも患者につくことをひどく厭がつてゐる女中の落着かない気分が彼を脅かした。
二人はやがて町へ世帯道具や日用品を買ひに出かけた。町には何にもなかつた。稲荷さまを中心にして、料理屋と芸者屋がそちこちに巣くつてゐるだけであつた。迷信とヱロとの不思議な交錯であつた。
彼はその晩徹宵蚊帳の外で、蚊遣を焚ながら読みたくもない本を読んでゐた。するうちに湧きたつやうな行々子よしきりの囀りと共に白々夜があけた。
或日も彼は患者を見舞つた。
その日も彼は唯一の逃避所にしてゐるダンスホールから帰つてくると、療養所から電話がかゝつて、女中が帰りたいといふのであつた。病院で傭つてくれることになつてゐる看護婦の来るまでと、賺しておいたのであつた。
「日本橋の方へも電話をかけたんですつて。兄さんもお腹を悪くして寝てゐるらしいんです。」
兄もさう附ききりではゐられなかつた。
「あゝ、さう。ぢや直ぐ行つてやらう。」
彼はどんなに憂鬱な時でも、広いホールを三四回まはると気持がせい/\した。勿論それはバンドのかゝらない昼間のことであつた。踊り手の立込んで来る夜の九時十時になると、急ぎ立てるやうなジヤズと、目間苦しく回転して行く幾十組かの男女の旋回が、彼の神経を疲からせた。彼はもうさう云ふ人達のなかに交つて踊り狂ふやうな年齢でもなかつたし柄でもなかつた。椅子を起つてダンサアに行くのが、屡々臆劫な努力でありさへした。一通り自分自身の踊り方が完成するまではと、つひ今日も明日も足が自然ひとりでにそこへ向いて行つた。彼に取つては果敢ない生活の振蕩にすぎなかつた。
彼は板敷の間で洋服をとつて汗をふくと、急いで家うちを出た。
高輪駅で彼は水菓子や食料品を買ひ込んだ。そしてそれを提げて蒲田まで乗つた。蒲田駅はひつそりしてゐた。莨をふかしながら待つてゐるうちに、電車がもうお仕舞になつたことが解つた。彼は急いで町へ出てガレイヂで一台傭つた。
「おれは年取つてから、又こんな苦労をする!」彼はクシヨンの隅に寄りかゝりながら、夢のやうな長い過去を思返した。楽しい思出らしいものは何一つなかつた。作家の矜、人間の矜り、そんなものも疾くに何処かへけし飛んでしまつた。
療養所へつくと、鉄門が少し開いてゐた。彼は小さい体を横にしてそこから入つて行つた。松や楓の植込から、どす黝い池の水に架つた土橋、それから子供の病室をもれる明あかりに青々してみえる芝生、それを蹈んで、彼は窓の下へ寄つて行つた。患者はベツドのうへに、女中は床のうへに、二人とも深い眠りにおちて、目をさますまでには四五回声をかけた果に、上り口のドアを叩かなければならなかつた。
「どうだい熱は。」彼は薄目をあいた子供にきいた。
「今日は八度少し。」患者は懶げに答へて、又目を瞑つた。
彼はワイシヤツとズボンだけになつて、女中と並んで枕に就いたが、迚も眠れさうではなかつたので、蚊帳を這出して、窓ぎはの椅子にかけて、そこに有合せの雑誌に目をさらした。往来を隔てた葭の繁みに、行々子が時々そこ此処に性慾的な厭味な声を立てた。
夜明けが近づくと彼は室外へ出て、広い庭や野菜畑のあひだを逍遥した。葭簾張の下のベンチのあたりで彼はステツプを踏んだりした。するうち日が昇つて来た。
女中が寝道具を取り片づけて、部屋を掃除するまでには、大分時間がかゝつた。患者は昨夜彼が買つて来たメロンの一つを、目の上で楽しげに弄りながら、窓から差込む朝の太陽に半身を曝らしてゐた。手も足も竹のやうに痩せてゐた。
ソオセイジと牛乳と、それにパンとで、患者は朝の食慾を充たした。彼の食べるやうなものは何んにもなかつた。彼は町へ出て見た。どこを見ても何んにもなかつた。たゞ新しい佃煮屋が一軒あるきりであつた。彼はいくらか口にあひさうなものを少許り買つて帰つて来た。そして紅茶をいれさせて、パンと豆とで食事をすました。
「いづれ看護婦が来ることになつてゐるんださうだけれど、病院で附けたいとおもふ人が田舎へ還つてゐるんださうだ。それの出てくるまでお前はこゝにゐてくれると可いんだが……。」
素朴らしく、しかしどこか抜け目のない彼女はいつもの※(「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45)とぼけたやうな調子で答へた。
「私厭ですわ。田舎へ還してもらいます。」
「さう、ぢや仕方がない。」
「昨日も誰方もおいでにならないもんですから、私一人で困つてしまひました。」
「病人が気むづかしくて……。」
「えゝそれもありますし、こんな寂しいところにゐるのは厭なんです。」彼女は部屋を出て行つた。
彼は子供のうへに目をやつた。
「お前何か又気むづかしくなつたんぢやないかい。」
子供は目に涙を浮べた。
「余り苛々しちや駄目だよ。熱が上るからね。どうせ長いんだから、じつと気持を落ちつけて、じり/\持ちこたへて行かなけあね。それあお母さんがゐればね。でもお母さんがゐたつて矢張りうまく行かないんだよ。兄さんもさう附ききりといふ訳には行かない。お前も傍はたのものも、気を長くして、呑気にやらなけあ駄目だよ。」
子供は何にも言得なかつた。
「あいつは※(「りっしんべん+兄」、第3水準1-84-45)けた顔をして、剽軽な口をきいて、人を笑はせたりするけれど、なか/\づるいんだ。」子供はさう言ひたかつた。
「昨夜も隣りの患者のところで、蓄音機なんかきいて、夜の十二時まで油を売つてゐたんだ。昼間だつて、大概他の病室の看護婦と話しこんでゐて、おれの傍へは碌に寄りついてもくれなかつたんだ。」子供はそれも怺へてゐた。
彼は父が比較的この女中を信じてゐることを知つてゐた。
知識慾と、生きようとする力の旺盛な子供に必要なものは、やはり精神的修養か信仰かだと彼には思はれたが、豊富な近代的知識を吸収するのに忙しい病床の青年の感情に取つては、合理性に乏しい主観の通用しさうな筈もなかつた。
次第に彼は疲労を感じて来た。そして壁ぎはに積み重ねてある蒲団のうへに横たはつてぐつすり寝込んでしまつた。
蒸暑い或る夜、彼は京浜電車に揺られてゐた。ダンス場で知り合つた人達の会が鶴見のホールで催された其の帰りであつた。仲間には大きな工場の長や、有名な博士や、帝大や三田出の紳士、若い作家、雑誌記者それに先生のT氏、その中にはマダムや令嬢や……ダンサアも一人交つてゐた。
電車が蒲田を出ようとするとき、ふと彼の子供の正雄が乗り込んで来るのに出逢つた。彼は深い安パナマを冠つて、小脇にガーゼの消毒器をかゝへてゐた。
「やあ。」ホールで知り合つてゐる二三の人が、正雄に視線を集めた。
「どこへ行つていらしたんです。」
「羽田からの帰りです。ふいと見ると、皆さんの顔が見えたもんで……。」彼は笑つた。
「あゝ、成程。ちやうど可うござんしたね。御病人は何如です。」
彼と彼の子供に関心をもつてゐるK氏が、懸隔てのないいつもの調子できいた。
「まあ可いですけれど……。」
「これから銀座へ出ます。御一緒にいらつしやい。いゝでせうお父さん。」
彼はにや/\しながら、容態をきいたりした。
「まあ、あのくらゐの熱でしたら……。もう少し落着いたら下るでせう。老院長が一度来ました。胸なんかちつとも悪くないといふんです。それあ誰でもレントゲンで見れば、八パーセントまで故障があるんだから、心配する必要はないんださうです。」
「さう、それなら可いけれど。」
「君捲きかへやつて見給へつて、到頭老院長の前で大体やらされてしまつて……。この新体詩祭に出席したとかで、あの頃の詩壇の懐旧談を聴かされました。大人は文章を作られるがつて、お父さんのことを……一度逢つてごらんになると可いですね。実に好い感じの老人です。昔の人は何だかやつぱり好いな。」
彼は一度訪ねて、お礼を言はなければ済まないと兼々思つてゐた。
「老院長はあすこで三郎を癒したいらしいんです。十分希望をもつてゐます。」
正雄はこの老院長の噂を、能く父に為て聴かした。まるで自身の父か叔父のことでも話すやうな親しさと楽しさを以つて。
ホールの仲間は、予て幹事が準備しておいた、銀座の或るレストオランの一室で、泡立つヂヨツキの幾箇かと鮮新な料理の三皿ばかりで、互ひに健康を祝し合つた。無邪気な諧謔と機智に富んだ洒落とが、ビーアの泡と一緒に口唇から湧き出した。そして其処を出たのは、銀座も漸く白ける比であつた。
彼は適度な散歩をしたあとで、円タクで家へ帰つた。
「……お芳が今日逃げて行きました。」
洋服の上衣をぬいで、汗をふいてゐるところへ、娘の静代が来て告げた。
「さうか。」
「納戸へ入つて荷物を纏めてゐるから、何だか変だと思つたんですけれど、私がももちやんをつれて買ひものに行つた留守に出て行つてしまつたんですの。」
「道理で昨日三十日でもないのに、買いものがあるから給料をもらいたいなんて……あいつ矢張り可けないんだね。」
その五日ほど前に、今一人の老婆も此の夏は田舎で暮したいからと、暇を取つて行つたが、あとで其の老婆を世話してくれた婦人の話によると、づゐぶんお芳がいぢめたらしいといふのであつた。
「どうしてもお芳さんが古くから居りますから……」と時々さう言つてゐた老婆の言葉を、彼は思ひ出した。
「あいつなか/\可けないんかも知れないね。」
「何も黙つて出て行かなくたつていゝのに……。」娘は可笑しがつてゐた。
そこへ正雄も風呂場で体をふいて、遣つて来た。
「あんな剽軽なやうなことばつかり言つて、大変づるい奴だつたと三ちやんは初めから言つてゐましたよ。」
「さうかも知れないな。多分田舎へ帰つたんぢやないだらうよ。」
彼は又憂鬱になつた。しかし当分人手を仮りることは思ひ止らうと思つた。
「それよりかお閑のとき、お父さん一度あちらへ入らつしやいませんか。」
その頃長男は療養所から少し隔つたところの、町なかの或レストオランの二階の一室に下宿してゐた。
「食べものはまあ相当です。鰻ぐらゐありますよ。親父さんに鰻の話を聞かされたが、顔を見ると本場か場違ひかわかるんですつてね。」正雄は呑気さうに、そんな話をはじめた。
「いや、あの辺も不景気で、芸者は五銭の湯銭もないんださうで……K――さんなんか、あすこで騒ぐといゝんだな。」
K――さんは今夜の幹事であつた。K――さんは何んな三味線にでもブルースのステツプを載せる人であつた。それを正雄も知つてゐた。
二時ときいて、正雄は二階へ上つて行つたが、彼は臥床ふしどについても、うと/\したかと思ふと目がさめた。幾度となく起き出して縁側のカアテンを繰つて硝子戸を開けた。彼は昔からそんな癖があつた。
朝になると、彼はそつと台所へ出て、白げられた笊の米を釜に移して、ガスにマツチを摺りつけた。味噌や鰹節やお汁種を捜した。味噌は壺の底に茸のやうに黴になつてゐた。納豆売の来る頃には、娘もおきて来て、少し迷惑のやうに、働きはじめた。するうち四男も末の娘の子も起きだして来た。
彼は当然自身の所属になる部屋を二つばかり掃除をして雑巾がけをした。息が切れさうなので、板敷の間で、椅子にかけて煙草をふかした。日が庭の半面へ差しかけて来る頃、甘い眠りが襲つて来た。彼は奥の部屋に蒲団を延べ直して、安らかに体を横たへた。今日は簾を買つて檐に吊したり、新しいカアテンを買つて家を夏らしい美しさに装はうと思つた。するうち彼は眠つてしまつた。
(昭和5年9月「文芸春秋」)