来自藤架的阴翳

来自藤架的阴翳

藤棚の陰から

(译自青空文库)

寺田寅彦

翻译   王志镐

若葉のかおるある日の午後、子供らと明治神宮外苑(めいじじんぐうがいえん)をドライヴしていた。ナンジャモンジャの木はどこだろうという話が出た。昔の練兵場時代、鳥人スミスが宙返り飛行をやって見せたころにはきわめて顕著な孤立した存在であったこの木が、今ではちょっとどこにあるか見当がつかなくなっている。こんな話をしながら徐行していると、車窓の外を通りかかった二三人の学生が大きな声で話をしている。その話し声の中に突然「ナンジャモンジャ」という一語だけがハッキリ聞きとれた。同じ環境の中では人間はやはり同じことを考えるものと見える。

アラン・ポーの短編の中に、いっしょに歩いている人の思っていることをあてる男の話があるが、あれはいかにももっともらしい作り事である。しかしまんざらのうそでもないのである。

在新叶飘香的一天下午,和孩子们一起开车去明治神宫外苑。有人提出了南天竹树在哪里的话题。在从前的练兵场时代,鸟人史密斯做着悬空飞行展示的时候,这棵树极其明显地孤立存在着,现在有点不知道在哪里了。一边说着这些话一边缓缓而行,从车窗外面经过的两三个学生在大声说话。在他说话的声音里,突然只听清楚了“南天虎”一词。在同一个环境中,人看起来还是会想同样的事。在阿兰•坡的短篇中,有一个关于猜中所想的男人就同他一起走的故事,那是一件多么有道理的事情,但也未必一定是谎言。

       二

睡蓮(すいれん)を作っている友人の話である。この花の茎は始めにはまっすぐに上向きに延びる。そうしてつぼみの頭が水面まで達すると茎が傾いてつぼみは再び水中に没する。そうして充分延び切ってから再び頭をもたげて水面に現われ、そうして成熟し切った花冠を開くということである。つまり、最初にまず水面の所在を測定し確かめておいてから開花の準備にとりかかるというのである。

なるほど、睡蓮(すいれん)には目もなければ手もないから、水面が五寸上にあるか三尺上にあるかわからない。もしか六尺も上にあったら、せっかく花の用意をしてもなんの役にも立たないであろう。自然界を支配する経済の原理がここにも現われているのであろう。

このつぼみが最初に水面をさぐりあてて安心してもぐり込んだ後に、こっそり鉢(はち)をもっと深く沈めておいたら、どういうことになるか。

これは一度試験してみる価値がありそうである。花には少し気の毒なような気はするが。

这是关于制作睡莲的朋友的故事。从这朵花的茎开始笔直向上延伸。于是,花蕾的头到达水面后,茎倾斜,花蕾再次没入水中。这样充分伸展之后,再次抬起头露出水面,然后打开成熟为完整的花冠。也就是说,首先测量水面的所在位置,然后着手准备开花。

原来如此,由于睡莲既无眼又无手,所以不知道水面是在五寸以上还是三尺以上。如果六尺以上,好不容易准备了的花也没什么用。支配自然界的经济原理也体现在这里吧。

如果这个花蕾最初探到水面,安心地钻进去之后,偷偷把钵沉得更深,会发生什么呢?

这个试验做了一次,看起来很有价值,虽然我觉得花有点可怜。

虞美人草のつぼみははじめうつ向いている。いよいよ咲く前になって頭をもたげてまっすぐに起き直ってから開き始める。ある夏中庭の花壇にこの花を作ったとき、一日試みに二つのうつ向いたつぼみの上方にヘアピン形に折れ曲がった茎を紙撚こよりのひもでそっと縛っておいた。それから二三日たって気がついて見ると、一つは紙ひもがほどけかかってつぼみの軸は下方の鉛直な茎に対して四五十度ぐらいの角度に開いて斜めに下向いたままで咲いていた。もう一つのは茎の先端がずっと延びてもう一ぺん上向きに生長し、そうしてちゃんと天頂を向いた花を咲かせていた。つまり茎の上端が「り」の字形になったわけである。

もっと詳しくいろいろ実験したいと思っているうちに花期が過ぎ去った。そうしてその年以来他の草花は作るが虞美人草はそれきり作らないので、この無慈悲な花いじめを繰り返す機会に再会することができない。

虞美人草的花蕾开始垂下来。 终于到了开花之前抬起头,重新站起来,然后再开始打开。 有一次在夏中庭的花坛里做这个花的时候,一天尝试用纸捻的绳子轻轻地绑着弯成发夹形的茎在两个朝下的花蕾上方。之后过了两三天我注意到,一个是纸绳解开,花蕾的轴相对于下方垂直的茎开了四五十度左右的角度,以倾斜向下的状态开着。另一只茎的前端一直延伸,再向上生长一次,然后好好地开着朝向天顶的花。也就是说,茎的上端变成了“り”字形。

在我想更详细地进行各种实验的时候,花期就过去了。于是,从那一年以来,虽然长出了其他花草,但虞美人草再也没有长出过,因此,再也没能有机会重复这无情的花欺凌了。

       四

カラジウムを一鉢はち買って来て露台のながめにしている。芋の葉と形はよく似ているが葉脈があざやかな洋紅色に染められてその周囲に白い斑点はんてんが散布している。芋から見れば片輪者であり化け物であろうが人間が見るとやはり美しい。

ベコニア、レッキスの一種に、これが人間の顔なら焼けどの瘢痕はんこんかと思われるような斑紋のあるのがある。やけどと思って見るとぞっとするくらいであるがレッキスとして見れば実に美しい。

アフリカの蛮人でくちびるを鐃□にょうばちのように変形させているのや、顔じゅう傷跡だらけにしているのがあるが、あれはどうもどう見ても美しいと思えない。あれでもやはりまだあまりに多くわれわれに似すぎているからであろう。

ほんとうに非凡なえらい神様のような人間の目から見たら、事によるとわれわれのあらゆる罪悪がみんなベコニアやカラジウムの斑点のごとく美しく見えるかもしれないという気がする。

买了一盆作为露台的景致。它和芋头的叶子形状很相似,但叶脉被染成鲜艳的洋红色,周围散布着白色斑点和斑点。从芋头来看,无论是独角仙还是妖怪,在人类看来还是很美的。

柯尼雅,作为瑞奇斯的一种,有一种斑纹,如果这是人类的脸的话,会被认为是烧伤的瘢痕、渗出物。 虽然觉得烫伤看起来让人毛骨悚然,但作为雷克斯来看却很美。

虽然有非洲野蛮人把嘴唇变形得像铮铮一样,也有满脸伤痕的,但那个怎么看都不觉得美。 可能还是因为还是太多太像我们了吧。

真的,在伟大的神一样的人眼里,我觉得根据事情来看,我们的一切罪恶也许都看起来像秋海棠、镭的斑点一样美丽。

       五

朝二階の寝間の床の上で目をさまして北側の中敷窓から見ると隣の風呂ふろの煙突が見える。煙突と並行して鉄の梯子はしごが取り付けてあるのによくすずめの群れが来て遊んでいる。まず一羽飛んで来て中段に止まる。あとからすぐに一羽追っかけて来て次の段にとまる。第三のが来て空中で羽ばたきしながら前の二羽に何か交渉しているらしく見える。けんかが始まる。一羽が逃げ出して上へ上へと階段を登って行く。二段ずつ飛ぶこともあり五六段ずつ飛び上がるときもある。地上七十余尺の頂上まで上ってしばらく四方を展望していると思うと、突然石でも落とすようにダイヴするが途中から急に横にそれて、直角双曲線を空中に描きながらどこかの庭木へ飛んで行く。しばらくするとまた煙突の梯子はしごへもどって来てそうして同じ遊戯を繰り返す。見ていてもなんだかおもしろそうである。しかしなんのためにすずめがこんな遊戯をしているか、考えてみると不思議である。

早上在二楼卧室的地板上醒来,从北侧的中铺窗户望去,可以看到旁边浴室的烟囱。明明和烟囱并行安装着铁梯子,却经常有麻雀群过来玩。 先飞来一只停在中段。之后马上追上一只来,停留在下一段。看起来像是第三个人来了,在空中拍打着翅膀,和前面的两只翅膀在谈判着什么。吵架。一只逃跑,向上爬楼梯。有时一级跳两级,有时一级跳五六级。登上地上七十多尺的山顶,展望四周一会儿,突然像石头一样潜水,中途突然偏向一边,一边在空中画着直角双曲线,一边飞向某个庭院的树。过了一会儿又回到烟囱的梯子上然后重复同样的游戏。 看着总觉得好像很有趣。 但是,想想麻雀为什么会做这样的游戏,真是不可思议。

梯子の中段で時々二羽のすずめの争闘が起こる。第三のすずめがこれに参加することもある。これはどうもただのけんかではなくて、やっぱり彼らの種族を増殖するための重大な仕事に関係した角逐かくちくの闘技であるらしく思われる。

あまりに突飛な考えではあるが、人間のいろいろなスポーツの起原を遠い遠い灰色の昔までたどって行ったら、事によるとそれがやはりわれわれの種族の増殖の営みとなんらかの点でつながっていたのではないかという気がしてくるのである。

梯子中段不时发生两只麻雀的争斗。 第三雀有时也会参加这个。 这似乎不仅仅是一场争吵,还是一场与为繁殖他们种族而进行的重大工作有关的角逐的斗技。

虽然这想法有些离奇,但如果我们将人类各种体育运动的起源追溯到遥远的灰色过去,那么事情就会表明,这还是和我们种族的增殖活动有着某种联系的。

       六

電車に乗って空席を捜す。二人の間にやっと自分の腰かけられるだけの空間を見つけて腰をおろす。そういう場合隣席の人が少しばかり身動きをしてくれると、自然に相互のからだがなじみ合い折り合って楽になる。しかし人によると妙にしゃちこばって土偶どぐうか木像のように硬直して動かないのがある。

こういう人はたぶん出世のできない人であろうと思う。

もっとも、こういう人が世の中に一人もなくなってしまったら、世の中にけんかというものもなくなり、国と国との間に戦争というものもなくなってしまうかもしれない。そうなるとこの世の中があまりにさびしいつまらないものになってしまうかもそれはわからない。

こういう人も使い道によっては世の中の役に立つ。たとえば石垣いしがきのような役目に適する。もっとも石垣というものは存外くずれやすいものだということは承知しておく必要がある。

坐电车找空座位。 两个人之间好不容易找到能坐自己的空间坐下。在这种情况下,邻座的人稍微做些动作,彼此的身体自然就会相互磨合,相处起来变得轻松了。但是,据人所说,有时会显得拘谨,像陶俑、木像一样僵硬不动。

我想这种人大概是不会出人头地的。

但是,如果这个世界上一个这样的人都没有了的话,这个世界上也许就没有争吵了,国与国之间也就没有了战争。也不知道这样的话这个世界会变得太寂寞无聊。

这种人也根据用途不同,对社会有用。例如,适合石墙、蘑菇之类的职责。 必须要事先知道,石墙是非常容易破碎的东西。

       七

むかでの歩くのを見ていると、あのたくさんの足が実に整然とした運動をしている。一種の疎密波が身長に沿うて虫の速度よりは早い速度で進行する。

もしか自分がむかでになってあれだけのたくさんな足を一つ一つ意識的に動かして、あのような歩行をしなければならないとしたら実にたいへんである。思ってみるだけでも気が狂いそうである。

しかしよく考えてみると人間の一挙手一投足にも、実はむかでの足の神経などに比べて到底比較のできないほど多数の神経細胞が働いているであろう。そんなことは夢にも考えないでむかでの足を驚嘆しながら万年筆をあやつってこんなことを書くという驚くべき動作をなんの気もなく遂行しているのである。

看着蜈蚣走,发现那很多脚做着整齐的运动。一种疏密波沿着身高以比虫的速度快的速度行进。

如果自己变得很傲慢,要把那么多脚一只一只有意识地移动,然后走那样的路,那就糟了。 光是想想就快要疯了。

但是仔细想想,人类的一举一动、一投足,其实也有很多神经细胞在工作,其数量远远比不上大脚的神经。 那种事是做梦也没想到的,一边惊叹着蜈蚣的脚,一边用钢笔写下这种令人惊讶的动作,居然漫不经心地完成了。

       八

軍隊用のラッパの音は勇ましい音の標本になっているようである。なるほど自分の面前の近距離で吹き立てられるとかなり勇ましく、やかましいくらい勇ましい。しかし木枯らし吹く夕暮れなどに遠くから風に送られて来るラッパの声は妙に哀愁をおびて聞こえるものである。

勇ましいということの裏には本来いつでも哀れなさびしさが伴なっているのではないかという気がする。

军队用的号角声似乎成了勇敢的声音标本。原来如此,在自己面前的近距离被喷的话,会相当勇敢,像吵一样勇敢。但是,在寒风凛冽的黄昏等地方,从远处被风吹来的号角声却莫名地充满了哀愁。

我觉得勇敢的背后,本来随时都伴随着可怜的寂寞。

       九

東郷とうごう大将たいしょうの若い時の写真を見ると、実に立派でしかも明るく朗らかな表情をしたのがある。ジョン・バリモアーなどにもちょっと似ているのがある。しかし晩年のいわゆる「東郷さん」になってからの写真にはどれにもこれにもみんなどこか迷惑そうな窮屈そうな表情がただよっているような気がする。

世人は自分勝手に自分らの東郷さんの鋳型をこしらえて、そうして理が非でもその型にはまることを要求した。寛容な東郷大将はそうした大衆の期待を裏切って失望させては気の毒だと思って、かなりそのために気をつかっておられたのではないかという気もする。これは豚の心で象の心持ちを推し量るようなものかもしれないが、もしこの推量が当たっていると仮定したら、大衆は自分たちのわがままで東郷さんのほんとうのえらさを封じ込めてしまったということになるかもしれない。

看到东乡隆大将年轻时的照片,有一种非常帅气、开朗的表情。和约翰•巴里莫尔等也有点像。 但是,成为晚年的所谓“东乡先生”之后的照片中,似乎所有的照片中都充满了看起来像是给大家添了麻烦的局促表情。

世人要求自己做自己东乡先生的模子,这样无论是非都要套在模子里。宽容的东乡大将觉得如果辜负了大众的期望,会让大家失望,我也觉得他是为此而小心翼翼的。这可能就像用猪心来揣摩大象的心意,但如果假设这个猜度是正确的话,大众可能就成了封闭了自己任性的东乡先生的真实想法。

       十

神保町じんぼうちょう交差点で珍しい乗り物を見た。一種の三輪自転車であるが、普通の三輪車と反対に二輪が前方にあってその上に椅子形いすがたの座席が乗っかっている。その後方に一輪車が取り付けられ、そうして三つの輪の中央のサドルに腰をかけた人がペダルを踏んで推進する仕掛けになっている。座席に腰かけた人の右手にハンドルがあってそれをぐるぐる回すとチェーンギアーで車台の下のほうの仕掛けがどうにかなるようにできているらしい。たぶん座乗者が勝手に進行の方向を変えるための舵かじのようなものらしい。

座席に腰かけている人はパナマ帽に羽織袴はおりはかまの中年紳士で、ペダルを踏んでいるのは十八九歳ぐらいの女中さんである。

この乗り物が町の四つ角かどに来たとき、そのうしろから松葉杖まつばづえを突いた立派な風采ふうさいの青年がやって来て追い越そうとした。袴をはいているが見たところ左の足が無いらしい。それを呼び止めて三輪車上の紳士が何か聞いている。隻脚せききゃくの青年は何か一言きわめてそっけない返事をしたまま、松葉杖のテンポを急がせて行き過ぎてしまった。思いなしか青年の顔がまっかになっているように思われた。

呼び止めた歩行不能の中年紳士の気持ちも、急いで別れて行った青年の気持ちもいくらかわかるような気がした。自分があの二人のどちらかだったら、やはり同じことをしたであろうと思われた。

在神保町人造灯十字路口看到了罕见的交通工具。虽然是一种三轮自行车,但和普通的三轮车相反,两轮位于前方,上面坐着椅子形椅子的座位。在其后方安装了独轮车,于是,坐在三个车轮中央鞍座上的人踩着踏板推进。 坐在座位上的人右手有把手,把它转来转去的话,好像用链齿轮能解决车辆下面的问题。 大概就像是坐着的人随意改变前进方向的掌舵。

坐在座位上的人是巴拿马帽、外套、裙裤、笼子里的中年绅士,踩踏板的是一位十九岁左右的女士。

当这辆交通工具来到城市的四角的时候,从后面走来一个长着拄着拐杖、风姿飒爽的青年,想要超过他。穿着袴装,但一看好像没有左脚。叫住它,三轮车上的绅士在问什么。只是脚咳嗽的青年,作出了一句极其冷淡的回答,急急忙忙地走了过去。不知为什么,我觉得青年的脸好像变得通红。

我似乎也能理解停下来的不能行走的中年绅士的心情,也能理解匆匆分手的青年的心情。 如果自己是那两个人中的某一个,就会被认为果然做了同样的事。

       十一

風邪かぜをひいて軽い咳せきが止まらないようなとき昔流の振り出し薬を飲むと存外よくきく事がある。草根木皮の成分はまだ充分には研究されていないのだから、医者の知らない妙薬が数々はいっているかもしれない、またいないかもしれない。

それはとにかく、この振り出し薬の香をかぐと昔の郷里の家の長火鉢ながひばちの引き出しが忽然こつぜんとして記憶の水準面に出現する。そうして、その引き出しの中には、もぐさや松脂まつやにの火打ち石や、それから栓せん抜ぬきのねじや何に使ったかわからぬ小さな鈴などがだらしもなく雑居している光景が実にありありと眼前に思い浮かべられる。松脂は痰たんの薬だと言って祖母が時々飲んでいたのである。

この煎薬せんやくのにおいと自分らが少年時代に受けた孔孟こうもうの教えとには切っても切れないつながりがあるような気がする。

時代に適応するつもりで骨を折って新しがってみても、鼻にしみ込んだこの引き出しのにおいが抜けない限り心底から新しくなりようがない。

感冒了,轻微咳嗽止不住的时候,吃老掉牙药会格外见效。草根树皮的成分还没有被充分研究,所以也许有很多医生不知道的妙药,也有可能没有。

总之,闻到这种开头药水的香味,昔日家乡家中的长火盆里云雀的抽屉突然隐隐约约地出现在记忆的水平面上。而且,那个抽屉里,艾草、松脂、松脂、松脂、火石、还有不知道拔瓶器的螺丝、不知道是用来干什么的小铃铛等邋遢地杂居的情景,确实历历在目。松脂说是痰药,是祖母有时喝的。

我觉得这煎药的气味和自己少年时代所受的孔孟灌的教诲有着密不可分的联系。

即使为了适应时代而费尽心思重新开始,只要渗入鼻子的这个抽屉的气味没有消失,就无法从心底重新开始。

       十二

四五年会わなかった知人に偶然銀座ぎんざでめぐり会った。それからすぐ帰宅して見るとその同じ人からはがきが来ていた。町名番地が変わったからという活版刷りの通知状であったが、とにかく年賀状以外にこの人の書信に接したことはやはり四五年来一度もなかったはずである。

そのはがきを出したのは銀座で会う以前であったということは到着の時刻からも消印からも確実に証明された。

この偶然な二つの出来事の合致コインシデンスが起こるという確率は正確には計算しにくいが、とにかく千分の一とか二千分の一とかいう小数である。しかしそういうめったに起こりそうもないことが実際に起こることがあるというのが、確率論のまさしく教えるところである。してみるとこれは不思議でもなんでもないとも言われる。しかしまた、それだから不思議だとも言われる。要は不思議という言葉の定義次第である。

偶然在银座遇见了四五年没见的熟人。 然后我马上回家一看,从那个人那里收到了明信片。 这是因为街道地址变了的活版印刷的通知信,总之除了贺年卡以外,应该四五年来还是一次也没有接触过这个人的书信。

从抵达的时刻和邮戳上都可以确实证明寄那张明信片是在银座见面之前的。

这两个偶然事件发生一致事件的概率很难准确计算,总之是千分之一或二千分之一这样的小数。但是,这种难得发生的事情实际上有时也会发生,这正是概率论的正确教导。这样看来,这不可思议也不算什么。但是,正因为如此,也有人说不可思议。重要的是取决于不可思议这个词的定义。

       十三

「陸の竜宮りゅうぐう」と呼ばれる日本劇場が経営困難で閉鎖されるということが新聞で報ぜられた。翌日この劇場前を通ったら、なるほど、すべての入り口が閉鎖され平生のにぎやかな粧飾が全部取り払われて、そうして中央の入り口の前に「場内改築並びに整理のために臨時休業」という立て札が立っている。

近傍一帯が急にさびれて見えた。隣の東京朝日新聞社の建物がなんだかさびしそうな顔をして立っているように思われるのであった。

建物にもやっぱり顔があるのである。

报纸报道了被称为“陆地龙宫龙游”的日本剧场由于经营困难将关闭的消息。第二天经过这个剧场前,果然,所有的入口都关闭了,平时热闹的装饰都被全部撤下了,而且中央入口前立着“为了场内改建和整理而临时停业”的牌子。

附近一带突然显得生锈了。旁边的东京朝日新闻社的建筑物给人一种凄凉的表情站着的感觉。

建筑物里果然也有脸。

       十四

マルキシズムの立場から科学を論じ、科学者の任務に対していろいろな注文をつける人がある。その人たちとしては一応もっともな議論ではあろうが、ただの科学者から見るとごくごく狭い自分勝手な視角から見た管見的科学論としか思われない。

科学者の科学研究欲には理屈を超越した本能的なものがあるように自分には思われる。

蜜蜂みつばちが蜜を集めている。一つ一つの蜜蜂にはそれぞれの哲学があるのかもしれない。しかしそんなことはどうであっても彼らが蜜を集めているという事実には変わりはないのである。そうして彼らにもわれらにも役に立つものは彼らの哲学ではなくて彼らの集めた蜜なのである。

マルキシズムその他いろいろなイズムの立場から蜜蜂みつばちに注文をつけるのは随意であるが、蜜蜂はそんな注文を超越してやっぱり同じように蜜を集めるであろう。そうして忙しい蜜蜂はおそらくそういう注文者を笑ったりそしったりする暇すらないであろうと思われる。

有人从马克思主义的立场论述科学,对科学家的任务提出各种各样的要求。作为这些人来说大概是最有道理的议论,但是在科学家看来,只能是从极其狭窄的、自私的视角来看的管见的科学论。

我觉得科学家的科学研究欲有一种超出道理的本能。

蜜蜂在采蜜。也许每只蜜蜂都有各自的哲学。但是,无论如何,他们蜂蜜这一事实都没有改变。 而且对他们和我们都有用的不是他们的哲学,而是他们收集的蜜。

从马克思主义以及其他各种主义的角度给蜜蜂点餐是随意的,但是蜜蜂超越了这样的点餐,还是一样会收集蜜吧。 这样忙碌的蜜蜂恐怕连笑和嘘那些订购者的时间都没有吧。       十五

中庭の土に埋め込んだ水甕みずがめに金魚を飼っている。Sがたんせいして世話したおかげで無事に三冬を越したのが三尾いた。毎朝廊下を通る人影を見ると三尾喙くちを並べてこっちを向いて餌えさをねだった。時おりのら猫ねこがねらいに来るので金網のふたをかぶせてあったのがいつとなくさび朽ちて穴の明いているのをそのままにしてあった。この夏のある朝見たら三尾の一尾が横になって浮いている。よく見ると鰓えらの下に傷あとがあって出血しているのである。金網の破れから猫が手を入れて引っかけそこなったものと思われた。負傷した金魚はまもなく死んでしまった。ちょうどその日金魚屋が来たので死んだのの代わりに同歳のを一尾買って入れた。夜はまた猫が来るといけないからというので網の代わりに古い風呂桶ふろおけのふたをかぶせておいた。翌朝あけて見るときのう買ったのと、前からいた生き残りのうちの一尾とが死んでいた。

在院子的土里埋的水瓮里养金鱼。 多亏s细心照顾,三尾顺利地过了三冬。 每天早上看到通过走廊的人影,就会排起三尾喙,朝这边要食物。有时会来觊觎野猫,所以不知什么时候被盖上了铁丝网的盖子,就这样锈坏了,开着洞。这个夏天的某个早晨一看,三尾的一尾横竖着。 仔细一看,鳃鳃下有伤痕,正在出血。 从铁丝网破了之后,猫被认为是把手伸进去,结果挂坏了。 受伤的金鱼不久就死了。正好那天金鱼店来了,所以我买了一条同岁的鱼代替死了。 因为晚上猫又不能来了,所以用旧的浴桶盖代替网。第二天黎明看到的时候买的和以前就存在的幸存的一尾死了。

死因がわからない。しかしたぶんこうではないかと思われた。夏じゅうは昼間に暖まった甕の水が夜間の放熱で表面から冷え、冷えた水は重くなって沈むのでいわゆる対流が起こる。そのおかげで水が表面から底まで静かにかき回され、冷却されると同時に底のほうで発生した悪いガスなどの蓄積も妨げられる。それを、木のふたで密閉したから夜間の冷却が行なわれず、対流が生ぜず、従って有害なものが底のほうに蓄積して窒息死を起こしたのではないかというのである。これが冬期だといったいの水温がずっと低いために悪いガスなどの発生も微少だから害はないであろう。これは想像である。

それにしても同じ有害な環境におかれた三尾のうちで二つは死んで一つは生き残るから妙である。

水雷艇「友鶴ともづる」の覆没ふくぼつの悲惨事を思い出した。

あれにもやはり人間の科学知識の欠乏が原因の一つになっていたという話である。

忘れても二度と夏の夜の金魚鉢きんぎょばちに木のふたをしないことである。

不知道死因。 但是被认为可能是这样。夏天白天变热的瓮水因为夜间散热从表面冷却,变冷的水变重下沉,所以发生所谓的对流。因此,水从表面到底部会静静地搅拌,在冷却的同时,也会阻碍底部产生的坏气体等的蓄积。将其用木盖子密封,因此夜间不进行冷却,不发生对流,因此有害物质积累在底部,引起窒息死亡。这就是冬季,由于水温一直很低,所以恶劣气体的产生也很少,所以应该不会有什么危害吧。这是想象。

尽管如此,同样身处有害环境的三尾中,两个死了,一个活下来,所以很奇怪。

这让我想起了水雷艇“友鹤”的复膜沉没所在的悲惨遭遇。

那也是人类缺乏科学知识的原因之一。

就算忘了,也不会再给夏夜的金鱼缸盖瓶盖了。

       十六

野中兼山のなかけんざんが「椋鳥むくどりには千羽に一羽の毒がある」と教えたことを数年前にかいた随筆中に引用しておいたら、近ごろその出典について日本橋区にほんばしくのある女学校の先生から問い合わせの手紙が来た。しかしこの話は子供のころから父にたびたび聞かされただけで典拠については何も知らない。ただこういう話が土佐とさの民間に伝わっていたことだけはたしかである。

野中兼山は椋鳥が害虫駆除に有効な益鳥であることを知っていて、これを保護しようと思ったが、そういう消極的な理由では民衆に対するきき目が薄いということもよく知っていた。それでこういう方便のうそをついたものであろう。

如果在几年前写的随笔中引用野中兼山的中野先生曾说过“椋鸟鹦鹉千只中有一只毒”的话,最近日本桥区一所女学校的老师就其出处收到了咨询信。但是这个故事从小就只听父亲说过一次,对根据一无所知。只是这种故事在土佐和土佐的民间流传是确实的。

野中兼山知道椋鸟是驱除害虫的有效益鸟,想保护它,但也很清楚由于这种消极的理由,对民众的看法很淡薄。 所以才撒了这样方便的谎吧。

「椋鳥は毒だ」と言っても人は承知しない。なぜと言えば、今までに椋鳥を食っても平気だったという証人がそこらにいくらもいるからである。しかし千羽に一羽、すなわち〇・一プロセントだけ中毒の蓋然率プロバビリティがあると言えば、食って平気だったという証人が何人あっても、正確な統計をとらない限り反証はできない。それで兼山のような一国の信望の厚い人がそう言えば、普通のまじめな良民で命の惜しい人はまずまず椋鳥むくどりを食うことはなるべく控えるようになる。そこが兼山のねらいどころであったろう。

これが「百羽に一羽」というのではまずい。もし一プロセントの中毒率があるとすればその実例が一つや二つぐらいそこいらにありそうな気がするであろう。また「万羽に一羽」でもうまくない。万人に一人では恐ろしさがだいぶ希薄になる。万に一つが恐ろしくては東京の町など歩かれない。やはり「千羽に一羽」は動かしにくいのである。

こういうおどかしはしかし兼山に対する民衆の信用が厚くなければなんの効能もなくなることである。

兼山の信用があまりに厚かったためにいろいろの類似の言い伝えが、なんでもかでも兼山と結びつけられているのではないかという疑いもある。実際土佐とさでは弘法大師こうぼうだいしと兼山との二人がそれぞれあらゆる奇蹟きせきと機知との専売人になっているのである。

即使说“椋鸟有毒”人也不会答应。 要说为什么,那是因为到现在为止,到处都有即使吃椋鸟也不介意的证人。 但是,要说每千只中就有一只,也就是说只有〇一美分有中毒的盖然率可能性,那么无论有多少证人吃了之后都不介意,只要不进行准确的统计,就无法进行反证。 于是,一个像兼山这样的国家信望很高的人这么说,普通认真的良民、不珍惜生命的人首先会尽量控制吃椋鸟的呼噜声。那正是兼山的目的地吧。

如果这是“百只一只”的话就不好了。如果有一个质子的中毒率的话,那个实例应该会有一两个左右吧。 另外“万羽一只”也做不好。 每个人一个人的恐惧就会变得越来越淡薄。 万一害怕一个,就走不了东京的街道。果然“千羽一只”很难移动。

这种吓唬人的现象是,如果民众对兼山的信任不深,就什么作用也没有了。

也有人怀疑,由于兼山的信用过于丰厚,各种类似的传说不都是和兼山联系在一起的吗? 实际上,在土佐和里,弘法大师皇太子和兼山两人分别成为了所有奇迹遗迹和机智的专卖人。

       十七

野中兼山のなかけんざんの土木工学者としての逸話を二つだけ記憶している。その一つは、わずかな高低凹凸おうとつの複雑に分布した地面の水準測量をするのに、わざと夜間を選び、助手に点火した線香を持って所定の方向に歩かせ、その火光をねらって高低を定めたと言い伝えられていることである。しかしねらうのには水準器のついた望遠鏡か、これに相当する器械が必要であろうがそれについては聞いたことがない。

もう一つは浦戸港うらどこうの入り口に近いある岩礁を決して破壊してはいけない、これを取ると港口が埋没すると教えたことである。しかるに明治年間ある知事の時代に、たぶん机の上の学問しか知らないいわゆる技師の建言によってであろう、この礁かくれいわが汽船の出入りの邪魔になると言ってダイナマイトで破砕されてしまった。するとたちまちどこからとなく砂が港口に押し寄せて来て始末がつかなくなった。

故工学博士広井勇ひろいいさむ氏が大学紀要に出した論文の中にこのときの知事のことを“a governor less wise than Kenzan”としてあったように記憶する。実に巧妙な措辞そじであると思う。この知事のような為政者は今でも捜せばいくらでも見つかりそうな気がするのである。

少なくも、むやみに扁桃腺へんとうせんを抜きたがる医者は今でもいくらもいるであろう。

我只记得野兼山里面作为土木工程师的两个逸事。 其一是传说中,为了测量微小的高低凹凸和光线复杂分布的地面水平,故意选择夜间,让助手拿着点燃的线香向规定的方向走,瞄准其火光决定高低。但是,要瞄准的话,可能需要装有水平仪的望远镜,或者需要与之相当的仪器,但我没有听说过。

另一个是告诉人们,绝对不能破坏浦户港后门附近的礁石,如果拿下礁石,港口就会被埋没。 然而,在明治年间某知事的时代,大概是只知道桌上学问的所谓技师的建议吧,说这个礁暗里妨碍轮船进出,被炸药击碎了。于是,不知从什么地方不知从哪里涌来了沙子,不知如何是好。

我记得已故工学博士广井勇广志先生在大学纪要中提出的论文中,把此时的知事记为“a governor less wise than Kenzan”。 我觉得真是巧妙的措词。 我觉得像这位知事这样的执政者,即使现在寻找起来,似乎也能找到多少。

至少,随便想拔扁桃腺的医生现在也有很多吧。

       十八

近年の統計によると警視庁管内における自殺者の数が著しく増加し、大正十一年と昭和八年とでは管内人口の増加が約六割であるのに対して自殺既遂者の数は二十割、未遂者の数は四十割に増加しているとの事である。ある新聞の社説にこの事実をあげてその原因について考察し為政当局者の反省を促している。誠に注目すべき文字である。

しかし多くの人の見るところによれば、自殺の増加の幾割かはたしかに新聞の暗示的、ないし挑発的記事の影響に因るものであろうと思われるが、右の新聞の社説にはこのことについては一言も触れてない。触れないのは当然であろうがちょっとおかしい。

「自殺の報道記事は十行を越ゆべからず」という取締規則でも設けたら、それだけでも自殺者の数が二割や三割は減るのではないかという気がする。試験的に二三年だけでもそういう規則を遂行して後に再び統計を取ってほしいものである。

根据近年的统计,警视厅管辖范围内的自杀人数明显增加,大正十一年和昭和八年,管辖范围内人口的增加约占六成,而自杀既遂者的数量增加了二十成,未遂者的数量增加了四十成。 在某报纸的社论中举出这个事实,对其原因进行考察,促进行政当局者的反省。 真是值得注意的文字。

但是,据许多人看来,自杀的增加有几成确实是由于报纸的暗示、乃至挑衅性报道的影响,但在右边的报纸社论中对此只字未提。 不碰是理所当然的,但是有点奇怪。

我觉得,如果制定“自杀的报道不可超过十行”的监管规定,光是这样,自杀者的人数就会减少两成或三成吧。希望试验性地只执行两三年那样的规则,之后再次进行统计。

       十九

入水者はきっと草履や下駄をきれいに脱ぎそろえてから投身する。噴火口に飛び込むのでもリュックサックをおろしたり靴くつを脱いだり上着をとったりしてかかるのが多いようである。どうせ死ぬために投身するならどちらでも同じではないかという気もするが、何かしら、そうしなければならない深刻な理由があると見える。

この世の覊絆きはんと濁穢を脱ぎ捨てるという心持ちもいくぶんあるかと思われる。また一方では捨てようとして捨て切れない現世への未練の糸の端をこれらの遺物につなぎ留めるような心持ちもあるかもしれない。

なるべく新聞に出るような死に方を選ぶ人の心持ちは、やはりこのはき物や上着を脱ぎそろえる心持ちの延長ではないかとも思われるのである。

結局はやはり「生きたい」のである。生きるための最後の手段が死だという錯覚に襲われるものと見える。自殺流行の一つの原因としては、やはり宗教の没落も数えられるかもしれない。

(昭和九年九月、中央公論)

入水者一定会把草鞋和木屐脱得干干净净,然后投身水中。跳进火山口似乎也是卸下背包、脱去袜子、脱下上衣,花费良多。虽然我也觉得反正是为了死而投身的话,哪一个都是一样的,但不知是什么,似乎有必须这样做的深刻理由。

我想也有一点儿摆脱世间羁绊和浊秽的想法吧。另一方面,也许也有一种想将想要抛弃却无法舍弃的对现世留恋的线的边缘与这些遗物相连的心情。

尽量像报纸上说的那样选择死法的人的心情,也被认为是将这种和服和上衣脱掉的心情的延长。

毕竟还是“想活”的。 可以看出生活的最后手段会被死亡的错觉所袭击。 作为自杀流行的原因之一,也许还是宗教的没落。

(昭和九年九月,中央公论)

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