● 本译稿除重译外,同时对照知名译本,对明显相异处,疑似错译处等添加了注解。
● 所对照的知名译本包括叶渭渠译本和李德纯译本,以叶渭渠为主。
● 词义解释主要参考大辞泉(小学馆)及各类信息渠道。
译文
休息了约莫一个小时,男人把我引到其他的温泉旅店了。在那之前我只道自己也会和艺人们宿在同样的木赁旅店。我们自大街行下一町左右路程的石子路和石阶,走过位于小河边的公共浴场旁边的桥,桥对过就是温泉旅店的庭院。
一浸入那里的室内浴池,自后方男人便进来了。说了自己即将二十岁,老婆流产、早产,两次都没能保住孩子云云。他穿着印有长岡温泉旅店标记的短外衣,我一直以为是长岡人士;且看神情谈吐也知书达理,我想象他是为着好凑热闹或者中意艺人姑娘,才帮着提行李一路跟来。
从温泉上来我立刻把午饭吃了。汤岛是早上八点离开的,那时还未到下午三点。
男人回去路上,在院里抬眼望着我打招呼。
“拿这个去买些柿子之类的吧,恕我不下楼了。”说着我把包了钱的纸包丢下去。男人正欲拒绝而去,可院子里纸包就那么落着,他便折返拾起:
“不可以这样。”说着丢了上来。
纸包落在稻草屋脊上。我再次丢下,男人就拿着回去了。
自黄昏,大雨倾盆,群山[30] 的形容失了远近,漂染成白,跟前的小河眼见着黄汤泛浊,声响高腾。这么大雨,舞女们不可能过来卖艺的,我这么想着,坐立不安,两次三次地总去泡温泉。房间昏暗。和邻室间的隔扇上裁剪出的四角空处挂着自横木而下的电灯,一处光亮,二室兼用。
咚咚咚——,激烈的雨声中遥遥而微弱地生出太鼓的响动。我像是要把防雨板窗撕裂似地扯开探出身子[31] 。太鼓的声音似乎近来了。风雨敲打着我的头,我闭目聆听,想弄清太鼓是经由何处如何传来的。不一会儿,听见了三味线的声音,听见了女人久久的叫嚷,听见了欢腾的喧笑,而后晓得了:艺人们被叫去木赁旅店对过的餐馆里陪席了。听得清是两三个女人的声音和三四个男人的声音。我期待着,想那厢了了该就过来这里吧。可那场酒席似乎热闹异常愈加喧嚷了。女人尖利的叫声时不时闪电般划破暗夜[32] 。我神经撮紧了,一直开着门静坐着[33] 。每每听见太鼓的声音,心头呼地微微发亮。
“啊,小舞女还在宴席上坐着,在坐着打太鼓。”
太鼓一止就受不了了。向着雨声深处,我沉沉而入[34] 。
半晌,众人不知是彼此追逐,还是四处乱舞,凌乱的脚步声持续了片刻。而后,倏地万籁俱歇。我眼中发出光亮:这静谧是什么?欲穿过黑暗看清它。小舞女的今夜,会遭到玷污吗[35] ?我烦恼着。
关了防雨板窗钻进睡铺仍是心里作痛,复又进了浴池,把温泉水粗暴地翻腾乱搅。雨住,月出了,雨洗涤过的秋夜冷澈而澄亮。就算赤脚出浴室跑过去,也无济于事的,我想。两点已过。
[30]原文是“山々”,就是群山的意思
过往译本有的是“巍巍群山”,巍巍意为高大的样子,原文并没有这个形容,而群山未必都是高大的。
[31]原文是连续的一整句“私はかき破るように雨戸を明けて体を乗り出した”,为维持原文要表现的迫切心情的节奏,此处汉语做同样的处理
[32]原文是“闇夜”,即暗夜。
过往译本有的是“黑魆魆的夜空”→原文只说“夜”,没有说“夜空:夜的天空”,二者不能等同。
[33]原文是“じっと坐っていた”。
过往译本有的是“惘然呆坐着”→じっと是“一动不动,安静”,但原文没有提到“惘然”,且既然前面已说神经紧张,又如何会惘然呢。
[34]原文是“雨の音の底に私は沈み込んでしまった”。
过往译本有的是“我沉醉在雨声中”→原文的“底”意为“底部、深处”, “沈み込”意为“下沉,沉入”,甚至还有消沉的意思,此处指的是“我”听不见太鼓声,心绪不宁,心思一直沉到雨声的深处,至于沉到雨声深处做什么,可能是听不到鼓声感到消沉,也可能是想要去探听是否还有太鼓的声响,此处留待读者解读体会,译文应尽量只还原动作。该译本漏译了“底”,且“沉醉”过于欣悦,不符该语境中“我”的坐立不安的心境。
[35]原文是“踊子の今夜が汚れるのであろうか”,此处没有直接写“今夜踊子が汚れる”,即把被玷污的主体定为“踊子の今夜”(小舞女的今夜),而非只是“踊子” (小舞女),应含有特定的隐喻。
过往译本皆是“那舞女今晚会不会被人玷污呢”,原文写的是“舞女的今晚”,而非舞女,文意不符。
原文
一時間ほど休んでから、男が私を別の温泉宿へ案内してくれた。それまでは私も芸人たちと同じ木賃宿に泊ることとばかり思っていたのだった。私たちは街道から石ころ路や石段を一町ばかりおりて、小川のほとりにある共同湯の横の橋を渡った。橋の向こうは温泉宿の庭だった。
そこの内湯につかっていると、後から男がはいって来た。自分が二十四になることや、女房が二度とも流産と早産とで子供を死なせたことなぞを話した。彼は長岡温泉の印半纏を着ているので、長岡の人間だと私は思っていたのだった。また顔つきも話ぶりも相当知識的なところから、物好きか芸人の娘に惚れたかで、荷物を持ってやりながらついて来ているのだと想像していた。
湯から上がると私はすぐに昼飯を食べた。湯が島を朝の八時に出たのだったが、その時はまだ三時前だった。
男が帰りがけに、庭から私を見上げて挨拶をした。
「これで柿でもおあがりなさい。二階から失礼」と言って、私は金包みを投げた。男は断わって行き過ぎようとしたが、庭に紙包みが落ちたままなので、引き返してそれを拾うと、
「こんなことをなさっちゃいけません」とほうり上げた。それが藁屋根の上に落ちた。私がもう一度投げると、男は持って帰った。
夕暮からひどい雨になった。山々の姿が遠近を失って白く染まり、前の小川が見る見る黄色く濁って音を高めた。
こんな雨では踊子たちが流して来ることもあるまいと思いながら、私はじっと坐っていられないので二度も三度も湯にはいってみたりしていた。部屋は薄暗かった。隣室との間の襖を四角く切り抜いたところに鴨居から電燈が下がっていて、一つの明かりが二室兼用になっているのだった。
ととんとんとん、激しい雨の音の遠くに太鼓の響きがかすかに生まれた。私はかき破るように雨戸を明けて体を乗り出した。太鼓の音が近づいて来るようだ。雨風が私の頭を叩いた。私は眼を閉じて耳を澄ましながら、太鼓がどこをどう歩いてここへ来るかを知ろうとした。間もなく三味線の音が聞こえた。女の長い叫び声が聞こえた。
賑やかな笑い声が聞こえた。そして芸人たちは木賃宿と向かい合った料理屋のお座敷に呼ばれているのだとわかった。二、三人の女の声と三、四人の男の声とが聞き分けられた。そこがすめばこちらへ流して来るのだろうと待っていた。しかしその酒宴は陽気を越えてばか騒ぎになって行くらしい。女の金切り声が時々稲妻のように闇夜に鋭く通った。私は神経を尖らせて、いつまでも戸を明けたままじっと坐っていた。太鼓の音が聞こえるたびに胸がほうと明るんだ。
「ああ、踊子はまだ宴席に坐っていたのだ。坐って太鼓を打っているのだ」
太鼓がやむとたまらなかった。雨の音の底に私は沈み込んでしまった。
やがて、皆が追っかけっこをしているのか、踊り回っているのか、乱れた足音がしばらく続いた。そして、ぴたと静まり返ってしまった。私は眼を光らせた。この静けさが何であるかを闇を通して見ようとした。踊子の今夜が汚れるのであろうかと悩ましかった。
雨戸を閉じて床にはいっても胸が苦しかった。また湯にはいった。湯を荒々しくかき回した。雨が上がって、月が出た。雨に洗われた秋の夜が冴え冴えと明るんだ。はだしで湯殿を抜け出して行ったって、どうともできないのだと思った。二時を過ぎていた。