長文でしかもこのような文書表現なので、読む人がいないかもしれないが、最近「KANSEI」と「RISEI」に関する考えを記したい。
通常、「KANSEI」とは印象を受け入れる能力、「KANJYUUSEI」、また、「KANKAKU」に伴う「KANJYOU」・「SYOUDOU」や「YOKUBOU」。
一方、「RISEI」とは、「DOURI」によって物事を判断する心の働き、「RONRITEKI」、「GAINENTEKI」に思考する能力。
「KANSEI」は結果的に「KANJYOU」として人の心理や行動に反映する。
オランダの人文学者エラスムスによると、人に影響するパワーの倍率としては、「KANJYOU」のパワーは「RISEI」の24倍もあるという。そこまでの倍率を感じ取ることができないが、日常生活で自分や周りの人が「RISEITEKI」ではなく、「KANJYOUTEKI」に行動する傾向が強いという感覚はあるだろう。
また、脳の構造上の原因で、人間は物事に対する反応の速さの順序は「HONNOU」⇒「KANJYOU」⇒「RISEI」になっているといわれている。そのため、目の前の物事の変化が起こる時、或いは新しい物事が起こる時、人間は基本的に「KANJYOU」の変化や新しい「KANJYOU」の発生を避けようとも避けられない(すぐに行動に移さないかもしれないが、少なくとも心理的にな変化が起こる)。
「KANSEI」おいて、比較的に「KANSEI」敏感な人と鈍い人を分類することができる。
どちらが良いかという仕分けはできないが、芸術家肌なタイプの人は「KANSEI」に敏感だと言われている。
「KANSEI」に敏感な人は、物事により心理的な動きが比較的に激しく、そしてその動きが時間的に長く持続する。それに伴い、「KANJYOU」の激しさと時間の長さが「KANSEI」鈍い人と比べて増幅される。例えば、ある楽しい出来ことに対して、「KANSEI」に敏感な人がより楽しい体験ができる。反対に、悲しい出来ことが起こると、「KANSEI」に敏感な人が感じる悲しみが普通の人より深く、激しくなる。問題もここにある:「KANSEI」に敏感な人に対して、「嬉しい」や「楽しい」のような生活の中で望ましい「KANJYOU」が増幅しても特に問題ないが、「悲しい」、「苦しい」、「憎しみ」、「嫉妬」のような「KANJYOU」がこういうタイプの人の生活に悪い影響を与える恐れがある。そのため、「RISEI」を発揮して、それら望ましくない「KANJYOU」を和らげ、持続する時間をなるべく短縮する必要があると考える。つまり、「論理」、「理屈」、「理由」、「根拠」を持って「RISEI」的に考えて、そのような心理状態を和らげ、平常の状態に戻すことだ。
具体的に例を挙げてみよう。
ある「KANSEI」に敏感な男性がある普通な女性に出会い、相手についての情報がほとんど知らないが、楽しい会話と食事ができたことで、女性に強い「KOUKAN」を持つことになった。そして、この男性が、将来この女性と恋愛ができる可能性を感じるため、連続数日間、夜にも眠れず、昼にも仕事に集中できず、この女性のことを「白昼夢」していた(どうやって告白すればよいかとか、告白成功したらどのような恋愛関係を築いていくとか、彼女との会話の光景とか、一緒にどこかに行って何か楽しいことをするとか)。この女性に会いたい気持ちがずっと心の中でこもっている。
それに対し、この女性はただこの男性を友達としてあっただけで、恋愛関係についてまったく考えていないようだ。
このような状態で、男性がいきなり女性に告白して成功する公算はいかに低いかが考えられるだろう。理由は主に下記のようにある:
・この女性が男性に対する「KOUKAN」を示す根拠あるいは証拠はない。
・お互いに知ることが少ないにもかかわらず、いきなり「KOUKAN」だけで告白しても応じてくれる普通な女性がほとんどいない。
・この女性は当初出会いの目的は不明確で、恋愛対象を探しているかそれともただ単純に友達を作って遊びたいだけなのか分からない。
・この女性は恋愛対象に対しての基準がわからない、男性自身の条件がこの基準に満たしているかもわからない。
・この女性に彼氏がいないかもしれないが、好きな人がいるかもしれない。
・お互いに年齢的に軽く恋愛してみるような状況でないため、相手が恋愛関係に対して慎重な姿勢を持っているかもしれない。
よって、このような「KANJYOU」状態は男性の生活に悪い影響を与えるかもしれない。なぜなら、相応しくない「片思い」にかけた時間は最終的に無駄になる可能性が大きいのだ。
「RISEI」を駆使して考えるとこうなる:
・自分はこの女性のどこが好きなのか?強い「KOUKAN」は単純に「HONNOU」的な衝動だけではないか?もし明確に答えが見つからず、単純に「彼女の笑い声が好き」、「彼女の身だしなみが好き」、「彼女の振舞い方が好き」だけだと、その「KOUKAN」が単純に「HONNOU」によるものと考えるほうがいい。
・自分自身の条件はこの女性の恋愛対象に相応しいか?相応しいならなぜか?相応しくない要素がないか?どうやって分析し、判断すべきか?前述の「基準」情報を十分に入手し、当てはめて確認できているか?
・自分がこの女性に対する「KOUKAN」がどの女性でも同じような感覚を覚えるものなのか?過去に同じような経験がないか?もし過去に同じような感覚があれば、このような「KOUKAN」を持って行動することを避けるべきだ。
・もし恋愛関係ができて、いつまでどこまでその関係を発展したいか?結婚する可能性がどのくらいあるか?彼女にとって必要不可欠な基盤が何か把握しているか?自分はその基盤を持っているか、或いは将来いつ頃持てるか?彼女が待てるか?明確な回答がない場合、例え恋愛関係が開始できても、将来いつか不愉快な結末がくる公算が大きい。その際にまた「悲しみ、苦しみ」という感情に翻弄されるだけでなく、この恋愛にかけた時間について後悔するかもしれない。
・自分の人生にとって、大切なことが何か?恋愛は一番大切なのか?もし自分にとってこの恋愛関係は非常に不安定な感情が襲ってくることを知りながら、それでも冒険するなのか?恋愛感情のサイクル(好感⇒恋愛⇒やがて理性的に考えるようになる⇒この関係が相応しくないことが分かる⇒別れる⇒心が傷む)のパターンが再度発生しても構わないのか?
短い人生の時間を本当に大事にしたかったら、恋愛関係が長く持続できる基盤を築き、お互いに相応しい証拠が見つかるまで、我慢強く待つべきではないだろうか?そして、恋愛的な「白昼夢」をなるべく少なくして、日常生活において大事なことに収集したほうが賢い行動だと考えられる。
感性と理性両方を持っているこそ人間なのではないでしょうか。
理性だけを持つと、人間はもはや機械にわかってしまうことになる。
感性は良いものでも悪いものでもなく、なくては人生が成り立たない存在だ。
でも、感性にまるごと身を任せると、知らず知らずの間、自分の人生を見失ってしまう恐れがある。なので、常に理性の目を使って、常に自分の感情を観察し、望ましくない感情が走る時、論理的に考え、しかるべき対策をして、その感情を和らげないといけない。理性的に感情を対処することができるように努力すべきではないか。
以上。